[Я]子供のシーソー遊びとコミュニケーション・スキルの共通点

スポンサーリンク

10年ほど前の話ですが

See Saw
See Saw / Ross Griff

うちの子供たちがまだ幼かった頃の話をします。

長男が5歳、長女が3歳くらいの頃。休日になると子供たちを公園に連れて行って遊ばせてました。

年齢は2つしか離れてないんですけど、「5歳の男の子」と「3歳の女の子」では体力に結構な差があります。一概に全てのお子さんがそうだとは言えませんが、我が家の兄妹は差がありました。

長男はヤンチャな盛りで、既に自転車もバリバリ乗り回してたし、走り回って遊ぶのが大好き。それほど運動神経が良い方ではなかったけど好奇心は旺盛で、年上の子供が遊具で高度な遊び方をしていると自分も真似して無茶な事をするので、危なくて目が離せませんでした。

一方の長女は基本的にビビリ。例えばジャングルジムなど「上る系遊具」は、最初こそ快調に上っていくのだけど、途中で上ることも下りることも怖くなってしまい、身動きが取れなくなって泣き始めるパターンばかり。いつも私が抱えて下りてました。走る系の遊びもそれほど好きではない。だけど公園に行ったら兄と一緒に遊びたい

事前に長男には「今日は仲良く妹と遊んであげるんよ」と伝えておき、最初はそれなりに二人で遊ぶのですが、やがて長男が飽きてくるんです。自分よりも妹が上手くできなかったり、付いてこれなかったり、走るのが遅かったり。長男は自分のペースで遊べないので面白くないと言い始める。

結局そういう時は、私が長男の相手を、そして嫁が長女の相手をすることになる。長女は嫁に背中を押してもらってブランコを楽しんだりと「おとなしめな」遊びで過ごすんですけど、やがて私と長男が大声出して走り回ってたり叫んでたりするのを遠くで見て「あっちがいい」と、再び兄と一緒に遊びたくなる。

どんな遊びなら二人が仲良く、しかも同じレベルの楽しさを共有できるかなぁ、ってのはいつも悩みどころでした。せっかくなら兄妹で仲良く遊ばせるのが良いから。

シーソー遊びで楽しさを共有できた

ある公園に、独特の形状をした、なかなか面白そうなシーソーがありました。外見だけでも「楽しそう!」って思わせてくれる遊具だったので、長男も長女も「これで遊ぶ!」と嬉しそうに飛び乗ります。

でもシーソーって体重差があると全然面白くないんですよね。当時の長男は大柄なほうで少々太り気味だったし、一方の長女は小柄なほうでした。年齢2つしか違わないのに体格差も結構デカかったんです。

予想した通り、すぐに長男が飽きます。自分が重いので、上昇せず下がってばっかり。長女はずーっと上昇しっぱなしで、時々長男がドスンと地面に下りた時は衝撃で長女の身体がシーソーから浮いてしまうことがあり、怖いと言い始めてこちらも飽きる。

でもその公園には遊具の数が少なかった。シーソーに飽きて他の遊具に行くものの、そちらも飽きて結局シーソーに戻ってくる。二人を共に楽しませるにはどうしたらいいか。こういう時に頭をヒネるのは私の役目です。

私は長女の側に立ち、長女を両手で支えてシーソーから落ちることがないようにします。

まず、常に下りるばかりで上昇することがない長男を上昇させるためには、長女を支えたまま私が足で踏むか手で押すかして長女を下降させ、長男の側を持ち上げる。長男は上昇し、ピョーンと身体が浮く時などは悲鳴を上げて喜びます。

事前に長男には指令を出しておきます。長女には内緒の指令。内容は「お前が上がったら、声でも顔でもいいから何か面白いことをして、長女を笑わせるんよ」

ただし、手を離すと危険なので、いくら笑いを取るといってもバンザイするなど手を離すのはダメよ、というのは徹底させます。長男も5歳ですから、そのくらいの理解度はあります。

長男は自分がピョーンと浮き上がった時は、「ひょええー」とか「ぎゃおおーう」とか叫んだり、ガバーッと大口を開けて変顔したりして、笑い上戸な長女は長男の叫び声や表情を見て大笑い。

長男にはもう1つ、自分が下降する時についても事前指令を出してました。「なるべくドスンと落ちて衝撃を与えないよう、お前の足で優しく下りてあげるんよ、妹が怖くないように」

上昇し、浮き上がって喜んだ長男が今度は下降する番。私自身の重みを外すと、長男は急に下降しますが、最後は足で着地して長女に衝撃がいかないようクッション代わりになってくれます。これだと長女は怖くない。

しかし、ただ上昇するだけで終わりでは長女も面白くないから、上昇した際に私が「高い高い」を毎回やってました。自宅でも慣れてる「高い高い」であれば長女も喜ぶし、怖がりません。これで長女自身も上昇するのが楽しみになる。

しばらく二人とも喜んで繰り返しますが、当然ながらしばらくすると飽きます。長男も「ぎょええー」などのネタが尽きてしまって同じことしか言えなくなり、長女も笑わなくなってくる。

それは想定内なので、今度は二人が交互に上昇・下降する度に簡単なクイズ遊びのようなことをさせます。

お互いに数字を想像させて相手の数字を当てるとか、父親の私が簡単なクイズ(例:好きな色は?)を出して、二人同時に答えて一致すればご褒美ってことで、長男の浮き上がりを少し激しくしたり、長女の高い高いを1つ多めにしたり。考えればネタはいろいろ浮かびます。

この遊び方を覚えてから、我が家ではシーソー遊びがブームになり、毎回シーソーのある公園に行く度に、私が長女を支えて二人でギッコンバッタンしながら大笑いしてました。

でも2ヶ月もすれば二人ともシーソー遊びに飽きましたけどね。そんなもんです。

コミュニケーションにおいて重要な「バランス」

BL003 doorhutari20140810500 thumb 1200x800 5485

最近「コミュニケーションとは」について考える機会がありました。その過程でふと頭に浮かんだのが、上に書いた「うちの子供たちのシーソー遊び」だったんです。

コミュニケーションって要するに「相互」なわけで、一人(単独)ではなく二人あるいは複数間でスムーズに相互の意思を伝え合えるかってこと。シーソーも1人で遊んだところで面白くはないだろうし、そもそも1人で遊べるものでもない。

コミュニケーションも相手がいてこそ初めて成立するもの。聞き手が何も返答しなくても、ただ自分の話を笑顔で聞いてくれるだけでいいのなら、鏡の前で独り話しながらニヤニヤしてればいいじゃないですか。気持ち悪いけど。

バランスが大変重要になってくるという意味でも、シーソーは同じことだなーと。片方ばかり上昇してても下降してても、それはコミュニケーションと呼べないし、シーソー遊びにもならない。

また、片方だけが気持ち良くなってもそれは円滑なコミュニケーションとは呼べません。相互だから。子供のシーソー遊びは、どちらか一人だけが楽しくなっても、もう片方が楽しくなかったらそれは「一緒に遊んで楽しかった」ことにはならない。コミュニケーションも片側だけの自己満足では結果的に「実りある意思伝達」とはなりにくい。

バランスと書きましたが、対話する二人の会話量が50パーセントずつであれば良いバランスという意味ではなく、あくまで「伝達が一方通行にならないように」という意味で捉えるべき。

世の中には「ひたすら喋りたい人」や「ひたすら聞いていたい人」というのも確かに存在するし、普段はそうじゃなくても場面によってはそういう極端な側に振れる人もいます。失恋したり仕事で上手くいかなかったりで、愚痴を聞いてよってことがありますよね。

それで片方が一方的に喋り倒したり、あるいは延々と聞くだけだったとしても、結果的に双方が相手の意思を正しく受け取り、そして自分の意思を相手に伝えられたのであれば、極端な例ではありますがコミュニケーションという概念としては間違ってないと思います。

問題なのは、相手の意思を正しく捉えられなかったり、自分の意思を正確に伝えられないこと。能力的な問題という人もいますが、コミュニケーション(相互伝達)という意識が薄くなってしまうと誰でも意思疎通が難しくなるように感じます。

相手が話してる最中に自分の話をカブせたり質問を投げ掛けることは、あいづちでもなければ会話でもなく、相手の伝達を中断させるということであり、相手の会話内容を奪うと同時に相手の伝達意思をも奪うことになります。

自分が話したい内容を終えて、相手のリアクションが全くなかったり(こっち見てないとかスマホいじってるとか別の人と話し始めるとか)、あるいは「そういえばさー」と全然違う話に切り替えられたら、「アンタ聞いてないね」って思っちゃいませんか?

これ、私も時々やっちゃいます。相手の話を聞いていて、ふと自分自身の似た内容のエピソードを思い出した時、相手の話が一息ついたときに自分の話に切り替えてしまい、相手の話を奪ってしまう結果になる。

相手が話してる最中に口を挟むことはしませんが、自分のネタに思考が行っちゃってるから結果的に「相手の話を聞いてない」のと等しいことになっちゃうし、たとえシッカリ聞いてたとしても相手は「聞いてないだろ」と思ってるかもしれない。

結構ベラベラ喋ってしまうタイプなので、聞き上手になりたいなというのは昔から思ってるのですが、つい夢中になって話し込むことが今もあって、そんな時はいつも反省ばかりです。

そういう意味でもバランスなんですよね。喋るだけ喋って気持ち良くなるってのもアリなんでしょうけど、それは聞き手がいてこそであって、聞き手にも言葉・あいづち・動作・表情など、いろんな手段で何かしらの伝達はしてきてるはずです。

それを受信もせずに独りよがりなスピーチをしていたら、それはコミュニケーションではないということ。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

うちの子供たちがシーソー遊びをする際に私が考えたのは、どうすれば長男と長女の二人が共に楽しく遊べるかな、ってことでした。長男だけが楽しんでたり、逆に長男だけが不満がってたりすることが多かったので、そうではなく長男と長女の双方が「面白い!」と喜ぶにはどうすればいいんだろうかと。

コミュニケーションに関しても同じことで、自分だけが楽しかった・スッキリした・気持ち良かったではなく、相手の伝達もシッカリ受けて把握し、そのことを相手にも分かってもらう。一方通行ではなく相互に伝達し合えたと分かって初めて会話内容は共有できるし、コミュニケーションにおける信頼度は上がります。

私自身、まだまだコミュニケーションに関して下手な部分が多々あるため、自戒の意味も込めて今回エントリーにしてみました。自分も楽しく話したいし、同時に相手にも楽しくなってもらいたい。会話が弾んでお互いに笑い合えるのって、やっぱり楽しいし嬉しいですからね。

スポンサーリンク
この記事がお気に召したら
「いいね!」をお願いします!
「りくまろぐ」の最新情報を
Facebookにお届けします