[Я]BOOWY解散宣言ライヴ映像「1224」をファンは刮目して見るべし!

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バンドマンとしての原点、BOOWY

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今回紹介するのは、BOOWYのライヴ・ドキュメンタリー作品「1224」

1987年9月16日から始まり、全国33都市を巡ったBOOWY最後のライヴツアー「DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」の最終公演会場、渋谷公会堂でのライヴ映像が収録されています。

作品タイトルは、渋谷公会堂でのライヴ開催日、そしてBOOWYが実質的に終焉を迎えた1987年12月24日の日付から取られています。

私自身、音楽を好きになるキッカケとなったのはビートルズ。しかし「バンドを組みたい」「プロのミュージシャンになりたい」と思うキッカケになったのはBOOWYでした。結局ミュージシャンの夢は叶わなかったんですけどね。

※BOOWYの正式な表記が「BOØWY」というのは承知してますが、当エントリーでは「BOOWY」で統一いたします。

初めて組んだバンドはBOOWYのコピーバンド。幾つかの高難度な曲を除きBOOWYのベースは全て弾けたので、バンドするならBOOWYが早いだろ、というのが理由(ギターやヴォーカルやドラムのことは全く考えてなかった)。他の友人たちもBOOWY大好きだったし。

私のバンドに限らず、特にBOOWYがオリコンチャート1位を獲得して以降の80年代後半は、BOOWYのコピーバンドが腐るほどいました。「対バン」といって複数のアマチュアバンドでライヴをする際もBOOWYのコピーバンドが高い確率で混じってたなぁ。

某女子大の学園祭に行ったとき、アマチュアバンドが演奏してるBOOWYの曲を聴いて「レベル低すぎる…」と他人ながらガックリしたのは今も覚えてます。それでも聴いてる女の子たちキャーキャー言ってましたからね。そういう時代でした。

頂点まで駆け上がった4つの強烈な個性

BOOWYのメンバーは以下の4人。初期に脱退した数名は省きます。

◆氷室京介(ひむろ・きょうすけ)→ヒムロック
◆布袋寅泰(ほてい・ともやす)→布袋さん
◆松井恒松(まつい・つねまつ)→松井さん
◆高橋まこと(たかはし・まこと)→まこっちゃん

矢印右に書いたのは、私が30年近く呼び続けてる愛称。私だけじゃなく多くの人がそう呼んでました。神すぎるので「氷室」とか「布袋」とか呼び捨てに出来ません。以降の文章でも愛称で統一します。

初めてBOOWYを知ったのは1985年頃。友達の家でBOOWYのレコードを聴きました。当時まだバンドを組んでなかったのですが、ギター弾けることを知ってた彼に「イベント出演するんやけど、その日だけギター弾いてくれない?」と打診され、「唇にジェラシー」と「ハイウェイに乗る前に」、2曲の楽譜を渡されました。それが初めて演奏したBOOWYの曲。本職のベースじゃなくギターでの参加でした。

数ヶ月後、日本テレビ系「歌のトップテン」を吉川晃司が欠席。その理由を司会者が「お友達である布袋寅泰さんの(山下久美子との)結婚式に出席のため」と読み上げ、BOOWYや布袋さんの名前がまだそれほど世間に浸透してなかったこともあり、BOOWYのライヴ映像が流されました。その映像で彼等の動く姿を初めて目にします。

ジワジワと人気上昇を続けたBOOWYは1987年のシングル「MARIONETTE」で遂にオリコンチャート1位を獲得。日本音楽シーンの頂点に立ちます。それでも「トップテン」や「ベストテン」など当時の主要音楽番組への出演は拒否。

なのに「夜のヒットスタジオ」には3回出演してましたね。ヒムロックが初恋の女性と対面したり、布袋さんが司会の古舘伊知郎からモノマネの無茶振りをされて拒否するシーンもリアルタイムで見ました。

あとは桑田佳祐の呼び掛けでアーティストが集った1986年のクリスマス特番「メリー・クリスマス・ショー」にもBOOWYは出演。氷室京介&吉川晃司がビートルズの「ヘルプ!」をパンクっぽいアレンジでカバー。女性のような濃いメイクで妖艶に歌い、最後に二人がキスするという映像構成でした。なんでそうなったのか…。

唯一のライヴに行けなかったのが今も残念

当時私は鳥取県に住んでたのですが、鳥取のお隣り、島根県にBOOWYがツアーでやって来ると発表されたんです。ツアータイトルは「ROCK’N ROLL CIRCUS TOUR」。ウィキで確認したら日時は1987年1月29日でした。

会場は島根県民会館。当時全国ツアーで山陰のライヴ会場と言えば必ずココでした。電車を利用すれば自宅から1時間かからず行ける場所にBOOWYが来るんです。当然ものすごく行きたかったけど、行けなかった。

その年、私は受験生だったんです。現在のセンター試験、当時は「共通一次試験」という名称だったんですけど、1987年の共通一次日程は1月24日と25日の2日間。BOOWYのライヴは試験が終わった直後だったので行こうと思えば行けたんですけど、まだ二次試験があったし、余裕ぶっこいてるような成績でもなかったので、ライヴチケット購入は断念。

またいつか、大学生になってからライヴ行こうと心に誓ったんですけど、BOOWYはその年の年末に解散しちゃったので、1月29日の島根県民会館が最後のライヴになってしまいました。受験生だったので「行けば良かった」という後悔はないんですけど、受験かライヴが1年早かったら、BOOWYのライヴを体感できたのになぁ、というのが残念でなりません。

「CASE OF BOOWY」もファンは絶対見るべし!

BOOWYのライヴ映像でファンなら絶対欠かせない必須アイテムに「CASE OF BOOWY」という作品があります。当時のBOOWYファンでCASE OF BOOWYを知らない人はいなかったんじゃないかな。VHSビデオ4本組で発売されてました。DVDは2本組となってます。

1987年7月31日の神戸ワールド記念ホール、8月7日の横浜文化体育館、2会場で開催された「CASE OF BOØWY」ツアーの模様を編集収録した映像集。デビューアルバムから最新アルバムまで数多くの楽曲を長時間演奏し、話題となりました。

DVDは見たことないですが、VHSは見まくりました。よく「テープがすり切れるまで」って表現がありますけど、私のCASE OF BOOWYビデオは本当にすり切れました。大げさじゃなく何千回と繰り返し見てましたからね。毎日毎晩、映像を見ながらギターやベースを練習しまくってました。映像が乱れ、音が途切れるようになっても再生を続け、最後はテープが切れちゃった。

VHSで収録されてた曲が1つか2つ、DVDではカットされてるという話も聞きますが、基本的にDVDもVHSも同じ内容のはずです。CD音源とは全然違うエキサイティングなアレンジの「LONDON GAME」、ヒムロックの風貌や髪型の歴史が分かる「NO,NEW YORK」、貴重なリハーサル風景なども収録されてます。

「1224」セットリスト

では本題の「1224」について。

このライヴは前述の通り「ROCK’N ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」というツアーの最終日を撮影したもの。演奏された楽曲構成は当時の最新アルバム「PSYCHOPATH」の収録曲が中心となっています。

したがって「CASE OF BOOWY」には収録されていない楽曲も「1224」では多く演奏されており、ライヴ音源としての価値も高い映像作品です。

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まずは収録楽曲などの簡単な解説から。

1.LIAR GIRL

開演直前のデモンストレーション映像が消え、ステージが突如ライトアップ。観客の悲鳴と共にライヴが始まります。まずはアルバム「PSYCHOPATH」のオープニングナンバーから。

2. ANGEL PASSED CHILDREN

アルバム「PSYCHOPATH」の流れそのままに、間髪入れず2曲目。普段は「ダウンピッキングの鬼」である松井さんの珍しいアップピッキング姿が見られます。リズム的にダウンだけでは弾けない楽曲なので仕方ないんですけどね。

※ヒムロックのMC

「よく来てくれたな! 今夜は特別な夜だぜ!」

3. BLUE VACATION

開催日がクリスマスイブなのもあり、間奏で布袋さんが「ジングルベル」を弾いて遊んでます。

4. ハイウェイに乗る前に

間奏でドラムまこっちゃんの横に駆け上がる布袋さん。まこっちゃん満面の笑顔。かたやヒムロックは無表情な松井さんの横に駆け寄って身悶える。

5. GIGORO & GIGOLET

ヒムロック「めいっぱいオシャレして集まってくれたジゴロとジゴレットに贈ります」

6. PSYCHOPATH

ディレイなど複数のエフェクトを存分に効かせた布袋さんの幻想的ギターアレンジが炸裂する、CD音源とは趣が異なる1曲。これは必見。

7. CLOUDY HEART

ライヴオリジナルの情感あふれるギターパートをシットリと奏でた後、数秒開けてお馴染みのイントロ。

ライヴになると自由自在にアドリブを効かせ、時には遊ぶ布袋さんも、この曲はいつもオリジナルと変わらないアレンジで弾きます(特に間奏は1音たりともアドリブがない)。それほど思い入れのある初期の楽曲ということなのでしょう。

8. MARIONETTE

ヒムロック「オマエらが日本で1番にしてくれた最高のロックンロール贈ります」

9. わがままジュリエット

「夜のヒットスタジオ」でも披露され、BOOWYが徐々に知名度を上げるキッカケとなった名曲。

※ヒムロックによるメンバー紹介

「タフで最高に優しい男。原子のドラム・高橋まこと!」
「ずっとずーっと昔から知ってるけど、渋い男です。オンベース、松井恒松!」
「日本でギタリストは腐るほどいるけど、こんなカッコイイやつはコイツしかいません。クレイジーギター、布袋寅泰!」
「(小声でボソボソと)でまあ俺が歌を歌ってる氷室京介です…」

10. LONGER THAN FOREVER

ヒムロック「たぶん今の俺たちとオマエたちとの関係に1番近い曲なんじゃないかと思うやつ」

11. 季節が君だけを変える

BOOWYのラストシングル。オリジナルに忠実なアレンジで、間奏のギターソロもCD音源と全く同じフレーズを布袋さんは弾いてます。

12. WORKING MAN

ヒムロック「ダンスが苦手なやつでも簡単に踊れるやつ」ってこれ踊れるか?(笑)

間奏はリズム隊の真骨頂。スポットを浴びる松井さんにヒムロック叫ぶ。「ツネマーツ!」

この曲は「BEAT EMOTION」というアルバム収録曲なのですが、CDだけの収録で、アナログのレコード盤は収録されてなかったんですよ。私は当時レコードしか聴けなかったので、CDプレイヤー持ってる友達の家で「WORKING MAN」が流れ、この曲ナニ!と驚いたのを覚えてます。

13. B・BLUE

CASE OF BOOWYと全く同じ、前曲「WORKING MAN」のエンディングから間を開けずイントロに突入するバージョン。

「不器用な愛で」のパートを歌った直後、ヒムロックがおもむろに自分の人差し指をハムッと舐め、それを見て女の子たちがキャーキャー言うてます。

14. RENDEZ-VOUS

この曲も前曲から間を開けずヒムロックと布袋さんのハモリで歌い始め。

最前列で若い女の子が興奮してピョンピョンと、札幌ドームの稲葉ジャンプのように飛び跳ねてる姿が映ります。みんな今は40代なんだろうなぁ、いや考えるまい。

15. Honky Tonky Crazy

この曲は布袋さんの飛びっぷりが毎回どのライヴ映像でもハンパないです。よくそんだけピョンピョンしながらギター弾けるなぁって言う。

後半、布袋さんが「Kiss me once more」と歌うパートでは、演奏中で手が離せない他の3人のもとにヒムロックが駆け寄り、代わりに投げキッスをやってあげてます。

16. PLASTIC BOMB

BOOWYのナンバー中でも最高速の部類に入るアップテンポな1曲。これ演奏するとメチャクチャ気持ちいいんですよ。

この曲でコーラスを歌ってる時の布袋さんは毎回、視線が挙動不審になります。

17. BEAT SWEET

ところどころ、ヒムロックの歌い方や音程が意図的におかしな感じになっている。

※ヒムロックのMC

「こんなイカしたクリスマスもねえぜ…へへっ」
「渋公えらんでヨカッタとおもいますっ(ドヤ顔風に)」

18. IMAGE DOWN

この曲は「ライブハウス武道館へようこそ!」を始め、毎回名言が飛び出します。しかし今回はテンションMAXでおかしくなり始めるヒムロック。

「英語数学まるでダメだけどおののののののののーん」
「つちゃつちゃつつちゃつつちゃあーっ!」
「しゃあああーう!」

間奏。ドラム&ベースソロでヒマそうにしてる布袋さんに目をつけたヒムロック、中央に布袋さんを呼び寄せ、マイクを向ける。

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オマエらこのヤロー覚悟して聞けよ!」と観客を煽るヒムロック。期待を裏切り(いや期待通りか)、ボケをかます布袋さん。笑って腰砕けるヒムロック。

19. NO,NEW YORK

「ノー!」「ノー!」というお馴染みの観客との掛け合いから始まるデビューアルバム収録の名曲。まこっちゃんのスティック投げ炸裂。

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曲のエンディングで、渋谷公会堂の外の様子が数秒ほど映し出されます。チケットが入手できなかったけど会場にやってきたファン。そして「イヤなウワサ」の真相を自分の目や耳で確認するため、磁場に吸い寄せられたファン。

※バックステージ

「NO,NEW YORK」でいったんライヴ終了。アンコールを叫ぶ観客。メガネを取り、タオルで顔の汗をふきながら控室に戻るまこっちゃん。

メイクを直す布袋さん。服を脱いで着替え始めるメンバーたち。

20. MEMORY

1回目のアンコール開始。派手なアクションを一切せず、黙々とギターを弾く布袋さん。

21. ONLY YOU

この曲の途中で音声と画像が欠けており、再生映像では数秒ほど真っ白の無音状態になります。

曲が終わるとすぐ退場してしまう4人。少し不穏な空気となりつつ、またアンコールを求める観客。

※バックステージ

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控室に戻る途中、通路の壁に触れる松井さん。控室の椅子に座り、タバコの箱から1本取り出してまこっちゃんに差し出す布袋さん。

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皆がタバコを吸って休む中、一人だけ立ち上がり、先に控室を出るヒムロック。それに続く3人。

※ヒムロックのMC

ここでヒムロックによる解散宣言。詳細は後述します。

22. Dreamin’

最前列の女の子が泣いちゃってる…。自身も感極まったため、高音キーが歌えないヒムロック。歌唱ではなく叫んでる状態。こんな鬼気迫る「Dreamin’」は、この映像でしか見ることが出来ません。後半は高音キーの箇所が出ないため1オクターブ下げてしまってます。

間奏では目を閉じ、全く動くこともなく、感情を押し殺すヒムロック。エンディングでメンバー全員の名を呼び、そして「We are BOOWY!」と絶叫。

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最後の曲が終わり、ステージをあとにするメンバーたち。まこっちゃんがスティックをおもいっきり観客にブン投げる。

一つの時代が終わった夜

2回目のアンコール演奏を始める前、マイクを持って中央に立ったヒムロックに対して、ステージ上に置かれていた花束を布袋さんが拾い、ヒムロックに渡します。

花束を笑顔で受け取ったヒムロックが一転して神妙な表情に変わり、「今日は、みんなにちょっと言わないといけないことが1つあります」と切り出した時点で、観客の数名が「イヤだー!!」と叫んでいます。

「6年間…」とつぶやいて、言葉に詰まるヒムロック。ここで観客の大半が異変に気付き、ザワつき始めます。再び「6年間…」と言うも、続けられないヒムロック。

正面を見ることが出来ず、何度も顔をそらすヒムロック。その時々で、ヒムロックは自分の右後方に立つ盟友、布袋さんの姿を見つめます。

やがて想いを語り始めるヒムロック。しかし感極まり、また言葉に詰まって、ヒムロックは布袋さんのほうを見る。同じタイミングで、それまで腕組みして視線を下に落としながら聞いていた布袋さんは、ヒムロックに背中を向け、自身も顔をそらしてしまいます。

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このシーンを評して「氷室と布袋の仲が修復不可能だったことの証明」だの、「氷室は救いを求め、布袋は拒んだ」だの、様々な意見をこれまで読んできました。真相は知らないですよ。そんなの当人たちにしか分からない。

初めてこのシーンを見た時は涙が止まりませんでした。布袋さんはヒムロックを拒んだのではなく、自身もまた感極まり、ヒムロックの想いを共有しつつも、そのヒムロック本人や目の前の観客たちにいろんなことを悟られたくなかったんじゃないかな。だから背を向けてしまったんじゃないか。個人的にはそう捉えてます。

涙を流しながら「これから、一人一人が…」と解散を示唆する発言を始めるヒムロック。客席も異様な雰囲気に変わってきます。拒絶の悲鳴が上がったかと思えば、気味が悪いほどの静寂もあり。

しばらく黙り込んだ後、スイッチを切り替えたヒムロックが「フォークのバンドじゃねえんだからジメッとすんな似合わねえと思うから……最後にビシッと踊るぜ!」と叫び、最後の曲「Dreamin’」を演奏。そしてメンバーたちはBOOWYとしてのステージを終えました。

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ステージの照明が消え、幕が下り、

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客席の照明が点灯して明るくなる。それでも大半の観客は帰ることが出来ない。また「彼等」の姿が見たいから、そしてヒムロックの言葉を無かったことにしたいから、それがウソだと確認したいから、何度も何度も繰り返し「アンコール!」と叫び続ける。

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一方、渋谷公会堂の外であふれていたファンにも解散宣言の情報が漏れ聞こえたらしく、会場前も騒然とし始めます。

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解散宣言の真偽を確かめたい一部のファンと会場関係者との間でトラブルとなり、渋谷公会堂の正面玄関ドアガラスもこの時の騒動で割れ、補修した様子が映像に残っています。

頂点を極めたBOOWYが解散してしまうのではないかというウワサは、熱烈なファンの間では既にささやかれ始めていたのだそうです。さらに、ツアー最終日が武道館など当時の大型会場ではなく、比較的小さい規模の渋谷公会堂にセッティングされたこともウワサに拍車をかけたのだとか。

まだインターネットもなく、それどころかPCも携帯電話も一般には全然普及してなかった1987年。ファンの多くがどうやって情報を収集し、ウワサを共有し、ツアー最終日の渋谷公会堂にあれほどの大群衆が吸い寄せられたのか。鳥取に住んでた田舎者には全く想像も出来ません。

映像の最後、暗転した画面では会場内に響き始めたスタッフのアナウンスが入っています。

BOOWYのナンバーは、只今のDreamin’をもって、終わりました。

まだ現実を受け入れられないファンの悲鳴が響き、映像が終わります。

朝刊で解散を正式発表、そして東京ドーム

翌日の12月25日。新聞朝刊の1ページをBOOWYの4人が買い取り、ファンへのメッセージを載せました。前夜に渋谷で多くのファンが泣き崩れていたことなど全く知らない全国のBOOWYファンは、その朝刊メッセージで初めて事態を知ります。

1987・12・24
BOØWY解散
氷室京介 布袋寅泰 松井恒松 高橋まこと

4人でしか探せなかったモノ。自分達で有り続ける事へのこだわり。
今度はひとりひとりで有り続ける事にこだわる為にBOØWYは昨日のクリスマスイブを選びました。
最後のGIGSは必ず来年プレゼントします。

その朝刊を渋谷とは遠く離れた鳥取の田舎で読んだ私は、お茶を吹いてビックリ仰天。しばらく放心状態で絶句してました。

新聞掲載のメッセージにある通り、BOOWYの4人は翌1988年4月4日と5日の2日間、まだ完成したばかりの東京ドームでライヴを敢行。「LAST GIGS」と銘打たれた最後のライブは95,000人分のチケットが10分で完売し、その影響で都内の電話回線がパンク。翌日の新聞にそのニュースが載りました。

東京ドームの大群衆を前に最後のパフォーマンスをした4人。渋谷公会堂での異様な空気ではなく、ステージ上も観客も熱狂し、最後にヒムロックが再び「We are BOØWY!」と絶叫して、彼等は伝説となりました。

渋谷公会堂でBOOWYは解散し、東京ドームで2日間限定の再結成を果たした。オフィシャルの見解としてはそうなってるようですし、私もそう考えるようにしています。

渋谷公会堂で撮影されたドキュメンタリー用フィルムは、当初は「LAST GIGS」の映像とセットで世間に公開される予定が、各メンバーのソロ活動に対する配慮から渋谷公会堂の映像は除外され、そのままお蔵入り。14年間倉庫で眠り続け、2001年の12月24日にDVDとVHSがリリースされました。

2001年にリリースされる際、メンバーの元には発売前のビデオパッケージが事前に届けられていたそうです。しかし布袋さんと松井さんは「一人で見るのが怖かった」らしく、リリース直後に布袋家で開催されたホームパーティーにて、ようやく二人一緒に当時のビデオを見たのだそうです。

ビデオを見終わった後、布袋さんと松井さんは感極まって泣きながら抱き合ったんだとか。いろんな想いが去来したんでしょうね。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

BOOWYについて現在形で語る時に必ず出てくるのが「再結成」について。

この再結成に関しては、言いたいことがメチャクチャあります。当初は今回のエントリー最後に「再結成について」をまとめるつもりでした。

が、再結成に関して想いを書き始めると、間違いなくエントリーの文章量が今回の倍以上になります。長くなり過ぎるので今回書くのは止めました。

いつか機会があれば、BOOWYに限らずバンド再結成に関して自分の「めちゃくちゃ語りたい」主張を別エントリーとして書いてみます。

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