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闘魂三銃士と全日本四天王のプロレス名勝負を収録した6枚組DVDが発売開始

名勝負集だけでなく5人の座談会まで

1990年代のプロレスファンを熱くさせた、新日本プロレスの「闘魂三銃士」と、全日本プロレスの「四天王」。

彼等の名勝負集、そして5人による初めての座談会を収録した豪華DVDがリリースされました。

闘魂三銃士、全日本四天王とは

昔からのプロレスファンにはお馴染みの名前ですが、ご存知ない方のために。

まず「闘魂三銃士」は、

◆武藤敬司
◆蝶野正洋
橋本真也(故人)

新日本プロレスで1984年に入門した同期3名によるユニット。とはいっても3人がチームとして一緒に試合をしたのは数回しかなく、あとは2人でタッグを結成したり、時には敵対しつつファンから愛されていました。

一方「全日本四天王」は、ユニット名ではなく総称です。

三沢光晴(故人)
◆川田利明
◆田上明
◆小橋建太

彼等4人が同じチームとして試合をしたことはありません。タッグ戦で「超世代軍」「聖鬼軍」として4人が敵対して闘ったことはあります。

ジャイアント馬場ジャンボ鶴田という全日本プロレス創設時からのエース的存在だった2人が一線を退いて以降、激しく熱いファイトスタイルでファンの絶大な支持を集めた同世代の4人を「四天王」と呼んでいます。

収録されている試合

今回リリースされたDVDは6枚組。闘魂三銃士と全日本四天王の熱きファイトをDVDボックスセットで堪能できます。

数々の名場面集だけでなく、武藤・蝶野・川田・田上・小橋の5名が初めて一堂に会したスペシャル対談(なんと82分もの長さ!)も収録されています。

このスペシャル対談だけでも見たい。一切交わることがなかった新日本&全日本時代に互いがどう感じていたか、交流戦で闘うようになった頃の相手への印象、団体創設者である馬場・猪木に関する話など、いろんな話題が出ているようです。

収録されている試合は(大人の事情なのか)ダイジェスト編集されているものもある中、ノーカットで最初から最後まで収録されている試合もあります。

収録されている試合は以下の通り。覚えている範囲で試合の解説を付け加えています(間違ってたらスイマセン)。

★DISC 1

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 1990年4月27日 東京ベイNKホール IWGPタッグ選手権試合 マサ斎藤&橋本真也 vs 武藤敬司&蝶野正洋
  2. 1990年5月28日 大阪府立体育会館 長州対闘魂三銃士シングル三番勝負第3戦 長州力 vs 橋本真也
  3. 1990年6月8日 日本武道館 ジャンボ鶴田 vs 三沢光晴
  4. 1991年1月15日 後楽園ホール 川田利明 vs 田上明 (試合前に1.2開幕戦の乱闘ダイジェスト入り)
  5. 1991年4月18日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 ジャンボ鶴田 vs 三沢光晴
  6. 1991年7月24日 石川県産業展示館 世界タッグ選手権試合 テリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムス vs 三沢光晴&川田利明
  7. 1991年8月11日 両国国技館 G1クライマックスBリーグ代表者決定戦 橋本真也 vs 蝶野正洋
  8. 1991年8月11日 両国国技館 G1クライマックス優勝決定戦 武藤敬司 vs 蝶野正洋
  9. 1992年3月1日 横浜アリーナ IWGPタッグ選手権試合 武藤敬司&馳浩 vs ビッグバン・ベイダー&クラッシャー・バンバン・ビガロ
  10. 1992年3月20日 後楽園ホール 92チャンピオン・カーニバル Bブロック リーグ戦 川田利明 vs 小橋健太
  11. 1992年3月31日 富山市体育館 92チャンピオン・カーニバル Bブロック リーグ戦 川田利明 vs 田上明
  12. 1992年8月22日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 スタン・ハンセン vs 三沢光晴
  13. 1992年10月21日 浜松アリーナ SGタッグリーグ公式戦 長州力&橋本真也 vs 藤波辰爾&中西学
  14. 1992年10月21日 浜松アリーナ SGタッグリーグ優勝決定戦 長州力&橋本真也 vs 馳浩&佐々木健介
  15. 1992年10月21日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 川田利明

1990年4月27日 東京ベイNKホール IWGPタッグ選手権試合 マサ斎藤&橋本真也 vs 武藤敬司&蝶野正洋

烈風隊(ジョージ高野&スーパー・ストロング・マシン組)に勝利して初めての王座を獲得した橋本選手。

対する挑戦者は、WCWで「グレート・ムタ」として大活躍していたのに強制的に帰国させられた武藤選手の凱旋試合。

闘魂三銃士の3人が揃って新日本のタイトル戦線に絡んだ初の試合となりました。

1990年6月8日 日本武道館 ジャンボ鶴田 vs 三沢光晴

タイガーマスクの覆面を脱ぎ、素顔で試合に出るようになった三沢選手が、ジャンボ鶴田選手と初めてシングル戦を闘った試合。

実況していた若林アナウンサー(当時)が「勝った〜! 三沢が勝った〜!」と声を裏返らせながら大絶叫していたのが思い出されます。この試合での勝利により、三沢選手は「新世代の旗手」と称され、全日本プロレスは新時代に移ります。

ダイジェスト版なのでどこまで収録されているかは分かりませんが、勝利した三沢選手を試合後に川田選手が肩車で祝福し、その横では(まだ敵対していなかった)田上選手も三沢選手を祝福していました。まだ超世代軍が結成される前の貴重な1シーン。

※「超世代軍」結成時には田上選手もメンバーとして含まれていたのですが、その直後にパートナー不在だった鶴田選手から指名されたことで、田上選手は超世代軍としての試合を行わないまま離脱し、三沢選手たちと敵対することになります。

1991年8月11日 両国国技館 G1クライマックス優勝決定戦 武藤敬司 vs 蝶野正洋

優勝候補だった長州力選手がグループリーグで全敗して予選落ちするなど大波乱だった第1回G1クライマックス。トーナメント決勝まで勝ち上がったのは武藤選手、そして大半の人々が予想してなかった蝶野選手でした。

試合後、3位だった橋本選手もリングに上がり、蝶野選手の音頭で闘魂三銃士の3人が「1・2・3、ダァーッ!」を叫ぶというエンディング。世代交代を印象づけると共に、蝶野選手の評価が猛烈に急上昇した記念すべき大会となりました。

1991年7月24日 石川県産業展示館 世界タッグ選手権試合 テリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムス vs 三沢光晴&川田利明

ゴディ&ウイリアムスの「殺人魚雷コンビ」に超世代軍の2人が挑み、初めてタッグ王座を獲得した試合です。

1992年8月22日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 スタン・ハンセン vs 三沢光晴

これは三沢選手が初めてハンセンに勝利して、三冠王座も初めて獲得した試合じゃなかったかな。

ハンセンと初めて三冠戦を闘った際には敗れており、その試合がテレビで放送されるよりも前、おもいっきりネタバレしていた週刊プロレス増刊号の表紙を書店で見てしまい絶望したのは忘れられません。

★DISC 2

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 1993年5月3日 福岡ドーム 蝶野正洋&橋本真也 vs ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー
  2. 1993年5月3日 福岡ドーム グレート・ムタ vs ハルク・ホーガン
  3. 1993年5月20日 札幌中島体育センター 世界タッグ選手権試合 テリー・ゴディ&スティーブ・ウイリアムス vs 川田利明&田上明
  4. 1993年5月21日 札幌中島体育センター 特別試合 小橋健太 vs テリー・ゴディ
  5. 1993年6月1日 日本武道館 世界タッグ選手権試合 川田利明&田上明 vs 三沢光晴&小橋健太
  6. 1994年4月16日 日本武道館 94チャンピオン・カーニバル 優勝決定戦 川田利明 vs スティーブ・ウイリアムス
  7. 1994年5月21日 札幌中島体育センター 世界タッグ選手権試合 三沢光晴&小橋健太 vs 田上明&川田利明
  8. 1994年9月19日 石川県産業展示館 蝶野正洋 vs 馳浩
  9. 1995年4月16日 広島サンプラザ 武藤敬司 vs 天山広吉
  10. 1995年5月3日 福岡ドーム IWGPヘビー級選手権試合 橋本真也 vs 武藤敬司
  11. 1995年6月9日 日本武道館 世界タッグ選手権試合 三沢光晴&小橋健太 vs 川田利明&田上明

1993年5月3日 福岡ドーム 蝶野正洋&橋本真也 vs ホーク・ウォリアー&パワー・ウォリアー

パートナーのアニマルが負傷により活動休止となったホーク・ウォリアー選手が佐々木健介にタッグ結成を打診し、承諾した佐々木選手がパワー・ウォリアーというペイントレスラーに変身。タッグ名は公募の結果「ヘルレイザーズ」となりました。

1992年11月に結成されたヘルレイザーズですが、このDVDボックスに収録されているのは翌1993年5月の福岡ドーム(現在のヤフオクドーム)。この試合、私は福岡ドームで生観戦してました。なぜこれがDVD収録試合に選ばれたのか(しかもノーカットなのか)がよく分からない。

蝶野&橋本組がヘルレイザーズを小馬鹿にするような、おふざけモードの挑発映像が試合前に流されたのは覚えています。ギッタギタにやられてしまうフラグ立てだろうなと予想しましたが、その通りになりました。

1993年5月3日 福岡ドーム グレート・ムタ vs ハルク・ホーガン

前述の通り、この試合も福岡ドームで生観戦してました。この試合を現地で観戦できたことは本当に幸せでしたね。世界的に見てもこんな貴重な試合はない。

というのも、グレート・ムタはアメリカのWCWで絶大な人気を誇った大ヒール。一方のホーガンはライバル団体のWWF(現在のWWE)で一時代を築いた、「強きアメリカの象徴」とまで形容された大スターなわけです。

当然ながら敵対していたWCWとWWFのトップ選手同士の対戦が実現したわけです。当時のアメリカでは絶対に不可能だった試合なわけで、海外選手と強いコネクションを持っていたマサ斉藤選手の招聘力は素晴らしいなと感動しました。

私はアリーナ席の選手退場通路すぐ横で観戦してたのですが、ホーガンが退場時、アドレナリンが出まくってて大興奮しており、突然観客に向かってアックスボンバーするフェイントをかましました。

目の前で見ていた観客、ものすごくビックリしてました。それ私なんですけどね

1994年9月19日 石川県産業展示館 蝶野正洋 vs 馳浩

この年の「G1 CLIMAX」で自身3度目の優勝を飾ったものの、大会前から不穏な雰囲気を漂わせていた蝶野選手が、コスチュームを黒色に変え、テーマ曲も現在使っているリズムの速いものに変更し、「黒い蝶野」としてヒールモードに突入した最初の試合です。

グレート・ムタが日本に登場し始めた頃にも対戦相手となり、大流血させられた馳選手ですが、この「黒い蝶野のお披露目試合」でも大流血させられてます。あれだけ人前で何度も大流血したことのある文部科学大臣ってのも珍しい。

1995年5月3日 福岡ドーム IWGPヘビー級選手権試合 橋本真也 vs 武藤敬司

1995年の福岡ドーム大会。これも私はアリーナ席で生観戦してました。

極度のスランプ状態で試合に負け続けていた武藤選手がIWGPヘビー級王座への挑戦権を獲得。当時の王者は歴代最長の王座防衛記録を継続していた橋本選手。

ヒゲをボウボウに生やした野武士みたいな武藤選手が試合後にマイクで

「武藤敬司は驀進(ばくしん)します!」

と叫んだのが名場面。おそらくDVDにも収録されていることでしょう。

★DISC 3

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 1995年10月9日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権試合 武藤敬司 vs 髙田延彦
  2. 1995年10月25日 日本武道館 特別試合 川田利明 vs ゲーリー・オブライト
  3. 1995年12月9日 日本武道館 95世界最強タッグ決定リーグ戦 優勝決定戦 三沢光晴&小橋健太 vs 川田利明&田上明
  4. 1996年4月29日 東京ドーム グレート・ムタ vs 新崎”白使”人生
  5. 1996年4月29日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権試合 髙田延彦 vs 橋本真也
  6. 1996年5月24日 札幌中島体育センター 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 田上明
  7. 1996年7月17日 札幌中島体育センター 長州力&武藤敬司&小島聡 vs ホーク・ウォリアー&アニマル・ウォリアー&パワー・ウォリアー
  8. 1996年7月17日 札幌中島体育センター IWGPヘビー級選手権試合 橋本真也 vs リック・フレアー
  9. 1996年7月24日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 田上明 vs 小橋健太
  10. 1996年10月18日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 小橋健太 vs 川田利明

1995年10月9日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権試合 武藤敬司 vs 髙田延彦

1990年代のプロレスを語る上で絶対に欠かせない、新日本プロレスとUWFインターナショナルの団体対抗戦。そのメインイベントで行われたタイトル戦。いま見てもこの試合は熱い。

電撃的に決定した団体対抗戦。当時「世界一」を自称し、各プロレス団体にケンカを売りまくっていたUWFインター。そのケンカを買った新日本(当時の現場責任者は長州力)。両団体のトップだった武藤選手と高田選手の対戦は20年以上経った今見ても熱いです。

ドラゴンスクリューからの足四の字固めというムーブが「必殺技」としてプロレス界に与えたインパクトはスゴく、現在もこのムーブを使っている選手がいるほど(WWEでも最近になってダニエル・ブライアン選手がこのムーブを使い始めてます)。

この一連のムーブは武藤選手によれば「たまたま」だったとか。ムーンサルト・プレスの酷使で両ヒザの怪我が深刻だった武藤選手にとって、足四の字固めをフィニッシュにできたことはとても助かった、と最近のインタビューで語っていました。

1995年10月25日 日本武道館 特別試合 川田利明 vs ゲーリー・オブライト

高田延彦選手の所属していたUWFインターナショナルにおいて、フォールや繋ぎ技ではなく「相手をKO・失神させる」フルネルソン・スープレックスを武器にして恐れられていたゲーリー・オブライト選手が全日本プロレスに初参戦した時の試合。

UWFインターでは無敵状態だったオブライト選手が、全日本では解説の馬場さんから「プロレスが下手」などとケチョンケチョンに酷評されたのも懐かしい。

この後、オブライト選手は全日本に所属となり、スティーブ・ウイリアムス選手とユニットを結成したりもしてました。

1996年4月29日 東京ドーム グレート・ムタ vs 新崎”白使”人生

みちのくプロレス出身の新崎人生選手がWWEと契約し、「白使(HAKUSHI)」というリングネームとギミックで活躍。WWEと契約終了した新崎選手が日本に帰ってきた際、武藤選手の別の顔であるムタと対戦したのがこの試合。

白使があり得ないほど大流血した試合です。そういう試合(流血)が苦手な方はご注意を。

1996年4月29日 東京ドーム IWGPヘビー級選手権試合 髙田延彦 vs 橋本真也

前述した「新日本vsUWFインター」の対抗戦では高田選手に勝利した武藤選手。しかしその後の再戦で敗れて王座陥落。至宝であるIWGPヘビー級王座が他団体に流出して新日本ファンは大騒ぎとなりました。

タイトルを獲り返すため、ファンの期待を背に挑戦者となったのが橋本選手。このタイトル戦も物凄い試合となりました。フィニッシュの「えげつなさ」は今見ても相当な衝撃を受けるはずです。

1996年7月17日 札幌中島体育センター 長州力&武藤敬司&小島聡 vs ホーク・ウォリアー&アニマル・ウォリアー&パワー・ウォリアー

負傷により長いこと活動休止していたアニマル・ウォリアーがようやく復帰し、ロード・ウォリアーズのパートナーでもあるホーク、そしてホークの現パートナーだったパワー(=佐々木健介)と初めてトリオを結成した、言ってしまえば「お祭り試合」です。

★DISC 4

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 1997年1月20日 大阪府立体育会館 三冠ヘビー級選手権試合 小橋健太 vs 三沢光晴
  2. 1997年4月19日 日本武道館 97チャンピオン・カーニバル 優勝決定巴戦 第1試合 三沢光晴 vs 小橋健太
  3. 1997年4月19日 日本武道館 97チャンピオン・カーニバル 優勝決定巴戦 第2試合 三沢光晴 vs 川田利明
  4. 1997年4月19日 日本武道館 97チャンピオン・カーニバル 優勝決定巴戦 第3試合 川田利明 vs 小橋健太
  5. 1997年9月23日 日本武道館 佐々木健介&山崎一夫 vs グレート・ムタ&蝶野正洋
  6. 1997年10月19日 神戸ワールド記念ホール IWGPタッグ選手権試合 佐々木健介&山崎一夫 vs 武藤敬司&蝶野正洋
  7. 1997年10月21日 日本武道館 川田利明 vs 髙山善廣
  8. 1997年10月21日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 小橋健太
  9. 1998年4月4日 東京ドーム IWGPタッグ選手権試合 武藤敬司&蝶野正洋 vs 橋本真也&西村修
  10. 1998年5月1日 東京ドーム 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 川田利明
  11. 1998年10月11日 愛知県体育館 世界タッグ選手権試合 川田利明&田上明 vs 小橋健太&秋山準
  12. 1998年10月31日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 小橋健太 vs 三沢光晴

1997年9月23日 日本武道館 佐々木健介&山崎一夫 vs グレート・ムタ&蝶野正洋

アメリカのWCWで誕生し、世界的な人気を誇った「nWo」。私もnWoのTシャツやGジャン持ってましたねー。日本では蝶野選手を中心に「nWoジャパン」が結成されていました。

そのnWoジャパンに1997年から「グレート・ムタ」として加入したものの、本来の顔である武藤敬司としてはnWo入りを拒絶していた武藤選手が、この試合中に電撃的なnWo入りとなった試合です。

文章で表現すると、知らない人には分かりづらいかもしれません。二重人格だった「ムタ」と「武藤」のうち、ムタはnWo、武藤は正規軍として活動してたのですが、正規軍だったはずの「武藤」もこの試合で(それも試合中に!)nWoに入り、武藤選手としてはムタ以外で初めてヒールになった試合なのです。

1990年の凱旋帰国以来ずっと「赤やオレンジのショートタイツ」で通してきた武藤選手は、nWo入りを機に「黒のロングタイツ」を履くようになりました。

1997年10月21日 日本武道館 川田利明 vs 髙山善廣

1996年9月にUWFインターナショナルの所属選手として川田選手とシングル戦を闘い敗れた髙山選手が、翌1997年にはフリーランスとして全日本プロレスに参戦(その後に正式所属)。川田選手と再戦した試合です。

1997年10月21日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 小橋健太

超世代軍を離脱した小橋選手が王者の三沢選手に挑戦した名勝負。

この年のプロレス大賞でベストバウト賞(年間最高試合)に選ばれた試合です。

1998年5月1日 東京ドーム 三冠ヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 川田利明

全日本プロレスが初めて開催した東京ドーム大会のメイン戦として行われた三冠戦。この試合の後、馬場さんの指示もあり三沢選手はしばらく休養に入りました。

1998年10月31日 日本武道館 三冠ヘビー級選手権試合 小橋健太 vs 三沢光晴

前年とは王者と挑戦者が逆転してますが、こちらも1998年のベストバウト賞(年間最高試合)に選ばれた試合です。

2年連続で同じカードが選ばれていることからも、この対戦がどれほどファンに支持されていたかが分かります。

★DISC 5

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 2001年1月13日 大阪府立体育会館 三沢光晴&小川良成 vs 橋本真也&アレクサンダー大塚
  2. 2001年10月8日 東京ドーム 永田裕志&秋山準 vs 武藤敬司&馳浩
  3. 2002年5月2日 東京ドーム 蝶野正洋 vs 三沢光晴
  4. 2003年1月10日 日本武道館 スペシャルタッグマッチ 三沢光晴&蝶野正洋 vs 小橋建太&田上明
  5. 2003年3月1日 日本武道館 GHCヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 小橋建太
  6. 2003年5月2日 東京ドーム GHCヘビー級選手権試合 小橋建太 vs 蝶野正洋
  7. 2004年7月10日 東京ドーム GHCタッグ選手権試合 三沢光晴&小川良成 vs 武藤敬司&太陽ケア
  8. 2004年10月9日 両国国技館 棚橋弘至&中邑真輔 vs 武藤敬司&西村修
  9. 2005年7月18日 東京ドーム 三沢光晴 vs 川田利明

2001年1月13日 大阪府立体育会館 三沢光晴&小川良成 vs 橋本真也&アレクサンダー大塚

2000年5月に全日本プロレスの社長を解任となった三沢選手は、翌月に全日本を退団し、新団体「プロレスリング・ノア」を旗揚げ。全日本から大量の選手が移籍しています。

一方、橋本選手も2000年11月に新日本プロレスを解雇され、新団体「ZERO-ONE」を旗揚げ、そのZERO-ONE旗揚げ戦で橋本選手と三沢選手が初対戦した時の試合がノーカット収録されてます。

闘魂三銃士と全日本四天王が初めて直接対決し、その後の流れを作った記念すべき試合。試合後の大乱闘では三沢選手がマイクを持って怒鳴るという大変貴重なシーンも。これ必見ですよ。

2001年10月8日 東京ドーム 永田裕志&秋山準 vs 武藤敬司&馳浩

2000年に蝶野選手と対立した結果「nWoジャパン」が消滅し、WCWに短期遠征後、日本帰国試合でスキンヘッドに変身してファンを仰天させた武藤選手は、2001年に超党派ユニット「BATT」を結成。新日本所属ながら全日本所属の太陽ケア選手や馳選手とも共闘するようになります。

一方、世代の近かった永田選手(新日本)と秋山選手(全日本)も闘いを通じて共闘し、他団体同士のタッグで対戦した世代闘争的試合。

2002年5月2日 東京ドーム 蝶野正洋 vs 三沢光晴

この年、新日本の現場監督に就任した蝶野選手が初めてセッティングした試合で、他団体であるノアの社長・三沢選手を招聘し、東京ドームで初のシングル戦を行いました。

「ジャイアント馬場の弟子」である三沢選手が、「アントニオ猪木の弟子」である蝶野選手に(猪木の必殺技である)卍固めを仕掛けたり、逆に蝶野選手が(馬場の必殺技である)ランニング・ネックブリーカーを仕掛けるといった印象的なシーンもあります。

2003年1月10日 日本武道館 スペシャルタッグマッチ 三沢光晴&蝶野正洋 vs 小橋建太&田上明

三沢選手が新日本の東京ドーム大会に参戦してくれたことの返礼として、今度は蝶野選手がノアに初参戦。三沢選手と初タッグを結成し、小橋&田上組と対戦したという試合です。

2003年3月1日 日本武道館 GHCヘビー級選手権試合 三沢光晴 vs 小橋建太

三沢選手が小橋選手を武道館の特設花道で捕らえ、断崖タイガースープレックスで場外に投げ落とすという、日本プロレス史上これほどまでに絶句したシーンはないんじゃないかという荒技が繰り出された試合です。

2003年5月2日 東京ドーム GHCヘビー級選手権試合 小橋建太 vs 蝶野正洋

ノア所属の小橋選手が新日本プロレスの東京ドーム大会に乗り込み、敵地でGHCヘビー級王座戦を行ったという試合。

対戦相手は蝶野選手。この頃はノアの主力選手と積極的に絡んで「夢の試合」を次々と実現させ、現場監督として大いにファンを喜ばせていました。

2004年7月10日 東京ドーム GHCタッグ選手権試合 三沢光晴&小川良成 vs 武藤敬司&太陽ケア

共に「天才」と称されていた武藤選手と三沢選手が、タッグ戦ながら初めて対戦した試合。この時、武藤選手は新日本プロレスを離脱して(三沢選手の古巣である)全日本プロレスに移籍して社長に就任しており、元社長と現社長(当時)の対決でもありました。

三沢選手がシャイニング・ウィザードを、武藤選手がエメラルド・フロージョンを、それぞれ相手の必殺技を逆に仕掛けるという見せ場もありました。

2005年7月18日 東京ドーム 三沢光晴 vs 川田利明

元々は高校の先輩・後輩の間柄で、全日本プロレス時代には超世代軍としてタッグ王者にもなった三沢選手と川田選手。

2000年に三沢選手たちが全日本を離脱してノアを旗揚げし、一方の川田選手は全日本に残留して袂を分かっていた2人ですが、2005年に「無所属」宣言をした川田選手がノアの大会に来場し、三沢選手に対戦要求したことで5年ぶりに実現したシングル戦。

★DISC 6

※赤文字の試合はノーカット収録

  1. 2009年1月4日 東京ドーム 中邑真輔&後藤洋央紀 vs 三沢光晴&杉浦貴
  2. 2009年9月27日 日本武道館 スペシャルタッグマッチ 田上明&武藤敬司 vs 小橋建太&髙山善廣
  3. 2009年10月3日 大阪府立体育会館 潮﨑豪&小橋建太&蝶野正洋 vs 力皇猛&モハメド・ヨネ&齋藤彰俊
  4. 2009年10月12日 両国国技館 蝶野正洋デビュー25周年記念試合 蝶野正洋&武藤敬司&小橋建太 vs 中西学&小島聡&秋山準
  5. スペシャル対談:闘魂三銃士(武藤敬司、蝶野正洋)×全日本四天王(川田利明、田上明、小橋建太)

2009年1月4日 東京ドーム 中邑真輔&後藤洋央紀 vs 三沢光晴&杉浦貴

2018年現在、世界最大のプロレス団体・WWEでタイトル戦線に絡み主力級の活躍を続け、世界的な知名度を得ている中邑真輔選手

彼がまだ新日本所属で、髪も今ほど長くなくて、雄叫びもあげてなかった頃、三沢選手と対戦した唯一の試合。今となっては超貴重な映像です。

この試合の5ヶ月後、三沢選手は試合中の事故により急逝しました。

2009年9月27日 日本武道館 スペシャルタッグマッチ 田上明&武藤敬司 vs 小橋建太&髙山善廣

三沢選手の事故死により社長業を継いだのが田上選手。三沢選手の追悼試合として全日本プロレス社長の武藤選手が参戦し、両団体の社長が初タッグを結成しています。

ちなみに、DVDに収録されているスペシャル退団の中で、田上選手はこの試合について振り返り、

タッグを組んだ時、武藤さんは自分のやりたいことだけやってサッサと帰っちゃって、ヒドいなと思った

と語ってるそうです。それを受けて武藤選手は

それが新日本流なんだよ(笑)

と返してるのだとか。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

闘魂三銃士&全日本四天王

このDVDボックスのために収録された5人によるスペシャル対談も興味深いし、過去の名勝負をコレクションとして持っておけるのもいいですね(中には動画サイトでも見られない試合がありますので)。

かつて我々の世代を熱くさせてくれた名レスラーたちの名勝負が勢揃いしています。テレビの前で魂を震わせようではありませんか。


三沢光晴:虎から超世代、そして方舟へ【レスラー列伝#7】

亡くなってしまった名レスラーを偲び、個人的な思い出を記していく企画。今回は2代目タイガーマスクとして脚光を浴び、超世代軍として全日本プロレスのブームをけん引、その後プロレスリング・ノアを旗揚げした三沢光晴について語ります。

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