ホーク・ウォリアー:フェイスペイントを継いでいく【レスラー列伝#3】

日本上陸があまりにも鮮烈だった

今回紹介するのは、タッグチームとして世界中のファンから愛された「ザ・ロード・ウォリアーズ(The Road Warriors)」の一人、ホーク・ウォリアー。

日本では「ホーク・ウォリアー」という名前で浸透していますが、本国アメリカでは「ロード・ウォリアー・ホーク(Road Warrior Hawk)」というリングネームでした。同じようにパートナーは「ロード・ウォリアー・アニマル」で、日本では「アニマル・ウォリアー」。

アメリカで人気が爆発し、テレビ東京系列で当時放送されてた海外のプロレスを紹介する番組でも絶賛されまくっていて、

「こいつらバケモノだ!」「とんでもなく強いぞ!」

と、日本のファンも来日を期待しまくってたのです。

日本に初来日したのが1985年。来日前の「あおり映像」が何度も何度も全日本プロレスの放送中に流されて、日本のプロレスファンたちは更に洗脳されまくっていく。

なんといってもロード・ウォリアーズといえば、テーマ曲はブラック・サバスの『アイアンマン』ですよ。イントロのギターが聞こえてくるだけで鳥肌が立ったものです。

Iron Man (2009 Remastered Version)

Iron Man (2009 Remastered Version)

収録アルバム『Paranoid (2009 Remastered Version)ブラック・サバス Sanctuary RecordsAmazonデジタルミュージック

日本での初試合、相手はキラー・カーン&アニマル浜口組。オリンピックで活躍してる浜口京子のお父さんも、まだこの頃は長髪で若かった。ホークもアニマルも好き放題やってるし、アニマルさんのやられっぷりも豪快。

日本のプロレスは当時、選手がテーマ曲と共に入場し、リング上で女性から花束を受け取り、リングアナが出場選手全員をコールし、レフェリーがゴングを要請して試合が始まる、ってのがルーティーンだったわけです。

ロード・ウォリアーズはこの「日本式」に一切付き合わない。(時々は仕方なくコールされるまで待ってましたが)

日本の試合会場(体育館)は狭いので、観客が事故に遭うといけないから選手たちは比較的ゆっくりと入場します。しかし少しでも通路が広い会場になると彼らはリングに向かって走りながら突進し、そのまま対戦相手をゴング前からボコボコにするのが独自のルーティーンでした。

初来日当時、全日本プロレスのタッグ王者は当時のエースでもあったジャンボ鶴田&天龍源一郎組(いわゆる「鶴龍コンビ」)。これにロード・ウォリアーズがいきなり初来日で挑戦する。

しかも試合会場は出来立てホヤホヤ、完成したばかりの両国国技館。1985年1月にオープンし、まず大相撲の初場所が開催されたのですが、プロレス会場として初めて使用されたのが1985年3月。

つまり全日本プロレスは、ものすごーくチカラが入ってたわけです。そのプロレスこけら落としの最大の目玉として招へいしたのがロード・ウォリアーズだった。

カーン&浜口をボコボコに粉砕することで、「これは鶴田&天龍、負けるかもしれんぞ、あいつら強すぎるぞ」と視聴者やファンをあおって、両国大会の集客、そして当日の生放送へと期待感を高めていったわけです。

で、両国国技館での決戦。強さを絶賛する意見もありましたが、「こんなことばっかりしてるから日本のプロレスはダメなんだ!」と大ヒンシュクを買った試合でもありました。初来日で大イベントなのに決着が不透明すぎた。

通常は一番最後、もっともその日にプッシュすべき試合を「メインイベント」と言いますが、この試合は「ダブルメインイベント」という扱いでした。

なぜこのようになったのか、昔のコアなプロレスファンならご存知でしょう。以下の記事にて詳しく書いてます。


いずれにせよ、プロレスブーム真っ只中。ロード・ウォリアーズの登場は日本のファンにものすごい衝撃を与えました。

私も染まりまくった一人。特にホークの顔ペイントが大好きで、左手の甲にホークのペイント模様をペンで描いて学校に行ってたくらい。

当時私はバレーボールをしてたんですが、ホークのペイントを手に描いてると試合に勝てるような気がしてたんですよ。これ冗談じゃなく真面目に。

ロード・ウォリアーズはその後も大活躍を続け、最初のメジャー団体AWA、次に移籍した当時アメリカ最大の団体・NWAでタッグタイトルを獲得。NWAの衰退後にアメリカ全土を制覇したWWF(現在のWWE)に移籍してからもタッグタイトルを獲得。

今はAWAもNWAも消滅したので、AWA・NWA・WWFという三大メジャー団体のタッグタイトルを獲得したのは、ロード・ウォリアーズが最初で最後だったんじゃなかったかな?

日本でも全日本でタッグタイトルを獲得しましたし、その後に移籍した新日本プロレスでもIWGPタッグ王座を獲得。ありとあらゆるメジャー団体のタッグ王者になったわけです。

WWEでは、当時猛烈にプッシュされていた「アルティメット・ウォリアー」という選手と名前がかぶるため、「ロード・ウォリアーズ」という名称が使えなくなり、「リージョン・オブ・ドゥーム(Legion Of Doom)」というタッグチーム名を名乗ってました。

なので現在もアメリカでは「リージョン・オブ・ドゥーム(LOD)」という名前しか知らない人・愛着あるファンが大半だと思います。日本だと「ロード・ウォリアーズ」が圧倒的でしょうけどね。

テーマ曲もWWEでは「アイアンマン」から別の曲に差し替えられ、「What a Rush」というオリジナル曲を使用していました。曲の最初で「うううー、わらー、らーっしゅ」と男がうめくんですけど、あれが嫌いでね…。

What a Rush (Legion of Doom)

What a Rush (Legion of Doom)

収録アルバム『WWE: The Federation EraJimmy Hart & JJ Maguire WWE, Inc.Amazonデジタルミュージック

チーム休止中は日本を主戦場に

WWFを退団後、相棒のアニマルが負傷により長期休養となったため、ホークは当時アメリカ遠征中だった佐々木健介にタッグ結成を打診。

快諾した健介は顔にペイントを施し、「パワー・ウォリアー」という新キャラを演じることになりました。

ホークとパワー(健介)のタッグチームはファンの公募により「ヘルレイザーズ(Hellraisers)」というタッグ名を付けられ、新日本でIWGP王座を獲得するなど大活躍。

彼等のテーマ曲として使われたのはオジー・オズボーンの「ヘルレイザー」。これもカッコ良かった。

Hellraiser

Hellraiser

収録アルバム『No More Tears (Bonus Track Version)オジー・オズボーン EpicAmazonデジタルミュージック

後に負傷が癒えて戦線復帰したアニマルと共に来日し、新日本プロレスのリングで「トリプルウォリアー」として試合をしたこともありました。

再びアニマルとのコンビでアメリカを主戦場に「リージョン・オブ・ドゥーム」で活動を続けていたホークですが、2003年10月、自宅で亡くなっているのが発見されました。死因は心臓病だったと言われています。享年46歳。

アニマルやパワーが対戦相手を肩車で持ち上げ、そこにコーナー上からホークがラリアットをかませ、相手が一回転してマットにドサッと落ちる無慈悲なフィニッシュムーブ「ダブル・インパクト」が強烈でした。(WWEでは「ドゥームズデイ・デバイス」という技名だった)

登場した当初はアウトロー的な売り出し方で無気味な存在だったホークも、健介や天龍とタッグを組んだことで、日本のプロレスファンにはとても身近で親近感のあるレスラーに途中から変貌を遂げてました。

彼の死も早すぎた。残念でなりません。

最後に余談。このブログのメインアイコンであり、私がSNSでも使用しているアイコン。あれはホーク・ウォリアーのペイントをモチーフに「Ri」(名前がRIKUだから)を描いてもらったものです。

私は私なりの愛をもってホークのペイントを継いでます。

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