すれ違いだった「天満屋」を初訪問
今回の散策でスタート地点に選んだのは「米子しんまち天満屋」。
このデパートがオープンしたのは1987年(昭和62年)。この年は自分が鳥取県から福岡県に移住した年でもある。オープンして30年も経つデパートなのに1回も来たことがなかった。
国道9号線の交差点に昔々から鎮座する「わこう」。
約35年前、和歌山県から鳥取県に引っ越してきた頃には既に営業していた。昔も今も風貌は全く変わらない。
米子市で最も大きな郵便局だった建物。郵便局は現在移転したが、半円形の建物は当時のまま残っている。確か中学生の頃に建物は完成した。
米子市最大の郵便局はどこに行った? というのを知らなかった。調べてみると1997年(平成9年)、JR米子駅近く(米子市弥生町)に移転したとのこと。
現在この建物が何になってるのかはよく知らない。
「わこう」と元郵便局。この風景は30年前から変わらない。
BSS山陰放送には数々の思い出がある
BSS山陰放送。鳥取県のTBS系列局で、テレビだけでなくラジオも放送している。
余談だが、鳥取県はテレビ朝日の系列放送局が存在しない(正確にはテレビ朝日の鳥取支局があるものの、あくまで取材拠点であり放送はしていない)。
大阪に住んでいる親類の小学生が年末に遊びに来た際、テレビ朝日系列放送のドラえもん大晦日特番が鳥取県では放送されてないと知り、ブチギレていたことがある。
BSSラジオの放送スタジオは中学生の頃に完成した。完成記念で生放送された特別番組のクイズコーナーに出演したことがある。勝利して賞品をたくさんもらった。
平日の夕方に放送されていたラジオ番組に毎週ハガキを投稿して常連だったこともある。そのラジオ番組で私の身に降りかかった悲劇に関しては、以前ブログに記した。哀しいことに実話だ。
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ラジオスターの悲劇、そして10年後の邂逅
中学生だった頃、地元で毎週放送されていたラジオ番組が大好きで、よく投稿もしていました。ある週の放送で紛らわしい投稿とラジオパーソナリティの2人が勘違いしたことにより、事件は起こりました。
米子YSPボウル。ここでアルバイトしたことがある。
高校生の時、ここで初めてスコア200を超えた。ちなみに人生最高スコアは「235」。
米子YSPで開催されたアマチュアのボウリング大会に優勝し、賞品としてマイボールをもらったことがある。
しかしボールに指の穴を開けるのは有料だと聞き、じゃあ要らないやと賞品を辞退した。いま考えればもったいないことをした。
米子市と境港市を結ぶ「JR境線」の線路。中央に見えているのは富士見町駅。この路線には乗ったことがない。
諸行無常の「える・もーる」
える・もーる立体駐車場(米子市冨士見町二丁目)。30年以上前、中学生の時に完成した駐車場。昔から全然変わらない風貌。
える・もーる1番街。この商店街も駐車場と同じ時期にアーケードなどが整備された。
「える・もーる」という名称は確か公募で決定されたように記憶している。
その「える・もーる1番街」は「やよい」と「高島屋」という2つのデパートが隣接していた。
米子高島屋。中学2年か3年の時に全面改装された。現在は分社化・子会社化され、名称も「米子タカシマヤ」とカタカナになってるらしい。
今から約35年前、都会をイメージさせるエレベーターが山陰・米子の高島屋に突如現れたのは田舎町の少年には衝撃的だった。
現在は都市部の商業施設で珍しくもない、外を展望できるエレベーター。当時中学生だった自分は夢中でエレベーターに何度も何度も乗り続け、窓の外の景色を眺めていた。いま考えれば恥ずかしい。
当時の米子市で最大規模だった2つのデパートが共存したことで最盛期を迎えた「える・もーる1番街」。あの頃、ここが米子市で最も賑わい栄えていた。当時を知る人なら異論はなかろう。
高校を卒業するまで、この商店街は常に人があふれていたし、休日になれば行き交う人と肩がぶつかってしまうほど大勢の人々が往来していた。
現在は人が全然おらず閑散としている。予想はしていたが、ここまで寂れたとは思わなかった。
高校を卒業して福岡県に転居した後、JR米子駅のすぐ近くに「米子ビブレ」という大きな商業施設がオープンした。その後「米子サティ」「イオン米子駅前」と名称変更されている。
以前なら米子駅から幾つかの商店街を経由して角盤町の「える・もーる」まで続いていた人の流れが、米子ビブレの登場によりわざわざ遠い「える・もーる」まで歩いて行く必要がなくなった。そして次第に「賑わいの中心」が角盤町から米子駅前に移ったと聞く。
さらに1999年(平成11年)、米子市のお隣り・西伯郡日吉津村(ひえづそん)に超巨大な「ジャスコ日吉津」(現在のイオンモール日吉津)がオープンし、「える・もーる」などの商店街から多くの買い物客が流れたのではないかと想像できる。
自分が福岡に転居した後の流れであり、直接的に米子市の商業的な変遷を目撃・体感してはいない。現在米子に住む知人たちから部分的に聞いた話なので、実際にはもっと細かい、あるいは異なる理由や事情があったのかもしれない。ただそれでもイオンモール日吉津の開業が決定打だったんじゃないかなと推察する。
今回の帰省でイオンモール日吉津にも行ってみたが、あそこは本当に「何でもある」。超巨大な敷地面積を活かしたテナントなどの店舗展開も充実しているし、福岡や北九州のイオンモールと比較しても全く遜色ないし魅力的。そりゃみんなここに来るよなあ、と感じた。
鳥取県は全国で最も人口が少ない。その地方都市・米子で商業施設がこれほど増えて競争が過酷になり、少ないパイの奪い合いが加速すれば脱落するところが出てくるのは必定。
すぐ近くに自分の高校があったこともあり、数え切れないほど通った「やよい」は2016年に破産して閉店したと知った。
「える・もーる1番街」を歩いていた5人ほどの通行者に「やよい」がいつ頃閉店したのかを質問してみたところ、全員が「忘れた」「いつの間にか」と閉店時期を覚えてなかった。ちなみに私の両親も「覚えてない」と言ってた。
たった1年しか経っていないのに、誰も知らないことに驚いてしまった。そんなにもひっそりと「やよい」は幕を閉じたのだろうか。
「やよい」の向かいにある高島屋の屋上も人の気配がない。閑散としているのを逆手に取ったか、カップルが1組いただけ。ここも昔は人で賑わってた。子供たちの好きそうな遊具があり、時々はショーも開催されていて、典型的な「百貨店の屋上」だった。
屋上から米子の市街地を覗き込む。鳥取を去ってから30年経ってるので、変わったのか変わってないのかよく分からない。
「える・もーる」で唯一嬉しかったのは、ロッテリアが今も営業していたこと。ここもオープンして30年くらいになる。以前うちの母親に聞いたら「あそこ潰れたよ」と言ってた。ウソツキである。
ちなみにこのロッテリア、記憶が正しければ米子市で初めてのファストフード店だったはず。
注意ポイント
高島屋横のロッテリアは2020年1月で閉店したとのことです。
米子市役所も移転した
福岡では福岡銀行を「ふくぎん」、西日本シティ銀行を「にしぎん」と愛称で呼ぶが、同じように鳥取銀行は「とりぎん」と呼ぶ。
その「とりぎん」を「銀行」ではなく「焼き鳥屋」だと勘違いした友人が米子市内で途方に暮れたという実話エピソードも以前ブログで書いた。
アナタたちは鳥取県について何も知らない(私も含む)
人生の中で「福岡県民」である時間がもっとも長くなった私ですが、もともと出身は鳥取県です。鳥取を離れて20年以上が経過しているので、直近の状況は私もよく分かりませんが、私が知る限りの鳥取県を語ってみます。
米子市役所の旧庁舎。新庁舎(米子市加茂町一丁目)は徒歩2分くらいの距離にある。
自分が米子市に住んでいた頃、旧市役所はまだ現役だった。ここで転出届をもらい、福岡県へと移住したのがずいぶん昔のように感じる。
旧庁舎は現在「米子市立山陰歴史館」(米子市中町)となってるのだが、一部の部署は(なぜかは知らないが)新庁舎から旧庁舎に移転して活動しているらしい。
旧庁舎の前だけどバス停の名前が「市役所前」なのは好き。
市役所の旧庁舎から左に曲がり、旧加茂川沿いを散策。ここは以前、NHKドラマのロケ地になった。
米子市の加茂川周辺、NHKドラマ「ちょっとは、ダラズに」ロケ地を散策
2014年1月にNHK鳥取放送局で制作され全国で放送された地域ドラマ「ちょっとは、ダラズに」。先日帰省した際、このドラマのロケ地となった加茂川周辺を偶然訪れたので、記憶を頼りに散策してみました。
先ほど訪れた「える・もーる1番街」の前を再び通過。アーケードの下を車が走ってるのには驚いた。いつの間に車が通行可能になった?
米子市公会堂(米子市角盤町二丁目)。これも昔からある古い建物。
高校2年の時、岡田有希子のコンサートがここ米子市公会堂で開催されるはずだった。大ファンだったので絶対に行くつもりだったが、コンサート当日にどうしても外せない用事があると気付き、断念。
しかしチケットの売れ行きが悪かったらしく、予定人数に達しなかったとかでコンサートは中止になったと数週間後に発表された。
翌年の春、岡田有希子は亡くなってしまった。今も米子市公会堂を見る度に「あの時チケットを買ってたら」と考えてしまう。
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岡田有希子追悼:鳥取県米子市の夏祭りに出演した彼女を至近距離で見た
1984年にデビューし、わずか3年の芸能活動の末に亡くなった岡田有希子という女性アイドルがいました。命日にあたり彼女にまつわる個人的な思い出を綴ります。
公会堂前の道路を渡り、米子西高校の跡地を散策しながら懐かしんだ。別記事にまとめている。
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米子西高校の旧校舎跡地及び周辺の現在(30年ぶりの訪問)
今回帰省した際の米子市散策で行ってみたかった場所の1つである「かつて通った高校の跡地」を30年ぶりに訪問してきました。懐かしくもあり、校舎が取り壊された後にできた施設が何なのか判明する驚きもありました。
高校時代に自転車で毎日通学していた道を30年ぶりに歩いてみる。JR境線の踏切を再び渡る。
JR西日本・後藤総合車両所(米子市日ノ出町二丁目)。ここも昔からある。高校時代はいつも正門の前を自転車で通過するだけだったので、工場の中を覗いたのは初めてだった。
さすがに30年も経つといろいろ忘れていたが、ここの橋でいつも信号に引っ掛かり止まっていたのは覚えてた。
川の名前は完全に忘れていたが、案内板を見ると「米川」と書かれている。読みは「よねがわ」。
県道317号を横断し、天満屋に戻って米子市散策は終了。
歩行時間は1時間59分。歩行距離は6.05km。
約2時間、昔は自転車で巡っていた馴染みの街並みを初めて自分の脚でゆっくりと散策できて楽しかった。今回の帰省旅行で絶対にやりたかった事の1つを達成できて満足。
他にも米子市内で歩いてみたい場所はまだまだ沢山ある。次回の楽しみにしておこう。