Birthday Party Salad by aMichiganMom
疲れているとき、特に長い時間を机でのレポート書きに費やしたときの夜、就寝している最中に僕はサーカスの夢をよく見る傾向にあるらしい。
僕自身がサーカスの団員になっていて、いつも危険な目に遭っている。高所恐怖症なのに単独で空中ブランコをすることになったり、球体の網の中をバイクで走り回れと命じられたり。
そしていつも、危ない、もうダメだ、という場面で目が覚める。額や衣服に少し汗を感じ、現実に戻ってこれた事に安堵して布団から出る。
今朝もサーカスの夢を見ていた。僕はムチを持ち、ライオンやトラの前に立たされていた。
今から猛獣たちを火の輪へと誘導しなければならない。しかし彼らは火の輪ではなく、殺気立った視線を僕に向けながら、低く唸っている。ガルルル。グルルル。
お願いだから言うことを聞いてくれ。オマエたちは今からあの輪をくぐるんだ。1回、そして2回。それだけ。あとは美味しいエサが待っている。僕も家に帰ることが出来る。悪い話じゃないだろう。
だったらオマエが輪をくぐればいいじゃないか、と彼らのうちの一人が言う。
他の仲間たちも賛同の意志を示しながら低く唸り続ける。トゥルルル。トゥルルル。
僕は黙りながら彼らを睨み、彼らは唸りながら僕を睨み返す。トゥルルル、トゥルルル、トゥルルルトゥルルルトゥルルル。
「ごめん、寝てたよね」と彼女は言った。
無意識のうちに僕は受話器を取っていた。ライオンやトラは消え、見慣れた風景が広がっている。自分の部屋。
壁に掛けてある時計を眺めた。午前6時を10分ほど過ぎている。
今朝は4時過ぎまでレポートを書いていた。突然の電話に起こされ、思考が機能していない。
「昨日、電話してくれる約束だったでしょ。待ってたのに」と、少し機嫌の悪そうな口調で彼女が言った。
え? そうだったっけ?
「今日結論を出そうと前から思ってたし、それは知ってるよね?」
あー、うん、知ってる。
「だから、どうしても朝のうちに考えをまとめておきたくて、寝てるかなとも思ったけど電話したの、ごめんね」
うん。いや、いいけど。うん。
「サラダくんだけが頼りなんだから」
え? ああ、うんうん。
「顔、洗ってくる?」
いや、大丈夫。
そうは言っても、眠い。就寝して2時間。順調に眠り続けていれば、おそらく最も心地良い時間帯のはず。電話で彼女の声を聞きながらも、ときどき意識を失いそうになる。
ちょっと待ってね、と彼女に告げてから、僕はテーブルの上に置いてあったタバコと灰皿と100円ライターを枕元に移動させた。
タバコを1本取り出し、口にくわえてライターで火をつける。しかし点火しない。カチッ、カチッとライターの音だけがむなしく響く。
「サラダくん、タバコやめるって私と約束したでしょ?」
え?
「ウソついてたの?」
え? あ、いや、タバコでしょ。うんやめたよ。やめた。
「本当に?」
ほんとほんと。うん、ちょっと待ってね。
保留ボタンを押し、受話器を床に置いた。
禁煙するなんて言ったか? いや、あれだけ強い口調で言うんだから、たぶん言ったんだろう。でも急にやめろと言われても。目も覚まさないといけないし。1本だけ。うん1本だけ。
今度は1回で点火した。タバコに火をつけ、大きく煙を1回吐き出してから保留ボタンを押し、受話器を耳にあてる。
「どうしたの?」
顔を洗ってきた。もう大丈夫。
「あのね、結局カツノリがね、」
うん。
(カツノリ……?)
「ミサのことを好きかどうか気にしてても仕方ないと思うんだよね」
まあね。 (ミサ………??)
それから彼女は約30分、心に溜め込んだ恋の苦しみを一方的に喋り続けた。
僕はと言えば、カツノリやミサが誰なのか、そもそも電話の相手が誰なのかも把握できないまま、そうだねとか、なるほどねとか、やるせないよねとか、無難な返答を続けながらタバコを吸い続けた。もちろん煙を吐く時は受話器を手で覆った。
「聞いてもらってスッキリした。ありがとう」彼女はそう言うと受話器の向こうでフーっと大きく息を吐き、それから軽く笑った。僕は7本目のタバコを灰皿に押し付けた。
「ごめんなさいね、朝から間違い電話に付き合わせてしまって」
え?
「本当は途中で気付いてたんだけど、どうしても誰かに聞いて欲しくて。ごめんなさい」
どこで間違い電話だって気付いたの?
「タバコを吸い始めたとき」
あれ? バレてた?
「だって、サラダくんはタバコ吸わないもん」
そうなのか。
「これも何かの縁だから、この電話を機にタバコやめてみない?」
うーん。
「じゃあさ、1週間タバコやめられたら、私が何かおごるよ。今日のお礼もあるし」
え? 僕のこと知ってるの?
「ううん知らない。でも電話番号は今日分かったし。1週間後にまたかける。何か食べたいものある?」
ええー、いきなり言われても思い浮かばないけど、野菜は苦手かな。
「じゃあ次に電話するまで考えておいてね。それまで禁煙よ」
あと、僕はサラダって名前じゃないよ。
「それは知ってるわよ」
彼女は電話を切った。
あれから2週間、僕は1本もタバコを吸っていないのだけど、彼女から電話はない。
サーカスの夢は今もときどき見る。
僕はピエロを演じていて、覚え立ての手品を披露すると、最前列に座っている女性が拍手をしてくれる。顔を見ただけで、それが電話の彼女だと分かる。
彼女の隣りにはいつも男性が居る。彼の頭部は大きな白いお皿になっていて、大量のシーザーサラダが盛られている。
野菜は苦手なんだよ、と僕が言うと彼女はいつも不機嫌そうな表情になる。