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愛する子供の頬を叩く時、貴方の心は泣いてますか?

2013年1月14日

親が誇れる、優しい心を持つ人間に育ってくれている

29/06/08 by Chris_Parfitt

29/06/08 by Chris_Parfitt

14年前に長男が生まれたことで、私自身も「親」としての修行が始まった。父親歴、14年。

中学生になった長男は、いろんな人から「思いやりがある」「優しい」「人の気持ちが分かる」と誉めて頂ける、心の優しい人間に育ってくれている。親として本当に嬉しい。

しかし、小さい頃からずっと自慢の子供という訳ではなかった。特に幼稚園の年長から小学生の低学年にかけては、むしろ問題児。

友達の家に遊びに行った際にトラブルを起こし、何度も謝りに行った。学校でもすぐ同級生に暴力をふるって泣かせ、担任教師と私で何度も面談し、どうすればいいかを話し合ったことも数知れず。

子供に対し、ただ自分の感情を叩きつけるだけの「怒る」ではなく、子供にも分かる言葉で諭し理解させるよう努める「叱る」。

「怒る」ではなく「叱る」のが重要だというのは分かっている。それでも感情のコントロールが効かず、つい「怒って」しまうことがとても多かった。

最近は長男も長女も大きくなったので、何が悪いかを諭し、子供の意見も聞いて話し合うということが出来てきてるのでまだいいのだが、子供が小さかった頃は私が怒鳴るばかりで、最後は子供が号泣しながら私に謝って終了、という展開ばかりだった。

それが効果的でないことを自分でも分かってた。恐怖心で躾けても、自分の判断で動くのではなく、親の顔色を見ながら行動するようになってしまう。それでは何の意味もない。

でも、私自身がまだ精神的に不安定かつ幼稚で、腹立たしい気持ちをストレートに子供たちにぶつけてしまうことが多かった。

寝室で寝てる子供たちに「ごめんな」と何度も謝ったし、嫁に対して「なんで俺っていつもこうなんやろう」と想いを吐露したこともあった。

殴った後には罪悪感ばかりが大きくなった

短気で、すぐ感情を爆発させてしまう私だけど、子供を叱る際に暴力だけは使いたくない。それは長男が生まれる前から思っていたこと。

言葉による恫喝と同様に、暴力で叱り飛ばしても恐怖心による制御しか出来ない。その方針で子供たちを成人になるまで立派に成長させられるだけの精神的な度量がある人なら、それでもいいのかもしれない。

私にはそんな度量がない。だから暴力はふるわないようにしよう。

でも、たぶん小学生の頃に3回ほど、私は長男の頬を平手で殴ったことがある。おもいっきりではないが、それでも確かに殴った。

それまで何度も何度も、同じ問題に対して言葉で注意してきた。それでも一向に改善されない。同じトラブルを繰り返し起こし、それでもまだ反省している素振りがない。

どう言葉で説明すれば理解し納得してもらえるのか。どうすれば長男の悪癖は直るのか。私には分からなくなっていた。

話してる間も、長男に真剣さが感じられなかった。遂には私がキレて殴った。それで長男が泣いた訳ではなかったが、たぶん長男の心は傷ついたと思う。

殴った時は興奮し過ぎてることもあり何も考えてないが、説教が終わり長男が席を外し、私一人だけになると、次第に罪悪感が心を蝕み始める。

なぜ殴ったのか。なぜ殴らなければならなかったのか。殴る必要があったのか。

殴った翌日は、フォローの意味もあり、もう一度長男と二人で向き合って、冷静に話し合うようにしていた。昨日あれだけ怒ったのはこういう理由だったから。お前がここを直せないから。今日からまた気を付けて直していこう。

「昨日は叩いてごめんな」と謝るべきかどうかは、いつも悩んだが、結果的に一度も謝ったことはない。もちろん心では長男に対して謝っていた。しかしそれを長男本人に対して言葉にしてしまうと、そこでまた長男に甘えを生んでしまう気もした。

最後に長男を叩いたのは、彼が小学5年生の時で、場所は鳥取の実家だった。何に対して怒鳴り、ビンタしてしまったのかは覚えてない。

翌日の朝早く、長男と二人で実家のすぐ前にある海まで散歩をして、その時に長男と手を繋いだ。

彼も5年生でずいぶん身体も大きくなってたし、長男と手なんて長いこと繋いでなかったからお互いに恥ずかしくもあったけれど、手を繋ぎながらいろんな話をした。1時間ほど二人で散歩して、お互いの想いを告げ合うことが出来たのは良かったと思う。

勘三郎さんは心の中で泣いていたと思う

昨年末、大好きだった中村勘三郎さんが病気のため亡くなった。

彼がまだ勘九郎さんだった頃、幾つかドキュメント番組が放送されていて、それを見て私はファンになった。

彼には二人の男の子がいて、歌舞伎デビュー前後に猛稽古を積んでいる様子も番組で放送された。

お兄ちゃんの勘太郎(現在の6代目勘九郎)、弟の七之助、二人の前で優しい父親の表情を見せていた勘三郎さんも、稽古になると鬼の形相になる。

勘三郎さんが鏡の前で舞台準備をしている時、父の背後に小さな兄弟が立っていて、兄の勘太郎は大人しく待っていたが、弟の七之助が退屈だったのか、父の背後でピョンピョンとふざけて飛び回っていた。

たぶんあの時、七之助は3歳か4歳くらい。まだケジメというか切り替えをするには難しいお年頃。でも父の勘三郎さんはそれを許さなかった。

振り向きざま、七之助に向かって猛烈な勢いでビンタ。遠慮も手加減も一切ない激しい殴り方だった。

「お父さんが真剣に準備してるのに、なんだその態度は!」というような内容のことを、勘三郎さんは鬼の形相で七之助に向かって怒鳴った。

それほどの勢いで殴られたら、3歳か4歳の子供はその場で座り込んで、声を上げて泣くだろう。

でも七之助は「いたっ」と小声で呟き終わらないうちに、四つん這いで部屋の端まで必死に逃げた。確かその後、お母さんのところで泣いてた記憶があるが、父親の尋常ではない怒りが伝わったのだろう。泣くよりも前に逃げた。

その横で、兄の勘太郎は固まっていた。彼もまた、父の仕事に対する姿勢と、弟に対する怒りの意味を、幼い思考ながら理解したのだと思えた。

これが芸の道。たとえ幼い子供でも、親であると共に師匠であるからには、鬼にならねばならない。

当時、その映像を観た時に私はそう感じた。

昨年末、勘三郎さんが急死した際の追悼映像で、そのシーンが再びテレビで流れた。

思いっきり殴り怒鳴る勘三郎さん、そして這いながら逃げる七之助くん。

最初にその映像を見てから、もう何年が経ったのだろう。随分と年月が経ち、改めてその映像を観て、私は理解した。

勘三郎さんは七之助くんを殴りながら、きっと心の中で泣いただろう。息子に対して詫びただろう。すごくツラかったろう。それでも心を鬼にした。

私自身も親になり、子供が大きくなり、ようやく思いを共有できた気がした。涙が出た。

テレビカメラが回っていることは承知の上。それゆえ「ポーズだろう」と取る人がいるかもしれない。私はそう思わない。殴った後でメイクを再開する、鏡に写った勘三郎さんの表情を見て、私は涙が止まらなかった。

親なんだもん。可愛い子供なんだもん。まだ3歳か4歳、可愛くてたまらない頃なんだよ。そんな愛息に容赦のないビンタなんて私は絶対に出来ない。

勘三郎さんだって好きで殴った訳じゃない。殴って気持ちいい訳がないだろう。私が長男を殴った時は少なからず手加減した。勘三郎さんは手加減がなかった。

ビンタの勢いで厳しさの度合いを計る意図ではないが、おそらく私の何倍も何十倍も、勘三郎さんは心で泣いたんだと思う。

兄の勘太郎が自分の名を継いで勘九郎となった時、結婚した時、親子揃って連獅子を披露した後の笑顔。「歌舞伎の鬼」のスイッチをオフにした時に見せた勘三郎さんの父親としての優しい表情。

勘三郎さんが亡くなった翌日の会見で、人目もはばからず号泣していた七之助。

これが親子なんだと思う。

子供を育てると同時に親自身も成長しなければならない

ファミレスに行った際によく見かける光景。

若い母親が小さな子供に向かって、「そんな大声を出す必要ないだろ」ってくらいの怒鳴り声で注意をしてることがある。

「こぼすなやボケ!」
「自分の食べろや!」
「しゃーしい!(=やかましい、の意味)」

その都度、頭や顔をバシバシ殴る母親もいる。あまりにも安易に自分の子供を叩くその精神。子供に対する勘違いした威厳の誇示。周囲に対する虚栄心に満ちた威嚇。無様な光景。

携帯やスマホを食事中も操作を続け、子供の行動が気に障ると怒鳴りつけ殴る。周囲からどのように見られるかという意識は全く感じられない。最後に子供が泣き始めるとまた「うるさい!」と怒鳴る。

それがその家の教育方針というならば、口を挟むつもりはない。子供たちの心が傷付かず、立派な大人になってくれるよう祈る。

私自身、11歳の時に父親を軽蔑してしまう決定的な出来事があり、大学入学が決まって福岡に行くまでの約8年間、ほとんど会話を交わしていないという過去がある。反抗期というか、絶縁期。

それまでも育児に全く無関心な父親だったこともあり(=仕事が忙し過ぎたせいもある)、「自分が親になったら、自分の父親みたいには絶対になりたくない」と強く思ってた。

私と父親の間には、会話が絶望的に欠けていた。その反面教師的な思いもあり、私は子供たちと、とにかく会話をしようと思っている。

※ちなみに現在は父と和解してるし、会話も普通に交わしてますよ。

つい感情的になって怒ってしまった時も、なるべくフォローをするよう心掛けているし、改善された時や良いことをした時は、大げさなくらい誉めてあげるようにもしている。

大阪の高校で、バスケットボール部顧問の体罰が原因となり自殺した生徒の問題が連日報道されている。

これに関してあれこれ論じるつもりはないが、一つだけ思うのは、顧問が生徒の頬を殴る時、彼は心の中で泣いていたのか。詫びていたのか。生徒に対する信頼と愛情はあったのか。そこが気になる。

単にチームを強くしたい。自分の指導には絶対服従させる雰囲気を構築したい。気合いを入れたい。そういった「自分本位な都合」だけで生徒の頬を叩いていたのなら、議論以前の問題。

人間の心を恐怖心でコントロールすることは、ある程度までは出来るかもしれない。でも、別の側面に愛情や信頼の裏付けがなければ、殴られた側に何も救いは見出せないだろう。

私自身、まだまだ人間として未熟。だからこそ、我が思いを正確に伝え、また相手の思いを正確に掴み取るためにこそ、感情的ではなく冷静で幅広い許容性を持った心で会話をする

その点だけは留意しながら、子供たちを立派な大人に育てていきたいし、自分自身もまだまだ成長していきたいと考えている。

-雑記
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