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デイビーボーイ・スミス:日本で開花した英国の猛犬【レスラー列伝#9】

2012年11月6日

コブラの脇役だったはずが…

今回紹介するのは、「爆弾小僧」ダイナマイト・キッドとの名タッグチーム「ブリティッシュ・ブルドッグス」で日本でも大活躍し、後にアメリカ最大の団体WWEでシングルプレイヤーとしても成功したデイビーボーイ・スミス。

日本に初登場したのは1983年。

当時、新日本プロレスのジュニアヘビー級は初代タイガーマスクが退団し、新たなチビッ子のヒーローとして「ザ・コブラ」という覆面選手のプッシュを開始。

マスクマンの正体を想像する能力があまりなかった私でも、コブラの正体がジョージ高野ということはすぐ分かった。体型が独特だったので。

そのコブラの日本デビュー戦。相手はこれまたマスクマンの「ザ・バンピード」という選手。今まで聞いたことも見たこともない。正真正銘、謎のマスクマン。

ところがこのバンピード、試合開始前だったか開始直後だったか忘れたけど、いきなりマスクを脱いじゃった! もうビックリよ!

マスクを脱いだ正体は……、あ! ダイナマイト・キッドだ! いや待て待て、似てる気もするけど微妙に顔が違う。これ誰よ。

これがデイビーボーイ・スミスの日本初登場でした。

試合はどっちが勝ったか全然覚えてないんですけど、コブラとバンピードが全然かみ合ってなかったのは覚えてます。バンピードが荒々しいと実況で表現されてたのですが、言い方を変えれば好き放題やってた。相手の技を受けようとしないっつうか。

あとで知ったのですが、スミスはマスクマンとしての出場やコブラのデビュー戦について新日本から提示されたギミック(ヒーローのデビュー戦ですからね、いろいろ考慮をムニャムニャ…)に対して納得してなかったんですって。

だからいきなりマスク脱いじゃったし、試合もコブラに全然付き合わなかった。おかげで試合の評判は散々。コブラは試合中に怪我しちゃうし(スミスが技を受けないから)、メディアの評価もボロクソでした。

初代タイガーマスクの好敵手として日本でも絶大な人気を誇ったダイナマイト・キッドとスミスは従兄弟(いとこ)なんですって。だから顔がちょっと似てたのね。

キッド、コブラ、スミスの3人が中心となって新しいジュニアヘビー級の闘い模様が展開され始めたんですけど、実際のところはデビュー戦での悪印象もあってか、コブラの人気が全然上がらない。

だって、キッドとスミスの試合が面白くてね~。かみ合ってるんだもん。そりゃね、日本に来る前から試合してる二人なので、そりゃかみ合って当然なんですけど。

結局コブラは人気が沸騰することもなく、マスクを脱いでジョージ高野に戻っちゃいました。

全日本への電撃移籍は本当に驚いた

1984年、スミスはキッドと共に全日本プロレスに電撃移籍。まさに「電撃」で、何の情報もなくいきなりキッド・スミス組が全日本に登場したから、もうビックリしたのなんのって。

移籍初戦はキッドもスミスも丸坊主でした。新日本では二人とも長髪だったので、丸坊主の二人もなかなかのインパクトだった。

試合はダイビングヘッドでキッドが勝ち、試合後にキッドのテーマ曲(あれ大好きだったな~)と共にフィニッシュのダイビングヘッドが何度も流れ、直後に始まる年末恒例の「世界最強タッグ」にキッド&スミスが参戦!と煽ってました。

全日本に参戦してた頃あたりからキッドとスミスはヘビー級で本格的に戦うようになり、二人とも体格が明らかに大きくなりました。特にスミスの巨大化はスゴかったな。もう明らかにステロイド使ってるってのが素人にも判るくらい。

ステロイドというのは筋肉増強剤。筋肉モリモリになる一方で多くの副作用が問題視されてます。

アメリカのメジャーリーグでシーズンの本塁打記録を更新したマグワイアもステロイドやってました(当時は禁止されてなかった)。

レスラーで若くして亡くなった人の多くはステロイドの副作用が原因だと言われてます。ベノワも、エディも、ホークも、そしてスミスも。

キッドもステロイドをやってたとカミングアウトしてます。彼は事故の後遺症や、長らくフィニッシュとして使ってたダイビングヘッドの影響による首の持病、そしてステロイドの副作用もあり、引退直前は痩せ過ぎて脚なんてガリガリ。現在は車イス生活だそうです。

話を戻します。

キッド・スミス組でベストといえば、やっぱりマレンコ兄弟との一戦ですよ。あれは忘れられない。録画したのを何十回も観ました。

って書いてからYouTubeで調べたら、ありました! ありがたい!

【追記】YouTubeの動画は削除しました。

馬場さんはUWFを嫌ってた、というのは有名な話。嫌ってたというか、「関節技なんてプロレスラーなら誰でも出来る。関節技もプロレスのひとつの要素。そればっかりやってどうすんの」っていうスタンスだったはず。

第1期のUWFに参戦したこともあるマレンコ兄弟に関しても同様で、関節技ばかり前面に出す彼らの試合スタイルを馬場さんは全く評価してなかった。この試合の解説でもたびたび言ってます。

この試合も前評判はそれほど高くなかったし、あまり注目されてもなかった。パワーを前面に出すキッド組と、関節主体のマレンコ組、かみ合わないんじゃないの? って風に。

しかしこの試合は見事にスイング。試合終盤、観客の盛り上がりがスゴイ。

これは、キッド組がマレンコ組のスタイルに合わせたというか、かなり寄ってあげたからだと私は思ってます。普段は使わない関節技を先に仕掛けたりだとか、関節技をやられてる時の痛がり方とか。

(「八百長」という意味じゃないですよ。その表現キライなので)

あとは、2回ほど場外に落ちてますが、両者とも場外乱闘を一切せず、すぐリングに戻ってます。日本のファンはコレが大好きなんです。「正々堂々と勝負してる!素晴らしい!」と、ここでテンションが1つ上がる。

なんせ昔は場外リングアウトが多過ぎましたからね。特に全日本は。だから私は「昔の全日本」があまり好きじゃなかった。ファンもみんなそう思ってたんでしょう。なので場外からリングに戻るとスゴイ拍手が沸き起こる。

この試合は両者のイイとこがとても出ている。というか両者が共に引き出してあげてる。しかし馬場さんの相変わらずマレンコ兄弟に冷たいコメントと、関節技に対するダメ出し。

そして倉持アナ恒例の、空気を無視した実況w 馬場さんと全然かみ合ってない。

最後も馬場さん、マレンコ兄弟の感想を振られて「チカラ不足でしたね」ってカワイソウにw これイイ試合でしたよ。当時の全日本プロレスの中継、いつもこんな空気感だったな。懐かしいな。

WWEではシングルプレイヤーとして活躍

アメリカ最大の団体WWE(当時はWWF)でもキッド・スミス組は大活躍。ここで「ブリティッシュ・ブルドッグス」というタッグ名を名乗ります。二人ともイギリス出身なので。

キッドと別れ、スミスは単独でWWEに参戦。キッドは全日本で別のパートナーとタッグを組むことになります。

ブリティッシュ・ブルドッグ」というリングネームに変えたスミスはシングルプレイヤーとして活躍。

たぶん彼のキャリアの頂点は、1992年の夏にロンドンの巨大会場、ウェンブリー・スタジアムで開催された「サマースラム」。

WWEは年に一度、「レッスルマニア」という年間を通して最大規模の大会を開催してます。来年2013年で29回目となる歴史ある大会。極端に言えばWWEのストーリーは「レッスルマニア」を目指して一年がかりで進むようなもの。

その「レッスルマニア」の次に大きな大会が、毎年夏に開催される「サマースラム」。1992年はイギリスでの開催となり、地元の英雄スミスがメインでブレット・ハートとタイトル戦を行いました。

ウェンブリー・スタジアムはサッカーの聖地としてお馴染み。今年のロンドン五輪でもサッカー会場として使用されてました。1992年のサマースラムは、そのウェンブリーに8万人の大観衆が集まったらしいです。そんな規模のプロレス大会なんてWWEしか出来ません。

スミスの奥さんは、ブレット・ハートの本当の妹さん。つまり二人は義理の兄弟にあたるわけで、それを利用したストーリー展開だったのですが、試合後には敵対してたスミスとハート、そしてスミスの奥さん(=ハートの妹)の3人がリング上で抱擁を交わし、花火ドワーという派手なエンディングでした。

2002年、スミスは自宅で心臓発作のため急死。享年39歳でした。

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