最初は衝動買いでノープランでした
キッカケは、格安航空会社(LCC)の期間限定激安セールでした。
LCCの激安チケットセール利用で空の旅をさらに安く楽しもう
今やすっかり日本にも定着したLCC(格安航空会社)。通常時でも大手航空会社より安い価格で航空チケットを購入できますが、更に値下げするセールを開催している時があります。
昨年12月、片道1,000円の航空チケットが販売されると知り、「お、安いぞ、買っちゃおっか?」と、半ばノリと勢いでポチッとボタン押したら、買えてしまいました。
往復でも2,000円。手数料が300円ずつかかるんですが、それでも往復2,600円。北九州から福岡空港までの交通費とほとんど変わらない。
大抵は買おうかどうしようか迷ってるうちに速攻売り切れになっちゃうパターンなんですけど、買えてしまった。ビックリですわ。この時点でノープラン。どこに行くのか、何をするのか、何も考えてなかった。
有給休暇が溜まってて、2月中旬くらいにまとめて休みを取ろうかなーと考えてたので、期間としてはバッチリ。さて、どこに行こうかと、チケットを取れた後で目的地をアレコレ考え、悩みました。
その過程でひらめいた。「子供の頃、住んでた街に久々で行ってみようかな」と。
もう二度と訪れることはないかと思ってた
その街には6年間ほど住んでいて、小学校卒業と同時に引っ越しました。今から33年前。それ以降、一度も訪れたことがありません。
引っ越した理由は、親の仕事の都合ってのもあるんですけど、他にもいろいろ複雑な事情が絡み合ってたみたいです。当時まだ子供だったので深くは聞いてないし、成長しても確認なんてしてないけれど、ある程度のことは想像できます。
その理由の一つに、私自身の問題がありました。不幸な事故に遭い、生涯付き合っていかなければならない傷を抱えることになった。
さらに、その事故には「加害者」がいました。故意ではなく過失だったので「加害者」と呼ぶのは違うのかもしれないし、私自身、その人を特別恨むという感情を当時は持ってなかったけれど、親はそうではなかったようで、いろいろあったみたいです。
私は小学校を卒業し、級友たちと同じ中学に進学するとばかり思ってたので、転居を聞かされた時はとても哀しく寂しかったのだけど、「そこ」から離れたいという親の気持ちもなんとなくは理解してました。
新しい土地で新しい生活が始まり、私は進学し、成長し、成人して社会人になり、抱えた傷が次第に「生活の支障」となり始め、当時の事故に対して負の感情が増大していくようになりました。
それがヘンテコな感じで変換されてしまい、昔住んでた街がいつしか「生涯で最悪の思い出が刻まれた場所」という風にインプットされてしまった。
だから、もう二度と訪れることはないのかな、と思ってたんです。数年前までは。
ここ数年で考えが徐々に変わってきた
転職を数回経験し、精神を病み、体重もブクブク太り、その弊害で様々な病気になりました。友人たち全員と一切の連絡を絶ったし、前の会社があった北九州市の小倉北区というところには数年ほど近寄りもしなかった。
妻や子供、そして親。家族の支えがあり、治療で少しずつ体調も改善され始め、体重も徐々に減り始め、社会復帰できて、他者と関わることの大切さや楽しさを再び感じることが出来るようになってきました。
休日は家に篭もって外に出なかった私が3年前にウォーキングを始め、青空の下で呼吸する心地良さや、様々な景色を眺める楽しさ、そして身体を動かす大切さを知りました。
たぶん、この辺りからでしょうね、私自身がいろいろ変わり始めたのは。疎遠だった友人たちに連絡を取り、また会うようになったし、小倉北区にも再び行けるようになった。
このブログを始めてからはオフ会にも参加できるようになりました。リアル友人にさえ会いたくなかったのに、ネットで仲が良いとはいえ実際に会ったことがない人々に会うなんて以前の私には絶対にあり得なかった。
新しい出会いがどんどん増え、少しずつですがいろんなことをプラスに転じて考えることが出来るようになってきています。まだ全てを楽天的に捉える域までは行ってなくて、時には必要以上に落ち込んで沈むこともあるんですけど、以前よりは楽しい人生を送っているんじゃないかと感じてます。
33年ぶりに母校へ行ってきます。
2年前の8月、以下のエントリーを書きました。
母校の校舎が消えていくというのは、とても寂しいものである
オトナになるまで幾つかの学校で学生生活を過ごし、誰にも「母校」があると思います。私は小・中・高・大と4つの学校を卒業したのですが、私の母校は現在いろいろと変わってしまいました。
高校は移転し、中学は廃校になり、小学校はもう30年以上見てもいない、って内容なんですけど、このエントリーを書いた時点で「いつかは行ってみたいなー」と考えてました。
親類もいないし、当時の友人とはもう交流もないし、こんな機会でもなければ滅多に行くことのない場所なんです。懐かしい街とは言うものの、もう30年以上ですからね。当時の記憶なんてほとんど残ってません。だから久々に訪れても「全然覚えてないや…」ってなる可能性が大。いわば「未知の街」。
ただ、街の記憶で唯一、けっこうハッキリ残ってるのが「小学校の校門」なんですよ。卒業式以来となる小学校。どんな感情になるだろう。
2年前の4月、今回と同じくLCCの激安セールを利用して飛行機のチケットを取り、大阪に日帰り旅行をしてきました。あの時は旅行目的の半分がウォーキングだったんですけど、今回もいろいろ歩きまくってきます。
大雪のおそれがあると昨日の時点で報道されていて不安だったけど、なんとか雪は回避できたっぽいです。大阪日帰り旅行の時は豪雨でしたからね…。悪夢再びかと思った。
たくさん歩いて、1つでも多くの記憶が蘇ってくれればいいな。悪い思い出じゃなくて、懐かしい思い出。