解散から30年、今なら完全版を視聴できる
今回紹介するのは、BOOWYのライヴ・ドキュメンタリー作品「1224」。
ひとくちメモ
BOOWYの正式な表記が「BOØWY」というのは承知してますが、この記事では「BOOWY」で統一いたします。
1987年9月16日から始まり、全国33都市を巡ったBOOWY最後のライヴツアー「DR.FEELMAN’S PSYCHOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」の最終公演会場、渋谷公会堂でのライヴ映像が収録されています。
作品タイトル「1224」は、渋谷公会堂でのライヴ開催日、そしてBOOWYが実質的に終焉を迎えた1987年12月24日の日付から取られています。
そして解散宣言から14年後の2001年12月24日に、VHSビデオ版として最初の「1224」がリリースされました。
このバージョンでは21曲目として演奏された「ONLY YOU」の途中、一部が欠けた状態になっていました。撮影時のトラブルか、フィルムの問題なのか。はたまた「わざと欠けたままリリースした」なんて説もあったり。
しかし、別カメラで撮影された映像では「ONLY YOU」の欠損もない完全な状態でライブ全体が収録されており、長期間にわたって倉庫に保管されていたものをスタッフが発見。その「完全版」が2013年にデジタル加工を施され、一部の映画館で上映されています。
そして、BOOWY解散30周年となった2017年12月24日に、前述したデジタル加工の「完全版」がBlu-rayとDVDで「BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-」というタイトルでリリースされました。多くのファンはようやく「ONLY YOU」をフルコーラスで聴けたというわけです。
「CASE OF BOOWY」もファン必見!
BOOWYのライヴ映像でファンなら絶対欠かせない必須アイテムに「CASE OF BOOWY」という作品があります。
当時のBOOWYファンで「CASE OF BOOWY」を知らない人はいなかったんじゃないかな。VHSビデオ4本組で発売されてました。DVDは2本組、2007年には1本にまとめたBlu-rayがリリースされています。
1987年7月31日の神戸ワールド記念ホール、8月7日の横浜文化体育館、2会場で開催された「CASE OF BOØWY」ツアーの模様を編集収録した映像集。デビューアルバムから最新アルバムまで数多くの楽曲を長時間演奏し、話題となりました。
私は昔々にVHSを購入し、何千回と見まくりました。結果、比喩ではなく本当にVHSテープがすり切れて再生不能となってしまったほど。
最初にリリースされたVHS版では全27曲が収録されていたのですが、その後にリリースされたBlu-ray版では12曲増えて、全39曲が収録されています。
追加で収録されたのは、
- RATS
- GIVE IT TO ME
- “16”
- OH! MY JULLY PartI
- TEENAGE EMOTION
- ROUGE OF GRAY
- RUNAWAY TRAIN
- MY HONEY
- LET’S THINK
- RENDEZ-VOUS
- SUPER-CALIFRAGILISTIC-EXPIARI-DOCIOUS
- ハイウェイに乗る前に
上記の12曲だったはず。これらはVHS版には収録されていませんでした。
ひとくちメモ
Blu-ray版には上記12曲もしっかり収録されています。
「1224」セットリスト
では本題の「1224」について。
このライヴは前述の通り「ROCK’N ROLL REVIEW DR.FEELMAN’S PSYCOPATHIC HEARTS CLUB BAND TOUR」というツアーの最終日を撮影したもの。演奏された楽曲構成は当時の最新アルバム「PSYCHOPATH」の収録曲が中心となっています。
1.LIAR GIRL
開演直前のデモンストレーション映像が消え、ステージが突如ライトアップ。観客の悲鳴と共にライヴが始まります。まずはアルバム「PSYCHOPATH」のオープニングナンバーから。
2. ANGEL PASSED CHILDREN
アルバム「PSYCHOPATH」の流れそのままに、間髪入れず2曲目。普段は「ダウンピッキングの鬼」である松井さんの珍しいアップピッキング姿が見られます。リズム的にダウンだけでは弾けない楽曲なので仕方ない。
※氷室MC
「よく来てくれたな! 今夜は特別な夜だぜ!」
3. BLUE VACATION
開催日がクリスマスイブなのもあり、間奏で布袋さんが「ジングルベル」を弾いて遊んでます。
4. ハイウェイに乗る前に
間奏でドラム高橋さんの横に駆け上がる布袋さん。高橋さん満面の笑顔。かたやヒムロックは無表情な松井さんの横に駆け寄って身悶える。
5. GIGORO & GIGOLET
ヒムロック「めいっぱいオシャレして集まってくれたジゴロとジゴレットに贈ります」
6. PSYCHOPATH
間奏ではディレイなど複数のエフェクトを存分に効かせた布袋さんの幻想的ギターアレンジが炸裂。CD音源とは趣が異なる全体的な演奏は必見。
7. CLOUDY HEART
ライヴオリジナルの情感あふれるギターパートをシットリと奏でた後、数秒開けてお馴染みのイントロ。
ライヴになると自由自在にアドリブを効かせ、時には遊ぶ布袋さんも、この曲はいつもオリジナルと変わらないアレンジで弾きます(特に間奏は1音たりともアドリブがない)。それほど思い入れのある初期の楽曲ということなのでしょう。
8. MARIONETTE
ヒムロック「オマエらが日本で1番にしてくれた最高のロックンロール贈ります」
9. わがままジュリエット
「夜のヒットスタジオ」でも披露され、BOOWYが徐々に知名度を上げるキッカケとなった名曲。
※氷室によるメンバー紹介
「タフで最高に優しい男。」
「ずっとずーっと昔から知ってるけど、渋い男です。」
「日本でギタリストは腐るほどいるけど、こんなカッコイイやつはコイツしかいません。」
「(小声でボソボソと)でまあ俺が歌を歌ってる氷室京介です」
10. LONGER THAN FOREVER
ヒムロック「たぶん今の俺たちとオマエたちとの関係に1番近い曲なんじゃないかと思うやつ」
11. 季節が君だけを変える
BOOWYのラストシングル。オリジナルに忠実なアレンジで、間奏のギターソロもCD音源と全く同じフレーズを布袋さんは弾いてます。
12. WORKING MAN
ヒムロック「ダンスが苦手なやつでも簡単に踊れるやつ」 これ踊れねえだろ(笑)
間奏はリズム隊の真骨頂。スポットを浴びる松井さんにヒムロック叫ぶ。「ツネマーツ!」
アルバム「BEAT EMOTION」に収録されてる一曲だが、初版のアナログレコード盤には収録されていませんでした(CDのみ)。
13. B・BLUE
「CASE OF BOOWY」など他のライブツアーと同じく、前曲「WORKING MAN」のエンディングから間を開けずイントロに突入するバージョン。
「不器用な愛で」のパートを歌った直後、ヒムロックがおもむろに自分の人差し指をハムッと舐め、それを見て女の子たちがキャーキャー言ってる。
14. RENDEZ-VOUS
前曲から間を開けずヒムロックと布袋さんのハモリで歌い始め。
最前列で若い女の子が興奮してピョンピョン飛び跳ねる。
15. Honky Tonky Crazy
この曲は布袋さんの飛びっぷりが毎回どのライヴ映像でもハンパない。よくそんだけピョンピョンしながらギター弾けるなぁっていう。
後半、布袋さんが「Kiss me once more」と歌うパートでは、演奏中で手が離せない他の3人のもとにヒムロックが駆け寄り、代わりに投げキッス。鉄仮面のように無表情な松井恒松が一瞬笑う奇跡。
16. PLASTIC BOMB
BOOWYのナンバー中でも最高速の部類に入るアップテンポな1曲。これ演奏するとメチャクチャ気持ちいい。
この曲でコーラスを歌ってる時の布袋さんは毎回、視線が挙動不審になります。
17. BEAT SWEET
ところどころ、ヒムロックの歌い方や音程が意図的におかしな感じ。
※氷室MC
「こんなイカしたクリスマスもねえぜ…へへっ」
「シブコウ(=渋谷公会堂)選んでヨカッタとおもいますっ(ドヤ顔風に)」
18. IMAGE DOWN
曲に行く前のお約束、ヒムロックの「イメージ!」絶叫。観客からの「ダウン!」というコールバックが想定外に小さかったらしく、腰砕けてヘタりこむヒムロック。
「ライブハウス武道館へようこそ!」を始め、毎回名言が飛び出す1曲。しかし今回はテンションMAXでおかしくなり始めるヒムロック。
「英語数学まるでダメだけどおののののののののーん」
「つちゃつちゃつつちゃつつちゃあーっ!」
「しゃあああーう!」
間奏。ドラム&ベースソロでヒマそうな布袋さん。かたや観客の合唱が小さいことに業を煮やしたか、ヒムロックは布袋さんをステージ中央に呼び寄せ
「オマエらこのヤロー覚悟して聞けよ!」
と観客を煽ってから布袋さんにマイクを向ける。
ヒムロックからお手本を期待された布袋さん、しかしお茶目にボケをかまします(どんなボケかは映像を見てください)。ヒムロック、再び腰砕ける。
19. NO,NEW YORK
「ノー!」「ノー!」というお馴染みの観客との掛け合いから始まるデビューアルバム収録の名曲。高橋さんのスティック投げ炸裂。
曲のエンディングで、渋谷公会堂の外の様子が数秒ほど映し出されます。チケットが入手できなかったけど会場にやってきたファン。そして「イヤなウワサ」の真相を自分の目や耳で確認するため、磁場に吸い寄せられたファン。
※バックステージ
「NO,NEW YORK」でいったんライヴ終了。アンコールを叫ぶ観客。メガネを取り、タオルで顔の汗をふきながら控室に戻る高橋さん。
メイクを直す布袋さん。服を脱いで着替え始めるメンバーたち。
20. MEMORY
1回目のアンコール開始。派手なアクションを一切せず、黙々とギターを弾く布袋さん。
21. ONLY YOU
VHS版では、曲の途中で音声と画像が欠けており、再生映像は数秒ほど真っ白の無音状態になっていました。
2017年にリリースされた「BOØWY 1224 -THE ORIGINAL-」では欠損箇所が修復され、フルコーラスで全て聴くことが出来ます。
曲が終わるとすぐ退場してしまう4人。少し不穏な空気となりつつ、またアンコールを求める観客。
※バックステージ
控室に戻る途中、通路の壁に触れる松井さん。控室の椅子に座り、タバコの箱から1本取り出して高橋さんに差し出す布袋さん。
皆がタバコを吸って休む中、一人だけ立ち上がり、先に控室を出るヒムロック。それに続く3人。
※氷室MC
ここでヒムロックによる解散宣言。詳細は後述。
22. Dreamin’
最前列の女の子が泣いちゃってる…。自身も感極まったため、高音キーが歌えないヒムロック。歌唱ではなく叫んでる状態。こんな鬼気迫る「Dreamin’」は、この映像でしか見ることが出来ません。後半は高音キーの箇所が出ないため1オクターブ下げてしまってます。
間奏では目を閉じ、全く動くこともなく、感情を押し殺すヒムロック。エンディングでメンバー全員の名を呼び、そして「We are BOOWY!」と絶叫。
最後の曲が終わり、ステージをあとにするメンバーたち。高橋さんがスティックをおもいっきり観客にブン投げる。
一つの時代が終わった夜
2回目のアンコール演奏を始める前、マイクを持って中央に立ったヒムロックに対して、ステージ上に置かれていた花束を布袋さんが拾い、ヒムロックに渡します。
花束を笑顔で受け取ったヒムロックが一転して神妙な表情に変わり、「今日は、みんなにちょっと言わないといけないことが1つあります」と切り出した時点で、観客の数名が「イヤだー!!」と叫んでいます。
「6年間…」とつぶやいて、言葉に詰まるヒムロック。ここで観客の大半が異変に気付き、ザワつき始めます。再び「6年間…」と言うも、続けられないヒムロック。
正面を見ることが出来ず、何度も顔をそらすヒムロック。その時々で、ヒムロックは自分の右後方に立つ盟友、布袋さんの姿を見つめます。
やがて想いを語り始めるヒムロック。しかし感極まり、また言葉に詰まって、ヒムロックは布袋さんのほうを見る。
同じタイミングで、それまで腕組みして視線を下に落としながら聞いていた布袋さんは、ヒムロックに背中を向け、顔をそらしてしまう。
このシーンを評して「氷室と布袋の仲が修復不可能だったことの証明」だの、「氷室は救いを求め、布袋は拒んだ」だの、様々な意見をこれまで読んできました。真相は知りません。それは本人たちが何も語らない以上、ただの想像でしかない。
初めてこのシーンを見た時は涙が止まりませんでした。布袋さんはヒムロックを拒んだのではなく、自身もまた感極まり、ヒムロックの想いを共有しつつも、そのヒムロック本人や目の前の観客たちにいろんなことを悟られたくなかったんじゃないかな。だから背を向けてしまったんじゃないか。個人的にはそう捉えてます。
涙を流しながら「これから、一人一人が…」と解散を示唆する発言を始めるヒムロック。客席も異様な雰囲気に変わってきます。拒絶の悲鳴が上がったかと思えば、気味が悪いほどの静寂もあり。
しばらく黙り込んだ後、スイッチを切り替えたヒムロックが
「フォークのバンドじゃねえんだからジメッとすんな似合わねえと思うから……最後にビシッと踊るぜ!」
と叫び、最後の曲「Dreamin’」を演奏。そしてメンバーたちはBOOWYとしてのステージを終えました。
ステージの照明が消え、幕が下り、客席の照明が点灯して明るくなる。それでも大半の観客は帰ることが出来ない。また「彼等」の姿が見たいから、そしてヒムロックの言葉を無かったことにしたいから、それがウソだと確認したいから、何度も何度も繰り返し「アンコール!」と叫び続ける。
一方、渋谷公会堂の外であふれていたファンにも解散宣言の情報が漏れ聞こえたらしく、会場前も騒然とし始めます。
解散宣言の真偽を確かめたい一部のファンと会場関係者との間でトラブルとなり、渋谷公会堂の正面玄関ドアガラスもこの時の騒動で割れ、補修した様子が映像に残っています。
頂点を極めたBOOWYが解散してしまうのではないかというウワサは、熱烈なファンの間では既にささやかれ始めていたのだそうです。さらに、ツアー最終日が武道館など当時の大型会場ではなく、比較的小さい規模の渋谷公会堂にセッティングされたこともウワサに拍車をかけたのだとか。
まだインターネットもなく、それどころかPCも携帯電話も一般には全然普及してなかった1987年。ファンの多くがどうやって情報を収集し、ウワサを共有し、ツアー最終日の渋谷公会堂にあれほどの大群衆が吸い寄せられたのか。鳥取に住んでた田舎者には全く想像も出来ません。
映像の最後、暗転した画面では会場内に響き始めたスタッフのアナウンスが入っています。
BOOWYのナンバーは、只今のDreamin’をもって、終わりました。
まだ現実を受け入れられないファンの悲鳴が響き、映像が終わります。
朝刊で解散を正式発表、そして東京ドーム
翌日の12月25日。新聞朝刊の1ページをBOOWYの4人が買い取り、ファンへのメッセージを載せました。前夜に渋谷で多くのファンが泣き崩れていたことなど全く知らない全国のBOOWYファンは、その朝刊メッセージで初めて事態を知ります。
1987・12・24
BOØWY解散
氷室京介 布袋寅泰 松井恒松 高橋まこと4人でしか探せなかったモノ。自分達で有り続ける事へのこだわり。
今度はひとりひとりで有り続ける事にこだわる為にBOØWYは昨日のクリスマスイブを選びました。
最後のGIGSは必ず来年プレゼントします。
その朝刊を渋谷とは遠く離れた鳥取県の田舎で読んだ私は、お茶を吹いてビックリ仰天。しばらく放心状態で絶句してました。
新聞掲載のメッセージにある通り、BOOWYの4人は翌1988年4月4日と5日の2日間、まだ完成したばかりの東京ドームでライヴを敢行。「LAST GIGS」と銘打たれた最後のライブは95,000人分のチケットが10分で完売し、その影響で都内の電話回線がパンク。翌日の新聞にそのニュースが載りました。
東京ドームの大群衆を前に最後のパフォーマンスをした4人。渋谷公会堂での異様な空気ではなく、ステージ上も観客も熱狂し、最後にヒムロックが再び「We are BOØWY!」と絶叫して、彼等は伝説となりました。
渋谷公会堂でBOOWYは解散し、東京ドームで2日間限定の再結成を果たした。オフィシャルの見解としてはそうなってるようですし、私もそう考えるようにしています。
渋谷公会堂で撮影されたドキュメンタリー用フィルムは、当初は「LAST GIGS」の映像とセットで世間に公開される予定が、各メンバーのソロ活動に対する配慮から渋谷公会堂の映像は除外され、そのままお蔵入り。
その後、14年間も倉庫で眠り続けた渋谷公会堂の映像は、2001年の12月24日に「1224」というタイトルでリリースされました。新聞のみで解散の事実を知った私を含む多くのファンたちは、ようやく当日の彼らを映像で見ることが出来たのです。
2001年にリリースされる際、メンバーの元には発売前のビデオパッケージが事前に届けられていたそうです。しかし布袋さんと松井さんは「一人で見るのが怖かった」らしく、リリース直後に布袋家で開催されたホームパーティーにて、ようやく二人一緒に当時のビデオを見たのだそうです。
ビデオを見終わった後、布袋さんと松井さんは感極まって泣きながら抱き合ったんだとか。いろんな想いが去来したんでしょうね。
BOOWYの思い出
BOOWYを知ったのは1985年頃。友達の家で初めて、BOOWYのアナログ盤レコードを聴きました。
当時まだバンドを組んでなかったのですが、ギター弾けることを知ってた彼に「イベント出演するんやけど、その日だけギター弾いてくれない?」と打診され、「唇にジェラシー」と「ハイウェイに乗る前に」、2曲の楽譜を渡されました。それが初めて演奏したBOOWYの曲。本職のベースじゃなくギターでの参加でした。
数ヶ月後、日本テレビ系「歌のトップテン」を吉川晃司が欠席。その理由を司会者が「お友達である布袋寅泰さんの(山下久美子との)結婚式に出席のため」と読み上げ、BOOWYや布袋さんの名前がまだそれほど世間に浸透してなかったこともあり、BOOWYのライヴ映像が流されました。その映像で彼等の動く姿を初めて目にします。
ジワジワと人気上昇を続けたBOOWYは1987年のシングル「MARIONETTE」で遂にオリコンチャート1位を獲得。日本音楽シーンの頂点に立ちます。それでも「トップテン」や「ベストテン」など当時の主要音楽番組への出演は拒否。
なのに「夜のヒットスタジオ」には3回出演してましたね。ヒムロックが初恋の女性と対面したり、布袋さんが司会の古舘伊知郎からモノマネの無茶振りをされて拒否するシーンもリアルタイムで見ました。
あとは桑田佳祐の呼び掛けでアーティストが集った1986年のクリスマス特番「メリー・クリスマス・ショー」にもBOOWYは出演。氷室京介&吉川晃司がビートルズの「ヘルプ!」をパンクっぽいアレンジでカバー。女性のような濃いメイクで妖艶に歌い、最後に二人がキスするという映像構成でした。なんでそうなったのか…。
唯一のライヴに行けなかったのが今も残念
当時私は鳥取県に住んでたのですが、鳥取のお隣り、島根県にBOOWYがツアーでやって来ると発表されたんです。ツアータイトルは「ROCK’N ROLL CIRCUS TOUR」。ウィキで確認したら日時は1987年1月29日でした。
会場は島根県民会館。当時全国ツアーで山陰のライヴ会場と言えば必ずココでした。電車を利用すれば自宅から1時間かからず行ける場所にBOOWYが来るんです。当然ものすごく行きたかったけど、行けなかった。
その年、私は受験生だったんです。現在のセンター試験、当時は「共通一次試験」という名称だったんですけど、1987年の共通一次日程は1月24日と25日の2日間。BOOWYのライヴは試験が終わった直後だったので行こうと思えば行けたんですけど、まだ二次試験があったし、余裕ぶっこいてるような成績でもなかったので、ライヴチケット購入は断念。
またいつか、大学生になってからライヴ行こうと心に誓ったんですけど、BOOWYはその年の年末に解散しちゃったので、1月29日の島根県民会館が最後のライヴになってしまいました。受験生だったので「行けば良かった」という後悔はないんですけど、受験かライヴが1年早かったら、BOOWYのライヴを体感できたのになぁ、というのが残念でなりません。
まとめ
BOOWYについて現在形で語る時に必ず出てくるのが「再結成」について。
今回紹介した「1224」の舞台でもある1987年12月24日を「解散ライブ」、翌年の4月に東京ドーム2DAYSとして開催された「LAST GIGS」を「2日限定の再結成ライブ」と捉えてるファンもいます。
私自身もそう。「再結成してほしい!」「絶対再結成なんかしないでほしい!」、そのどちらでもありません。再結成したらしたで狂喜乱舞するだろうし、再結成しないなら受け入れるし。リアルタイムで目一杯BOOWYを体感したからそう思えるのかもしれないですけどね。
いずれにせよ、若き日の4人を今でも映像で堪能できるのはありがたいことです。