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名刺の整理をしていて気付いたこと
先日参加したセミナーにて頂いた名刺を整理してたんですよ。
その流れで、今までに頂いた名刺も再びEvernoteに取り込んでたんですけど、交流が続いてる人もいれば、交流が途絶えちゃった人、名刺もらっただけで交流が発生しなかった人など、様々でした。
先日参加した直近のではなく、少し前に参加した別のセミナーで、終了後の懇親会にいろんな方々から名刺もらったんですけど、その中で残念ながら交流が発生しなかった方々は現在どうしてるんだろう、と興味が湧きました。
で、調べてみたんですけどね。
◆名刺にTwitterアカウントが記載されてた人で、現在もアカウントが残ってるのは11名中、4名(うち2名は1年以上ツイートなし)。
という感じでした。消滅しているURLやアカウントが予想以上に多くて少々ビックリもしましたが、もったいないなあ、ってのが正直な感想でした。
私自身、そのセミナーは1つのターニングポイントとなった貴重な場だったし、様々な気付きがありました。事実、得たものを実践してアクセスも収益も増えてるんです。
単に私が知らないだけで、違うURLの新たなブログやサイトに活動の場を移しただけかもしれないし、アカウントを変更しただけなのかもしれない。あるいは、ブログやサイトではなく別のジャンルや職種で才能を開花させ、頑張ってらっしゃるのかもしれない。
それでもやっぱり、なんか寂しかったんですよね。同じ受講生という立場としては。
講師は基本的にスーパーマン
セミナーを受講するのが好きです。私が受講したいセミナーは福岡市ではなかなか開催される機会がないし、北九州市はもっとヒドい状況なので、受けたい!と感じたセミナーは可能な限り参加するようにしています。
このブログを開設して以降も、様々なセミナーを受講してきました。ブログで感想を書いたセミナーもあれば、紹介してないものもあります。
私と同じセミナーを受講して、同じく自身のブログなどで書かれてる感想を読むのも好きなんですけど、「大丈夫かいな…」と思うのが、講師やパネラーが実践してきた内容を、そのまんま100パーセント実践するぞ!と宣言してるとき。
もちろん、その意気込みに自分自身「乗れる」素養があって、実際にやれちゃう人、実践して成功を勝ち取る人もいるとは思います。
昔々、高倉健さんや菅原文太さんの任侠映画を見て、映画館から出てきた男たちが健さんや文太さんに感情移入しちゃって、肩で風を切りながら歩いてた、なんて話をよく聞きますよね。私は世代が違うし、任侠映画は見ないんですけど。
同じように、セミナーや勉強会で貴重な経験談や成功秘話を聞いた後も、高揚感があるんですよね。
「よーし、俺も頑張るぞ! 成功するぞ!」って講師やパネラーの方々に自分の未来を投影させてしまうというか。自己啓発本を読み終えた後も同じように「実践しよう!」って高揚感を得られることが多々あります。
ただ、セミナーで講師をされる方々や、書籍を出版されてる方々って、基本的に「平凡なわけはない」人たちのはずなんですよ。
何かの要素が他人よりも優れていたからこそ、成功してるわけだし、成果を出してるわけだし、多くの受講生を前に登壇して話をする立場になってるわけなんです。何かがスーパーマンなんです。
コツコツと続けていく継続力かもしれない。他人とは違う着眼点を持った発想力かもしれない。人脈を構築する能力、ユーモアのセンス、コミュニケーション能力、知識量、調査能力、強運。もともとの才能もあれば、努力の末に得た能力もある。
何かしらに秀でてるからこそ、階段をどんどん上って受講者よりも高い位置にいるのであって、その貴重な話を聞いた受講生が「よっしゃー!行ったるでー!」と、高揚感と共に猛ダッシュして講師と同じ段数まで駆け上がるのって、メチャクチャ大変だと思うんですよ。もちろん可能性はゼロではないんでしょうけど。
まずは己の能力を知り、可能性を探る
セミナーで聞いた、あるいは書籍で読んだ「成功へのヒント」をまるごと鵜呑みにして、自分の能力値を超えた目標を設定しても、続けるうちに疲れてしまうのではないでしょうか。そして実践するのを断念したり、「自分には向いてない」と落胆したり。
時には自分の能力を超えていかねばならないこともあるはずで、そういう場合に人は自分を律したり、自分で自分のケツを叩いて奮起するんですけど、ずーっと気負い過ぎてたら持たないと思うんですよね。やる時と休む時のバランスも必要というか。
また、どれだけ時間を割けるかというのは、その人の生活環境によっても絶対に変わってきます。みんな同じではあり得ないんです。
例えば学生と会社員では時間配分が違ってくるはずですよね。同じ会社員でも、残業や休日出勤が多い人と、ほぼ定時で帰宅できてる人とでは違う。
独身か既婚かでも違うし、一人暮らしか実家住まいかでも違う。東京と鳥取でもたぶん絶望的に違う。同じ「と」で始まる都道府県なのにこの差は何だ〜っていう。
何気に故郷をdisってしまいましたが、それはともかく。
自分の置かれた生活環境がありますから、たとえば「1日に○記事書こう!」とか「毎日記事を書こう!」とか「記事は午前中に!」「午後○時までに!」とか、いろんな提言があったとしても、結局は生活環境を壊してまでは実践できないんです。
実践できる人はできる。でもそれは全員ではない。無理したら体調を崩すかもしれない。高揚感に流されて無茶をする前に、どこまでなら出来るのか、自分の能力とニラメッコして可能性を探るというのも必要なんじゃないかな。そんなことを思ったりします。
私はセミナーを受講した際、講師が話した内容のメモ(最近はEvernoteに記録してます)を繰り返し読んで、自分であればどこまで出来るか、あるいは自分の方法論ならどうすればいいかを考え、自分流に翻訳してから実践するようにしてます。
りくま ( @Rikuma_ )的まとめ
セミナーは本当に有益。いろんなことが糧になります。中には参加費が必要なものや、高額なものもあるでしょう。せっかくお金を払って、時間を割いて受講したのに、何も実践できなかったり、あるいは無理をし過ぎて情熱を消してしまうのはもったいない。
講師は様々なヒントを与えてくれます。そのヒントをどれだけ翻訳できるか。どう捉えて整理して実践できるか。講師と全く同じことをしたからといって、講師その人になれる訳ではないのです。
そして常に感じるのは、講師も受講者も関係なく、継続してる人は強いし、楽しみながらやってる人も強い。
階段を上ってる皆さん、共に頑張りましょうね。私も置いてかれないように頑張ります。