1999年に新設されたスペースワールド駅
今回のスタート地点となったのは、JRスペースワールド駅。
私と同世代の人たちが小中学生の頃、社会科の授業で「日本の四大工業地帯」について習ったのを覚えてらっしゃるだろうか。
「京浜」「中京」「阪神」そして「北九州」、これら4つが日本の主要な工業地帯であり、「太平洋ベルト」と呼ばれている、と教科書にも書かれていた。まだ当時は鳥取県民だった私もハッキリと覚えている。
四大工業地帯の一つ、北九州工業地帯の中でも中心的存在だったのが、新日鉄八幡製鉄所。
この八幡製鉄所は、現在の北九州市八幡東区にとても広い敷地を所有していたため、当時の鹿児島本線の線路は八幡製鉄所の敷地をグルンと迂回するコースになっていた。私が福岡に来た頃は、まさにこの「遠回りする線路」だった。
しかし八幡製鉄所の移転などにより、現在でいう「東田地区」の一帯が遊休地、つまり「何もない空き地」になってしまった。
その遊休地を有効活用しようということで「東田地区」の再開発が始まったのだけど、再開発の目玉となったのが、北九州最大のテーマパークである「スペースワールド」。
1990年にオープンしたスペースワールドは、当初「枝光駅」が最寄駅だったのだが、前述の通りこの一帯は鉄道の線路が迂回する形で敷かれていたので、東田地区再開発の際に「鉄道の線路も直線にしちゃおうよ、その方が近くて速くなるし利便性もいいよね」という話になった。
で、鹿児島本線の移設工事が行われ、この一帯もグルンと遠回りすることなく、最短距離で運行できるようになった。その際に枝光駅よりもさらに近い場所に最寄駅も作っちゃおうよ、ってことで枝光駅と八幡駅の間に新設されたのがスペースワールド駅。
新たに敷かれた直線線路の高架上に駅があるというスタイル。1999年の7月からこの駅は開業した。
こんなにデカイのになぜ気付かなかったのか
スペースワールド駅を出発。すぐ左側にスペースワールドの敷地が見える。
前日の天道編は、雨の予報だったけど天気は良くて、気温も高く暖かった。しかし今回の黒崎編は一転、朝はとても寒かった。手袋を持ってくれば良かったーと思ったくらい。前日が暖かかったので、そんなに寒くなるとは夢にも思わなかった。
イオンモール八幡東や、いのちのたび博物館も近くにある。東田地区の再開発により、多くの巨大商業施設がオープンして風景も完全に変わった。スペースワールドが出来たころ、まだこの一帯は何もなかったはずなのに。
※ちなみに私が福岡に引っ越してきたのは1988年。スペースワールドがオープンする2年前だった。
北九州都市高速道路の向こうに、北九州で最も高い山、皿倉山が見える。
空は暗く、とても寒い。晴れの予報だったので雨の心配はしてなかったけど、前日の大ハズレがあったから傘は念のため持ってきていた。
前方に何やら大きな建築物。工場?
東田第一高炉史跡広場。ふーむ。知らんわ。初めて聞いた。現役の工場じゃなくて史跡だったのか。
名前も知らなかったし、それどころか存在も気付いてなかった。たぶん目では見てるはずなのに、「この建物は何だろう」という意識すら働いていなかったのだろう。近くまで歩いて行ったことも今までなかったし。
近くまで来てみると、こりゃまたデカイな! こんなデカイのに今まで気付かなかった私もどうかしている。
少しだけど桜並木もあった。ここは七分咲きという感じ。まだまだ。
「近代製鉄発祥の地」と書かれている。ここは日本で初めて建設された近代製鉄用高炉なんだって。
すぐ目の前を「新しい」鹿児島本線の線路が走っている。向こうに広がるのは今も成長を続ける東田地区の新しい商業エリア。昨年はサーカス興行もここで開催され、私も家族と見に行ってきた。
皿倉山に向かって坂を上る
史跡広場から県道へと階段を下りる。
「東田高炉入口」交差点。
ホームセンター・ナフコ八幡東店。
「西本町一丁目」交差点。国道3号線を渡る。
旧百三十銀行八幡支店。現在はギャラリーとして利用されているらしい。
「西本町」交差点。ここから見る皿倉山もカッコいい。
確か春のウォーキング大会で、皿倉山の山頂までを歩く登山コースが含まれていたはず。体力と脚力がどこまで戻ったのかを試す意味でも皿倉山登山に挑戦しようと思っている。
八幡市民会館。「都市公民館発祥の地」という石碑があった。
通称「国際通り」の坂道を皿倉山に向かって上る。
JICA(ジャイカ)って、こんなところにあったのか。知らなかった。
JICAとは、細かいことをよく知らないのだけど、ODAの一環として海外からやってくる研修生などを受け入れ、お世話をする機関になるのかな。
私は仕事を通して大勢のJICA研修生たちと関わった。英語の発音が聞き取りにくい地域の人たちばかりで会話がとても苦労したけど、人間性や対人マナーなどはとても素晴らしかった。
近くの某大学は、この日が入学式だったらしい。なぜ大学名を書かないのかは、説明が長くなるので割愛。
当ブログで紹介したこともある、「むらた亭」の八幡平野店。まだ開店前だった。
むらた亭の地点から1kmちょっとほどで、皿倉山の登山口や、山頂まで運行している帆柱ケーブルの駅がある。
車道を全面封鎖してお祭り
県道をいったん右折。この県道は毎年開催されている「選抜女子駅伝北九州大会」のコースにもなっている。
大阪国際女子マラソンで優勝し、ロンドン五輪のマラソン代表に選ばれた重友梨佐選手も今年の北九州女子駅伝に出場し、冷たい雨の中を力走していた。(ちなみに重友選手は2区を走ったが、上の写真は3区になる)
すぐ次の信号、「祇園」交差点で再び右折。ここから下っていく道路は通称「さくら通り」といって、桜の名所になっている。
片道2車線の道路を全面封鎖して歩行者天国状態にしていた。桜の季節はそんなことになってたのか。全然知らなかった。
遠方から見物しにくる人は駐車場がなくて困るのだが、上で紹介した「むらた亭」など複数の商業施設がある共同駐車場に停めて、敷地内の施設を利用すれば(たとえば、むらた亭のラーメンを食べる、など)、その店舗で一定時間は駐車場料金が無料になるスタンプを押してもらえる。昔は2時間無料だったけど、今は90分無料だったかな。
さくら通りの近くにスーパーもあるけど、ここに無断駐車するのは止めましょう。上に書いた通り、むらた亭の所の共同駐車場に駐車することをオススメする。
「前田さくら祭り」のメインステージ。マイクチェックをしている最中だった。
前田の一里塚から国道3号線へ
「前田さくら祭り」のための車道全面封鎖は「祇園一丁目」交差点で終了。この交差点を通過してすぐ、係員の誘導に従って左折。
住宅街を進むと、やがて「前田三丁目公園」というところに着く。
ここは昔、長崎街道の一里塚が設けられていたらしい。「前田の一里塚」という記念碑が建っていた。「一里塚」は、街道で一里(約4km)ごとに土を小高く盛るなどして設けられ、距離の目安を旅行者に伝える目印となっていたらしい。
市街地を抜け、国道3号線に出る。
初カミングアウト。私と嫁が結婚式と披露宴をした会場はココ。もう16年も前になるのか。
常に混雑してるイメージのある国道3号線の黒崎駅周辺だが、日曜朝の早い時間帯ということもあってか、それほど交通量は多くなかった。線路をはさんだ向こう側に新しく「黒崎バイパス」が完成したが、少しは渋滞緩和の役割を果たしているのだろうか。
「藤田二丁目」交差点の少し手前から左の路地に入る。
「黒崎宿場跡」の解説ボードがあった。ってことは、この細い路地も昔の長崎街道ということなのか。解説によればこの一帯は昔、大名などエライ人が宿泊していた、今で言う「高級ホテル街」だったということになるのかな。
黒崎宿の図が描かれたボードもあった。
黒崎に再生の日は来るのだろうか
「藤田銀天街」「熊手銀天街」と商店街が連なっている。ここも昔の長崎街道にあたるらしい。
上の写真2枚はいずれも「くまで通り(熊手銀天街)」なのだが、この通りは比較的キレイ。
この商店街以外にも黒崎駅前には幾つかのアーケードが伸びているのだけど、ここ10年で黒崎駅前は恐ろしいまでの急加速で荒廃してしまった。「寂れた」を通り越した「荒廃」。
私が北九州に住み始めたのは20年以上前になるけど、当時購入したタウン誌で
「東の小倉、西の黒崎、二大都市対決!」
という特集が組まれる時もあったくらい、昔の黒崎駅前はものすごく活気があった。
それが、いつ頃からだろうか。あれほど人が大勢歩いていたはずの商店街から、人が消えてしまった。シャッターが閉まったままの店舗もずいぶん増えた。
10年ほど前だったか、友人の都合により黒崎の居酒屋で飲み会をすることになって、久々に黒崎駅前を歩いたのだが、夕方6時過ぎの段階で商店街を歩いてる人が一人もいない光景にガク然とした。
ガラス窓が割れたまま放置されてる店舗跡。腐った生ゴミの悪臭が強烈で近寄れない店舗跡。衝撃的だった。
居酒屋も、CDショップも、大型商業施設も、馴染みの店が次々と閉店していき、黒崎そごうも、長崎屋も消えた。復活を期待されて建設されたコムシティもすぐにコケた。
今もいろいろと再開発が進んでいるようだが、果たして黒崎駅前に活気は戻るのだろうか。個人的には復活して欲しいんだけど。
長崎街道くつろぎ広場。日曜なのでお休みのようだ。
商店街を抜けたところに見慣れない巨大な立体駐車場が出来ている。駐車場というか、ここパチンコ店だね。
以前もここはパチンコ店で、黒色のビルだった気がする。そのパチンコ店が潰れ、確か一度はブティックか何かの洋服店に変わった記憶があるのだが(違ったかな)、黒色のビルをぶっ壊して新たにパチンコ店を造り直したということか。
曲里の松並木で参勤交代を体感する
「熊手三丁目」交差点に到達。黒崎駅前からまっすぐ伸びるメインストリート。
右に曲がれば、井筒屋ブックセンター、そして黒崎駅に着くのだが、今回のウォーキングコースではいったん左に曲がる。後でこの道には再び戻ってくることになる。
市街地を抜け、広い県道の交差点に出る。左側には「九州厚生年金病院」の跡地が見える。病院が移転した後、一時期ここは公園が整備されていて、「一等地なのにちょっともったいない」と感じていたが、いつの間にか新しい何かが建築されている。
県道の横断歩道を渡るとすぐ、「曲里の松並木」の入口がある。何度も話には聞いていて、一度歩いてみたいとは思っていたのだけど、訪れたのは今回が初めて。
江戸幕府は、主要な街道の沿線に松の木や杉の木を植樹させることを推奨していて、ここ「曲里の松並木」はその頃の風景を再現するかのように、街道の両脇を多くの松の木が覆っている。
木を植樹させた目的は、炎天下対策(日陰を増やす)、強風対策、そして雨や雪が降った際にも濡れを軽減させるための対策と、いろんな効果を見越してのことだったんだそうな。なるほどなあー。
いきなり石の階段からスタートする。
段の間隔がなんとも中途半端で、すご~く歩きにくいw
九州の諸大名も参勤交代の時にこの松並木を歩いて移動したんだって。
松並木のすぐ横には近代的な商業施設が並んでいる。
昔、この一帯は西武グループのプリンスホテルが運営する駐車場と、巨大なアイススケートリンクがあった。
ところが西武グループがおかしなことになってしまい、事業再編の結果、プリンスホテルが各地で消えていき、ここ北九州でも2007年にアイススケート場は取り壊されてしまった。以前は小倉北区にあったアイススケート場も潰れ、ここも潰れたことで、北九州市のアイススケート場は絶滅。
しかし現在は、プリンスホテルのアイススケート場で使用していた機材を譲り受け、小倉北区にある「西日本総合展示場」が冬季限定でアイススケート場をオープンしてくれている。
北九州プリンスホテルの建物だけは残ったが売却され、現在は別会社が「ホテルクラウンパレス北九州」という名前で経営している。
街道の途中に休憩所のような小屋を発見。
昔の黒崎市街地の様子や、商店街の賑わいなどの写真がパネル展示されていた。
小屋のすぐ横にもあった石碑。
次の木屋瀬宿まで、昔は延々と松並木の街道が続いていたらしいのだが、今は石碑から少し進んだところで松並木も途絶え、国道200号線が走っている。
ゴールの黒崎駅前が何やらオカシイことに
「曲里の松並木」が終了した地点で左折。
黒崎駅前通りに続く下り坂。遠くには工場の煙突も見えるし、その向こうには若松区の山も見える。八幡西区と若松区の間には「洞海湾」という海があるのだが、さすがにここから海は見えない。
2004年に移転した、新しい「九州厚生年金病院」。前の場所は駐車場が狭くて駐車するのに時間を要したが、新病院は駐車場も広い。ただし満車状態なことも多々ある。
一方、「旧・厚生年金病院」の跡地にも何かが建設中だというのは上でチラッと書いたが、現地ではその正体が何かは分からなかった。
帰宅してからネットで調べてみたら、いろいろ分かった。
2010年7月までは公園として活用していたけど、整備事業が始まって、今年の7月に「黒崎文化ホール」という多目的ホールが完成する予定だと。
しかし「ネーミングライツ(命名権)」を募集したところ、福岡ひびき信用金庫が命名権を買い、2016年6月末までの4年間は「黒崎ひびしんホール」という名称になる。
なるほど。図書館とか、多目的ホールとか、そういうのが建築中だったということね。
「岸の浦二丁目」交差点。ここには以前、ベスト電器の黒崎店があったのだが、現在は黒崎駅横に移転し、跡地にはセブンイレブンがある。しかしベスト電器の看板だけが、なぜかは分からないが隣りのビルの上に残されている。ほとんど見えてない状態になっているのだけど。
黒崎駅前の通りに戻ってきた。あとは直進してゴールするだけ。
北九州市では小倉北区に大きな書店が幾つかあるが、小倉北区以外のエリアでは最大規模だと思われる、ブックセンター・クエスト黒崎店。井筒屋黒崎店の別館にあり、1階から4階までが書店となっている。
最近は博多に行くことが多くなったので、コンピューター関連書籍は「JR博多シティ8階の丸善」か、「天神のジュンク堂」のどちらかで買うことが圧倒的に多くなった。でもそれ以前は黒崎のクエストで買うか、アマゾンなどのネット書店で注文するか、その2択だった。
博多駅の丸善や天神のジュンク堂では売切れになってたけど、黒崎クエストにはあった、というケースが何度かあった。実はこの記事を書いてる当日も、あきらめかけてた本が黒崎クエストにあったので買ってきたばかり。
古くからの北九州ラーメン通にはお馴染みの「唐そば」跡地。
エスカレーターを上り、高架となっている黒崎駅の駅前広場に…ってなんだよ、この狭い通路みたいのは。
リニューアルするんだって。駅前デッキとか、駅前通りとか、いろいろキレイに広く再開発するのもいいんだけど、他に優先してやることがあるんじゃないかなーと思うのだ。
デッキや道路がいくらキレイになったところで、人が来なけりゃ意味ないでしょ?
黒崎破たんの象徴的存在ともいえる、黒崎コムシティ(COM CITY)。
2001年11月に華々しくオープンし、1年半後の2003年5月に破産&閉鎖。現在も「子どもの館」や西鉄バスセンターなど、商業施設以外の一部スペースは活用されているが、他のテナントスペースは「死に体」のまま
2013年度にはコムシティに区役所やハローワークなどの行政機関を移転させようという案もあるらしいのだが、さて、どうなるか。
こちらは逆に、黒崎の経済を昔も今も支え続ける貴重な存在の老舗百貨店、井筒屋。
以前はここに「黒崎そごう」があったのだけど、そごうグループの破たんで撤退した後に井筒屋が入店した。
線路をはさんで向こう側にある高架は、2008年に開通した黒崎バイパス。特に渋滞がヒドい国道3号線の黒崎駅近辺を改善させるために建設され、現在も延伸工事が進んでいる。
最終的には東田地区まで路線が伸びて、2010年12月に開通した都市高速の東田入口と接続させることで、国道3号線や国道200号線、特に渋滞の激しい黒崎駅前を通ることなく高速に乗ることが出来るようになるらしい。
ゴールのJR黒崎駅に到着。
今回のウォーキングをiPhoneアプリ「Walkmeter GPS」で計測した結果は上の通り。
歩行時間は約1時間40分。歩行距離は9.0km(四捨五入)。
平均歩行ペースは1kmあたり11.03分。
幾つか寄り道した箇所もあったので、それを考えると普通のペースかな。
今回もゴール後に先着プレゼントがあった。「長崎街道を通った偉人達」というマフラータオル。とっても気に入っている。
ウォーキングで使用したiPhoneアプリ
今回のコースマップ
より大きな地図で ウォーキング黒崎編 を表示