閉園2年後、スペースワールドの建物は全消滅していた
2017年12月31日に閉園した、北九州市八幡東区のテーマパーク「スペースワールド」。
閉園後も何度か通い、跡地がどう変貌していくのかを写真に残していこうと思った。閉園4ヶ月後の2018年5月、園内の解体作業が始まったタイミングで現地に赴いて撮影し、当ブログにもエントリーとして残している。
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閉園4ヶ月後のスペースワールド、観覧車の解体工事開始(2018年4月)
2017年12月31日で閉園した、北九州市八幡東区のテーマパーク「スペースワールド」。閉園から4ヶ月、観覧車の解体作業が開始されていると知り、散策を兼ねて行ってきました。
今回久々に現地へ行く機会があったので、写真を撮ってきた。スペースワールド跡地、閉園2年後の様子をお届けする。
注意ポイント
※撮影時期は2019年10月です。
タイタンも観覧車もスペースシャトルも消えた
隣接するイオンモール八幡東の屋外駐車場から撮ったスペースワールド跡地。
閉園直後は上のような感じだった。黄色い線路のジェットコースター「タイタン」が右端に見える。
正面ゲートがあった辺り(中央にあるのは北九州都市高速)。
巨大観覧車もスペースシャトルも撤去され、消えてしまった。
スペースワールド駅は快速列車が停車しなくなった
JRスペースワールド駅は以前と変わらず現存している。ただし、閉園後の2018年3月から快速列車は停車しなくなった。
JR枝光駅とJR八幡駅の中間辺りにあるJRスペースワールド駅。スペースワールドが閉園した今、この駅で乗降する利用客はどのくらいいるのだろう。
「イオンモール八幡東」や「いのちのたび博物館」など大きな施設は現在もあるが、どちらも車での来訪客が多いように思えるし。
正面ゲート連絡路の看板が風化してボロボロに
JRスペースワールド駅から正面ゲートまで伸びていた連絡路。
歩道橋は以前も今も変わらないが、当然ながらジェットコースターなどの施設は視界から消えている。
連絡路の終点にある「この先通り抜けできません」の看板も時間の経過によりボロボロとなってしまっている。
繁忙期になるとスペースワールド正面ゲートまで長蛇の列だった連絡通路。今では人の気配もなく、脇に雑草が生い茂っている。
スペースワールドのバス停も完全に消滅した
スペースワールド前にあったバス停も消滅していた。
閉園4ヶ月後の時点ではバス停がまだ稼働していた。
今はアスファルトが残るだけ。バス停と園内との仕切りになっていた木々も撤去されている。
ここが以前はバス停だったという記憶も消えていくのだろうか。
正面ゲート前の歩道橋併設エスカレーターは封鎖
正面ゲート跡。現在は工事用の柵が設置されていて、中に入ることは出来ない。
正面ゲート前の歩道橋。封鎖されたエスカレーター入口がボロボロになっている。
一部メディアや地方ブログの記事で「スペースワールドの閉園後、正面ゲート前の歩道橋も撤去された」という誤報を見かけたが、見ての通り2年経った現在も残っている。
ただし階段横に併設されていたエスカレーターは2018年4月から封鎖され停止している。
諸行無常を感じる正面ゲート跡地
ここに来ると当たり前のようにあった正面ゲートが、今はもう存在しない。諸行無常を感じずにはいられない光景。
正面ゲート前の広場に刻まれた「SPACE WORLD」の文字は、今もまだ薄く残っている。
上の写真・左上に写る白い建造物は、元々は八幡製鉄所の「2代目」本事務所があった場所。
ひとくちメモ
※世界遺産に登録された本事務所は「初代」で、スペースワールド跡地から見てJR鹿児島本線の線路を挟んだ反対側に現在もあります。
「2代目」本事務所の解体後にホテルが建設され、我々には「八幡ロイヤルホテル」という名称で馴染みがあるのだが、2018年4月からホテル名称が「Active Resorts 福岡八幡」に変更されている。
大学入学を機に北九州市へ移住したのが1987年。その3年後、1990年4月にスペースワールドがオープンした。
オープン直後、大学の友人たちと初めてスペースワールドを訪れた時、そこには若者を中心とした熱狂と興奮が確かにあった。北九州に誇るべき場所がまた一つ増えた。それが嬉しかった。
以降30年近く、スペースワールドが北九州市のシンボルとして地域に根付いていくのと同じ時間を自分は北九州市で生活し、そこにスペースワールドが存在するのは当たり前のことだった。
テーマパークにそれほど興味がない自分でさえも、スペースワールドは10回近く行っている。子供たちも数多くスペースワールドで遊んだし、亡くなった父も北九州に遊びに来た際、孫たちと惑星アクアに乗って笑顔を見せていたのが懐かしい。
まだ詳しくは発表されていないのだが、この跡地には商業施設が建設されるらしい。すぐ横にイオンモール八幡東があるのに、更に何を作ろうというのか解せないのだが、いずれにせよ八幡東区に今一度の集客が蘇り、この一帯がまた賑わってくれることを祈りたい。