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【紫川十橋】豊後橋(音の橋):小倉の歴史がよく分かる南端の橋

2023年2月20日

北九州市小倉北区の中心部を流れる紫川(むらさきがわ)には、合計10個の個性的な橋が架かっており、それら10個の橋を総称して「紫川十橋」と呼びます。

今回は紫川十橋のひとつ、豊後橋(愛称は「音の橋」)について写真と共に詳しく解説します。

なお、紫川十橋のすべてをまとめたページも作成しています。紫川十橋が誕生した由来や各橋の解説などを掲載していますので、よろしければそちらもご覧ください。

紫川十橋の全まとめ
常磐橋
紫川十橋:北九州市小倉北区、紫川に架かる10個の個性的な橋

北九州市小倉北区の中央を流れる紫川には10個の個性的な橋が架けられており「紫川十橋」と呼ばれています。10個すべての橋を徒歩で巡り撮影してきた写真と共に、各橋の周辺にある観光スポット情報も交えて紹介します。

紫川十橋の南端に位置する豊後橋

豊後橋(音の橋)の全景
豊後橋(音の橋)の全景

「音の橋」の愛称を持つ豊後橋は、紫川十橋の中では最も南端に位置する橋です。

現在の橋が完成したのは1983年(昭和58年)6月なので、紫川マイタウン・マイリバー整備事業が始まるよりも前に完成しており、紫川十橋の中では最も古い橋となります。

楽器のハープをイメージした橋中央の柱
楽器のハープをイメージした橋中央の柱

豊後橋の中央には2本の大きな柱が立ち、両脇には白色の細い支柱が斜めに伸びる形状となっています。

この形状は楽器のハープをイメージして作られ、橋自体も「人と自然が織り成す音」というテーマで作られています。

それが「音の橋」と名付けられた由来です。

元は「豊前国」なのに、豊後橋と名付けられた理由

橋の西側からTOTO本社工場に向いて撮影
橋の西側からTOTO本社工場に向いて撮影

この橋の不思議は、なんといっても橋の名前です。なぜ「豊後橋」(ぶんご)なのか

現在の北九州市小倉北区がある一帯の国名は、江戸時代には「豊前国」(ぶぜん)でした。

豊前国は福岡県の中で主に東側、現在の北九州市門司区・小倉北区・小倉南区などがあったエリアです。

福岡県の西側は「筑前国」(ちくぜん)でした。

では、豊後橋が架けられたエリアが昔は豊後という地名だったのかというと、それも違います。

そもそも豊後国というのは現在の大分県です。なぜ大分県の旧国名が小倉北区の橋の名前になったのか。

その答えは橋の上にあります。

豊後橋の由来が書かれたプレート
豊後橋の由来が書かれたプレート

豊後橋の中央に立っている柱の一角に「豊後橋の由来」というプレートが掛けられています。これを読めばすべて解決しますので、引用します。

豊後橋は、’倉付俗話伝’によると細川時代(1600年〜1632年)に豊後国速見郡、国東群の農民達が現在地に架けた木橋で、橋名は農民の出身地を表しているといわれています。

つまり、この橋を作ったのは豊後国(現在の大分県)から来た農民達で、彼らの出身地を取って「豊後橋」と名付けられたわけです。

江戸時代の小倉城周辺や紫川の地形がよく分かる

小倉藩士屋敷絵図
小倉藩士屋敷絵図

豊後橋の柱にはもう1つ、「小倉藩士屋敷絵図」というプレートも掛けられています。

このプレートには、江戸時代の住宅分布や、再開発前の紫川がどういう形状をしていたのかが記されています。

青い部分が紫川。中央の左側に「現・北九州市役所」、さらにその左側には「小倉城」と書かれています。

現在の北九州市役所がある辺りは、昔は紫川が流れていたということが分かります。

小倉城と書かれている場所の右上(北東)には「現・小倉北区役所」と書かれ、さらにその右上には「大橋 現・常磐橋」という文字が見えます。

紫川十橋のひとつ「常磐橋(木の橋)」がある場所のすぐ北側は海になっています。現在の小倉駅北口があるエリアはすべて海だったということですね。

プレートを見ていて大半が納得・理解できたのですが、「現・小倉北区役所」の位置だけがどうしても意味不明でした。

というのも、現在の小倉北区役所は小倉城の北側ではなく、南側にあります。場所も違うし、方角も正反対。

調べてみると、小倉北区役所は紫川マイタウン・マイリバー整備事業の一環として、1999年(平成11年)に現在の場所(つまり小倉城の南側)へと移転し、移転前は小倉城の北側にあったのだそうです。

移転前の場所は上の写真にある絵図のとおり、小倉城の北側、現在の小倉北区室町にあったそうです。紫川大橋のひとつ「室町大橋(火の橋)」が架かっているエリアですね。

現在の小倉北区役所は、小倉北区大手町にあります。

さらに、移転前の(室町にあった)小倉北区役所は、1963年(昭和38年)2月10日に5つの市が合併して北九州市となる以前は「小倉市役所」だったそうです。

知らないことだらけで、とても勉強になりました。

2つのプレートは橋両側どちらの歩道にもある
2つのプレートは橋両側どちらの歩道にもある

「豊後橋の由来」と「小倉藩士屋敷絵図」、2つのプレートは橋の南北にある歩道のどちらの柱にも同じものが掛けられています。

興味のある方は是非じっくりと眺めてみてください。けっこう面白いですよ。

豊後橋、周辺の風景

豊後橋・東側の風景

TOTOの本社工場群
TOTOの本社工場群

豊後橋の東側は、TOTOの本社工場が建ち並んでいます。

道路を直進すると、左側にTOTO衛陶工場の正門、右側にTOTO本社の北門があります。

豊後橋・西側の風景

大手町エリア
大手町エリア

豊後橋の西側は、大手町病院などが建ち並ぶ大手町エリア。そのまま直進すると金田エリアに行けます。

北九州都市高速・大手町IC
北九州都市高速・大手町IC

豊後橋を渡り「豊後橋西」交差点を左折すると、目の前に北九州都市高速の大手町インターチェンジがあります。

豊後橋・北側の風景

北側には中島橋・紫川橋が見える
北側は中島橋・紫川橋が見える

豊後橋の北側は、中央に紫川十橋のひとつ「中島橋(風の橋)」が見えています。さらにその奥には「紫川橋(鉄の橋)」の弓状アーチも見えています。

写真左手には北九州都市高速、右手にはTOTO衛陶工場が見えています。

豊後橋・南側の風景

中央には貴船橋が見える
中央には貴船橋が見える

豊後橋の南側は、中央に貴船橋が見えています。

貴船橋は国道3号線に架かる橋ですが、紫川十橋には含まれません。

写真左手にはTOTO本社工場。貴船橋を左へ進むとTOTOミュージアムがあります。

写真右手には北九州都市高速。大手町ICの料金所が見えています。

「紫川十橋」散策シリーズ

常磐橋
紫川十橋:北九州市小倉北区、紫川に架かる10個の個性的な橋
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