日本では「ブラック・タイガー」として有名だった
エディ・ゲレロは、いわゆる「レスラー・ファミリー」の一人。
お父さんがゴリー・ゲレロという人で、「ゴリー・スペシャル」という技を開発した人としても知られています。
エディの兄で、ゴリーの長男がチャボ・ゲレロ。新日本プロレスのジュニアヘビー級で藤波辰巳や木村健悟のライバルとして活躍。その後に全日本プロレスに移って大仁田厚と抗争し、日本でも知ってる人が多い有名なレスラー。
もう一人の兄、ヘクター・ゲレロも全日本プロレスに参戦したことがあります。
エディの甥で、チャボ・ゲレロの息子のチャボ・ゲレロ・ジュニアも世界的に有名なレスラー。
エディは覆面レスラーの「ブラック・タイガー(2代目)」として、新日本プロレスのジュニアヘビー級で大活躍。獣神サンダー・ライガーやワイルド・ペガサス(=クリス・ベノワ)達とジュニアの大ブームを築き上げました。
もともと、初代タイガーマスクのライバルとして強烈なインパクトを日本のファンに残した「初代ブラック・タイガー」というレスラーがいたんです。正体はイギリスで活躍していたマーク・ロコという有名な選手。
エディが新日本に参戦した当時は3代目のタイガーマスク(=金本浩二)が活躍しており、そのライバルという設定で登場。しかし3代目が早々にマスクを脱いで素顔に戻っちゃったことで設定崩壊。でもそのままエディはマスクをつけて闘い続けました。
エディが新日本時代に見せていたフィニッシャー「雪崩式垂直落下ブレンバスター」は強烈なインパクトだったので、後にライガーが技を継いでいます。
他にも「BTボム」という強烈なオリジナル技を持ってました。後に女子プロレス「JWP」のダイナマイト関西選手が「スプラッシュ・マウンテン」の技名でフィニッシャーにしていました。
小さい身体でWWEの頂点を極めた
エディは盟友のクリス・ベノワやディーン・マレンコと行動を共にし、アメリカの各団体でも活躍。クルーザー級の活性化を目指していたWCWにベノワ、マレンコと共に移籍し、エディ自身はWCWクルーザー級王座も獲得。
さらにクリスやマレンコとWWE(当時はWWF)に移籍して、「ラディカルズ」というユニットを結成。シングル路線に転向後は女性レスラーのチャイナに求愛するキャラとして売り出され(その頃から「ラティーノ・ヒート」と呼ばれる)、甥のチャボ・ゲレロ・ジュニアとチームを結成してタッグ王座に輝いたりもしました。
しかし体格が小柄だったせいもあり、ストーリーの中心人物となるには時間がかかったらしいです。
2004年のPPV大会で、当時無敵の強さを誇ったブロック・レスナーに勝利し、悲願のWWE王座を初めて獲得。ついにエディはWWEの頂点を極めました。
私がケーブルテレビに加入してWWEを観るようになったのは2005年から。ただ、雑誌(週刊プロレス)は毎週欠かさず購入していたので、テレビを観る以前のWWEは情報としては少しだけ知っていました。
WWEで活躍していたエディについて、雑誌の情報のみで私が持っていた印象は「小柄だけれど頭脳派で、笑いも取るけどレスリングも上手い選手」。
「ズルしてダマして盗み獲る(Lie Cheat and Steal)」というのがゲレロ家のモットーだ、という設定で活躍してました。
自分が反則攻撃をしようとしたくせに、レフェリーにバレそうになると凶器を対戦相手に渡し、自分は失神したフリをして反則勝ち、という試合が彼の王道で、ファンもその戦法を愛していました。私も一度でいいからそのズル勝ちを見てみたかったんです。
Chris Benoit y Eddie Guerrero / Sosuaonline.net2
ところが、私がWWE視聴を始めた頃のエディは、ベビーフェイス(いわゆる正義の味方)ではなく陰湿なヒール(悪役)に変貌してました。
同じメキシコ出身のレスラーで、長らく共に闘っていたレイ・ミステリオを裏切り、ミステリオの息子(設定ではなく本当の息子)の実の父親は俺だ、というドロドロした心理戦を仕掛け、抗争を続けていたんです。
心の底から失望しました。ストーリーが暗すぎて、まったく面白くない。
明るく爽快で、笑いを取ってズル勝ちするエディの姿なんてどこにもなかった。しかも、そのヒールっぷりが陰湿すぎて、正直引きまくった。
ミステリオとの抗争が終了し、次のターゲットは当時チャンピオンだったバティスタ。ところがエディは「改心した、俺はアンタの親友になりたい」と言って、バティスタに笑顔で接近を始めます。
最初は疑心暗鬼だったバティスタも、エディが懇親的にサポートするのを見て、徐々に心を開き始めます。エディの闘い方も以前の明るさが戻り始め、ついに私も念願の「ズル勝ち」をテレビで観ることが出来ました。
ベビーフェイスに戻る路線なのか? それとも油断させといてバティスタを裏切る設定なのか? と観ている側も半信半疑だった、そんな矢先の訃報でした。
痛み止めや睡眠薬の過剰摂取が要因という説も
2005年11月13日の朝、遠征先のホテルで亡くなっているエディを甥のチャボ・ゲレロ・ジュニアが発見。動脈硬化性疾患による病死と発表されました。享年38歳。
日本はアメリカより放送が遅れていたので、エディの生涯最後の試合が放送されたのは訃報が報道されてから数週間後でした。つまり、私を含む日本のWWEファンは「これがエディの最後の試合だ」というのを判った上で番組を観ていました。
エディ最後の試合は、ズル勝ちしたエディが笑顔で勝利をアピールしていた矢先、対戦相手だった悪役のケン・ケネディが(負けた腹いせに)鉄製のイスでエディの頭部をおもいっきり強打。エディは失神ダウンで屈辱、という内容。
その叩かれ方がハンパじゃなかったですよ。おもいっきり頭部。
もちろんWWEにはストーリーがありますから、エディも叩かれることを分かっていて振り返り、腕で防御もしていました。でも思った以上に衝撃がキツかったんじゃないか、と。
これが間接的な死因になったのではないかと、どうしても考えちゃうんですよ。いや、対戦相手のケン・ケネディを責めてる訳じゃないですよ。これもWWEなんだから。
亡くなった直後のWWE大会は予定を変更し、エディの追悼大会となりました。
追悼大会は日本でも急きょ放送されました。あまりに突然だったので日本語字幕もない状態で。
だからレスラー仲間たちが涙を流しながら追悼コメントを言ってる場面でも、その内容が残念ながら分からず。
数週間後、通常の放送スケジュールでは日本語字幕が入った状態で再び放送され、そこで仲間たちがエディについて何を語り、いかに愛されていたかを知ることができました。
悪役で嫌われ者なはずのJBL(ジョン・ブラッドショー)がヒールという設定も忘れ、最初は笑顔で思い出を語っていたはずなのに途中でこらえきれず表情をゆがめ嗚咽し、泣いてしまうシーン。
新日本プロレスからWCW、そしてWWEと行動を共にしてきた盟友であり親友のクリス・ベノワもインタビュー映像では号泣。
その日のメイン戦はベビーフェイスのクリス・ベノワと、ヒールのトリプルHが対戦。最後はクリスがクロスフェイスでHHHからタップを奪い勝利。
試合後、本来なら敵対しているはずのクリスとベノワが抱擁。HHHにハグされて耐えきれなくなったクリスがリング上で号泣している姿を見て、テレビの前で私も涙が止まりませんでした。
エディ死去から少しして私はケーブルテレビを解約してしまったため、WWE視聴はいったん中断。しかし昨年2011年から再びWWEを観戦できるようになりました。
現在WWEでは、エディの本当の奥さんだったヴィッキー・ゲレロが活躍しています。
彼女は夫の急死後からWWEの番組に出演するようになり、悲劇の人から一転して悪役となり、若手レスラーをたぶらかせて愛人にさせるといったストーリーもこなし、毎回ファンから猛烈なブーイングを浴びる存在になっています。
彼女を見るたび、いつも思います。ヴィッキーはスゴイ。そして、エディもやっぱりスゴかったんだ。
エディを見ることが出来た期間はとても短かったのですが、今も忘れることが出来ない、大好きなレスラーの一人です。
もっともっと、ズル勝ちするエディを見ていたかった。これは世界中のファンが想っていることでしょう。