みもすそ川公園と関門人道トンネルを念願の初体験【Walk下関】

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12年半ぶりの下関駅

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▲ 今回のスタート駅、JR下関駅。

今回調べて初めて知ったのだが、海の向こう側とはいえ順序で言えば門司港駅の次の駅であるはずの下関駅には、北九州側からの直通電車がなかった。

いったん門司港駅から鹿児島本線の下りに乗り、下関とは反対側の門司駅まで行き、そして日豊本線に乗り換えなければならない。日豊本線だと門司駅の次が下関駅となる。

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▲ 門司港駅→門司駅→関門トンネルと走り、JR下関駅に到着。トータルで25分ほどかかった。

下関市街地には数年前にも来たが、下関駅となると随分久しぶり。調べてみたら12年と6ヶ月ぶりだった。

なぜそんな具体的に覚えてるのかというと、12年半前、つまり1999年の8月某日に私と嫁は下関駅に行った。「下関駅の中に皿うどんのスゴクおいしい店がある」と知人に教えてもらい、食べに行ったのだ。確かにとても美味しかった。

その1ヶ月後、下関駅で通り魔事件が発生。5名の方が命を落とし、10名の方が重軽傷を負った。犯人は2008年7月、最高裁で死刑が確定。今から1ヶ月前の2012年3月末、死刑が執行された。

あの事件が影響したかどうかは正直分からないが、あれ以来下関駅には来たことがなかった。今回が12年半ぶり。改札口を出て辺りを見回すが、何一つ風景を覚えていなかった。初めて見た景色のように。あの美味しかった皿うどんの店も見つけられなかった。

いつも海の反対側から眺めてた塔

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▲ スタート受付を済ませ、東口から駅を出る。

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▲ 下関駅の構内は通算2回目の来訪だが、駅前にあるシーモールには何度も来たことがある。

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▲ 駅東口には歩道がなく、人工地盤という立体の歩道橋が設置されている。正面に海峡ゆめタワーが見える。

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▲ 人工地盤を下りて地上へ。

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▲ いつも海の向こう、門司側から眺めている高い塔が久々で目の前に立っている。海峡ゆめタワーには完成直後に一度だけ上った記憶がある。

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▲ 改めて真下から見ると、やっぱりデカイ。

巌流島の決闘から400年

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▲ 海沿いの遊歩道。暑くもなく寒くもなく、柔らかく優しい風が吹いている。とても心地良い。景色もイイ。来て良かった。

写真を見て初めて気付いたけど、関門橋を支えるかのようにそびえる二つの山が、一枚の写真の中におさまってくれている。右側が北九州・門司の古城山。左側が山口・下関の火の山。

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▲ 何やら比較的新しいモニュメント。

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▲ モニュメントの右横に石碑がある。読んでみると幕末に関することが書かれていた。

ここは「青春交響の塔」といって、2本の石柱を使って幕末の日本を動かした二人の男の友情を表現しているのだという。

一人は、日本国から孤立しつつあった長州藩の精神的支柱となった長州奇兵隊のリーダー、高杉晋作。もう一人は、敵対関係にあった長州と薩摩を結び付け、時代を動かした坂本龍馬

青春交響の塔は平成15年(2003年)8月に完成・公開が始まったとのこと。水族館の「海響館」から海峡ゆめタワー方面へ歩いて数分のところにある。

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▲ 北九州から近いので何度も訪れたことがある水族館「海響館」。イルカショーが行われるスペースは観客席から関門海峡も見ることが出来てとても気分爽快になれる展望。

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▲ 海響館のすぐ横には巌流島に向かう定期船の乗り場がある。下関側だけでなく門司港側からも定期船で巌流島に向かうことが出来る。

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▲ 巌流島へは10分ほどで行けるのか。ちなみにまだ巌流島には上陸したことがない。

今年は巌流島決戦から400年という記念の年なんだそうだ。

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▲ 海を眺めながら食事をしたり、買い物も出来る商業施設、「カモンワーフ」。

みもすそ川公園で胸が躍りまくる

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日清講和記念館」という案内板を発見。日本史好きな人ならピンとくるだろう。私はすぐ分かった。

試しに嫁に聞いてみたら、即答で「焼きそば!」って。期待通りだった。

明治27年(1894年)に勃発した日清戦争の休戦・講和を話し合うため、日本側から伊藤博文と陸奥宗光、清国(今の中国)側から李鴻章が全権大使として参加。

伊藤博文はご存知、日本の初代内閣総理大臣。陸奥宗光は当時の外務大臣。幕末の頃は陸奥陽之助と名乗り、坂本龍馬と共に海援隊で活動していた。

下関にある「春帆楼(しゅんぱんろう)」で講和会議が繰り返され、ここで「日清講和条約」が締結された。私は学生のとき教科書で「下関条約」と習ったが、「馬関条約」と呼んだりもするみたい。

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▲ 右手前にあるのが日清講和記念館。

その左、写真中央の大きな建物が「春帆楼本店」。ふぐ料理公許第一号店で、現在も日本各地に支店を持つ老舗の料亭。「春帆楼」という名前は伊藤博文が命名している。

ここは宿泊施設もあり、昭和天皇、皇后両陛下も宿泊されている。

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▲ 春帆楼の隣りにある「赤間神宮」。源平合戦最後の舞台となった「壇ノ浦の戦い」で、敗れた平家一門と共に海の底へと沈んでしまった安徳天皇が祀られている。

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▲ 関門海峡に架かる大きな橋、関門橋がどんどん近付いてくる。1983年に因島大橋が開通するまでは、この関門橋が日本で最も長い橋だった。

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▲ 関門橋の真下に到達。下関側の真下に来たのは今回初めて。

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▲ 関門橋を通過すると、「火の山」がすぐそこに迫っている。火の山展望台から見る関門橋の風景は格別。門司港の和布刈展望台とはまた違う感動を味わうことが出来る。

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▲ 「壇ノ浦古戦場」の案内板。遂に来た。やっと来れた。

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▲ いつも福岡側(門司港)からしか眺めたことがなかった壇ノ浦。山口側(下関)の壇ノ浦古戦場は存在を知っていたけれど来たことは今までなかった。以前から訪れたいと切望していた場所。

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海沿いの一角は「みもすそ川公園」としてキレイに整備されている。漢字だと「御裳川」と書くらしい。

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▲ なんとも勇ましい、源平合戦での「義経の八艘跳び」を再現した像。

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▲ 源氏軍の総大将、源義経

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▲ 平氏軍の総大将、平知盛。清盛が病死した後、平家は宗盛が跡を継いだのだけど、実質的な中心人物は知盛だったと言われている。

碇(いかり)を持っているのは、平家の最期を悟り海に飛び込んで自害する際、水面に浮かび上がって晒し者となる屈辱を避けるため、重い碇を持って海へと沈んでいった、という言い伝えがあるため。

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▲ 「馬関開港百年記念」って書いてんのかな?

「みもすそ川公園」への熱い思いが募ったもう一つの理由は、波乱に満ちた幕末の長州藩の象徴ともいえる物体があるから。

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▲ 幕末の下関戦争(下関事件とか馬関戦争とか四国艦隊下関砲撃事件とか、いろいろ呼び名がある)で長州藩が使用した大砲、加農砲(カノン砲)のレプリカが5つ、この公園に置かれている。

江戸時代末期、ペリーが黒船で日本に来て日米和親条約が結ばれて以降、日本各地でいわゆる攘夷運動、要するに「外国の侵略を許すな!」という世論が沸騰。その攘夷思想が最も活発かつ過激だったのが長州藩だった。

文久3年(1863年)の5月。長州藩は下関に配備していた砲台で、アメリカ船、フランス船、オランダ船を立て続けに砲撃。翌月の6月には報復のためアメリカとフランスがそれぞれ軍艦を派遣して下関を砲撃。

壊滅的な被害を受けた長州藩。でもまだメゲない。あくまで攘夷の意志を貫き、関門海峡を封鎖して外国船を締め出していた。せっかく日本が鎖国をやめて外国との貿易を再開させ、よっしゃ儲けるぞーと思ってた諸外国は、関門海峡が通れないので困っちゃった。

貿易に支障が出てきたのと、相変わらず「攘夷だ!」と言い続けてる長州藩に外国の脅威を武力で分からせるため、イギリス・フランス・オランダ・アメリカ、軍艦17隻による「四国連合艦隊」が、元治元年(1864年)8月に長州藩と戦争し、長州藩は完敗。

その後、朝廷でもクーデターがあったり、京都での戦にも負けたりして、長州藩は一時的に完全失脚。干されてしまった。

外国との武力の差を痛感した長州藩は外国製武器の導入を進め、思想も攘夷から倒幕へと移行。桂小五郎や高杉晋作が台頭し、坂本龍馬の仲介もあって怨敵の薩摩藩とも手を結び、幕府軍との戦争(四境戦争)にも勝利。

幕府は弱体化し、大政奉還により江戸幕府は終焉。

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結果論になってしまうけども、長州藩が外国船を砲撃しちゃうというムチャなことをやらかしたのがキッカケで時代は動き、変わったことになる。

こうやって実際に大砲の後ろに立ち、関門海峡を眺めながら想像してみる。軍艦がすぐそこに迫ってきて、こっちに向かってドカンドカンと大砲を撃ってくるんだよ。こっちの大砲とは比較にならない破壊力と数で。怖かっただろうなあ。

それでもメゲなかった奇兵隊の根性の据わり方もスゴイ。

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▲ 5つの大砲レプリカとは別に、「天保製長州砲」という大砲のレプリカもある。この武器も長州藩が使用していたのだけど、四国連合艦隊との戦争で完敗した際に長州藩の大砲はすべて「戦利品」として諸外国に没収されたらしい。

その後、1966年に作家の古川薫氏がパリの博物館で保管されていた長州藩の大砲を発見。返還交渉が長く続き、山口県選出の衆議院議員で当時外務大臣だった安倍晋太郎氏(元首相、安倍晋三氏の父)の尽力により、1984年6月に貸与という形で一時的に里帰りが実現。

その実物を、フランス政府の了解を得て精巧に模したレプリカが、上の写真の通り公園に展示されてるんだって。

長々と書いてきたけど、幕末好きな方々には是非訪れていただきたい公園である。

初めて徒歩で本州から九州へ

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関門人道トンネルの下関側入口。人道トンネルを通るのは今回初めて。いつか歩いてみたいと思ってたのだ。

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▲ エレベーターで地下深くまで下り、トンネルに進入。

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▲ 何kmくらい歩くんだろ、と楽しみにしてたのだが、全長1kmもないのか。予想よりも遙かに短い。

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▲ 山口県と福岡県の県境。さようなら本州。また来るね。

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▲ 県境を通過するとトンネルが上り坂になってきた。

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▲ 門司側のトンネル入口に到着。早足で歩いたら所要時間10分もかからなかった。

来れば来るほど好きになる門司港エリア

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▲ エレベーターで地上へ。門司港人道トンネル入口のすぐ近くにある食堂「若松屋」は美味しそうな匂いが漂っていてお腹がグーと鳴る。

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▲ 海のすぐ前にある「和布刈神社」。

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▲ 海沿いの遊歩道を進む。ここを歩くのは初めて。

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▲ 関門橋が次第に離れていく。この距離から見る関門橋もなかなかイイ。

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▲ さっき歩いた海峡ゆめタワーや海響館が海の向こう、遠くに見える。

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▲ なるほど。遊歩道はノーフォーク広場に繋がっていたのか。

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▲ 観光トロッコ列車「潮風号」がやって来た。ガイドのお姉さんが手を振ってくれている。

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門司港レトロのランドマーク、「門司港レトロハイマート」。31階に展望室がある(有料)。

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▲ レトロ中央広場から海峡プラザへと向かう。

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▲ 門司港のバナナマンと、バナナマン・ブラックの像。

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▲ 「わたせせいぞうギャラリー」が常設されている旧大阪商船

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▲ 旧門司三井倶楽部。

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▲ ゴールのJR門司港駅に到着。

下関も歩けて、大好きな門司港も歩けて、今回はいつにも増して楽しいウォーキングだった。天候も良くて快適だったし。

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