北九州市小倉北区の中央を流れる紫川。
この紫川には10個の個性的な橋が架けられており「紫川十橋」と呼ばれています。
紫川十橋のすべてを徒歩で巡ってきました。橋の形状や周辺の観光スポットも写真を撮影していますので、解説と合わせて紹介します。
紫川十橋とは
紫川の南北、約1.8kmの範囲内に架かる10個の橋
紫川十橋を構成する10個の橋は、全長約1.8kmの間に10個の橋が連続して架かっています。北端が海に近い国道199号線で、南端が小倉北区大手町のあたり。
紫川の小倉北区エリアには他にも橋がたくさん架かっていますが、上記1.8kmの範囲内に架かる10個の橋だけを総称して「紫川十橋」といいます。
ウォーキングに最適、春には桜の名所となる
紫川十橋が架かっているエリアは、河川敷に「紫川さくら通り」と名付けられた道路が整備されています。
10個すべての橋を巡るには片道で1.8km、徒歩でなら25分前後です。1つ1つの橋をゆっくり眺めて回っても1時間ちょっとくらい。
「紫川さくら通り」はウォーキングコースとして最適で、春には川沿いにたくさんの桜が咲くことでも有名です。
キッカケは紫川の整備事業
紫川十橋はずっと昔からあったものではなく、近年の整備計画によって誕生した橋や、以前からあったものをリニューアルした橋などで構成されています。
1987年(昭和62年)、旧建設省が「マイタウン・マイリバー整備事業」というものを発表しました。
事業内容としては、河川だけでなく道路・橋・公園などの都市基盤整備を一体的に計画・実施して、水辺を活かした街づくりを推進しよう、というものでした。
1988年(昭和63年)には紫川が「マイタウン・マイリバー整備河川」に指定され、1990年(平成2年)には「紫川マイタウン・マイリバー整備計画」が旧建設省から正式に認定されました。
ここから紫川十橋を構成する橋が次々と生まれてきたことになります。
平成19年度(2007年)、国土交通省による都市景観表彰の「美しいまちなみ賞」において、紫川十橋をはじめとする小倉北区の紫川エリアは「美しいまちなみ大賞」を受賞しました。
紫川十橋を構成する10の橋を紹介
それでは、紫川十橋を構成する10個の橋について紹介します。
それぞれの橋については、個別に別記事でたくさんの写真と一緒に詳しく解説をしています。
その1:紫川大橋(海の橋)
-
【紫川十橋】紫川大橋(海の橋):北端の河口に架かる交通量の多い橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では紫川大橋(海の橋)について解説します。紫川十橋の中で最北端に位置し、小倉駅や都市高速インターチェンジに近く、北九州市門司区と小倉北区、そして戸畑区を繋ぐ国道199号線に含まれる橋です。
紫川大橋の愛称は「海の橋」。その名のとおり、響灘(日本海)がすぐ前にある紫川北端の河口に架けられ、1993年(平成5年)4月に完成しました。
橋自体がJR小倉駅と北九州都市高速のインターチェンジを繋ぐ国道199号線に含まれており、紫川十橋の中では車両の通行量がいちばん多いです。
すぐ近くには山陽新幹線の高架や、JR鹿児島本線の鉄橋も並走しています。
紫川大橋は、平成6年度の「手作り郷土賞」を受賞しました。
その2:室町大橋(火の橋)
-
【紫川十橋】室町大橋(火の橋):鵜飼いの漁り火オブジェが燃える橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では室町大橋(火の橋)について解説します。かつて鵜飼い漁がおこなわれていたことから、漁に使う漁り火をモチーフとした炎のオブジェが橋の欄干に設置され、夜になると火が灯されるというユニークな特徴を持っています。
室町大橋の愛称は「火の橋」。1991年(平成3年)4月に完成しました。
鵜飼いの漁り火をモチーフとしたオブジェが橋の歩道脇に複数設置されており、「火の橋」というネーミングの由来となっています。
その漁り火オブジェには実際に火を点灯させることもできるという、ユニークな特色を持っています。
室町大橋は、平成4年度の「手作り郷土賞」を受賞しました。
その3:常磐橋(木の橋)
-
【紫川十橋】常磐橋(木の橋):5つの街道の起点、九州の日本橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では常磐橋(木の橋)について解説します。江戸時代に整備された九州の街道の起点となったことから「九州の日本橋」と呼ばれています。橋の周辺にも伊能忠敬の記念碑など複数の観光スポットが点在しています。
常磐橋の愛称は「木の橋」。その名のとおり木製で、車は通行できない歩行者専用の橋です。
江戸時代に九州で整備された街道のうち、長崎街道や唐津街道など5つの主要街道は、小倉の常磐橋が起点となっていました。
そのため常磐橋は「九州の日本橋」とも呼ばれています。
江戸時代から架かっていた橋を当時の木製橋として復元する工事がおこなわれ、1995年(平成7年)3月に完成しました。
その4:勝山橋(石の橋)
-
【紫川十橋】勝山橋(石の橋):かつては路面電車が走った都心の橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では勝山橋(石の橋)について解説します。リバーウォークや井筒屋という大型商業施設を繋ぐ形で架けられた都心部の橋で、かつては路面電車が通る路線にも含まれていました。
勝山橋の愛称は「石の橋」。歩道に石が敷き詰められており、名前の由来となっています。
もともとは1911年(明治44年)に、路面電車が紫川を渡るための橋として建設されました。現在の橋は2000年(平成12年)8月に完成しました。
魚町や京町の商店街と、大型商業施設「リバーウォーク北九州」や小倉城とを繋ぐ橋でもあります。
その5:鷗外橋(水鳥の橋)
-
【紫川十橋】鷗外橋(水鳥の橋):文豪の名をつけた、小倉城に近い橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では鷗外橋(水鳥の橋)について解説します。冬にはイルミネーションで美しく彩られる歩行者専用橋で、森鴎外文学碑や小倉城天守閣などいろいろな観光スポットに近い橋でもあります。
鷗外橋の愛称は「水鳥の橋」。2000年(平成12年)3月に完成しました。
小倉城庭園と小倉井筒屋との間に架かっている、歩行者専用の橋です。
橋の名前は、明治期に軍医として小倉に赴任した森鷗外(鴎外)から取っています。
クリスマスやバレンタインデーの季節は、夜になると美しいイルミネーションで彩られるデートスポットでもあります。
その6:中の橋(太陽の橋)
-
【紫川十橋】中の橋(太陽の橋):マカロニ星人の像が並ぶ不思議な橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では中の橋(太陽の橋)について解説します。北九州市マラソンのスタート地点であり、マカロニ星人と呼ばれる奇妙なオブジェが複数並んでいる芸術的側面のある橋でもあります。
中の橋の愛称は「太陽の橋」。昔から架かっていた橋ですが、整備事業開始を機に拡張工事がおこなわれ、現在の橋は1992年(平成4年)5月に完成しました。
北九州市役所や小倉城があるエリアと、旦過市場がある旦過エリアとを繋ぐ大きな橋で、市民マラソン「北九州マラソン」のスタート地点としても活用されています。
歩道にはヒマワリのモザイクアートが描かれ、地元の人から「マカロニ星人」と呼ばれる奇妙な姿のオブジェが並ぶなど、芸術的側面もある橋です。
中の橋は、平成5年度の「手作り郷土賞」を受賞しました。
その7:宝来橋(月の橋)
-
【紫川十橋】宝来橋(月の橋):紫川ではなく支流に架かる橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では宝来橋(月の橋)について解説します。紫川ではなく支流の神獄川に架かる橋で、紫川沿いを歩いているだけでは見つけづらい場所にあります。近くには小倉井筒屋新館や旦過市場などがあります。
宝来橋の愛称は「月の橋」。紫川十橋の中ではもっとも新しい橋で、2008年(平成20年)1月に完成しました。
紫川十橋のひとつではあるものの、宝来橋は紫川ではなく、紫川の支流「神獄川(かんたけがわ)」に架かっています。
そのため、下調べをしないまま紫川沿いを単純に歩いているだけでは宝来橋に気付かず、渡ることができません。
あとで「橋は9個しかなかったぞ?」ということになります。私がそうでした。
その8:紫川橋(鉄の橋)
-
【紫川十橋】紫川橋(鉄の橋):鉄の街・北九州の技法で作られた橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では紫川橋(鉄の橋)について解説します。かつては陸軍橋と呼ばれ、「ニューインダストリアル」というテーマで鉄に関する様々な技法をこらして作られた、鉄の街・北九州を印象づける橋です。
紫川橋の愛称は「鉄の橋」。昔から架かっていましたが、整備事業を機にリニューアルされ、1998年(平成10年)10月に完成しました。
リニューアル前は「陸軍橋」という名前で、陸軍施設を往来するために架けられた橋だという文献も残っています。
世界遺産に登録された官営八幡製鐵所を持つ街でもあることから「鉄の街・北九州」を前面に出すよう建築され、弓状に曲げているアーチの製造やパーツ間の溶接などでは、鉄に関する独特の技法が用いられているのだそうです。
その9:中島橋(風の橋)
-
【紫川十橋】中島橋(風の橋):モニュメント「銀河の舟」を持つ橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では中島橋(風の橋)について解説します。中央部には風力で動くモニュメント「銀河の舟」が設置され、北九州都市高速・勝山インターチェンジの近くに架かっている橋です。
中島橋の愛称は「風の橋」。1992年(平成4年)7月に完成しました。
橋の中央部に展望台のような広いスペースがあり、風力で動く「銀河の舟」というモニュメントが設置されています。
橋のすぐ近くには北九州都市高速の勝山インターチェンジがあります。
その10:豊後橋(音の橋)
-
【紫川十橋】豊後橋(音の橋):小倉の歴史がよく分かる南端の橋
紫川十橋と呼ばれる北九州市に架かる橋のうち、この記事では豊後橋(音の橋)について解説します。豊前国だったにもかかわらず橋の名前に「豊後」がつけられた理由や、かつての小倉城周辺や紫川がどんな形状だったのかを示す資料が歩道に展示されています。
豊後橋の愛称は「音の橋」。紫川十橋の中ではもっとも南側に位置する橋です。
橋は1983年(昭和58年)6月に完成しました。つまり整備事業よりも前に完成しており、整備事業でも特に改築などはおこなわれていない、古くからある橋です。
歩道には「小倉藩士屋敷絵図」というプレートが飾られており、江戸時代の小倉城周辺や紫川の形状が描かれています。
現在の地図とはまったく異なる地形となっていて大変面白いです。興味のある方はぜひ現地でご覧になってください。
まとめ
紫川十橋を北から南まですべて徒歩で巡っても、それほど時間はかかりません。歩道が整備されていますので、ウォーキングするのには最適なコースとなっています。
いろんな形、いろんな歴史を持つ橋を眺めていると、紫川という川自身も場所によっていろんな顔を持っていることが分かります。
橋の周辺には北九州市の歴史にまつわる多くの観光スポットもあります。散策の際にこの記事を参考にしていただければ幸いです。