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初めて目の前で見た千代の富士は静かに瞑想をしていた

2016年8月1日

我々の世代はショックが大きい

Sumo
Sumo / Better Than Bacon

実は最近になって再び「相撲、おもしろいなあ」と感じ始めてたんですよ。五月場所から少しずつ相撲中継を見るようになり、つい最近行われた大相撲の名古屋場所は幕内の後半戦のみでしたが15日間テレビで見続けました。

もう何年も相撲は見てなかったんですよ。それが突然、パッと火がついちゃって。そして見たら面白くて。

名古屋場所最後の3日間に見せた日馬富士の力強い相撲は、決して大きくはない体格ながら横綱の風格を見せつける気持ちの良い内容で、さすが横綱や、と唸らせてもらいました。優勝を決めた一番もカッコ良かった。

そんな矢先に飛び込んできた九重親方の訃報だったので、なんというタイミングや…とビックリしてしまったわけです。

亡くなった九重親方は現役時代「千代の富士」という四股名でしたが、直近の名古屋場所で優勝した日馬富士と同じく、千代の富士もまた小兵の部類に入る決して巨漢ではない力士でした。しかし努力と鍛錬で大横綱と呼ばれるまでになった人です。

小さい身体で投げを打つため肩を脱臼することが多く、その肩を強化するため当時相撲界では珍しかった筋トレを導入し、それもあって筋骨隆々の逞しい体型で「ヘラクレス」とも称された千代の富士。

相手が年上だろうが格上だろうが関係なく、仕切りの最中に対戦相手を睨み付ける鋭い眼光から「ウルフ」と異名を付けられた千代の富士。

私の長男は現在高校生なのですが、私が長男と同じ歳の頃、角界の中心にいたのは千代の富士でした。私は千代の富士がいたから相撲を好きになったし、ずっと千代の富士を応援し続けた。

まだ期待の若手でしかなかった貴花田(後の貴乃花)に敗れた一番もテレビで見てましたし、その数日後に記者会見で泣きながら引退を表明したニュースも食い入るように見ました。

千代の富士の意志を引き継いだかのようにその後は貴乃花が大横綱となっていきます。私の10代は千代の富士と共にあり、20代は貴乃花と共にありました。二人の力士は我々の世代におけるスーパースターだったんです。

一度だけ、千代の富士を目の前で見たことがある

高校生の頃、新聞配達のアルバイトをしていました。毎朝、早起きして自転車で家々を周り、最後は広い空き地を横切って家に帰ってたのです。

地元で国体が開催されることになった流れで、実家のすぐ近くにあったその広い空き地には、巨大な体育館が建設されました。

体育館が完成し、私が毎朝横切っていた空き地の一部は広い駐車場となりました。新聞配達を終えると、私はいつも自転車でその駐車場を斜めに横切りながら家に帰ってました。

ある日の朝、いつものように新聞を配り終えて体育館駐車場に行くと、20人か30人ほどの人数の男たちが駐車場の中央付近に立ってたのです。全員、上半身は裸で、相撲のまわしを着けていました。

最初、「どこかの高校か大学の相撲部が練習でもしてるのかな?」と思ったのです。国体が近かったし、少し前にも似たような光景(=朝ではなかったけど、まわしを着けた人たちが体育館で練習してた)を見たことがあったので。

特に気にすることもなく、いつものように自転車を漕ぎながら駐車場に侵入。まわしをつけた集団のすぐそばを通過しようとしました。

近付いて分かったのですが、まわしを着けた人たち、みんなチョンマゲ結ってるんですよ。あれ? 学生じゃなくて本物のお相撲さんだ、とここで気付きます。

大勢の力士たちが立ちながらタオルで汗を拭いたり、他の力士と小さな声で雑談していて、その横をチラチラと盗み見しながら自転車で通過してたのですが、他とは少し違う光景が視界に飛び込んできました。

皆が立ってる集団のちょうど中央付近に敷物が敷かれていて、そこに一人だけ胡座をかいて座ってる力士がいました。全員が立ってる中で一人だけ座ってたから余計に目立ったんです。

その人こそが、千代の富士でした。すでに「大横綱」と呼ばれていた、日本で最も有名なお相撲さんが目の前に突然出現したんですよ。ビックリなんてもんじゃなかった。

千代の富士の周囲には5人くらいの若い力士さんがいて、タオルで横綱の身体を拭いたり、マゲを整えたりしていたように思うのですが、あんまり記憶がありません。千代の富士を見てパニックになってたので。

汗を拭いてもらったり、髪を整えてもらったりしていた千代の富士自身はピクリとも動かず、静かに目を閉じて瞑想をしているかのようでした。

横綱自身はもちろん、周囲の誰も全く声を発しておらず、なんだかピキーンと音でも聞こえそうな、えらく緊張感のある張り詰めた異様な空間。いつも鼻歌を歌いながらお気楽に自転車漕いでた体育館の駐車場が、その時は闘気であふれてたかのようでした。油断したらヤラれるぜ! みたいな。

どのくらいの時間だったか分かりませんが(おそらく5秒間くらい)、瞑想をしている千代の富士の姿を私はジーっと眺めていました。距離にして3メートルくらい離れた場所で、自転車を止めてジーッと。

当然ながら若い力士に大きな声で怒鳴られました。「何やってんだ!」とか「どっか行け!」とか言われたんでしょうけど、ハッキリ聞いてないし覚えてません。千代の富士を見るのに集中してたので。

「あ、何か知らんけど怒られたな、行かないとな」と思った次の瞬間、千代の富士が目を開いて、視線を私に向けました。突然目を開いてこっち見られたからビックリしちゃったんですけど、ここは礼儀正しくしなきゃいかんだろと思った私は首を下げて一礼。

千代の富士はそれには応えず、またすぐ目を閉じて瞑想に入りました。再び怒られたくないので私は退散。

自転車を漕ぎながら、いま起きた出来事がどんどん現実味を帯びて、興奮が増していきます。うわあ、あの千代の富士に会ったんだ。あの千代の富士と一瞬だけど目が合ったんだ、って。

学校に行ってから友達みんなに言って回りました。今朝千代の富士に会ったぞ、すげえだろ、羨ましいだろって。新聞配達をしてて良かったと思えた(数少ない)出来事の一つですね。

ちなみにその日は大相撲の地方巡業で私の住んでた街に来てたらしいです。たぶんニュースなどで情報は耳にしてたはずなのですが、すっかり忘れてしまってたんで、力士の集団に会えたのは正に奇跡でした。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

私と千代の富士との遭遇は今から30年近く前の出来事。その数年後に千代の富士は現役を引退しました。

私よりも上の世代になると、北の湖だったり貴ノ花(貴乃花のお父さん)だったりが大活躍していた時代になるのですが、私はモロに千代の富士の世代で、その後に若貴兄弟や曙が切磋琢磨して活躍し、相撲が大ブームになった時代でした。

少し前まで相撲人気が衰えたとかなんとか言われてましたが、また最近は相撲人気が復活してきたようで、つい最近の名古屋場所も連日の満員御礼だったと聞くし、テレビで見ていても観客がギッシリ入ってて、声援もすごかったし、人気が戻ってきて良かったなーと感じてます。

相撲人気の復活に尽力された北の湖前理事長が昨年秋に逝去され、そして九重親方も天国に召されました。自分がまだ子供だった頃のヒーローがいなくなってしまうのはとても寂しいのですが、今までありがとうございました、という感謝の念のようなものも心の中にあったりします。

千代の富士・九重親方のご冥福を心よりお祈りいたします。

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