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クロサキメイトと井筒屋黒崎店の閉店で「北九州の副都心」黒崎はどうなるのか

2020年3月28日

鳥取県全体の人口よりも多い北九州市

黒崎井筒屋、国道3号線
クロサキメイトと国道3号線(2020年2月撮影)

大学入学を機に鳥取県から福岡県に引っ越してきたのが1980年代の終盤。

当時の北九州市小倉北区を形容してみると、

  • 人口100万人を超える政令指定都市・北九州市の中で唯一、新幹線の駅がある街
  • JR小倉駅の北口は都市開発がまだ始まっておらず、店舗もカラオケ店くらいしかなかった
  • 小倉の市街地は路面電車が駆け巡り、小倉井筒屋の前は理不尽な一方通行になっていて、初心者ドライバーをいつも混乱させた
  • モノレールとJRは接続されておらず、双方の小倉駅は別々の場所にあり、乗り換えのため徒歩5分の移動を強いられた

という感じだった。

現在は人口100万人を切ってしまった北九州市だが、街はとても美しくなり、魅力あふれる住みよい都市になったと実感できている。

1980年代、人口が100万人を超えていた昔の北九州市は、確かに活気があった。しかし街並みは古かったし、治安もかなり悪かった。「住みよい都市」なんて1ミリも思わなかった。

それでも、鳥取県のド田舎から来た自分にとって、当時の北九州市は十分に衝撃的で感動的だった。何といっても人口100万人を超える大都会。1つの市の人口が鳥取県全体の人口よりも遙かに多いのだ。

※鳥取県の人口は約57万人。

かつて「北九州の副都心」と呼ばれていた街、黒崎

大学の友人たちはみんな、「おいらの街」という北九州市のタウン誌を購読しており、自分も定期的に読むようになった。バンドメンバー募集を何度か掲載してお世話になったし、北九州という街、そして街に漂う若者文化を知るには貴重な情報源だった。

その「おいらの街」を読み始めた頃、

北九州市、2大都市比較!

東の小倉 vs 西の黒崎

という特集が掲載されていたのを覚えている。その特集が黒崎という街を知る最初のキッカケだった。

北九州市に来たばかりの頃は小倉に住んでいて、北九州市に区が幾つあるのかさえ知らなかった。大都会・小倉に匹敵する都市が北九州市の西にもう1つあるのだという。

しかも、「黒崎」を中心とした八幡西区は小倉よりも更に人口が多い(これは現在も変わらない)。

いったい、北九州市には鳥取県が何個入ってしまうというのだ

初めて黒崎に足を運んだのは、その記事を読んでから1年ほど後だった。

小倉ほど建物の背は高くなかったが、駅前は賑わっていたし、駅前から南へと延びる2つの商店街も大混雑で、小倉駅前よりも人通りが多いように感じた。

めちゃくちゃ活気があるな!」というのが第一印象だった。さすが、北九州の副都心と言われるだけのことはある、と。

転機となった「そごう経営破綻」

大学を卒業して北九州を離れ、東京の企業に就職した。しかし北九州とは比較にならない「真の大都会」での労働と生活に疲弊し、すぐ北九州に舞い戻った。生まれ故郷の鳥取県は戻る選択肢になかった。

大学生時代は数回しか行ったことがなかった黒崎も、社会人となり北九州で再び生活するようになってからは頻繁に通った。

1990年代までは人も多く、活気を保っていたように思う黒崎。転機となったのは、やはり「そごうの経営破綻」だったと感じている。

北九州市には「小倉そごう」と「黒崎そごう」の2店舗が存在した。黒崎そごうに関しては良く知らないが、小倉そごうはグループの中でも経営的には比較的優秀な方だったと聞いている。

しかし2000年7月、そごうは倒産。小倉そごう、黒崎そごうの両店舗とも閉店した。

JR小倉駅前にドーンと建設され、華々しく開業した小倉そごう。開業当日の興奮は今でも覚えている。駅前も店内も、多くの人々が大型商業施設の誕生に興奮していた。北九州市の商業がますます発展していく、その狼煙がここで上がったのだ、市民のみんなはそう確信していたのではないだろうか。

だから、あの華麗なる小倉そごうが閉店するというニュースはものすごい衝撃だった。

小倉そごうの店舗はその後、小倉玉屋→小倉伊勢丹→コレットと「閉店しては生まれ変わる」という後継店舗の大混乱っぷり。11年間営業していた「コレット」も2019年2月に閉店した。

一方、「黒崎そごう」と「ジャスコ黒崎店」の2つで形成されていたJR黒崎駅前の商業エリアも、黒崎そごう閉店後は後継店舗がなかなか決まらず、さらにジャスコまでも撤退してしまい迷走。

井筒屋黒崎店
元は「黒崎そごう」だった井筒屋黒崎店

結局、別の場所にあった「井筒屋黒崎店」が駅前に移転するということで決着。そのまま現在に至っていた。

しかし、我々市民の知らないところで大きな動きがあった。今年になって報道され、皆が驚くこととなる。

井筒屋撤退によるクロサキメイトの経営破綻

クロサキメイト
クロサキメイト(2020年2月撮影)

2020年1月、クロサキメイトを運営する「メイト黒崎」が経営破綻し、2020年4月末でクロサキメイトを閉店すると発表。(注:その後2020年8月まで閉店時期を延長する旨、発表内容を修正)

「井筒屋黒崎店が閉店するかもしれない」というウワサは何度も耳にしていたが、そうではなかった。井筒屋を含む商業ビル、クロサキメイト全体が閉店するというニュース。これには驚いた。

そこまで黒崎の経済は悪化していたのだ、という事実を多くの人が実感した。鈍感だった人でもさすがに分かるくらい、今回のクロサキメイト閉店というニュースは危機感を持って捉えられている。

井筒屋黒崎店
井筒屋黒崎店

2020年1月にメイト黒崎が発表した「クロサキメイト閉店及び破産手続開始申立てのお知らせ」というリリースを読んだ(注:以前は公式サイトに掲載されていたが、現在は削除されている)。

クロサキメイトは井筒屋黒崎店からの度重なる賃料引き下げ要請に都度応じてきたが、2019年には遂に井筒屋側から「(黒崎店を)撤退したい」という申し出があったという。

井筒屋側から再度あった賃料引き下げの要求にクロサキメイトは応じられず、かといって後継テナントも見つからず、一部フロアが空床となって経営が悪化。そしてクロサキメイトは経営破綻となったという旨がプレスリリースに説明されていた。

メイト黒崎側の無念がにじみ出ている内容だった。

井筒屋黒崎店の店内
テナントが撤退し、ガランとした井筒屋黒崎店

メイト黒崎のリリースにもある通り、井筒屋黒崎店は既に一部フロアが営業を終了しており、空床となっている。

クロサキメイト

JR黒崎駅前のかなり広い一帯をカバーする商業施設だったクロサキメイト。「黒崎そごう」の閉店も衝撃だったが、クロサキメイトが消滅することも驚きでしかない。

北九州市に移住してから30年以上、黒崎駅前に当たり前のように存在した商業施設が遂に消滅してしまう。後継店舗も決まらず、このままどうなってしまうのか、誰にも分からない。

反比例するかのように発展するJR黒崎駅

JR黒崎駅
JR黒崎駅の新駅舎

駅周辺の商業施設が次々と消滅していく中、JR黒崎駅だけは反比例するかのように整備が続いた。

黒崎駅の駅舎は2016年に改築工事が完了した。改札口も「みどりの窓口」も旧駅舎とは違う場所に移転している。

黒崎駅前広場
ペデストリアンデッキ工事も完了した

黒崎駅前のペデストリアンデッキ工事も完了し、国道3号線から一段高い場所に駅前広場ができた。様々なイベントがペデストリアンデッキ上で開催されており、憩いの広場としても活用されている。

コムシティ
ペデストリアンデッキ西側

地上から1段高い場所にあるペデストリアンデッキへは、駅南側に階段だけでなくエスカレーターやエレベーターが設置されているので利便性は良い。しかし、駅舎のすぐ下にあたるタクシー乗り場との移動手段は現在も階段しか存在しない。

バリアフリーの観点からも、タクシー乗り場のエスカレーター設置は急務だと思うが、どうなってるのだろうか。

スターバックス黒崎駅店
スターバックス黒崎駅店

駅舎横、「魚民」があるビルの1階には「スターバックス黒崎駅店」が開業。2019年4月にオープンしている。

黒崎駅南北自由通路
以前よりもかなり広くなった黒崎駅南北自由通路

そのスタバの横から、線路をまたいで南北に延びる「黒崎駅南北自由通路」も2018年3月に開通。以前は駅舎近くに別の連絡路があったが、その古い連絡路は消え、新しい連絡路に切り替わっていた。

通勤&帰宅時間帯には線路の向こうにある安川電機の社員が多く通るのかもしれないが、平日昼間は閑散としている。

コムシティ
八幡西区役所が入居したコムシティ

JR黒崎駅の横にそびえる「コムシティ」。元は複合商業施設として建設され、井筒屋が黒崎そごう跡に移転したのと同じ2001年の秋に開業。

しかしテナントの入居トラブルや来訪客の少なさにより、コムシティは1年少々で経営破綻。「黒崎衰退の象徴的存在」などと揶揄されもした。

コムシティ、バスセンター
コムシティの1階部分はバスセンターになった

その後10年近く廃墟同然だったコムシティも、八幡西区役所や休日急患センターが移転したり、西鉄バスが1階部分にバスセンターを移設するなどして、現在は商業施設ではなく公共施設や生活利便施設として再生している。

黒崎駅周辺の風景も大きく変わった

ふれあい通り
ふれあい通り

JR黒崎駅から南に延びる通称「ふれあい通り」。ここの風景も数十年を経て様変わりした。

長崎屋黒崎店跡地
長崎屋黒崎店の跡地には立体駐車場が建っている

長崎屋 黒崎店」の跡地。2002年2月に閉店し、現在は立体駐車場となっている。

長崎屋黒崎店跡地

黒崎近郊に住む友人に以前聞いた話だが、2000年7月に「黒崎そごう」が閉店した時は、母体である「そごう」の経営破綻が閉店の直接的な原因であり、黒崎という街自体は悪くないという認識だったとのこと。

なので、黒崎が今後衰退するかもしれないという危機感は薄く、それほど深刻には考えていなかったらしい。

しかし、2001年1月に「トポス黒崎店」が閉店し、次いで2002年2月に「長崎屋黒崎店」が閉店したことで、「あれ? 黒崎の経済、ヤバいんじゃない?」と危機感を覚え始めたという。

長崎屋がここで営業していた頃、何度か店舗入口の前を歩いた記憶はある。道路を挟み向かい合わせの格好で「井筒屋」と「長崎屋」、2つのデパートがそびえていた。夏の暑い時期は店舗前を歩いていると冷房の涼しい空気が入口から漏れてきて、とても気持ちが良かった。

しかし長崎屋は一度も中に入ることがないまま、トポスに至っては存在を知ることもなく、両店舗とも閉店し、消滅した。

クエスト黒崎店跡地
井筒屋黒崎店、クエスト黒崎店の跡地

長崎屋黒崎店の正面には、JR黒崎駅前に移転する前の「井筒屋黒崎店(初代)」があった。

2000年7月に黒崎そごうが閉店した後、井筒屋黒崎店が後継店となって駅前に移転し、跡地には井筒屋の系列店である大型書店「ブックセンターQUEST(クエスト)黒崎店」が入居した。

「クエスト黒崎店」は北九州市西部エリアで最大の書店だったので、大変活用させてもらった。しかし、クエスト黒崎店は2014年に、井筒屋黒崎店(黒崎駅前)の中に移転

クエストが駅前に移転した後、ビルは取り壊され、一時的に平面の屋外駐車場と化していた。今回訪問したら、クエスト跡地に分譲マンションが建築中だった。これもビックリした。

駅前のコムシティに移転した旧・八幡西区役所の跡地にもマンションが建築されるようだし、黒崎はベッドタウンとしての存在意義を模索し始めているのかもしれない。

今回のクロサキメイト閉店により、当然ながらクエスト黒崎店も閉店する。八幡西区から大型書店は消えてしまう。いよいよ近隣の本好きな方々はネットでしか本を買えなくなるのかもしれない。

唐そば跡地
「唐そば」店舗跡は閉店後も残り続けている

その昔、黒崎エリアで最も有名だったラーメン店「唐そば」。北九州ラーメンとは少し違う珍しい味付けで、2〜3回食べに来たことがあった。

唐そばは1999年12月に閉店。20年以上経った現在も特徴的な黄色い店舗ビルは解体されることなく、黒崎の街に建ち続けている。

店長の息子さんが後を継ぎ、東京・渋谷駅近くに同じ「唐そば」という名前で出店したという。渋谷店には行ったことがない。

黒崎駅と繋がる2つの商店街も景色が一変

カムズ名店街
カムズ名店街

JR黒崎駅の駅前広場・ペデストリアンデッキからエスカレーターで地上に降りると、2つの商店街が延びている。そのうちの1つ、「カムズ名店街」。

30年ちょっと前、初めて黒崎に来た際に「活気ある!」と感じた話は上で述べたが、その中心地がまさにここ、カムズ名店街だった。

カムズ名店街

昔、この商店街は行き交う人であふれかえっていた。とにかく人の多さがスゴかった。よそ見をしていたら確実に前方から来る歩行者と衝突してしまう、そのくらい賑やかだった。

今では上の写真の通り。平日昼間ということもあるが、人影はまばら。シャッターを下ろした店舗も多い。音楽も流れず、そもそも音声すら響いていない。静寂に包まれている。

この商店街にあったCDショップが好きで、いつもここに買いに来ていた。その店舗はもう存在しない。いつ閉店してしまったんだろう。

表参道新天街
表参道新天街

カムズ名店街と並行して南に延びるもう1つの商店街、「表参道新天街」。

以前はアーケードがあったのだが、人通りの減少と空き店舗の増加、さらに老朽化もあり、2015年にアーケードは撤去された。現在は青空商店街となっている。

撤去された直後に表参道商店街を歩いていたら雨が降ってきた。頭部に水滴と濡れを感じ、おかしいなあと思って見上げたら存在したはずのアーケードが消えていた、ということがあった。

頭上を見上げ、いつもは当たり前のようにあったアーケードが突然消えていてビックリ仰天したのを思い出す。

表参道新天街
駅前ペデストリアンデッキから撮影した表参道新天街

以前は「黒崎駅前新天街」という名称だったと記憶しているのだが、現在の正式名称は「表参道新天街」らしい。アーケードが撤去された後で名称変更したのか、元々そういう名前だったのかは知らない。

黒崎駅前広場

クロサキメイトの閉店後、黒崎の経済はますます悪化する。井筒屋が撤退した後、後継テナントも現時点で決定しておらず、しばらくは空きビル状態となって黒崎駅前に姿を晒し続ける事となる。

商店街は廃れ、駅前の大型商業施設も壊滅し、そもそも人の往来が増えない。復活への起爆剤となりそうな要因も残念ながら見つけられない。

江戸時代に長崎街道の宿場町として栄え、現在もその遺構が残っているし、部分的ではあるが発展を続けているエリアもある。散策するのが楽しいエリアなのだ。自治体や各団体が黒崎の活性化実現のため必死で頭を捻ってらっしゃることも知っている。

これから黒崎はどうなっていくのだろう。

クロサキメイト跡地に何か進展があれば、こちらの記事に追記する形でお伝えしていく予定である。

ひとくちメモ


その後、井筒屋黒崎店及びクロサキメイトは2020年8月17日(月)に閉店となりました。

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