最近は音楽をほとんど聴かない
「NO MUSIC, NO LIFE」
という言葉がありますよね。音楽のない生活なんて考えられないというヤツです。
ここ最近の自分はといえば、「NO MUSIC LIFE」と表現するのが適切かもしれません。生活の中に音楽がほとんど混じってきません。
以前まで最も音楽を聴く場所は車の中でした。車内には大量のCDを置いてあり、気の向くまま好きなアルバムをカーステレオで流して歌いながら運転していたものです。
しかしここ数年はカーステレオで音楽を流さなくなりました。静かに運転したくなったのです。これが「年を取る」ということなのかなと思ったりもしますが、同世代の全ての人がそうなってしまうという訳ではもちろんありません。
音楽CDも、ストリーミングも、最近は全然買ってません。最後にアルバムを買ったのは10年以上前、ユニコーンが再結成した時の「シャンブル」というアルバム。
仕事中に時々はAmazon MusicをBGMにしたりして、今までの人生で全く縁のなかったジャズを聴いたりもしています。BGMにいいんですよ。でも特にプログラムを組んだり、考え事をしたりする時にどうしても音楽が思考を邪魔してしまうので、流さないことが多くなってきました。
そんなこんなで生活に音楽がほとんどない毎日なのですが、それでもなぜか、脳内で昔好きだった曲が流れてきて、それがループして止まらなくなることがたまにあります。
そのキッカケがいつも分かりません。たとえばテレビを見ていたらその曲が流れたとかなら分かるんです。でもそういうこともない。何の予兆もなく、いきなり曲が流れてきて、鼻歌を歌いながら「それにしても、なぜ今この曲?」と自分で不思議になります。
今日も朝からずっと同じ曲がループしています。今回は安全地帯でした。何の予兆もなかったんですよ。ネットで調べものをしてたら偶然安全地帯の情報が…ってわけでもない。
頭の中でずっとループしたのは、安全地帯の「La-La-La」という曲。この間奏部分が唐突に頭の中で浮かんできて止まらなくなりました。特に好きな曲って訳でもなかったんですけどね。
「La-La-La」は安全地帯の通算2枚目のアルバム「安全地帯II」に収録されています。
安全地帯もまた原点
昔々はバンドマンで、プロになりたいと思っていました。一般企業に就職したことで夢をあきらめたんですけどね。
楽器を演奏し、作詞作曲をするようになり、さらにバンド向けにアレンジ(編曲)をするようになり、その過程でいろんなバンドの影響を受けました。ビートルズ、BOOWY、ユニコーン。その中に安全地帯も入ります。
1983年の秋にシングルとしてリリースされ、CMソングにもなった「ワインレッドの心」が大ヒットして知名度を上げた安全地帯。その「ワインレッドの心」を収録しているアルバムが、上で紹介した「安全地帯Ⅱ」。
1985年には「ENDLESS」という2枚組のライヴアルバムがリリースされまして、私もレコードを買いました。「絶対に音程を外さない」玉置浩二のボーカル、そしてライヴなのにレコード音源と全く変わらない高いレベルの演奏テクニックにビックリしてしまい、この「ENDLESS」が私の安全地帯好きを決定づけました。
この頃、お金を貯めて4トラックレコーダーとリズムマシーンを買ったんです。
「4トラックレコーダー」というのは複数の音を重ねて録音できる機械。自分でギターとベースとピアノとドラムを別々に演奏・録音して(多重録音と言います)、それを重ねて同時に再生できるという音楽機材。
プロのミュージシャンなら32トラックとか64トラックとか使うのかもしれませんが、当時はライトユーザー向けに4トラック版が発売されてました。
ひとくちメモ
その後、大学時代にアルバイトして8トラックレコーダーも買いました。プロのミュージシャンを目指してた頃だったので、自分に投資する意味もあったのですが、値段めちゃくちゃ高かった!
「リズムマシーン」というのは、機械にドラムのパターンを入力・登録して演奏させる機械。私が買ったリズムマシーンはキーボード機能もあったので、これ1台でドラムとピアノを同時演奏させることが出来ました。
ずっと欲しくてたまらなかった4トラックレコーダー。しかし私はドラムもピアノも演奏できない。だからリズムマシーンも合わせて買ったというわけ。
購入して最初に多重録音したのは今も忘れません、安全地帯の「Happiness」という曲。1984年12月にリリースされた「安全地帯Ⅲ~抱きしめたい」というアルバムに収録されています。
このアルバムはバンドスコア(=いわゆる楽譜です)も買っていました。スコアを見ながらギターを練習し、ベースを練習し、ドラムはリズムマシーンに打ち込んで登録し、順番に多重録音。安全地帯はギターが2人いるので、ギター1 + ギター2 + ベース + ドラムで4トラック。
「全て自分で演奏した」曲の多重録音が終わり、初めて再生して聴いた時はものすごく感動しました。安全地帯の「Happiness」にはそういう思い出があります。4トラックレコーダーとリズムマシーンを使って、自分で全て演奏して1曲にする作業は本当に楽しくて、家にいる時はずっと没頭してました。
バンドスコアを買っていろんなパートの練習をすると、演奏技術の向上だけではなく、自分で曲を作るようになった場合の編曲(アレンジ)をする際に考え方の引き出しが増えて、ものすごく勉強になります。
たとえばミュージシャンのCDを聴いてて、間奏のギターソロなんて音量デカいから誰でも聞き取れます。それ以外のAメロでのギターのバッキング演奏とか、ドラムのフィルインのパターンとか、キーボードの旋律などは、各々のパートを本職にしてる人なら想像つくかもしれませんが、演奏経験のないパートは何を弾いてる(叩いてる)のかよく分からないし、自作曲でどうアレンジすればいいかなんて想像も出来ません。
そんな時、好きなバンドの楽譜を見て練習していた経験が活きます。オリジナルの曲を作っていきたい人は是非実践してみてください。全てのパートの演奏技術が上達しなくてもいいんです。アレンジの考え方を知るだけでも全然違いますよ。
アルフィーvs.安全地帯
安全地帯を聴きながらギター練習に没頭していた高校生の頃、交際していた彼女がいました。
その彼女がアルフィーの大ファンだったんです。現在の「THE ALFEE」ですね。特に彼女は高見沢さんのファンでした。
で、その交際時期に彼女がALFEEのアルバムを無理矢理貸してくれたんです。「絶対良いから聴いて!」と。
アルバム名は「THE RENAISSANCE」。1984年7月にリリースされています。
「星空のディスタンス」「STARSHIP」などシングルとしてヒットした楽曲が収録されてるアルバムなのですが、収録曲の1つに「NOBODY KNOWS ME」という曲がありました。
坂崎さんがボーカルを担当していて、コード進行が難しくないので、耳コピですぐ弾けるようになりました。「あの曲、弾けるようになったよ」と伝えると彼女はものすごく喜んでくれまして、「今度聴かせて!」と何度も言われました。
聴かせてあげるつもりだったんですけど、弾き語りする機会が訪れる前に我々は別れてしまいました。理由は、彼女が二股してたんです。一時期ものすごく女性不信になったことがあったんですけど、その発端となったのがこれでした。
そんな時に神様はイヂワルなもので、日本のミュージックシーンではALFEEの「恋人達のペイヴメント」という曲が大ヒットしてまして、チャートの1位を走ってました。これも確かCMソングだったな、チョコレートか何かの。
しかも最悪なことにですよ、この曲のボーカル担当は高見沢さんだったんです。別れた彼女が大好きだった高見沢さん。
テレビでもラジオでも「恋人達のペイヴメント」が流れまくってました。失恋の傷も癒えてない中で高見沢さんの高音波ボーカルを何度も聞くのは本当にツラかった。だから「恋人達のペイヴメント」が流れ始めたらテレビもラジオもすぐ電源切ってました。
世界中に 誓えるのさ
愛してるのは 目の前の君だと引用:「恋人達のペイヴメント」
やかましいわって話ですよ。
ALFEEも高見沢さんも「恋人達のペイヴメント」も一時的にものすごく憎んでました。単なる失恋の八つ当たりです。
とにかく「恋人達のペイヴメント」が憎くて憎くて、早く1位から落ちろ!と願ってたのですが、遂に、ついにALFEEを打ち破って1位を獲得してくれたアーティストが現れてくれました。
それが安全地帯だったのです。私の大好きな安全地帯!
もう狂喜乱舞でしたよ。誇張ではなく本気でガッツポーズしました。ロッキーがトレーニングの最後に階段を駆け上がってフィラデルフィアの市民たちとウオーーって拳を突き上げたくらい派手なガッツポーズ。
ALFEEを打ち破って1位になったのは、「恋の予感」でした。
恋の予感というタイトルフレーズとは裏腹な、怨念にも似た曲調。暗黒面に突き堕とされたかのように悲壮感あふれる玉置さんのサビでの絶叫ボーカル。
そして歌詞ですよ。
届かぬ想いが 夜空に濡れたまま
引用:「恋の予感」
誰かを待っても どんなに待っても
あなたは 今夜も引用:「恋の予感」
恋の予感が全然しないぞ井上!
むしろそれは失恋の予感じゃないのか井上!
ひとくちメモ
この曲の作詞は井上陽水です
何はともあれ、その暗いとさえ思える曲調が当時の(失恋した)自分とすごくマッチしている気がして、「ラブラブで〜す!」みたいなALFEEの曲に代わって1位を獲ってくれたことが本当に本当に嬉しく、安全地帯に一生ついていくぞ! と思ったものです。
それが30年以上も前。いろいろこじらせてしまった中年男性がこんなところで昔の失恋話を振り返ることになるとは思いませんでした。もしかして安全地帯の曲が何度も脳内でループしたのは、「今回ブログにこれを書け」という啓示だったのかもしれません。