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女友達と日本武道館でプロレス観戦をした帰り道

素晴らしき仲間たち

新入社員教育

東京の会社に就職し、社会人としての初日。入社式を終え、これから数ヶ月にわたり新入社員教育の会場となる会議室に入る。

氏名の順に座席が指定されていて、すぐ前の席には髪にパーマをかけた女性が座っていた。

キッカケが何だったのかは忘れた。事務手続き的なことで書類を回している時だったか。前の席にいるパーマの彼女と二言ほど話をした。

とても短い会話だったのだけど、言葉のチョイスを聞いてすぐ直感的に判った。「ああ、こいつ面白いやつだ」と。

自分自身も人見知りはしないし、彼女もなんとなく人見知りしない感じはした。最初の休憩に入った際、彼女に世間話を振った。

彼女はこちらが想定するより何倍もユニークで笑える返しをしてくれた。お互いに初対面だったけれど、ものの数秒で仲良くなれた。

それから二人で、長年組んでる漫才コンビのようなボケとツッコミの掛け合いをしていたら、周囲の数名が笑顔で「楽しそう、私も(俺も)混ぜてよ」と会話に入ってきた。自分を含めて8人の輪ができた。男4人、女4人。実にバランスが良い。

東京の社会人生活、その初日が終わり、仲良くなった男女7人の仲間たちを誘って最初の飲み会に行った。以降ずっと、この7人の仲間たちと新入社員教育を共に過ごした。

東京の生活に適応するのも遅く、新入社員教育での成績は常に下位。社会人としてやっていけるのか毎日不安だった。それでも、その7人の仲間たちが精神的に救ってくれた。彼等に出会えて良かったと今でも思っている。

プロレス観戦に誘われる

新入社員教育が終わり、配属先が決まった。他の7人と離れ、栃木県の工場に出向することになった。

仲間に会えない寂しさ、毎日夜遅くまでの残業、直属の上司に対する不満と嫌悪。精神はすり減り、体重も激減した。

大学の夏休みを利用して東京に会いに来てくれた福岡の恋人(=今の嫁)が、激痩せした彼氏の姿を見てショックを受けて泣いた。それでやっと、自分がそんなにも痩せたということに気付いた。

仲間たちとは休日に数回会った程度。当時はまだインターネットが普及しておらず、携帯電話も写真機能やメール機能など備えていなかった。そもそも携帯電話を持ってすらいなかった。コミュニケーションのツールは固定電話しかなかった。

膨らむストレスと孤独感に耐えながら、夏が過ぎ、秋が過ぎた。

11月某日。就職して最初に仲良くなったパーマの彼女から電話が掛かってきた。いつものように漫才の掛け合いのような会話が少し続いた後、唐突に彼女は切り出した。

「ねえねえ、プロレス好きだったよね? 一緒にプロレス見に行かない?」

プロレスに興味あるとは知らなかった。そう伝えると「いや〜、プロレスほとんど分かんないんだけどね(笑) でも見てみたかったんだよね〜」と彼女。プロレスに詳しそうな人と一緒に観戦して、解説してもらって知識を深めたかったから、あなたが適任者なのよ、とも。

そんな話をしながら、ふと気付いた。

自分は今、東京で生活をしている。有名な団体の大きなプロレス大会は、しょっちゅう関東圏で開催されているのに、そんなことすら忘れていた。

新入社員教育が終わって配属されてから、休日になると部屋でゲームをしてるか、CDを聴きながらベースギターを弾くか。休日に外出することがほとんどなかった。

東京のどこかで週末になると開催されていたプロレスの試合。行こうと思えばいつでも行ける環境下にいたのに、そんなことすら忘れていた。週刊プロレスを読むだけでプロレスに満足していた。

「来月さ、けっこう大きな大会があるんだけど、それ一緒に行こうか。チケット取ってみるわ」と彼女に告げた。

初めての武道館、初めてのプロレス生観戦

日本武道館

1992年12月、パーマの彼女と二人でプロレス観戦をした。向かった先は日本武道館。

九段下の駅を下りて武道館へと歩く。自分たちと同じくプロレス観戦目的の人々が、白い息を吐き出しながら紅潮した表情で武道館へと進んでいく。空はとても晴れていて、自分自身がプロレス観戦の群れに初めて身を投じていることにスゴく高揚していた。

チケットを取るタイミングがギリギリだったこともあり、空いてる座席はほとんどなかった。かろうじて2枚連番で取れたのが、一番安い座席。

武道館に入り、指定された座席を発見して、おもわず笑ってしまった。武道館の3階席、それも一番後ろ。自分たちの後ろには壁があり、すぐ頭上に武道館の天井がある。

座席に座って下を見ると、プロレスのリングがチロルチョコのように小さく見えた。

「この距離じゃあ選手たちもスゴく小さいな」と笑いながら彼女に言った。「細かい攻防とか見えないだろうな。ここまで遠い席だとは思わなかった。ごめんな」

「いやいや、むしろここ、最高じゃない?」と彼女は満面の笑顔で答える。「こんな高いところから武道館を全部見下ろせるんだよ、こんな経験なかなかできないよ!」

我々が観戦したのは、プロレス界で「冬の風物詩」とも言われてた、全日本プロレスの「世界最強タッグ決定リーグ戦」という大会の最終戦。毎年、日本武道館で最終戦が行われ、ここでその年、最も強かったタッグチームが決まるというもの。

1992年の世界最強タッグは、まず出場予定だったジャンボ鶴田が急病のため大会直前に欠場を発表。結果的に鶴田はこの病気のために第一線から退くこととなった。鶴田の代役として、当時まだデビューしたばかりの新人・秋山準が田上明と組み、世界最強タッグ初出場。

「テリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムス組」「スタン・ハンセン&ジョニー・エース組」「三沢光晴&川田利明組」の3組が優勝を狙える位置にいたものの、ゴディ&ウィリアムス組とハンセン&エース組が直接対決で引き分けてしまい、勝ち点を伸ばせず。

最後の試合で三沢&川田組が田上&秋山組と対戦し、三沢が秋山にタイガー・ドライバーで勝利。三沢&川田組が最強タッグ初優勝を飾った。

いつもテレビでしか観戦していなかったプロレスとは違って、武道館の最上段から見下ろすプロレスは選手も小さく、細かい攻防も分からなかったけど、これはこれで全然悪くなかった。熱狂する会場の空気に自分も含まれている。その一体感は実に心地良かった。

同じくプロレス初観戦だった彼女も楽しんでいた様子。ゴディ&ウィリアムス組の入場テーマ曲(KISSの『I Love It Loud』)に「かっちょいい〜!」と唸り、川田のキックを見て「死ぬ!相手が死ぬ!」と叫び、いろんな選手のフィニッシュ技に「今の技は何!」と何度も質問してきた。

リングの左側にテレビの実況席があり、解説を務めるジャイアント馬場がリラックスした格好で座っているのは武道館の最上段からもハッキリと視認できた。それを彼女に教えてあげると「馬場さんデッカイな!」と大笑いしていた。

プロレスからの帰り道、真相を告白

夜の秋葉原

プロレス観戦を終え、武道館を出る。初めて見るプロレスに興奮した彼女の感想を聞きながら、九段下の駅に向かって流れる人の波に混じる。

駅に着いて切符を買おうとした彼女の背中に声を掛けた。「なあ、もうちょっと先まで歩かんか? 話したいことがある」

彼女は了承し、我々二人は再び並んで歩き始めた。

言うべきか、伏せておくべきか、悩んでいたことがあった。最終的に決まってから話してもいいかな、とも考えていた。ただ、プロレス観戦をして気持ちが少し切り替わったことや、言うなら彼女が最初だなと思っていたこともあり、その帰り道で真相を伝えよう、と歩きながら決めた。

「実はね、会社を辞めるかもしれない」

第一声を聞き、しかし彼女は特段驚かなかった。「そっか」と短く呟き、ウンウンと軽く頷いた。

彼女に状況を説明した。福岡の某社が中途採用募集をしており、一次の書類審査には通った。二次面接が来月にあり、それに通って採用されたら今の会社を辞める。採用されなかった場合にどうするかは分からない。ただ、今の会社には長く在籍しないと思ってる。

「感じてはいたんだよね」と彼女は言った。「辞めちゃうんじゃないかって、みんなも心配してた。辞めて欲しくはないけど、ツラそうなのは見てて分かった」

「会社を辞めるとして、一番ツラいのは」と、続けるように伝えた。一番ツラいのは、みんなと離れてしまうことだ。この関係は一生モノだと思ってる。それを俺が破壊してしまう気がして、本当にツラい。

「でもさ、もし辞めたとしても、私たちずっと仲間じゃん」と彼女は返した。「二度と会えなくなるわけじゃないんだからさ、また東京に来たら飲み行ってカラオケ行ったりしようよ」

彼女は引き留めるでもなく、歩きながら延々と、新入社員教育の期間中にあった笑い話や、配属されてからの仲間たちの話を語ってくれた。途中何度か急に寂しくなり泣いてしまったけど彼女には気付かれないようにした。

どこをどう歩いたのか、全く覚えていない。気付けば秋葉原の駅に着いていた。12月の東京、空からはほんの少しだけ、小さい粒の雪が降っていたのを覚えている。

彼女はどうしているだろう

プロレス観戦の翌月、面接を受けた福岡の企業に採用され、2月に会社を辞めた。同期の仲間たちみんなが集ってくれて、送別会をしてくれた。

福岡の会社に転職した年、福岡ドームが完成。新日本プロレスが福岡ドームで初めてとなるプロレス興行をゴールデンウィーク期間に開催。今の嫁と一緒にアリーナ席で観戦した。新しい会社の先輩や同僚から「お前、ドームでプロレス見たいから福岡に戻ってきたんやろ」とからかわれた。

東京出張があった際は毎回、前の会社の仲間たちと再会し、居酒屋で騒ぎ、カラオケで熱唱した。

武道館でプロレスを一緒に見た彼女も何度か福岡に来たことがある(当時の彼氏が福岡に住んでたから)。嫁と2人で彼女を空港まで迎えに行ったり、福岡の観光スポットを案内したり、北九州で一番好きなラーメン店に連れて行ったりもした。「めちゃくちゃオイシイ!」と彼女は喜んでくれた。

嫁との結婚式にも彼女には来てもらった。本当は仲の良かった仲間を全員呼びたかったのだけど、叶わなかったので仲間代表として彼女に来てもらった。

その数年後、彼女自身も結婚し、会社を辞めた。

姓の変わった彼女とは年賀状でのやり取りのみになってしまい、ある年、彼女宛の年賀状が「転居先不明」として返送され、彼女との交流は途絶えた。

彼女と一緒に観戦した1992年の武道館大会。あの日、試合に出場していたアンドレ・ザ・ジャイアントと大熊元司、2人の名選手が大会直後に急逝。武道館大会が生前最後のプロレス試合出場となった。

三沢光晴、ジャンボ鶴田、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス、そしてジャイアント馬場も亡くなってしまった。あの日、新人として出場していた秋山準は、2014年から2019年まで全日本プロレスの社長に就任。

武道館の実況席でゆったり座っていた当時の馬場さんとほとんど変わらない年齢に自分もなっている。そういう時間が流れた。

彼女は今、どこで何をしているだろう。漫才のような勢いで笑い合っていた日々がとても懐かしい。

-雑記
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