新日本プロレスで練習生だった
クリス・ベノワはデビューした直後、新日本プロレスで練習生をしていた時期があります。そのことは雑誌などで当時チラッと書かれていたことがあったので、記事を読んだファンにしてみれば周知の事実でした。
当時雑誌などでは「ベノワ」ではなく「ベノイ」と表記されていました。古いファンだと「クリス・ベノイ」という言い方の方がシックリ来る人もいたりします。
※英語の発音風で書くと「クリス・ベンワー」になるんですけどね。
その後、新日本プロレスのジュニアヘビー級で獣神サンダー・ライガーが活躍を始めた頃に「ペガサス・キッド」という覆面レスラーが登場し、ライガーの強力なライバルとなり幾多の激闘を繰り広げ、ファンを喜ばせてくれました。
この「ペガサス・キッド」の正体がベノワでした。ベノワが覆面をかぶってペガサス・キッドだった頃、一部のファン(私も含む)は正体がベノワだと知ってました。
その後、試合に負けた方が覆面を脱いで正体を明かす試合形式でライガーに敗れたペガサス・キッドは、覆面を脱いだことで「公式に」クリス・ベノワだったことをカミングアウトします。
しかしリングネームはクリス・ベノワに戻さず、「ワイルド・ペガサス」という名前に変えて素顔のまま闘い続ける道を選択。
ワイルド・ペガサスとしても大活躍したベノワは、長期間にわたって新日本プロレスのジュニアヘビー級をけん引。小柄な体ながらパワーとスピードで全力ファイトを信条とし、正統派のファイトで多くのファンに支持されました。
今から書くのはとても個人的な思い出。私は過去に街で偶然、彼と会ったことがあるのです。
練習生だった「ベノイ」でもなく、素顔になった「ワイルド・ペガサス」でもなく、私が会ったのは彼が覆面をかぶっていた「ペガサス・キッド」の頃でした。
JR小倉駅前でゴツい体格の外国人に声をかけられた
1990年代の某日。当時私は大学生でした。
その日、大学の友人たちとJR小倉駅の近くで飲み会。さらに駅の北口にあるカラオケ屋で二次会。
JR小倉駅は現在こそ都市開発が進んで大都会のような外観を見せてくれていますが、私が大学生だった頃の駅北口は都市開発が全然進んでおらず、ほとんど何もない状態。
二次会のカラオケが終わり、友人たちと別れ、私は帰宅するため一人でJR小倉駅・北口を歩いていました。時刻は夜の11時過ぎだったように思います。
すると前方から外国人が2名、こっちに向かって歩いてくるのが見えました。
一人は長身で、もう一人はそれほど大きくない。しかし二人とも横幅はガッシリ。
私とは比較にならない筋肉質のたくましさ。Tシャツから出てる腕もパンパンに太い。誰が見てもタダモノじゃない。
2005Mar-AustinTypeTour-033 – Hyde Park Gym Muscle / mrflip
二人ともラフな服装で、ベースボール・キャップのような帽子をかぶってました。
その外国人二人組とすれ違おうとした、まさにその時、長身の男性が
「スイマセン、イイデスカ?」
と私に声をかけてきました。「たどたどしい」感じでもなく、普通の日本語で。
釣られて私も「はい?」と普通の日本語で返答。
日本語ペラペラなのかと思ったらそういう訳でもなく、でもカタコトという訳でもなく、ひとまず分かりやすい日本語を喋ってくれる背の高い方の男性が言うには、
「この近くに、食事が出来て酒も飲める店はないですか?」
とのこと。
前述の通り、JR小倉駅の北口には当時、食事の出来る店も居酒屋も全然ない。少しはあったのかもしれないけれど、娯楽施設が何もないから来る機会も滅多にない。だから北口のことを全然知らない。
駅の反対側、JR小倉駅の南口は昔も今も繁華街。そっちに行けば幾つでも居酒屋なりスナックなりあるはず。ただ、夜の11時を過ぎてて日付も変わるぞって時間帯。開いてる店はあるのだろうか。
ひとまず僕も今から南口に行くとこだったし、良かったら一緒に行きましょうか? と長身の男性に日本語で説明。
「おお~、サンキュー!」と満面の笑顔で握手してくる長身男性。やたらニコヤカでフレンドリー。
対照的に、小柄な男性は一言もしゃべらない。
あ、小柄と言っても、私より少し低いくらいでしたから、チビっこい訳じゃないですよ。(私は183cm、彼は公称175cm)
ということで、私は外国人二人と一緒にJR小倉駅の北口から南口へと徒歩移動を開始したのです。
なぜオレを知ってる?
長身男性はそれなりに日本語が通じたので、最初は歩きながら日本語で雑談してました。「北九州は初めてなんですか?」とか「ホテルは近くにあるんですか?」とか「日本酒は好きですか?」とか、そういう当たり障りのない普通の会話。
その間も、小柄な男性は全く喋らない。私と長身男性は横に並んで歩いてたのですが、小柄な彼は我々より数歩後ろを沈黙しながらついてくるのみ。
数分ほど喋っていて、何かが頭に引っ掛かるんですよ。話していて少し違和感がある。その違和感が何なのか、最初は自分でも判らなかった。
やがて、違和感の正体が少しずつ判ってきました。
この二人、どこかで見たことあるぞ……
初対面のはずなのに、ナゼだ???
突然ピンときて違和感の正体が分かり、長身男性にダイレクトに質問してみました。
あの、もしかして、プロレスラーの方ですか?
長身男性、一瞬だけ驚いた表情を見せたのですが、「オーウ! キミ、プロレス好き?」と逆質問。
はい、大好きなんですよ、と私。
「ボクのこと知ってる?」と長身男性。
はい、たぶん知ってます。●●●さんですよね?
本名なんて知りませんから、リングネームを答えました。
「キミ、くわしいな」と長身男性。正解だったのか違ってたのかは結局教えてくれなかったけど、おそらく間違ってなかったような雰囲気でした。
長身男性、確かプロレスラーになる前は日本の相撲部屋にいた元力士さんだったはず。日本語が上手なのはそれで納得。
私が答えた「●●●」というレスラーは、いわゆる「ペイント・レスラー」と言って、覆面(マスク)をかぶるのではなく、顔に絵を描いたり色を塗ったりしてたんです。
当然、私と一緒に歩いてる時はペイントなんかしてなくて素顔でしたが、なんとなく想像はつきました。
「じゃあ、明日は来るの?」と長身男性。
え? 何? 試合が明日あるの?
その翌日、彼等は北九州市(JR小倉駅の近く)で新日本プロレスの試合があったのです。帰宅してから週刊プロレスの試合予定表を見たら確かにそう書いてました。全然知らなかった。
でも「試合あるの知らない」と言って殴られたらイヤなので(長身男性は悪役レスラーだったのです)、「はい、明日見にいきますよ」とウソつきました。
その会話の間も小柄な男性は無言。表情は、別に怒ってる訳でも不機嫌そうな訳でもなさそうなんだけど、なんかコワイ。オーラ出してるというか。
長身の悪役レスラーはリング上では怖いのだけど、私と話してる彼はヤケにフレンドリーで表情もニコニコ。一方、小柄な男性は無言、無表情、そして強烈な威圧感。
長身男性がプロレスラーだという正体を明かしてくれたことによって、ずっと無言だった彼の顔も想像がつきました。雑誌で数回見た程度だったけど顔はなんとなく覚えてたんです。
なので、少々怖いなと思いつつ、意を決して私のほうから小柄な彼に話を振ってみたのです。
クリス・ベノイさんですよね?
その瞬間、それまで無表情だった彼が突然「え!!」って仰天した表情になり、
「なぜオレを知ってる?」
と英語で言いました。おもいっきり素で驚きつつ正体バラしちゃった。
その彼こそが、クリス・ベノワ(当時のメディア表記ではクリス・ベノイ)でした。
なぜそこまでビックリしたのかの理由は簡単でした。だって彼、当時は覆面レスラーでしたからね。覆面レスラーがマスクを脱いで素顔で街を歩いてても普通の人なら「体格のよい外国人」としか思わないし、プロレスファンでも覆面レスラーの中身は知らないじゃないですか。普通はね。
だからベノイさん、自分の素顔は知られてないと思って街を歩いてたんだと思うけど、北九州の街でお腹をすかせて歩いてたら一般人から正体を突き止められたんだから、そりゃビックリするよね、と。
「なぜ俺がペガサス・キッドだと知ってる?」と再びベノイさんが私に英語で質問。目をまん丸にして、驚いた表情で。
英語ペラペラじゃないけど多少は話せたので、単語を探しながら私も英語で回答しました。
「昔、雑誌で素顔時代のアナタの記事を読んだことがある」
「新日本プロレスに所属していた時期ありましたよね」
「ペガサス・キッドがベノイさんだということも以前から知ってた」
「プロレスの大ファンならペガサス・キッドの正体を知ってる人は多いと思う」
ベノイさん、数秒ほど無言で考え込んだあと、ウンウンと頷いてから「OK」と言って、そこで初めて私に笑いかけてくれました。何かの呪いが解けたかのような晴れやかな笑顔。
長身男性、ニヤニヤ笑いながら、「今日のことヒミツね。ヒミツだよ」と私に言って、人差し指を口に当てました。もちろん、と私。(数十年後、ここで話しちゃいましたけどね)
そこからベノイさんも会話に加わってくれるようになりました。少しでしたけどね。基本的に無口な人だったのかな。人見知りなのか。
練習生として日本で少し生活してたから、たぶん私が話してた日本語も少しは理解していたはずなんですけどね。実際、最初は私の日本語に反応してたし。でもベノイさんは終始、英語で話してました。
もうずいぶん昔の話なので、さすがに全ての会話の詳細までは覚えてませんが、ベノイさんは「日本のファンが好きだ」と言ってました。「痛い思いや心が負けそうになっても、声援を聞くと興奮するしパワーをもらえる」みたいなことも。
JR小倉駅の南口に行き、営業中の飲食店がないかを探索。数軒目の居酒屋で「外国人2名、一人は日本語を話せます、営業時間とか大丈夫ですか?」と私が確認したらOKが出たので、そこで二人とはお別れしました。
長身男性に「キミも一緒においで」と言ってもらったのですが、断っちゃった。当時から完全下戸でお酒飲めないし、酔っ払ったプロレスラーに首でも絞められたらシャレにならんし、彼等と会う前に飲み会とカラオケで体力消耗して疲れてたし、夜も遅かったし翌日も用事があったし。
でも今にして思えば、行っておけば良かった。いろんな話が聞けただろうに。すごくもったいないことをした。
楽しかったです、と二人にお礼を言って別れました。その際、ベノイさんに「ペガサス・キッドが大好きです。新日本プロレスのジュニアヘビー級も大好きです」と英語で伝えました。
ベノイさん、ニカッと笑って「サンキュー」と言い、握手してくれました。背は私より低いのに手は私よりデカかった。
長身男性とも握手しましたが、めちゃくちゃ痛かった。素人なんだから加減しろよ。「おーごめんごめん」と笑った長身男性に「大丈夫です」と苦笑しつつ、心の中では「明日猪木に延髄斬りで蹴られてしまえ」と思った私。
とても残念な最期
日本のジュニアヘビー級を席巻したベノワは、主戦場をアメリカに移し、ECW→WCW→WWEとキャリアをステップアップし、アメリカのメジャー団体で活躍するようになります。
日本時代から共にしのぎを削ってた盟友エディ・ゲレロと共に各団体を渡り歩き、中量級の体型にもかかわらずスーパーヘビー級のレスラー達に挑んでいきました。
2004年に開催されたWWEの最大イベント「レッスルマニア20」において、ベノワは遂に世界王座を獲得し、WWEの頂点に立ったのです。
同じ日に別のヘビー級王座を防衛した盟友エディとリング上で泣きながら抱き合う姿が感動的でした。
そのエディは2005年、試合翌日にホテルの一室で急死。
直後に急きょエディ追悼の特別番組がアメリカで放送され、日本は本来ならアメリカから1週間遅れで日本語字幕付き放送があるのですが、その追悼番組は字幕なしで緊急放送となりました。
多くのレスラーがエディとの思い出を語る中、新日本プロレス時代から常に行動を共にしてきたベノワはスピーチの最初から号泣。
さらに放送のラストでは当時チャンピオンだったトリプルHとベノワがノンタイトル戦としてシングルで戦い、ベノワが勝利。
試合後、泣いてしまうベノワを(本来悪役である)トリプルHがリング上で抱擁して共に泣くというシーンもあり、見ていた私も涙が止まりませんでした。
ベノワ自身も2007年に急死。その最期があまりにもセンセーショナルなため、今も死因などの状況に関して様々に論じられています。
死に至るまでのあれこれは、ここでは書きたくありません。興味のある方はウィキペディアに概要が解説されていますので、そちらをお読みください。
ウィキペディアの解説とは違う意見を唱えてる人もいる、というのを頭に置いて読んで下さい。
その死を問題視したWWEは、ベノワの世界王座獲得を含むすべての戦績情報を抹消。しかし最近になってベノワの戦績(タイトル歴代王者など)が公式サイトに復活したようです。
ダイビングヘッドを放つ直前の「首を掻っ切るポーズ」、あれは彼が日本で会得した闘争本能を放出する魂の儀式でした。
私の後ろを歩いていたときの威圧感、そして優しくニコッと笑いながら握手してくれた感触。ベノイさんとの偶然の遭遇はいつまでも忘れません。