初めての挫折
3月6日、月曜日。
国公立大学・前期日程の合格発表日。
午前10時、合格者の番号が大学構内に掲示されるその15分前に、私が運転する車は大学に到着した。助手席から降りた長男は緊張の面持ちで深呼吸をする。
長男の受験番号を教えてもらい、メモする。一緒に見に行くか? と訊くと「一人で見に行きたい」と長男。もし僕が受験番号の掲示板をスマホで撮影し始めたら、番号があったと思っていいよ。
大学関係者が大きな板を抱えて登場し、広場の一角に設置する。その前に受験生や保護者たちが一斉に群がった。長男は掲示板のほうに行き、私はその場から動かず長男の行方を目で追う。
群衆の中から「あった!」「受かった!」「やったー!」という喜びの声が拡がり始める。歓喜の声はボリュームが次第に大きくなり、雄叫びをあげる男の子もいれば、黄色い悲鳴をあげる女の子もいる。
長男を見失ってしまった。どこにいるのか分からない。掲示板に近付き、長男の番号を探す。3回確認したが、長男の番号は載っていなかった。
無念の気持ちを押し殺し、長男を探す。掲示板に押し寄せていく人の波と逆行しながら長男が群衆の中から出てきた。
「ウソやろ…」
長男は小さく呟いた。顔面は紅潮し、目は泳ぎ潤んでいた。私立の不合格を知った時よりも更に動揺している。
合格発表の掲示板付近が騒がしくなってきた。近くで待機していた運動サークルの在校生たちが、合格したと思われる受験生たちに次々と声をかけている。
「バンザーイ!」「おめでとうー!」
十数人の在校生が初対面の知らない受験生のために大声で叫ぶ。合格した本人は恥ずかしそうにしながらも嬉しそう。別の場所では違う運動サークルの面々による合格者の胴上げも始まる。
お祭り騒ぎの群衆から逃げるように一部の受験生と保護者が足早に遠ざかっていく。
さっきまで現実を受け入れられず顔を紅潮させていた長男は、喜びを爆発させ始めた一部の合格者と無関係で無神経な在校生の集団に一瞬だけ目をやり、すぐに視線を落とした。「つらい」と言った長男は顔面蒼白になっていた。
帰ろう、と長男に告げ、駐車場に向かって歩き始めた。切り替えよう。まだ後期日程が残ってる。後期試験まであと1週間。この大学とは縁がなかったんだよ。もう過去だ、忘れよう。切り替えるしかない。
「うん、そうだよね」「うん、頑張る」と長男は同意こそするが表情に生気が無い。まだ呆然としている。我々のすぐ後ろを別の学生と保護者がついてくる。彼等もまた縁がなかったのだろう。
駐車場に到着。数百メートルほど離れた一角から歓喜の絶叫がどんどん音量を上げてこちらまで響いてくる。
奴らは不合格だった受験生の気持ちを察することが出来ないのか。激しい怒りが込み上げる。あの喧噪に引き返して誰かを殴ってやりたい衝動に駆られるが、親である自分が冷静さを失ってる場合ではない。所詮は負け犬の遠吠え。私自身こそ切り替えなければ。
車に乗り込み駐車場を出る。横から合流してきた1台の車。父親らしき男性が運転している。助手席には受験生らしき女の子。肩を震わせながら号泣している。
3年前、3つの高校を受験した長男は全て合格した。私立大学の合格発表をネットで確認し、一瞬で自分の不合格を知ってしまった長男と私は、どちらからともなく「国公立の合格発表は現地で見よう」と言った。今までのジンクスに賭けたのだが、残念ながら不合格。長男にとって初めての挫折。
ポジティブなイメージ
自宅に向かって車を走らせながらいろんな話題を長男に振る。不合格を確認した直後のような動揺した表情は消えたものの、それでもまだ現実を受け止められない様子の長男。
今から後期日程の大学を見に行こう。突然思い付いて長男に告げた。
前期日程の大学はダメだった。それはもう仕方ない。でもまだお前の受験は終わってない。1週間後には後期日程の入試。その大学を見に行こう。
カーナビに目的地をセットして進路変更。長男が後期日程で受験することを知るまで名前を聞いたことがなかった大学。私も長男も大学の詳しい所在地を知らなかった。
1時間少々車を走らせ、大学に到着。想像していたよりも綺麗で広いキャンパス。二人で校内を散策しながら長男に告げる。春からここでお前は大学生活を開始する。そんな自分の姿を想像しながら歩こう。ここで大学生になるぞっていうポジティブなイメージを植え付けよう。
キャンパスから出て大学周辺も少しだけ散策。その途中、見覚えのある景色を見て気付いた。この道を以前に俺はウォーキング大会で歩いたことがある。最寄り駅も何度か来たことがある。全然縁がない街だと思ってたけど、そういうわけでもなさそうだぞ。
長男のLINEにメッセージが届いたらしい。中学時代に仲の良かった級友が前期日程で大学に合格したとの連絡。どこの大学? と訊く私に長男、「ここだって」と目の前の大学を指差す。
この大学に縁があるのかもしれんな。そう告げた私に長男は笑顔で返す。「そうかもね。そんな気がしてきた」
自宅に帰り、二人で長男の部屋の掃除を開始。半ばゴミ屋敷のように雑然としていた部屋から不要なものを捨て、漫画や小説など集中力を削ぐ誘惑を一時的に部屋から排除し、受験勉強に集中できる環境を作らせた。
本命大学の不合格を知った直後に勉強しても身にはならないだろう。掃除で気も紛れるだろうし部屋も綺麗になる、という思惑もあった。
抑えられず激怒
3月7日、火曜日。
午前中、長男は綺麗になった自分の部屋で二次試験の受験科目である小論文の勉強。一度だけ様子を見に行ったら、前日の不合格ショックからは随分立ち直っているように見えた。
午後1時、昼食のため長男が1階に下りてくる。ふと気になって訊いてみた。小論文の受験対策としてどういうことを今やってるの?
長男の返答に愕然とした。詳しくは書けないが、「そんな勉強方法では何の意味もないし、受験対策にすらなってない」という内容の作業をしていた。不正とかではない。二次試験と全く関係ない、方向性の違う作業。
他の大学なら、あるいは他の受験科目ならそれで良いかもしれない。しかし、お前はどこの大学を受けるんだ。そのために何をしなければならないのだ。そんなことすらも気付けないのか。
他にもいろいろ確認したところ、塾の先生や高校の先生に「小論文対策」として準備期間に徹底すべきこと、鍛えるべき点として指導されていた内容をセンター試験終了以降に何一つ実践していなかったことも発覚。
怒りの感情が抑えられなくなり、長男を怒鳴りまくってしまった。後期日程の入試まであと6日。今ここで精神的に追い詰めたり動揺させたりすべきでないことは分かっている。しかしどうしても言わずにはいられなかった。
頭を冷やすため1時間ほど外出し、帰宅してからまず長男に謝った。いろいろ言い過ぎて悪かった。しかし俺の言いたいことも頼むから分かってくれ。
3年前、高校受験の時に英語の成績を上げるため私が長男に1ヶ月ほど指導をしたことがあった。しかし大学受験は高校の時とは難易度も違うし、ひとまず塾の先生も学校の先生も二次試験対策の指導をしてくれている。
彼等はひとまず「プロ」だ。アマチュアの私が下手に口出しするよりも、プロである先生方の指導に任せよう。私自身は勉強内容に直接触れず余計な口出しもせず、他の生活面などにおいてサポートするよう努めてきた。
しかし長男の受験対策があまりにも非現実的であることを知り、そもそも塾や学校の先生はどういう指導をしてきたんだという疑問、なぜ軌道修正をしてくれなかったのかという不信感が頭の中を完全に支配し、冷静さを失った。
もちろん気付かなかった超楽観的な長男も悪い。しかしもっと早い時期に誰かが気付いてあげてくれてれば、あるいは前期日程も違う結果になっていたのではないか。
いや、「たられば」をこの時期に言っても仕方ない。そんな時間の余裕も無い。だから決めた。今までは意図的にノータッチだったけれども、私が受験対策に口出しをすることにした。
小論文は大学時代から得意だったし、ある程度なら分かる。指導経験は全くないが、どう書けば点数を稼げるか、どんな書き方だと評価が下がるかという基本的なことなら分かる。
長男が数日前に書いた小論文の過去問題を読み、気になる箇所を全て指摘し、こういう風に書くべきだというテクニカルな内容を徹底的に教え、書き直させた。
ただ、私はプロじゃない。指導内容が本当に正しいのかどうかの確固たる自信もない。だから「プロ」の人に見てもらえ。そしてプロならどう採点するかを全て聞いて記録してこい。そしてその内容を俺にも教えてくれ。そう長男に伝えた。
指導方針の決定
3月8日、水曜日。
長男は午前に高校へ。小論文を指導してくれる先生に前夜書き直した練習問題の小論文をチェックしてもらう。そして午後からは塾に行き、同じく小論文担当の先生に同じものをチェックしてもらう。二人の先生がどういう採点をするか。
夕方に長男が帰宅。結果を教えてもらう。
まず高校の先生。書き直した小論文を見て「この内容なら合格できる」と言ってくれたらしい。採点した結果や、改善すべき点、点数を稼ぐための「高校の先生が考える」テクニックなど、聞き取った内容を長男に説明させる。
高校の先生の指導内容などは、私が考えていた内容とほぼ合致していたので安心した。私自身が見当違いな指導をしていなかった確認もできたし、長男に対して今後どういう指導をしていけばいいかの方向性も固まった。
続いて塾の先生。忙しそうで小論文のチェックをする時間の余裕がなく、「今夜時間のあるときに読んで採点しておく」と言われたので答案のコピーを渡したとのこと。
他にも受験生が多いだろうからお前だけに時間を割けないもんな、と訊く私に長男が答える。「いや、どっちかというと新年度に入校する生徒の面談で忙しいみたい」
なんだそりゃ。本末転倒も甚だしいな。ひとまず明日どういう採点をしてくれるかで判断しよう。
入試まであと4日。受験勉強できる日は3日しかない。1つでも多くの過去問題をこなし、書きまくるしかない。今まで長男がこなしていた問題数の倍にあたる量をノルマとして課した。これをこなさないと間に合わない。キツいと思うが頑張れ。
受験指導を最優先
3月9日、木曜日。
前夜に長男が書いた小論文をチェック。採点してから長男を呼び、良かった点・悪かった点・改善したほうがいい点などを徹底的に指導。時間の余裕がないため私自身に焦りもあったせいか、長男の理解度が浅いと感じた箇所についてはしつこいくらい繰り返して解説をするので時間が掛かる。
1つの練習問題につき2時間ほど掛かってしまい、喋り過ぎてノドが嗄れる。風邪の時に愛用しているノドスプレーを何度も使用。
1つの問題を書き、私の採点と解説が終わると長男はすぐ次の練習問題に着手。二次試験当日と同じ時間をタイマーで計測させ、自分の執筆ペースと制限時間を比較してどのくらい余裕があるのか無いのかを把握させ、極力早めに書き上げて内容を読み直してチェックすることを徹底させる。
長男が小論文を書いている間に自分の仕事をこなす。しかし「さっきの小論文、あそこも修正させたほうがいいな」「あの書き方よりも良い表現方法があるな」など、意識が長男への指導にばかり行ってしまい、まったく仕事に集中できない。
午前中に高校へ行き、先生に小論文を採点してもらった長男が帰宅。採点結果や指導内容を確認し、先生の考え方に私自身の考えをミックスして次の練習問題を書かせる。
午後から長男は塾へ。しかしすぐ帰宅。あまりに早い帰宅だったので驚く。塾の先生、また忙しかったのか?
頷く長男。前夜に渡した小論文のコピーは採点どころか読んですらもらえていないらしい。「新しく書いた小論文よりも、高校の先生に採点してもらった小論文を持ってきて欲しいと言われた」
なぜ?
「高校の先生がいろいろ指導してくれたと思うけど、それとは違う観点・視点で私ならどう感じるかを教えるって」
なるほど。今日も新年度の入校面談してたか?
「うん、忙しそうだった」
塾の先生はそれで気が済むのかもしれないが、採点してもらったものを再び採点してもらう時間の余裕などお前と俺には全くない。であれば塾に行くだけ無駄。その時間が惜しいからもう塾は行かなくていい。塾に行って帰る時間があれば小論文を半分くらい書けるだろう。採点は俺がする。
翌日の金曜も、そして入試前日の土曜も、長男はひたすら小論文の過去問題を書き、私が採点して改善点を指導するという繰り返し。朝から晩まで受験対策。仕事は全く進められなかったので、取引先にお詫びを言って納期を1週間延期してもらった。
フリーランスになってなければ、付きっきりで長男に受験指導をすることも、仕事の調整をすることも不可能だっただろう。そういう意味ではラッキーだったと思う。
しかし受験指導の日々は肉体的にも精神的にも相当キツかった。長男のほうがキツかったろうけれど、私も指導する立場として相当なプレッシャーがあったし、自分の言ってる内容が正しいのか、長男の糧になってるのかが不安でたまらなかった。さらには、もう若くないので深夜まで受験勉強に付き合うことで睡眠時間を削られてしまうのは正直堪えた。
ただ、「あの時長男にもっと教えてあげていれば」と後悔することが何よりも怖かった。長男も必死だったから私も必死だった。
笑顔と自信
3月12日、日曜日。
国公立大学・後期日程の二次試験当日。
長男、私、そして嫁の三人で大学の駐車場に到着。初めて大学を見た嫁は「想像以上にステキ!」と大学の敷地を歩きながらテンション高め。「ここで大学生活を送りたいね。大丈夫、大丈夫!」と長男を激励。
試験会場前で長男と握手。自信を持て。火曜日からずっと対策をしてきて、昨日の最後に書いた小論文の内容は格段に良くなってた。注意点を忘れずに。自信過剰にならない程度に自信持って書いてこい。時間配分にも気を付けろよ。
母親とも握手した長男、「じゃあ行ってくる」と笑顔で建物に入っていった。
私と嫁は大学の敷地を出て付近を散策。最寄りの駅まで歩き、時間を計る。約10分だから電車通学でも大丈夫だな、などと語り合う。
近くに大きな神社があったので合格祈願。前期日程の試験後、仕事の帰り道やウォーキング大会の途中、目に入った神社は全て立ち寄って合格を祈願した。にも関わらず不合格だったことで「やっぱり神頼みではダメかな」とも思ったが、それでも神社を見ると祈願せずにはいられない。
神仏に助力を頼むというよりは、祈ることで自分自身の不安を払いのけたいのかもしれない。参拝するとき、自身の祈りの先にあるのは神仏のみならず自分を映す鏡でもある、と最近とある知人に言われた。長男のパワーを信じるしかない。
大学に戻り、開放されていた食堂で嫁と共に待機。試験が終わるまで仕事をしようと思いMacを持参したのだが、まっっったく仕事に集中できない。
「今頃どのくらいまで書けてるかな」「残り時間半分だけど字数埋まってるかな」「見直しの余裕はあるかな」そんなことばかり考える。俺は入試のタイムキーパーか。嫁も仕事道具を持ってきていたが同じく仕事にならなかった。
早々にMacを閉じ、嫁と二人で再びキャンパス内を散策。私は長男がここで大学生活を送っている姿を想像して脳裏に焼き付け、嫁は何度も立ち止まって試験会場を眺め、手を合わせて「頑張れ、頑張れ」と祈り、我が子に念を送り続けた。
試験時間終了。会場から受験生が出てくる。男の子も女の子も、誰もが安堵した表情をしている。ひとまずこれで受験は全て終了したという解放感が見て取れる。
長男の姿が見えた。皆と同じく安堵の表情でこちらに向かって歩いてくる。
私立大学を受験した時、「けっこう出来た気がするけど、でも難しかった」と長男は言った。国公立の前期日程を受験した時は「最後の問題だけ全然解けなかった、そこが引っかかる、でも後は出来た気がする」と言った。今回は何と言うだろう。
どうだった? と訊く私に長男は笑顔で答えた。「うん、たぶん合格したと思う」
おお、そっか。自信あるのか。
「うん、自信ある」
今回は今までの受験で最も倍率が高いし、長男が嘘偽りなく合格の確信を持てるほど小論文の出来映えが良かったのか、それとも私と嫁を安心させたかったのかは正直分からない。
でも、そこまで自信を持てたのなら俺もお母さんもお前を信じる。明日からゆっくり休んで、今まで我慢してきた分いっぱい遊んできな。よくやったな、頑張ったな。お疲れさま。
このブログエントリーを書いている時点で、まだ後期日程の合格発表は行われていない。
長男の受験戦争はひとまず終わった。クラスメートの後期二次試験が終わるのを待ってくれていた級友たちと共に、入試の翌日に長男は卒業記念の焼肉パーティーに参加してきた。3月は友人たちとの予定がどんどん埋まっているらしい。
去年の夏に部活動を引退して以降、半年以上も受験勉強に明け暮れていた長男。二次試験の勉強方法を間違えていることに気付くのが遅れ、指導時間が5日間しかなかったのは悔やまれるが、長男の底力を信じるしかない。
焼肉パーティーに参加するため嬉しそうに玄関を出ていく長男を見送ったあと、郵便受けに入っていた不躾な予備校からの入学案内ダイレクトメールをビリビリに破り捨ててから私は部屋に戻った。
長男が大いに羽を伸ばし始めた一方、私は通常業務に戻らねばならないのだが、小論文に集中し過ぎたせいで仕事の勘が戻らない。どうしたもんだろうか。