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飯塚市の「ひいな祭り」巡り、麻生大浦荘で大きな勘違いに気付く

2012年3月1日

麻生大浦荘の前で、恐怖と大パニックの記憶が蘇る

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今回のスタート地点、JR新飯塚駅の東口。

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いつもは電車に乗って駅まで移動するのだが、今回は車で飯塚市にやって来た。

何度か仕事で利用したことがあった、新飯塚駅・東口の駐車場。ここは最大300円で駐車できる。自宅から電車で来るよりも安上がり。

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飯塚市歴史資料館。東口の駐車場から徒歩1分のところにある。

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「麻生大浦荘」の案内板。

入口に差し掛かったとき、「あれ?」と何やら脳裏に引っ掛かるものがある。

ここは初めて来る場所のはずだが、なぜか来たような気がする

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麻生大浦荘へと向かう砂利道を歩きながら、記憶が完全に蘇った。

確かにここは以前来たことがある。しかも昨年の秋だ。

麻生大浦荘ではなく、近隣の住宅に行く仕事があった。しかし初めての場所なので道が分からず、上の写真にある砂利道に車で誤進入してしまった。

進んでいくと行き止まり。前方は大きな門で閉ざされ、奥には大邸宅がある

こんな大邸宅が目的地のはずはない、道を間違えた。ここはどこだろう。

砂利道の端に車を停め、スマホの地図アプリで確認をしていると、黒塗りの高級車が2台、すぐ横を通り過ぎていった。大きな門が開き、高級車は大邸宅の中へと入っていく。

似たような場面を映画で観たことがある。『ロード・オブ・ザ・リング』だ。

主人公達を抹殺するために世界各地から集結した悪のモンスター大軍団が、巨大な門の中へと行進していく。それを怯えた表情で陰から眺める主人公達。

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黒塗りの高級車が大邸宅に入っていくのを目撃した直後、近くに「立入禁止」と書かれた看板が立てられているのに気付いた。おそらくあの時に見たのは上の写真と同じ看板なのだろう。

「立入禁止」という赤い文字だけが目に入り、他の箇所は読んでいなかった。そのせいもあり、

「ここは一般人が来てはいけない場所なんだ」

と本能が察知した。頭の中で緊急事態を告げるサイレンが鳴り響いている。

そんなとき、門の奥にいた男性が1人、怖い顔をしながら門の外に出てきて、自分のいる車のほうに近付いてくるのが分かった。

麻生大浦荘のことを「その筋の人」が住んでいる大邸宅だと完全に勘違いした自分は、その男性の怒りに満ちた(ように見えた)表情を見て、

殺される! 撃たれる!

と大パニックになり、大慌てで車を急発進してバックさせ、その場から逃げた。

行くべき目的地は麻生大浦荘の入口から1つ先の角を曲がったところにあった、というオチなのだが、麻生大浦荘の正体は分からないままだった。

というか、今回歩いていながらもまだ分かっていなかった。

ウォーキング大会だというのに、まさか、とんでもなく恐ろしい場所に連れて行かれるのではないかという不信感。

1年に2度しか一般公開されない麻生大浦荘

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1年前には閉ざされていた麻生大浦荘の門。今回は開いていた。

冷静に眺めてみると、そんな言うほど巨大な門でもない。恐怖とは目の前の事実をねじ曲げて認識させるものである。

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麻生大浦荘は普段公開されていないが、1年に2度だけ限定公開されているとのこと。2012年の春は写真にもある通り、2月25日(土)から3月4日(日)までの9日間。

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初めて麻生大浦荘の敷地内に入る。怖い人はいない。武器や戦車が陳列してあったらどうしようと思った(どんな家だよ)。

麻生大浦荘は、飯塚市を大きく発展させた「麻生グループ」の所有する邸宅なんだとか。関連企業が来客の接待や会合のために利用されているらしい。

麻生グループの創始者で、初代社長でもある麻生太吉氏、その長男・太右衛門氏の居宅として建築された邸宅が現在の麻生大浦荘となっている。

2003年から飯塚市の春のイベント「筑前いいづか・雛(ひいな)まつり」に協力する形で麻生大浦荘は期間限定での一般公開を開始。

さらに2007年からは秋の紅葉時にも同じく期間限定で一般公開されるようになったそうである。

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麻生大浦荘・邸宅の中に初めて入る。シャンデリアの飾られた大広間。

広い屋敷の中をいろいろ周る。

麻生大浦荘が所有する豪華なひな人形の数々。

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庭園もさすがの美しさ。

年に2回だけ見ることの出来る邸宅。また秋に来よう。

現在の飯塚市を作り上げたといえる麻生グループ

歴史資料館のすぐ隣りにある「サン・アビリティーズいいづか」。障がい者の活動拠点施設として利用されている。

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JR福北ゆたか線(筑豊本線)の踏切を渡る。

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スタート地点のJR新飯塚駅が向こうに見えている。

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スーパーASO。名前からも分かる通り、麻生グループの経営。

こちらも麻生グループが造った「飯塚病院」。大きな総合病院で、増築工事中らしい。

麻生看護大学校。

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飯塚市の市街地は「麻生」と名の付く施設が実に多い。

明治から大正にかけて炭鉱事業で巨大な富を築いた麻生グループ、その中核企業である「株式会社麻生」の旧社名が「麻生セメント」。

創業者の麻生太吉氏、後を継いだ2代目の麻生太賀吉氏ともに政界へと進出している。

2代目・太賀吉氏の長男で、3代目の社長となったのが皆さんご存知、元内閣総理大臣の麻生太郎氏である。

麻生太郎氏は、炭鉱事業が衰退していく過程で麻生セメントを軌道に乗せ、石炭からセメントへの事業転換に成功させたとして高い評価を受けているらしい。

芳雄橋は大水害を機に再建築されている

市街地の中心に架かる大きな橋、芳雄橋。

この橋は2代目で、初代の芳雄橋は1928年に完成していた歴史ある橋だったそうだ。

2003年7月19日、福岡県は午前から猛烈な集中豪雨が続き、各地で水害が続発。JR博多駅の駅前道路も水没し、太宰府では死者も出た。

飯塚市も豪雨による甚大な被害が報告された。JR線は線路が冠水し運行不能。国道も冠水して車は通行不能。市街地も冠水し、一種の洪水状態だった。

「飯塚大洪水」「飯塚水害」などと表記しているメディアやブログもある。当時、ニュースで飯塚市の惨劇を目の当たりにし、衝撃を受けた。

初代の芳雄橋は、河川氾濫のため流れてきた大量の流木やゴミが橋によってせき止められダム化してしまい、市街地が冠水する要因のひとつとなった。

そのため冠水対策として芳雄橋を撤去・解体し、現在の2代目芳雄橋が建造されたという経緯がある。

新しい芳雄橋はとても広くてキレイだし、河川敷や中之島も整備されていて素晴らしい。

写真の遠くに写っているのは、炭鉱王国・筑豊の象徴的存在、「ボタ山」。石炭などを炭鉱で発掘した時に、不要となった捨石(ボタと呼ぶ)を積んでいき、人工的にできた山のことをボタ山と言うのだそうだ。

ひな人形の各展示会場を巡る

芳雄橋のすぐ横に建つ商業施設、itown(アイタウン)。

iPhone や iPad とは関係なく、飯塚市のイニシャル「i」を取ったらしい。名称は公募で決まったのだとか。

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「バスセンター前」交差点から吉原町商店街に入る。

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「飯塚郵便局前」交差点を通過。

ひな祭り会場のひとつ、飯塚信用金庫本店。

こちらも豪華なひな飾り。

銘菓・千鳥屋本家。「チロリアン」の試食をいただいた。

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店舗の裏に案内される。こちらの建物内にもひな人形があるらしい。

千鳥屋のひな人形。

嘉穂劇場に初めて入る

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嘉穂劇場。来たのは今回が初めて。

現在は国の登録有形文化財に指定されている。

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2003年7月19日の豪雨災害では嘉穂劇場も大きな被害を受け、劇場としての機能を果たせず閉鎖の可能性が高いと報じられた。

この危機を知った俳優の津川雅彦が発起人となり、多くの芸能人が嘉穂劇場に集結してチャリティーイベントが開催された。

呼び掛けに賛同した明石家さんま、中村玉緒、長門裕之、中村勘九郎(現在の勘三郎)、西田敏行、緒形拳などが来場。木村拓哉もチャリティー用に私物を提供したと報じられていた。

全国各地からも善意の義援金が寄せられ、そのおかげで嘉穂劇場は復旧作業が進み、翌年の2004年9月に復活を遂げた。

なお、ウォーキング大会と関係はなく、初めての嘉穂劇場に入ってみたくなったので見学をした。長くなったので別記事にて紹介している。

歌人・柳原白蓮を初めて知る

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東町商店街の入口。

商店街の中にもひな祭り会場があった。

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伊藤伝右衛門の写真が飾られている。顔写真は初めて見た。

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柳原白蓮の写真。って誰?

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女性の本名は「柳原燁子」という人らしい。読み方が分からない。華族の娘で、大正天皇の従妹だと書いてる。

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「白蓮事件とは」という、何やらセンセーショナルなタイトルの資料。長かったけど全部読んだ。そして理解した。

柳原燁子は伊藤伝右衛門の再婚相手で、結婚中に他の男(宮崎龍介という新聞記者)と恋仲になり、妊娠までしてしまい、新聞紙上で伝右衛門に対して絶縁宣言をし、歌人として有名になり、号を白蓮(びゃくれん)とした。

当時は結婚した身で他の異性と深い関係になると「姦通罪」という罪になった頃だ。しかも男尊女卑がまかり通る時代に女性の側が新聞で夫に絶縁宣言しちゃったんだから、これは大変な事件だったみたい。

伝右衛門は、妻の燁子(白蓮)を姦通罪で訴えることはしなかったが、妊娠した子供の父親を確認するための訴訟は起こし、その結果「子供は伝右衛門の子ではない」という判決が出た。

この裁判の結果を経て、白蓮は華族から除籍され、財産も没収されたが、ようやく伝右衛門との離婚が成立し、宮崎と再婚したという。

伊藤伝右衛門という名前は、福岡県に住んでいる人なら名前を聞いたことがある有名人。しかし、実際にどんな人で、どんなことがあったのか詳しくは知らなかったし、柳原白蓮は名前すら知らなかった。

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帰宅してから妻に聞いたら、柳原白蓮も伊藤伝右衛門と同じくらい筑豊地方では有名人で、みんな知ってるよ、とのことだった。

今回紹介した東町商店街には、柳原白蓮の写真などを常設展示しているところもある。

福岡に来て20年以上が過ぎたけど、まだまだ知らないことがたくさんある。だからこそ散策は面白い。

龍馬も西郷も篤姫も歩いた長崎街道を進む

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東町商店街が終わる辺りの壁に大きな絵。江戸時代の長崎街道・飯塚宿の出口がこの辺りだったのだそうだ。

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続いて永楽町商店街に入る。

永楽町会場のひな人形。

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今度は本町商店街。

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「こちら本町商店街は、まさに長崎街道そのものでございます! 昔はこの道を多くの旅行者が行き交っておりました!」

と男性が叫んでいた。市役所の職員だろうか。ウォーキング大会関係者ではなさそうだった。まあそれはいい。

坂本龍馬も、桂小五郎も、高杉晋作も、西郷隆盛も、そして将軍家へ嫁入りするため薩摩から江戸へと向かう天璋院篤姫も、この道を通ったということになる(船で行ったのでなければ)。歴史のロマンだ。

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江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗に献上されるため、広南(現在のベトナム)からやって来たゾウが、長崎港から上陸し、長崎街道を歩いて江戸に向かったという記録がある。

次の宿場となる木屋瀬宿(現在の北九州市八幡西区木屋瀬)には、ゾウが宿泊したという宿帳の記録も残されているという。

上野動物園に初めてパンダがやって来た時も日本中が大フィーバーになったけど、日本に初めてゾウが来た時の江戸も同じく大フィーバーだったらしい。

本町商店街の中にある「飯塚・井筒屋サロン」もひな祭り会場になっていた。

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井筒屋3階のひな祭り会場。

ひな人形の他にもお正月や七夕の飾り物が展示されていた。

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紀乃國屋書房。入口の上に設置されている「からくり時計」は1時間置きにからくりが発動して、時計の中からいろんなものが出てくるんだって。

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銘菓・ひよ子本舗吉野堂。

店内に展示されていたひな人形。大正時代に製造された歴史的価値のある人形だと店員さんに教えてもらった。

曩祖八幡宮、伊藤伝右衛門邸と巡る

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ローソンを通過してすぐの所にある曩祖八幡宮(納祖八幡宮)。階段の段差が異なっており、よそ見しながら歩いているとコケるので注意。

もちろん私はコケた。

何かと縁のあったDVDレンタルショップ「ナンバーワン飯塚店」の店舗跡。

閉店後、「売店舗」の貼り紙が長いことあったのだが、今回前を通ったら貼り紙が消えていた。売れたのだろうか。

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「許斐神社」交差点。「このみじんじゃ」と読む。

とても複雑な信号のタイミングで2つの道路が交差する。この道路に慣れてない人は信号をしっかり確認してから通行しないと危ない。思い込みで信号は青になってはくれない。

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旧伊藤伝右衛門邸に到着。ここも来たのは今回が初めて。伊藤伝右衛門は(前述した)柳原白蓮の最初の夫で、筑豊地方の大富豪である。

嘉穂劇場の観光で長い時間を費やしたので、旧伊藤伝右衛門邸には入らなかった。また来た時にでも立ち寄るつもり。

遠賀川河川敷から飯塚市役所、そしてゴールへ

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遠賀川の堤防に上がっていく。

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新しい橋が建造中のようだ。

川島橋を渡り、遠賀川の反対岸へ下りる。

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国道200号線バイパスの飯塚大橋が前方に見える。

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新飯塚橋に到達し、長かった河川敷の遊歩道コースも終了。堤防の上に上がる。

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「のがみプレジデントホテル」

1年半ほど前、仕事で飯塚市役所に行くはずが、間違えてこのホテルに入ったことがある。市役所の駐車場が隣りにあったので、つい間違えた。

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こちらが本物の飯塚市役所。

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正面に飯塚病院が見えてきた。ゴールが近いということだ。

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新飯塚商店街に入る。今回、幾つの商店街を歩いたろう。すごく多かった。

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新飯塚駅の西口に到着。今回のウォーキング大会はここでゴール。

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