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ポール・マッカートニー日本公演決定で思い出す1990年ライブの号泣体験

2013年7月18日

Outthere

 元ビートルズのポール・マッカートニー(71)が11月に東京、福岡、大阪で公演すると16日、主催のキョードー東京が発表した。来日公演は11年ぶりとなる。

 ポールは、ビートルズの一員として1966年に初来日。ソロとしては、1990年、93年、2002年に来日公演している。今回は、5月にブラジルからスタートした世界ツアーの一環。

 「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」(朝日新聞社など主催)の日程は、11月15日に福岡ヤフオク!ドーム、同18、19、21日の東京ドームが決定。大阪公演は会場を調整中だ。

via:朝日新聞(2013年7月16日)

今年、もしかして日本でライヴするんじゃないの?って話は聞いてましたが、正式に発表されました。ポールが再び日本にやってきます。

ポールはそんな頻繁には日本に来てないんです

上で引用したニュースにもある通り、ポールが日本に来て歌ったのは、1990年、1993年、2002年に次いで今回が4回目。ビートルズとして初来日した1966年を加えても今回が5回目。

ビートルズとしてポールが日本にやって来た1966年以来、25年ぶりの来日だった1990年は大騒ぎだったんです。

大騒ぎになったのには理由がありまして、実はポール、1980年にも日本でライヴするはずが出来なかったんです。日本で逮捕されちゃったから

ビートルズ解散後、奥さんのリンダたちと結成した「ウイングス」ってバンドで初めて日本にやって来てライヴをすることになってて、実際に1980年1月、成田までやって来たんです。

でもポール、荷物の中に大麻を隠し持っていたのがバレて、成田空港にて大麻取締法違反で現行犯逮捕。10日間拘留された後、本国イギリスに強制送還されてしまいました。当然ながら日本公演は全て中止でチケット払い戻し。

そういう過去があったので、もうポールは日本に来れない、あるいは来たくないんじゃないか、って言われてたんです。だから1990年の来日がどれだけファンを喜ばせたか。

もちろんファンの私も頭がおかしくなるくらい狂喜乱舞しまして、ライヴのチケットを速攻申し込みしたのは言うまでもありません。

1990年の日本公演が唯一のライヴ体験

Tokyo Dome
Tokyo Dome / Dick Thomas Johnson

私は昔、バンド組んでまして、ライヴもやってました。ライヴを「やる側」としては数多く経験があります。

しかし、ライヴを「聴く(観る)側」としての経験が全然ない。アマチュアのバンド仲間のライヴなら沢山観ましたが、プロのミュージシャンのライヴは行ったことがないんです。

身体的精神的な諸事情もあるし、なんとか行きたいけど用事があったりお金がなかったりで行けなかったってのも数多くありました。

そんな私の、今までの人生で唯一のライヴ体験が、前述した1990年の「ポール25年ぶりの来日」時のライヴでした。しかしこれも「ナマでポールを観た」わけじゃなかった。

1990年3月9日。当時まだ20代前半の私は、友人と2人でポールのライヴを観に福岡市へと遠征。

と言ってもポールは東京ドームでライヴやってまして、当時としては珍しい「クローズドサーキット」という方式で、ライヴの様子をリアルタイムで全国数カ所の会場スクリーンに映すという企画。これの福岡会場に参加したんです。

スクリーンとはいえ、日本に来ているポールをリアルタイムで観ている。しかも生まれて初めて「観る側」としてのライヴ。興奮したなんてもんじゃないですよ。

ポールは『フラワーズ・イン・ザ・ダート』というニューアルバムをリリースし、このアルバムをベースにしたワールドツアーでもありました。なので、ライヴがどんな曲構成になるのかは事前に他の国での情報が流れてて、大体はファンも分かってた状態。

1曲目は他国と同様、アルバム収録曲の「フィギュア・オブ・エイト」って曲だったんですけど、あのイントロが流れた時の大歓声、そして鳥肌の立ちっぷり。今でも忘れないです。1曲目のイントロで感極まって号泣。

フィギュア・オブ・エイト
フィギュア・オブ・エイトポール・マッカートニーPaul McCartney Catalog1989/06/05リリース

1990年、日本でのポールを共有した方々にとって『フラワーズ・イン・ザ・ダート』というアルバムは特別な思い入れがあるのではないかと思います。私は今もしょっちゅう聴いてます。

このライヴで猛烈に残念で悔しかったことが1つだけありました。

アンコールがビートルズの名曲「ヘイ・ジュード」だったんです。これも事前に知ってました。他の国もそうだったから。全ての会場でポールと観客が大合唱するってのも情報として入ってました。

日本でも当然そうなると思ってました。いや、実際東京ドームは大合唱でした。感動的でした。

でも福岡会場は、私と友人の2人しか歌ってなかった…

「お前ら座れや」みたいな冷たい視線を感じたので、私も友人も途中で座りました。腹立ちましたよ。なんやねん福岡。この冷め方はなんやねん。

まあ、クローズドサーキットですからね。おそらく全員が初体験なんだろうし。しかもポールは東京だし。でも、あれは全員で歌いたかった。

余談ですが、ライヴのパンフレットを2冊買いまして、交際開始してまだ1週間くらいだった当時の彼女に1冊をプレゼントしました。彼女、ポールもビートルズも全く興味なかったのに、喜んでくれましたよ、表面上は。

ちなみにその彼女が今の嫁です。

「なぜ行かなかったんだろう」との繰り返し

...we are going to have fun | Paul McCartney | ON THE RUN | 120416-9599-jikatu
…we are going to have fun | Paul McCartney | ON THE RUN | 120416-9599-jikatu / jikatu

若い人は知らないと思いますが、昔、岡田有希子というアイドル歌手がいました。大好きでした。

私より1つ年上で、高校生の時に私の地元・鳥取の祭りにゲストとして来たんです。最前列でナマの岡田有希子を観ました。

その岡田有希子のライヴが米子市公会堂って会場で開催されることになりました。しかし私は部活が忙しすぎて行けないと判断し、チケットを取らなかった。

結局、チケットの売れ行きが悪かったらしくて米子市でのコンサートは中止。その年、岡田有希子は亡くなりました。

大学受験の年、私の大好きだったBOOWYが島根県民会館でライヴをするという情報を得ました。確か「CASE OF BOOWY」ツアーじゃなかったかな? あのライヴ映像、4本組のVHSが発売されて、すり切れるほど観ました。(DVDも出てますが、かなりの場面がカットされてます)

島根県民会館は米子市から電車で30分くらいかな。余裕で行ける距離です。でも行かなかった。受験だったから

無事大学に合格したら胸を張ってBOOWYのライヴに行こう。そう思ってたらBOOWYは解散しちゃいました。

1991年、ポールが日本を熱狂させた翌年に、今度はジョージ・ハリスンがエリック・クラプトンと共に日本でライヴツアーをやりました。福岡国際センターもラインナップに入ってました。

これは絶対に行くぞ!と思ってたのに、用事が入って行けなくなっちゃった。

次だ、次にジョージが日本来たら絶対に行こう。そう思ってたのに、ジョージは再び日本に来ることなく、2001年に亡くなりました。

そんなんばっかりなんです。大好きなアーティストのライヴを軽い気持ちでスルーして、二度と観られなくなったと知った時の哀しさ。

1990年に我々を熱狂させたポールが戻ってきます。23年という時間が流れ、ジョージが亡くなり、1990年の来日時には傍にいた愛妻リンダも亡くなり、ポールは今年で71歳。まだ20代だった私も今や40代。それが月日の流れ。

今度こそ、ナマのポール・マッカートニーを観に行こうと思っています。悔やみたくはないですから。

しかし、チケット高いよ!w いま先行予約が開始されてるみたいですが、Mac貯金も尽きて貧乏モードに戻った私にS席を買えるような余力はないのよ!

なので、どこか安い席が取れたらいいな。

昔、日本武道館の一番上の席から全日本プロレスの最強タッグ最終戦を観たことがありました。あんな巨大な馬場さんが豆粒のように小さかった。でも、同じ空間にいられたことは嬉しかった。

ポールがどれだけ豆粒のようでもいいんです。今度は同じ空間に私も存在していたい。そして今度こそ会場で熱唱しますよ。ヘイ・ジュードを。

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