金曜夜の対決
私の実家は何の宗派にも属していない。仏教徒でもなければキリスト教徒でもない。子供の頃、お経を読んだこともなければ、日曜に教会へ行ったこともなかった。そもそも教会なんてものが存在しない田舎町だった。
ちなみに私の嫁の実家は仏教徒だったが、それは単に「その地域の住民がみんな同じ宗派だった」というだけの話で、現在の嫁が仏教に関してどうこうという訳ではない。
宗教と何の縁もなかったはずの我が家に、ある日から突然、聖書を持った男がやって来ることになった。私が小学生の頃の話。もう何十年も昔。
彼は何者だったのだろう。神父なのか牧師なのか宣教師なのか、現在もサッパリ分からない。
どういう経緯で彼が来ることになったのかも全然知らない。有償だったのか無償だったのかも知らない。とにかく彼は毎週金曜にやって来て、私に聖書を読ませることになった、と親から告げられた。当然ながら私自身が望んだものではない。親が勝手に決めたこと。
今となっては彼が日本人だったのかそれとも外国人だったのかすらも覚えていない。年齢は30代か40代くらいか。私自身が子供だったので相手の年齢を想像するのが難しく、そもそも相手の年齢に興味もなかった。
教会もなく、そもそも周囲にキリスト教徒が多いわけでもない地域で、どうやって親が彼と接点を持ち、子供に聖書を読ませようという考えに至ったのか、何もかもが謎だらけである。
なぜ親は私に聖書を読ませようと思ったのか。それすら分からない。確かに当時の私は少しだけ問題を抱えていた。ただそれは聖書を読んだからと言って改善される類いのものではなかったように思う。それとも親にしてみれば聖書に接することで何かが変わると思ったか。
ある日から突然始まった「聖書塾」。これがもうイヤでイヤでたまらなかった。
聖書が嫌いというわけではなく、本を読むことが嫌いでもなかった。むしろ読書は大好きだった。
何がイヤだったかというと、時間である。
「聖書塾」は、金曜の夕方6時30分からスタートし、約1時間ほどで終わった。
当時、金曜の夜7時といえば、「ウルトラマンレオ」が放送されている時間帯だった。
ウルトラマンは大好きだった。タロウもエースも全部見たし、他のウルトラマンたちも再放送で全部見た。小学校の級友達もみんな見ていた。週末に友達と遊ぶ時や月曜に登校した時はウルトラマンの話題が必須だった。
そのウルトラマンレオの放送がモロに聖書塾とカブる。死活問題である。
親には毎週のように抗議した。聖書の時間を6時からに、あるいは7時半からに変更できないのかと。しかし「あちらの都合で6時半からしか出来ないんだって」と毎回言われた。
それならせめて30分間に短縮することは出来ないのか。これも言った。しかし男は「30分では聖書のメッセージを深く読み取ることが出来ないのです」と温和な笑顔で答えるのみだった。常に温和な笑顔を欠かさない男だった。
6時20分頃にやって来て、まず男に合わせてお祈りの言葉を復唱。6時30分から聖書の音読開始。彼に指定されたページを私が読む。
読んだ後で彼はいつも言う。「このメッセージを読んで、あなたの心には何が思い浮かびましたか?」
温和な笑顔と共に彼は問う。私の心には「はよ終われや」しか浮かばない。
その繰り返しで、7時20分頃に聖書塾は終わる。玄関で親が男にお礼を言ってる頃、私はリビングに走りテレビのスイッチを入れる。7時から放送が始まっているウルトラマンレオは、私が見る頃にはいつも怪獣が爆発している。どんな怪獣だったのかすら分からない時もある。
そしてレオは空の彼方へと去り、地球には平和が訪れている。登場人物がみんな笑っている。笑っていないのは私だけだ。
友達はみんな興奮して語り合う。今度の敵は強かったよなあ。新しいビーム出したよなあ。私だけが分からない。爆発してるとこしか見てないのだ。
ウルトラマンレオにはアストラという弟がいたらしい。しかし私はテレビでアストラの姿を見たことがなかった。だって私がテレビを見る時間帯、アストラはもう帰っているのだ。
それどころか、私はアストラを最初カステラだと聞き間違えていた。一度真剣に「カステラって強いの?」と友達に聞いたら誰もがキョトンとした表情をして何も答えてくれなかった。
これはいよいよヤバいと思った。話についていけてない。せめてカステラが強いのか弱いのかだけでも把握せねば。みんな呆れて何も答えてくれなくなってきた。マズい。
しかし聖書の男は私に時間を与えてはくれない。温和な笑顔で彼は問う。心に何が思い浮かびましたか?
もうレオは変身したのだろうか。カステラは登場したのだろうか。まだ怪獣は生きてるだろうか。生きていてくれ。俺が見るまで死ぬな。頑張れ、頑張るんだ怪獣。
そんなことしか心に浮かばない。おそらく私が集中していないことを、上の空であることを彼は気付いていただろう。あからさまにそういう態度を出したことすらあった。でも彼は温和な笑顔を崩さなかった。
そして温和な笑顔が我が家を出る頃、怪獣は既に爆発し、地球は笑顔に満ちあふれている。私だけが笑顔ではない。
そんな攻防がしばらく続いたのだが、遂に決戦の時がやって来た。
その金曜夜、ウルトラマンレオが他のウルトラ兄弟と対決するのだという。1週間前、温和な笑顔の男が去った後、テレビをつけたら次週予告でそう言ってた。
これは絶対に見なければならない。レアキャラのゾフィーが出るかもしれないのだ。セブンもエースもタロウだって出るかもしれない。カステラも出るのか。対決ってことは、どっちかが悪いウルトラマンになってしまうのか。地球はどうなってしまうんだ。見逃してなるものか。
最初、仮病を使って聖書塾を中止してもらおうと考えていた。しかし体調悪い私がテレビつけてウルトラマンレオを見てたら仮病だとすぐにバレて母親は猛烈に怒るだろう。そっちのほうが100倍面倒臭い。
当時はビデオなどの録画機器など存在しなかった時代。これを見逃せばもう永遠に見ることが出来ない(いずれ再放送があるだろうということは頭に浮かんでいない)。今日だけは何としてでも見なければ。
策が浮かばないまま夕方になり、聖書の男が来た。いつもの温和な声音で挨拶しているのが玄関から聞こえる。
2階の子供部屋に母親が入ってきた。聖書を読む時間が来たよ。下りてきなさい。
イヤだ、と私は言った。今日はイヤだ。絶対にイヤだ。聖書は読まない。
最初驚いた母親は私を説得しようと何かを語りかけてきたが、私は「イヤだ」の一点張り。次第に母親は怒り始める。
いったん1階に下りた母親は聖書の男に何かを説明していた。階段を上る足音が聞こえ、今度は聖書の男が子供部屋に入ってきた。
「どうしましたか?」と彼はいつもの温和な口調で私に優しく語りかけてきた。学校でイヤなことでもありましたか? 聖書を読めばイヤなことも消えていきますよ。
「聖書を読むのがイヤです」と私は彼に言った。え? という表情を一瞬だけ彼は見せたが、すぐにいつもの温和な表情に戻してみせた。
なぜですか? いつも楽しく聖書を読んでたじゃないですか。何かありましたか? よかったら教えてもらえませんか? 彼はいろんな質問を私に浴びせた。
正直に言うべきかしばらく悩んだが、遂に私は言った。「テレビが見たいんです」
「テレビ!」と彼は少し声のキーを上げて驚いた表情を見せた。何のテレビが見たいんですか?
「ウルトラマンレオです」と私は正直に答えた。「ウルトラマン!!」と彼はさっきより更に声を高くして驚いてみせた。
「いいですか、ウルトラマンはダメです」
「えっ? なぜダメなんですか?」
「ウルトラマンは殺生をします」
「せっしょう?」
「ウルトラマンは人を殺すんです。それを見て子供達が喜ぶ。ダメです」
「ウルトラマンは人を殺したりしません。怪獣を倒すんです」
「同じことです。1つの命を奪い、そして喜ぶ。それが良いことだと本当に思いますか?」
「怪獣は地球に悪いことをしに来てるんですよ。ウルトラマンが守ってくれてるんですよ」
「絶対に良い面がないと言い切れますか? 怪獣は常に悪い人ですか?」
「だから、ウルトラマンは人を殺してるんじゃないです」
「怪獣が必ずしも悪人だとは言えませんよ。優しい心を持っているかもしれないのです」
「じゃあ、なんで怪獣はビルや城や空港を壊すんですか?」
「ん?」
「ビルを壊したら、ビルの中にいた人達みんな死んでますよ。優しい心でビル壊しますか? 悪いことじゃないんですか?」
「それは悪いことです」
「ほらー、悪いことじゃないですか」
「でも怪獣がいつも悪いことばかりしてるとは限らないじゃないですか」
「じゃあ、怪獣はどんな良いことをしてるんですか?」
「ん?」
「怪獣が何か良いことをしてるのを先生は知ってるんですか?」
「私はウルトラマンを見ないので知りません」
「だったら怪獣が悪いことばかりとは限らないって言えないじゃないですか」
「私が言いたいのは、決めつけは良くない、ということです」
「先生さっき、ウルトラマンはダメって言いましたよね」
「はい」
「それは決めつけじゃないんですか?」
「決めつけではありません」
「ウルトラマンは良いこともたくさんしてますよ」
「そうですね、人は良いことも悪いこともします」
「だからウルトラマンレオは人じゃ」
「全て含めてどうすれば幸せになれるか、それが聖書には全て書かれているのです、そして全てのことを見守ってくださるのがイエ」
「じゃあ聖書には怪獣の倒し方が書かれてるんですか?」
「ん?」
「聖書にはどうやったら怪獣を殺さずに倒せるかが書かれてるんd」
「書かれてるかもしれません。それを探すために私とあなたは毎週聖書を読んでいるのですよ」
「じゃあ聖書にはスペシウム光線の撃ち方も書かれてるんですか?」
「スペ?」
「エメリウム光線の撃ち方も書かれてるんですか?」
「そのコウセンとは何ですか?」
「ウルトラマンの必殺技で、手から光みたいなビーム出して怪獣を倒します」
「コウセンが光なのであれば、光を作ったのは神なのですよ」
「だったら神様はスペシウム光線を撃てるのですか?」
「撃てるかもしれません」
「はああ? 神様は何のためにスペシウム光線を撃つんですか?」
「それは、すべての民の悲しみを癒やすためです」
「いやす?」
「心の傷を治してあげるんです」
「人間がスペシウム光線を受けたら傷が治るどころか死にますよ。怪獣が爆発するパワーなんですよ」
「死にません」
「なぜそんなウソがつけるんですか?」
たぶん、この辺りから彼は徐々に怒り始め、温和な笑顔が消えていったように思う。そして最後には、今まで一度も見せたことがなかった恐ろしい表情で、
「聖書よりも殺生が大事などという人に神の言葉を聞く資格はない!」
とすごく怒って、猛烈な勢いで階段を下り、そして家を出ていった。母親が何度も玄関でスイマセン、スイマセンと謝っていたのは覚えている。
母親の謝罪の言葉を遠くに聞きながら、私は急いでリビングに駆け込みテレビのスイッチを入れた。ちょうどウルトラ兄弟の誰かが映り、間に合ったあ! と叫んだところで戻ってきた母親にテレビの電源を切られ、3時間ほど説教された。
翌週から聖書の男は来なくなった。晴れて私は7時ちょうどからウルトラマンレオをテレビで見ることが出来るようになった。レオの弟がカステラではなくアストラだということも知った。
しかし話の筋や登場人物が分からなくて付いていけなくなり、2週ほどで見るのを辞めた。
余談だが、神父と牧師と宣教師の違いは、
◆牧師 … プロテスタントにおける聖職者
◆宣教師 … キリスト教などの宗教を外国に伝え広める人
という定義らしい。