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nWo:史上最大の混沌を生んだヒールユニット【レスラー列伝#22】

2014年10月4日

Catch20141004

プロレスの枠を超えて全世界でブームとなった

プロレス界の枠を超えて全世界で大流行した「nWo」というムーブメントがありました。1990年代のプロレスファンであればみんな知っていると思います。

読みはそのまんま「えぬ・だぶりゅー・おー」。New World Order(=新世界秩序)の略で、1990年にアメリカのブッシュ(父)大統領が行った演説で用いている表現だそうです。

nWoのTシャツは本国アメリカだけでなく日本でもバカ売れで、プロレス知らない人でも着てました。私もTシャツとGジャンを持ってましたよ。

nWoのブームは世界中で浸透しました。

例えば、格闘技「K-1」のリングで絶頂期にあったピーター・アーツは、トーナメント決勝にnWoのTシャツを着て入場していました。

バスケットボールのスター選手だったデニス・ロッドマンもnWoへの加入を宣言し、プロレスの試合までしてしまったり。

アメリカ・メジャーリーグの試合中、球場の観客席でnWoのTシャツを着る集団が頻繁にテレビで映るなど、プロレスという枠を超えて大流行していました。

ユニット「クリック」と、タブー破りのカーテンコール事件

nWoという一大勢力の誕生は、WWF(現在のWWE)に所属していた2人のスーパースターがライバル団体・WCWに引き抜かれ、電撃移籍した事が発端となっています。

その2人とは、ディーゼル(本名はケビン・ナッシュ)と、レイザー・ラモン(本名はスコット・ホール)。

ディーゼルはWWFタイトルの最長保持記録(当時)を持ち、ラモンもまたインタコンチネンタル王座を巡って数々の名勝負を繰り広げて人気者となりました。二人ともWWFの主力選手として活躍。

しかしライバル団体のWCWから莫大な移籍金を提示されたことで、まだWWFとの契約が残っていたにもかかわらず二人は移籍することになります。

  • ショーン・マイケルズ
  • ディーゼル(=ケビン・ナッシュ)
  • レイザー・ラモン(=スコット・ホール)
  • ハンター・ハースト・ヘルムスリー(=現在のトリプルH、本名ポール・レヴェック)
  • ショーン・ウォルトマン(=nWoでのリングネームは「シックス」、後のXパック)

WWFに所属していた上記の5人はプライベートで大変仲が良く、WWFのバックステージでもマッチメイクやブッキングに巨大な影響力を持ち始め、「クリック(The Kliq)」というユニット名で呼ばれていました。

WWFの実況などには登場しない、裏での呼称です。

nWoのメンバーたちが手をキツネ形にしてサインを送る「ウルフヘッド」は、元々はクリックの仲間たちでやっていたものだそうです。

WCWへの移籍直前、WWF最後の試合でディーゼルはショーン・マイケルズと金網戦を行いました。

試合終了後にウォルトマンを除く仲間(ラモンとハンター)がリングに上がって互いにハグを交わし、最後には観客に向かってカーテンコールを行いました。当時の週刊プロレスにも写真付きで紹介されていたのを覚えています。

当時はマイケルズとラモンがベビーフェイスで、ディーゼルとトリプルHはヒール。リング上では敵対関係にあった4人な訳です。

仮にプライベートで仲良くてもリング上ではそれを出さない(=実生活でも仲が悪いと思わせる)というのが当時は暗黙の了解だったため、それを破った4人の行動は「カーテンコール事件」として話題となりました。

アウトサイダーズの襲撃

1996年、WWFを離れた2人のうち、先にスコット・ホールが単独でWCW月曜の定期放送「マンデー・ナイトロ」に初登場。驚いた実況陣に対してホールは「戦争がしたいのか? 戦争が望みか?」と凄んでみせます。

やがてケビン・ナッシュも合流。「WWFの悪口を言ってるのはオマエか」と実況席に座っていたエリック・ビショフ(=当時WCWの副社長)に詰め寄り、WWFのトップレスラー2人がWCWを襲撃に来たということを視聴者に見せつけました。

当初は「WWF対WCW」という団体抗争のストーリーラインを考えていたようで、他にも仲間がいるんだぞ、と凄んだナッシュ&ホールでした。

しかし結果的にクリックの仲間で本当に移籍してきたのはウォルトマン1人だけ。WWFが流出を食い止めるため、法的なことも含めて様々な手段を講じたらしいです。WWF対WCWの設定もすぐに消滅しました。

WWF時代のリングネームだった「ディーゼル」「レイザー・ラモン」はWWFが商標登録していたため、他団体では名乗ることが出来ません。

そのためWCWの初登場時はリングネームが定まっておらず、実況陣はナッシュ&ホールを「彼ら」と呼び、外敵という意味で「アウトサイダーズ(The Outsiders)」と呼ばれるようになりました。

ナッシュ&ホールが自分たちから「アウトサイダーズ」と呼ぶようリクエストしたわけではない、と後に述懐しています。

一方、2人に去られたWWFですが、カーテンコールを起こした2人のうち、ショーン・マイケルズは当時WWF王者だったため特に処分なし。ハンター(=HHH)は罰として前座に格下げとなり、しばらく干されることになります。

で、ハンターが座るはずだったエース格のポジションにはストーンコールド・スティーブ・オースチンが就くことになりました。

これが結果的にはWWFとWCWの視聴率戦争を大きく左右することとなります。詳しくは後述します。

ディーゼルとレーザー・ラモンの商標を持つWWFは、

  • 2代目ディーゼル(=正体は後のケイン)
  • 2代目レイザー・ラモン(=正体はFMWや新日本に出場経験もあるビッグ・タイトン)

を登場させますが、どちらも本家には程遠い実力でファンやメディアからも大不評。あっという間に姿を消してしまいました。

全米が驚いたホーガンのヒール転向

アウトサイダーズのWCWデビュー戦は、当時のWCW正規軍3人、スティング&レックス・ルガー&ランディ・サベージとのタッグマッチでした。ナッシュ&ホール組は、残り1名のパートナーを秘密にしたまま試合開始。

終盤、WCW正規軍メンバーだったハルク・ホーガンがリングサイドに登場。正規軍を助けるのかと思いきや、サベージに必殺技のレッグドロップを落とし、正規軍への裏切りとナッシュ&ホールとの共闘を宣言。

それまで一度もヒールになったことのないホーガンの行動にファンは仰天し、そして激怒。リング上にはおびただしい数のゴミが投げ込まれました。

WWF時代から延々と続いていた「赤と黄色のスーパーヒーロー」を捨て、頬に黒のペイントを施し、白黒のバンダナを巻き、「ハリウッド」という新ニックネームを得たホーガンは、3人のユニット名を「nWo」と宣言。黒の軍団が誕生した瞬間でした。

増殖を続ける黒い軍団

最初は3人だけだったnWoも、正規軍のザ・ジャイアント(=後のビッグ・ショー)が裏切ってnWo入りしたのを皮切りに、次から次へと黒い軍団入り。副社長のエリック・ビショフまでもがnWoに魂を売り、WCWはやりたい放題の黒モードへと突入していきます。

当初は正規軍だったサベージもnWo入り。先にnWo入りしていたエリザベス(WWFではサベージの元マネージャーで、プライベートでは元妻)と同じチームになり、ホーガンの仲介もあってWWF所属時から続いていた遺恨を清算し、関係修復となりました。

実際にプライベートで復縁したという訳ではなく、あくまでリング上だけでの関係修復だったので、当人同士はやりにくかったんじゃないかと想像します。

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1996年8月、ホーガンはWCW世界王座戦に勝利してタイトルを獲得。ベルトに黒スプレーでNWOと描いて勢力を誇示してみせました。

試合で叩きのめした相手の背中にも黒スプレーでnWoと描き続け、ファンや視聴者にもアピールを続けます。

孤高の戦士・スティングの逆襲

さて、nWoと対決するWCW正規軍ですが、そのリーダー格はスティング

スティングといえば、髪型は常に金髪で短く、喜怒哀楽が実に分かりやすく、明るいキャラでした。

両手を口にあてて吼えることでファンにアピールし、NWA王者にもなったし、同世代の武藤(=ムタ)とはライバルとして闘ったりタッグを組んだり。

日本での初参戦は全日本プロレスで、その時のキャッチフレーズが「超銀盤戦士」でした。

その後NWAが崩壊して団体がWCWに変わり、新日本プロレスと提携したことで新日本への来日がメインとなります。

私も福岡ドームで2回、金髪&短髪スティングの試合を生観戦しました。

そのスティングですが、nWoの勢力がどんどん拡大し、正規軍からnWoへと移っていく選手も相次ぎ、次第に孤立無援状態となっていきます。

抗争の末にスティングは長期欠場となり、nWoはスティングも軍団に加えようと勧誘を始めるようになります。

nWoの勧誘に返答するため久々に登場したスティングは、ピエロのような白ペイントに変貌していました。

最終的には髪を黒く染め、長髪になり、白ペイントに黒いラインで不気味さも漂わせ始め、それまで喜怒哀楽を前面に出していたキャラを完全封印し、スティングは感情を表に出さない無表情キャラへと変身したのです。

このピエロのような白ペイントはブルース・リーの息子、ブランドン・リー主演の『クロウ』という映画でブランドンが演じた主人公のペイントをモチーフにしています(ちなみにブランドンは、この作品の撮影中に事故死)。

白ペイントで黒い野球用バットを持ち、音もなく神出鬼没に出現する白スティングは、たった独りでnWo軍団を蹴散らしていきました。

時にはリング下からリングを突き破り、時には天井から吊り下がり、時にはスティングの白ペイントを模した白マスク集団にまぎれ、毎週のようにサプライズ出現してnWoメンバーを制裁していくスティング。

対照的にホーガンやナッシュなどnWoの面々はスティングの出現にパニックとなり、「正義の味方」スティングの人気は急上昇。

金髪短髪時代のスティングは「スコーピオン・デスロック(=サソリ固め)」がフィニッシュ技でした。

白ペイントに変身したスティングは敵の背後へ音もなく静かに接近し、相手の頭を抱えてからリングへ叩き落とす「スコーピオン・デスドロップ(=リバースDDT)」をフィニッシュ技として用いるようになり、そのネーミングも人気となりました。

nWoの大量増幅、それに対抗するスティングを始めとした正規軍の抗争は物凄い人気を呼び、WCWの「マンデー・ナイトロ(Monday Nitro)」の視聴率は右肩上がりで上昇。

全く同じ時間帯に放送していたライバルWWFの「マンデーナイト・ロウ(Monday Night RAW)」は、WCWとの視聴率戦争で大きく差を広げ、劣勢となったWWFは倒産寸前まで追い込まれてしまいます。

この2番組は、意図的に番組名を似た名称にして視聴率を争っていました。

nWoの迷走とWCWの終焉

1998年、軍団抗争の頂上決戦とうたわれたハルク・ホーガンとスティングのWCW世界ヘビー級王座はスティングが勝利し、約2年続いた「nWo軍 vs 正規軍」という形の抗争は終結します。

タイトルを失ったホーガンは、nWoの初期メンバーでもあるケビン・ナッシュと不仲になるというストーリーを開始し、その結果としてnWoは2つの派閥に分裂してしまいます。

ホーガン、そしてWWF時代からの盟友であるスコット・ホールと別れ、nWoから脱退したナッシュは、独自の「nWoウルフパック(=赤nWo)」を結成。

一方、ホーガンとホールの元祖nWoは「nWoハリウッド(=黒nWo)」という名称で継続。2つのnWoが存在することになります。

さらに、それまで頑なにnWo入りを拒み続け、対決していたはずのスティングが、なぜか赤nWoにすんなり加入し、ナッシュと組むことになりました。

スティングのフェイスペイントも白から赤へと大変身。もう何が何やら分からない展開に…。

この辺りからWCWは明らかに迷走してる感が増し、マンネリ化と評されるようになってきます。スティングのせいじゃないんですけどね。

一方、視聴率戦争で劣勢だったWWFは、オチャラケやおふざけ、お色気などを前面に出した「アティテュード路線」を強化し、徐々に視聴率を回復していきます。ストーンコールドの人気爆発などで、今度はWCWが次第に危なくなっていきます。

1999年に2つの派閥へと分裂した赤と黒のnWoは、1年後に再合体しました。オリジナルメンバーのホーガン&ナッシュ&ホールに加え、ルーガー&エリザベス(2人は実生活でも交際していました)、スコット・スタイナー、スコット・ノートンなどがnWoに残留。

WWFでの「モントリオール事件」により電撃退団し、WCWへと移籍してきた大物、ブレット・ハートとの一騎打ちに負けたスティングは長期欠場。サベージもnWoを去りました。

やがて徐々にnWoの存在はフェードアウトしていきます。2000年に視聴率回復を狙って「nWo2000」として復活し、今度はブレット・ハートがnWoに加入。

しかしスコット・ホールが無断欠場、さらに暴行事件で逮捕されたことでWCWを解雇され、ナッシュも負傷欠場となり万事休す。nWoはWCWから消滅してしまいました。

2001年3月、迷走とマンネリの果てにWCWという団体そのものが消滅しました。

スティング、遂にWWEと契約

視聴率戦争に逆転勝ちしたWWFがWCWを買収し、WCW選手の大半はWWFへ移籍しました。

しかしスティングはWWFに移籍せず、インディ団体などで地道に活動を続けるなど、あくまで孤高の戦士を貫いていました。

そのスティングも2014年、遂にWWEと契約しました。WWEの公式ゲームソフト「WWE 2K15」CMキャラクターに抜擢されたことで「遂にスティングがWWEに来た!」と気付いたファンたちは大喜びしたのです。

しかし、CM登場後のスティングはWWEのトークイベントに出演するなどしたものの、試合には出場しないという期間が続いていました。

2014年11月のPPV「サバイバー・シリーズ」でスティングはWWEの試合会場に初登場。

悪の権力者「ジ・オーソリティ」として団体を牛耳っていたトリプルHと妻ステファニー・マクマホン、そしてセス・ロリンズのヒール軍団に対抗するため試合中にサプライズ登場したスティングは、WWEファンから大歓声で迎え入れられました。

日本では「nWo JAPAN」が大ブームに

アメリカのWCWでnWoが誕生した当時、業務提携していた新日本プロレスでヒールユニット「狼軍団」を結成していた蝶野正洋&天山広吉&ヒロ斎藤が軍団をシフトする形で「nWo JAPAN」を結成。新日本正規軍と抗争を開始します。

ナッシュ、シックス、スコット・ノートン、nWoスティングなど、本家nWoメンバーが新日本に来襲して正規軍を圧倒しました。

「nWoスティング」はスティング本人ではなく、同じ白ペイントをしたニセモノ。本国アメリカではパッとしなかったけれど、新日本では強さを発揮して常連外国人となりました。

さらに勢力拡大策として蝶野は同期の武藤敬司をnWoに勧誘。

nWo入りを拒み続けた武藤でしたが、裏の顔であるグレート・ムタが nWoにサプライズ加入。悪の顔に変身した時には蝶野以上に凶暴凶悪だったムタは通常運転の悪党ファイトを展開。蝶野とのコンビでアメリカ・WCWのテレビマッチにも出場しました。

その後、ムタと蝶野は仲間割れしてムタがnWoを離脱、しかし今度は素顔の武藤敬司がnWo入り。

蝶野が負傷欠場で長期離脱した際には武藤がnWoのリーダーとして軍団を牽引しました。

しかし蝶野の了承を得ず小島聡をnWo入りさせたことなどで蝶野の不信感が増幅。二人はnWoの主導権を巡って険悪な関係となり、復帰した蝶野はnWoに戻らず、「TEAM 2000」という新軍団を結成。

最終的に蝶野と武藤は軍団抗争に終止符を打つべく直接対決。武藤が敗れ、天山&小島&ヒロ斎藤はTEAM 2000へと移動したことで、nWo JAPANも本家nWoと同じく消滅してしまいました。

アティトュード路線で大逆転したWWE

nWoの大ブームにより倒産寸前まで追い込まれたWWFは前述の通り「アティテュード路線」を強化。

エース格へと登り詰めたストーンコールド・スティーブ・オースチンと、WWF社長ビンス・マクマホンとの長きにわたる抗争はアティチュード路線の核となり、視聴率回復のカンフル剤となりました。

経営者でありながら、ボディービルで鍛え上げた驚異的肉体でレスラーと互角の勝負を繰り広げ、自ら身体を張って番組を盛り上げたビンス。とても品行方正とは言えない言動や行動で物議をかもしつつ、悪党社長ビンスをシバキあげることで観客のハートをつかんだストーンコールド。

時には流血試合あり、時には爆笑や失笑のコメディー要素あり、二人は幾多の名勝負を繰り広げました。

アティテュード路線、もう1つの核は、ユニット「クリック」でWWFに残ったショーン・マイケルズとトリプルHが結成したおちゃらけユニット「D-ジェネレーションX(略称はDX)」。

テレビカメラに向かって生尻を出したり、下品な放送禁止用語を連発するDX。結成メンバーはショーン&トリプルH、そして女性レスラーのチャイナの3名。

チャイナはトリプルHとコワルスキー道場での同期で、ムキムキの筋肉で男性レスラーをも圧倒するパワーレスラーでした。

後にWWFのストーリー上でステファニー・マクマホンと結婚&離婚、その後に実生活でステファニーと本当に結婚するトリプルHですが、DX結成の頃はチャイナと恋愛関係にあったと言われています。

チャイナはWWF退団後にジョーニー・ローラーというリングネームで新日本プロレスに登場し、蝶野正洋や獣神サンダー・ライガーとシングル戦を闘いました。

さらに、nWoに在籍していたシックス(=ショーン・ウォルトマン)がWCWを退団してWWFに復帰し、DXへ加入。

DXはメンバー全員で戦闘用ジープに乗り、生放送中のライバル団体・WCWの試合会場を襲撃。会場の中には入れませんでしたが、入口で拡声器を使い、WCWの悪口を叫びまくるネガティブ・キャンペーンを敢行。これをWWFの生中継で放送するというハチャメチャなことまでやってのけました。

このWCW襲撃事件はストーリーや演出、事前の打ち合わせなどが一切ない、DXのアドリブによるホンモノの襲撃だったそうです。この頃WCWに遠征していた蝶野選手も会場にいて、WCWのバックステージが本気の大パニックになっていたことを後に証言しています。

視聴率競争に勝ってWCWを吸収合併し、名実共にアメリカ最大のプロレス団体となったWWF。

2002年2月、WWFに復帰していたオリジナルメンバーの3人、ホーガン&ナッシュ&ホールの3人は、WWFでnWoを再結成します。

再結成から1ヶ月後のWWE最大イベント「レッスルマニア18」で、nWoのホーガンは当時のエース格の一人、ザ・ロックとシングルで対決。ヒールのホーガンvsベビーフェイスのロックという図式のはずが、なんと観客はホーガンに大声援を送り、ロックにはブーイングが飛び始めるという異様な展開に。

ヒールファイトに徹するはずだったホーガンは方針転換してロックと名勝負を繰り広げ、ストーリーも急きょ変更され、ホーガンは翌日からベビーフェイスに転向し、nWoを追放されるというストーリーを展開。ファンがいまだにnWoを支持していることを証明する形となりました。

5月にはスコット・ホールが問題を起こしてWWFを解雇され(この人もしょっちゅう解雇されてます)、7月にはケビン・ナッシュが太股の筋肉断裂という重傷のため長期離脱。ビンス・マクマホンがnWoの解体を宣言し、WWFでのnWoは半年持たずに強制終了となってしまいました。

WWEでも愛されているnWo

2011年にショーン・マイケルズがWWE殿堂入りした際には、トリプルH、ナッシュ、Xパックの「クリック」仲間が祝福。療養中のため参加できなかったスコット・ホールも3年後の2014年に晴れてWWE殿堂入り。クリックの5人が公の場で勢揃いし、笑顔でハグをかわす微笑ましい場面が放送されました。

何度も離脱と復帰を繰り返しているホーガンは2014年にレッスルマニア30のホスト役としてWWEに復帰。8月にはRAW生放送にてホーガンの誕生日セレモニーが開催され、ナッシュとホールがサプライズ登場。

いつも着ているTシャツを破り捨てたホーガンの胸にはnWoのロゴが入った黒いTシャツが。久々に集結したオリジナルnWoの3名は、「こんなことするのはレスラー人生で初めてだぞ」と笑いながらナッシュがハッピーバースデーを歌うなど、終始穏やかな笑顔。

ホーガン、ナッシュ、ホールの「元祖nWo」は、2015年3月のPPV「レッスルマニア31」のHHH対スティングの試合(この試合がスティングのWWE初試合でした)にサプライズで登場。

WWE対WCWの図式を明確にするため、ナッシュ&ホールはWCW在籍当時に敵対していたスティングの味方となり、HHHのセコンドについたDXの旧メンバーたちと場外で大乱闘を展開。古くからのファンを大熱狂させたのでありました。

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