夏の甲子園・高校野球の終わりと共に思うこと

ものすごく久しぶりに高校野球を見た

甲子園
甲子園 / ryosalem

2015年夏の甲子園は、高校野球の全国大会が開催されて100周年という記念すべき大会だったんですってね。「なのになんで第97回なの?」と子供に質問されても答えられなかったんですけど。

10年か15年か分かりませんが、ものすごく長いこと、甲子園の高校野球は全く見ていませんでした。

いま福岡県に住んでますが、元々は福岡生まれでも育ちでもないので、福岡県の代表校に感情移入ができなかった(高校名を聞いてもほとんど知らない)ってのが最大の理由。

しかし今年の夏は久々にテレビで高校野球を見まくりました。早稲田実業の1年生・清宮くんが大騒ぎされてたので「どういう選手なんだろう」と興味あったのが1つ。

それと今年の福岡県代表校・九国大付属はうちの子供が受験した縁のある学校で(子供は本命校に合格したので九国大付属には行ってない)、同級生が数名入学してるので、もしかすると選手になってたり、応援席で友達がテレビに映るんじゃないか、と言い出したのが1つ。結局知ってる人は1人も映らなかったらしいですけど。

で、いざ見始めるとメチャクチャ面白かった。早稲田実業や九国大付属の試合だけでなく、他の高校の試合も休日は全てTV観戦してました。決勝戦は夜にダイジェストで見たけど壮絶な試合やったなあ。東海大相模も仙台育英も素晴らしいチームだった。

プロ野球の面白さとは違って、やっぱり1発勝負のトーナメント戦ということもあり、高校野球は白熱しますね。今年の正月に生まれて初めて箱根駅伝を見て面白さに目覚めたんですけど、この夏で高校野球の面白さにも目覚めた。来年も見よう。

県民の誇りだった監督や選手たち

私は小学校の時だけ野球少年でした。中学からはバレーボール少年になっちゃいましたけど。

その小学生の時、私は和歌山県に住んでまして、和歌山県代表の箕島高校が春夏連覇を達成したんです

監督が尾藤さんという人。尾藤監督は亡くなられたのですが、確かお子さんが現在は箕島高校の監督に就任されたそうです。数年前に箕島高校が久々で甲子園に出場した際、ニュースで知りました。

同級生の男子が箕島高校の優勝メンバーの誰かと親戚で、甲子園優勝直後はクラス全員が「サインもらって!」と彼に直談判の嵐。

そしたら本当にクラス全員分のサイン色紙をもらってきてくれて大喜びしたんですけど、カッコつけて崩した文字ではなく、普通に明朝体で自分のフルネームをドーンと書いてるだけで、クチの悪い誰かが

「これサインやなくて名札やん(笑)」

と爆笑してました。今思えば、まだ10代の高校生だもんね。仕方ないよ。

野球してない時はおそらく普通の高校生だった彼等。でも県民、特に野球少年の子供たちにとっては、尾藤監督や優勝した選手たちは大スターでした。もう何十年も経って、当時の選手の名前を1人も覚えてないってのが寂しい。

同級生が甲子園に出場

その小学生時代に同級生だった男の子が中学そして高校でも野球を続け、主将として甲子園に出場した時は驚きました。

私はもう引っ越して和歌山から去っており、彼とは交流も途絶えていました。新聞のスポーツ欄に出場校の主将がズラーっと写真で紹介されていて、その中に知ってる名前と顔があり、「わー!あいつがおる!」と初めて知ったのです。

彼の高校の甲子園初戦は平日の午後からで、私は高校の授業が終わり部活動の時間になってたのですが、仮病を使って部活をサボり、部室の中でラジオ聴きながら旧友の試合を応援してました。

確か9回まで同点だったけど、最後にサヨナラホームラン打たれて負けたような記憶があります。彼自身はヒット打ったのかな。もう忘れちゃった。

同級生と言えばもう1人、中学時代の同級生が私とは別の高校に進学したんですけど、彼も主将として甲子園に出場し、開会式で選手宣誓してました。翌日の地方新聞、朝刊1面は彼の写真がデカデカと載ってましたね。

小学生時代、甲子園で活躍する選手たちは雲の上のような存在だったけど、自分が高校生になり、同じ歳の奴らが甲子園で活躍してる光景というのは、何だかとても不思議な感覚でした。

我が母校はというと、まだ1度も甲子園には出場してません。そもそも私の在学中に硬式野球部が創設されたという状態。

いつだったか、たまたま帰省した時に地区大会の決勝がテレビ放送されていて、我が母校が決勝進出してたので「おお、うちの高校の野球部ってそんなに強くなったのか」と驚きながらテレビ観戦。

しばらく興味津々で試合を見てましたが、両チームともランナーが3塁に進むと100パーセントの確率でスクイズ。あまりにバレバレなので当然バッテリーが予測して外してランナーアウト。その展開が5回も6回も続くので、ウンザリしてテレビ消しました。ちなみに母校は負け。

蔦監督率いる徳島の池田高校が夏春連覇したのが1982年。畠山、水野、江上などの選手たちが打ちまくった豪快な野球は大好きでした。その池田高校の3連覇を阻止したのが桑田・清原の1年生コンビで話題だったPL学園。彼等もスゴかったなあ。今年の大会で早実の清宮くんが本塁打を2本放ち、1年生での本塁打2本は史上2人目と紹介されてました。1人目は桑田だったそうです。

桑田や清原が甲子園で活躍してた頃は私も高校生。ほぼ同じ世代です。そういえば1982年に連覇を達成した池田高校の主将だった江上さんが、今年の早稲田実業の応援席で声援を送ってる姿が紹介されていました。息子さんが早実の3年生でマネージャーなんだそうです。みんな親になっちゃったんですね。私も含めて。

甲子園球場の思い出

高校野球の生観戦は1回もないのですが、甲子園球場の野球観戦は1回だけあります。これも小学生の頃で、所属してた少年野球のチーム全員も一緒でした。

試合はナイターで巨人vs阪神。現在ソフトバンクホークス会長の王さんが巨人の4番で、阪神の捕手は田淵。そんな時代。

座ったのは3塁側の外野席、それも一番遠いところで、グラウンドの選手が豆粒くらいにしか見えない。それでも初めてのプロ野球観戦ですから、嬉しかったですよ。

周囲はクチの悪い関西の阪神ファンがズラリ。酔っ払ってる人も大勢いて、敵の巨人だけじゃなく阪神の選手にもガラの悪い野次を飛ばしまくり。野次を叫んだ後で我々子供のほうを見て「あ、ごめんな、こんなオトナになったらアカンで」と自虐的に笑う、そんなんばっかり。

我々少年野球チームは、自分たちのチームのユニフォームや帽子をかぶっていけば良かったんですけど、なぜか全員が好き勝手な私服で、それぞれ自分の野球帽をかぶってました。男の子は全員がプロ野球球団の野球帽をかぶってた時代。

阪神側の座席だったのに、阪神の帽子をかぶってる子供が1人もいなくて、巨人の帽子ばっかりという空気の読めなさ。「キミら、あと10歳トシ取ってたらシバかれとったで」と知らんオッチャンが冗談を言って、隣りにいた奥さんらしき女性に「あんた子供に何てこと言うんや!」とビンタされてたのはハッキリ覚えてる。

私はというと、近鉄の帽子かぶってました。当時は近鉄のファンだったんですよ。西本さんが監督で、鈴木啓示、梨田、羽田、平野、栗橋、佐々木、石渡、吹石、あとマニエルもいたなあ。古葉監督率いる広島との日本シリーズで江夏が満塁でスゴイ投球した、あの時代です。分かる人いるんやろか。

甲子園での巨人vs阪神。試合内容や結果などは全然覚えてないけど、唯一覚えてるのが、阪神の攻撃で田淵が3塁にいて、外野フライでタッチアップしたけど本塁でアウトになった場面。

田淵はマンガにもされたくらい愛されてたけど鈍足でしたから、タッチアップした瞬間に周囲が「えええー?」と驚き、案の定アウトになったので場内爆笑。

「明日からメシ抜いて痩せい!」
「頭の中のルールブックからタッチアップを消せ!」

いろんな野次が飛び交って、その度にみんな「あ、ごめんな」と子供たちに謝るんですけど、あれは楽しかったなあ。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

同級生たちが甲子園で活躍した時期を過ぎ、成人して社会人になり、甲子園に出場する選手たちがどんどん年下になっていく。

やがて監督さえもが年下になり始め、気付けば自分の子供が高校球児たちと同じ世代になってました。時代は巡り、いまや自分の子供たち世代が甲子園で奮闘する。これまた不思議な感覚です。

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