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紫川十橋の散策記その3:木の橋(常磐橋)【北九州市小倉北区】

2023年2月12日

「紫川十橋」について

北九州市小倉北区の中心部を流れる二級河川「紫川(むらさきがわ)」。

1990年に「紫川マイタウン・マイリバー整備事業」というプロジェクトが開始され、個性的な10個の橋が架かりました。これらを総称して「紫川十橋」と呼びます。

今回、この10個の橋をすべて散策してきました。

端から端まで歩くと片道約2kmほど。橋を渡るなどして寄り道しても、3kmほど歩けばすべて踏破できます。

木製に復元された「木の橋」

「木の橋」(常磐橋)全景
「木の橋」(常磐橋)全景

木の橋」と名付けられた常磐橋(ときわばし)は、紫川十橋の中では北から数えて3番目の位置にあります。

紫川テラス散策マップ

北から2番目に位置する「火の橋(室町大橋)」を紫川に沿って南に進めば、徒歩数分で常磐橋に着きます。

紫川沿いの紫川さくら通りには、紫川テラス 散策マップという案内板が複数設置されており、小倉北区の地理に詳しくない方々でも分かるよう、現在地や紫川十橋の位置関係がていねいに解説されています。

元は町人エリアと武士エリアを結ぶ橋だった

木の橋の木製欄干
橋面だけでなく欄干も木製

現在の常磐橋は平成7年(1995年)に完成し、江戸時代の時のような木製の橋が復元されました。

車は通行できず、歩行者専用の橋となっています。

橋の東側にある「常磐橋の由来」解説板
橋の東側にある「常磐橋の由来」解説板

橋の東側に「常磐橋の由来」という解説板が設置されています。記載されていた内容が興味深かったので一部を引用します。

常磐橋は江戸時代の初め頃、小倉の城下町の東曲輪(主として町人が生活していた地域)と西曲輪(主として武士が生活していた地域)を結ぶ、重要な橋として架けられ、当初は大橋と呼ばれていました。

この橋の西勢溜(橋詰)が長崎街道の起点となっていたため橋の周辺は幕府役人や旅人の宿などが立ち並んでにぎわっていました。

橋の東側は町人エリアだった
橋の東側は町人エリアだった

つまり、橋の東側はもともと町人たちが住んでいたエリアで、橋の西側が武士たちのエリア。

その2つのエリアは紫川で隔てられ、結んでいたのが常磐橋だったということのようです。

常磐橋が「九州の日本橋」と呼ばれる理由

橋の西側にある「長崎街道」の解説板
橋の西側にある「長崎街道」の解説板

常磐橋は、江戸時代に整備された長崎街道の起点としても有名です。

街道の起点としては、東京にある日本橋も有名です。日本橋は江戸時代の「五街道」と呼ばれる5つの陸上幹線道の起点になっていました。

五街道の内訳は以下のとおり。

  • 東海道:日本橋〜三条大橋(京都)
  • 甲州街道:日本橋〜甲斐国(山梨)
  • 奥州街道:日本橋〜磐城国・白河宿(福島)
  • 日光街道:日本橋〜日光東照宮(栃木)
  • 中山道:日本橋〜三条大橋(京都)

一方、北九州市にある常磐橋も、日本橋と同じように合計5つの陸上幹線道の起点となっていました

  • 長崎街道:常磐橋〜長崎
  • 中津街道:常磐橋〜中津(大分)
  • 秋月街道:常磐橋〜久留米(福岡)
  • 唐津街道:常磐橋〜唐津(佐賀)
  • 門司往還:常磐橋〜和布刈(北九州市門司区)

昔も今も九州の玄関口である北九州市・小倉。江戸時代に九州各地へと伸びていた街道の全ては、ここ常磐橋を起点としていました。

これが「九州の日本橋」と呼ばれる理由です。

長崎街道ルートMAP
長崎街道ルートMAP

長崎街道解説板のすぐ隣りには、長崎街道ルートMAPも設置されています。

長崎街道には、常磐橋から長崎までの間に23箇所の宿場町があり、そのうち現在の福岡県(江戸時代は筑前国)にある6つの宿場町は筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼ばれていました。

上の写真にあるMAPでは赤いマークで記されたところが筑前六宿です。

  • 黒崎宿(現在の北九州市八幡西区)
  • 木屋瀬宿(現在の北九州市八幡西区)
  • 飯塚宿(現在の福岡県飯塚市)
  • 内野宿(現在の福岡県飯塚市)
  • 山家宿(現在の福岡県筑紫野市)
  • 原田宿(現在の福岡県筑紫野市)

黒崎、木屋瀬、飯塚の3箇所はウォーキング大会で何度も歩いたことがありますし、当ブログでも何度か登場しています。

残る3つ、内野・山家・原田はまだ行ったことがありません。いつか訪問して、筑前六宿を全て歩いてみようと思っています。

東側は町人エリアだった
江戸時代、誰もがここから九州を歩き始めた

江戸時代末期、幕末と呼ばれた時代には、長崎が重要な拠点の一つだとみなされていました。

長崎で亀山社中を結成した坂本龍馬たち海援隊の志士を始め、薩摩藩の西郷隆盛や大久保利通、長州藩の桂小五郎や高杉晋作などなど、時代を変えようと野心を燃やしながら、いろんな人がこの常磐橋を渡ったのかもしれません。そう考えるとロマンがありますよね。

川岸には他にも歴史を感じさせるものがある

常磐橋の広告塔
常磐橋の広告塔

常磐橋の東側に「常磐橋の広告塔」というオブジェがあります。

常磐橋の広告塔について
常磐橋の広告塔についての解説

オブジェの下には広告塔についての解説を記したパネルが設置されています。

森鴎外の小説「獨身」において広告塔は、西洋から直接小倉に伝わった「東京にないもの」のひとつとして挙げられ、「常磐橋の袂(たもと)に圓(まる)い柱が立つてゐる。これに廣告(こうこく)を貼り付けるのである。」と書かれています。

常磐橋の広告塔
復刻版ではなく本物の広告が貼られている

広告塔の中には昔の復刻版のような広告があるのかと思ったら、比較的最近の催し(小倉十日ゑびす祭)に関する広告が貼られていました。

伊能忠敬 測量200年記念碑
伊能忠敬 測量200年記念碑

同じく常磐橋の東側、勝山橋との中間点あたりには「伊能忠敬 測量200年記念碑」というオブジェがあります。

伊能忠敬 測量200年記念碑
記念碑は平成13年に建立された

江戸時代に日本全国の測量をしたことで有名な伊能忠敬が、九州の測量を開始する際の始発点がここ常磐橋だったことを記念して、平成13年(2001年)9月に建立されました。

伊能忠敬 測量200年記念碑
反対側には常磐橋の緯度経度などが記される

オブジェの反対側には常磐橋の緯度や経度、標高などが記されています。

常磐橋周辺の風景

常磐橋・東側の風景
常磐橋・東側の風景

常磐橋の東側は、正面にマンションが建っていることからも分かるとおり、直進方向に抜ける道はありません。

橋を渡って少し右側には京町銀天街の入口があります。京町銀天街は、小倉北区最大の商店街である魚町銀天街と繋がっており、雨天の際は商店街を経由することで濡れることなくJR小倉駅に到着できます。

常磐橋・西側の風景
常磐橋・西側の風景

常磐橋の西側は、江戸時代の長崎街道そのものであり、現在は細い路地となっています。

旧長崎街道を歩くウォーキング大会では必ずここを歩くことになります。参加した方々には見慣れた風景ではないでしょうか。

常磐橋・北側の風景
常磐橋・北側の風景

常磐橋の北側は、すぐ前に火の橋(室町大橋)があります。

常磐橋・南側の風景
常磐橋・南側の風景

常磐橋の南側は、真ん中に「石の橋(勝山橋)」が見えています。

橋の右手には巨大商業施設・リバーウォーク北九州があります。

写真の右端、黒くて背の高いビルは、8階に朝日新聞、9階に九州朝日放送(KBC)の北九州支社、14階にゼンリンミュージアムがそれぞれ入居しています。

黒いビルの左側、薄茶色の建物は、4階と5階にNHK北九州放送局があります。

橋の左手には井筒屋の本館があります。その右隣りには、紫川十橋と同じく紫川マイタウン・マイリバー整備事業の一環として建設され、2000年に開館した北九州市水環境館があります。

「紫川十橋」散策シリーズ

月の橋・宝来橋
紫川十橋の散策記その10:月の橋(宝来橋)【北九州市小倉北区】
音の橋・豊後橋
紫川十橋の散策記その9:音の橋(豊後橋)【北九州市小倉北区】
風の橋・中島橋
紫川十橋の散策記その8:風の橋(中島橋)【北九州市小倉北区】
鉄の橋・紫川橋
紫川十橋の散策記その7:鉄の橋(紫川橋)【北九州市小倉北区】
太陽の橋・中の橋
紫川十橋の散策記その6:太陽の橋(中の橋)【北九州市小倉北区】
水鳥の橋・鷗外橋
紫川十橋の散策記その5:水鳥の橋(鷗外橋)【北九州市小倉北区】
石の橋・勝山橋
紫川十橋の散策記その4:石の橋(勝山橋)【北九州市小倉北区】
紫川十橋の散策記その2:火の橋(室町大橋)【北九州市小倉北区】
海の橋(紫川大橋)
紫川十橋の散策記その1:海の橋(紫川大橋)【北九州市小倉北区】

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