0歳の時に出会っている
今回紹介するのは、我々世代であればプロレスファンならずとも誰もが知っているジャイアント馬場。
日本プロレス界の祖でもある力道山の急死後、独立して全日本プロレスを旗揚げ。ライバルのアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスと切磋琢磨し、プロレスブームをけん引しました。
そんな馬場さんと私が初めて会ったのは、私がまだ赤ん坊の頃。
当然ながら私自身の記憶などないので、これは全て親から聞いた話なのですが、赤ん坊の私を連れて両親が新幹線に乗ってた時、馬場さんも同じ新幹線に乗ってたんですって。
たぶんうちの両親は自由席で、馬場さんはグリーン車だったんだろうと思うのですが、グリーン車に見物に行ったら確かに馬場さんがいて、私の両親は握手してもらったんだとか。
その時に、赤ん坊だった私の頭を馬場さんが撫でてくれたらしいです。
「お前が熱狂的なプロレスファンになったのは、アレのおかげやね」と、今でも親は言います。
確かに私はプロレスファンになった。でも馬場さん、というか「全日本プロレス」はしばらく好きにはなれなかったんですよ。
熱狂的な新日派だった
私が成長するにつれてプロレスブームが到来しました。藤波辰巳(現:辰爾)がジュニアヘビー級で、チャボ・ゲレロやエル・カネックたちと抗争してた頃はもうファンでした。
初代タイガーマスクの登場で、私の周囲もプロレスブームが爆発。みんながプロレス大好きになっちゃった。
私を含む友人たちが大好きだったのは、「アントニオ猪木の新日本プロレス」。つまりみんなが「新日派」だったんです。ジャイアント馬場率いる全日本プロレスの全日派もいたけど、肩身が狭そうだった。
今でも覚えてるのは、新日本で大活躍したスタン・ハンセンが全日本に電撃移籍し、最初に馬場さんとシングルで戦ったこと。
新日派としては、申し訳ないけど馬場さんをボッコボコにして完勝してもらいたかったんです。しかし結果は馬場さんがハンセンに勝っちゃった。
あれで全日派は大喜び。「やっぱり猪木より馬場が強いと証明された」と。
それ聞いて新日派が怒るんですよね。「ハンセンが怪我か何かして調子悪かっただけだ、猪木の方が強いに決まってんだろ」みたいに口論が始まる。
私は誰とも口論しなかったけど、内心「馬場がハンセンに勝つなんて…」とショックを受けたのは事実です。馬場さんが嫌いとかじゃなかったんですよ。新日本プロレスのほうが強い、と信じ切ってたんです、当時はね。
初めてプロレス観戦したのは、実は全日本だった
東京で働いてた11月。同期ですごく仲が良くて、社員寮も同じだった女友達から、突然誘われたんです。
「りくちゃん、プロレス好きだったよね、プロレス見に行かない?」
彼女は特にプロレス好きというわけでもなく、なーんとなくプロレス見に行きたくなったんだって。
それまでプロレスを生観戦したことは一度もなかった私。週刊プロレスを毎週読んで、テレビで試合見てればそれでいいやと思っていて、特に生観戦したいとも思わなかった。
でも彼女が何度も誘うので、じゃあ行くか、ってことでチケットを2枚ゲット。1992年12月4日。会場は日本武道館。
全日本プロレスが毎年、年末になると開催していた「世界最強タッグリーグ戦」の最終戦。生まれて初めての九段下。初めての武道館でした。
※ちなみにあれ以来、武道館には一度も行ったことない。
プロレスファンのために補足しておくと、1992年の最強タッグは、出場予定だったジャンボ鶴田が急病により欠場となり、田上明のパートナーとして大抜擢されたのが、その年にデビューした秋山準でした。
「大巨人」アンドレ・ザ・ジャイアントと、「悪役商会」大熊元司選手の生涯最後の試合となった日です。(大熊選手は同月27日に、アンドレは翌年1月に死去)
チケットを取ったのが直前だったこともあってか、我々の席は武道館の一番上。後方には座席がなく、屋根がすぐ後ろにあるという、正真正銘の「最上段」でした。
座席の傾斜が急で、しかも最上段…。高所恐怖症が少し入ってる私はちょっと怖かった。リングもすごくちっちゃかった。
その頃、まだ馬場さんは現役だったけど、第一線からは退き始めていて、放送席で解説をしていました。
武道館の最上段から見下ろすと、我々から見てリングの左側に放送席という位置関係。最上段から肉眼で見ても馬場さんデカかった!
身体が大きい馬場さんは、放送席のテーブルに足が収まらず、横にズレて脚を組み、イスの背もたれにドーンと身を委ねてリラックスした格好。それが最上段からハッキリ見えた。
女友達と二人で「馬場さん存在感あるねー!」と大喜び。初めて生で見るプロレスの試合はとても楽しかった。会場の熱気がスゴいのなんのって。彼女も声を張り上げて応援し、心から楽しんでる様子でした。
ちょうどその頃、転職して福岡に戻るかを悩んでいて、プロレス観戦が終わってからの帰り道に初めて彼女に転職話を打ち明け、3時間近く駅のホームで語り合ったのを憶えてます。彼女とマジメな話をしたのはそれが初めてじゃなかったかな。
全盛期の馬場さんを見てみたかった
私が本格的にプロレスを好きになった頃、残念ながら馬場さんは全盛期を過ぎていました。
前述した通り新日派で、全日の試合をあまり見てなかったこともあり、全盛期の馬場さんを私はリアルタイムで見ていません。「昔の映像」としては見たことがある32文砲(いわゆるドロップキック)もリアルタイムでは見たことがなかった。
私よりも世代が上のプロレスファンは、まだ猪木とタッグを組んでいた頃の馬場さんを「本当に強かったぞー」と嬉しそうに語ります。
当時は世界一の証明でもあったNWAのチャンピオンベルトを3回も奪取した馬場さん。でも私にとっての馬場さんは、放送席で辛口解説をしたり、クイズ番組で珍解答してニコニコしてる人。
頭を撫でてくれて、ありがとうございました。