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時代は巡る、親離れと子離れについて

2018年8月19日

今回も新幹線&高速バスで帰省

お盆の連休が終わりました。今年は13日〜15日のお盆期間が月火水だったので、木&金も有給休暇を取得して9連休にした人もいらっしゃるのではないでしょうか(知人は9連休にして海外に行ったそうです)。

私は会社勤めではないため特にお盆休みというものも存在しないのですが、今年は鳥取県米子市の実家に帰省してきました。今年1月に他界した父の初盆法要のためです。

1月・2月・3月と連続で帰省したので、今年だけで4回目の帰省。昨年12月にも帰省しているので、この1年間だと5回目の米子行きとなりました。福岡に移住して以降、これほど頻繁に帰省したのは初めてです。

小倉コレット

▲ 午前中に自宅を出発し、JR小倉駅から新幹線に乗車。

小倉駅前にある「コレット」は来年2019年に営業を終了することが発表されたばかり。駅前にドンと建ってるコレットは旧「小倉そごう」時代から経営会社を数回変え、今も小倉の街のシンボル的存在なのに、昨年末のスペースワールドに続いてまたしても北九州市からランドマークの1つが消えることになります。寂しい。

広島電鉄高速バス

▲ JR広島駅で新幹線を降り、高速バス「メリーバード号」に乗り換え。この方法は今年2月の帰省で初めて使ったルートです。詳しくは今年3月のエントリーでまとめています。

広島市と米子市を結ぶ高速バス「メリーバード号」は快適で料金も格安

鳥取県米子市から広島県広島市を直結する高速バスが運行されていると聞き、早速利用してきました。新幹線&特急の半額以下という安さがとても魅力的です。

「速さを取る」のであれば広島駅で下車せず、そのまま岡山駅まで新幹線で行き、JR伯備線の特急に乗り換えて米子に向かうルートが最もメジャーで、所要時間も最短です。

一方で「安さを取る」なら今回紹介している広島からの高速バスルートも悪くありません。北九州〜米子の料金が新幹線&特急ルートより約7,000円安くなります(大人1名、往復)。ただし所要時間は約30分長くなります。

米子市と大山

▲ 昨年12月から今年3月まで、4ヶ月連続で米子市を訪れた期間中、鳥取県西部のシンボル・大山(だいせん)の勇姿は市街地から一度も見えませんでした。

今回の8月帰省では大山見えるかな、と期待してたのですが、帰省初日は上の写真の通りでした。快晴だったのに、大山周辺だけ異様に大きな入道雲で覆われていました。聞いた話ではこの時、岡山県の蒜山(ひるぜん)近辺は豪雨だったそうです。

米子市と大山

▲ 帰省2日目。この日も良い天気だったのに、大山方面は雲だらけ。

大山と皆生海岸

▲ 帰省最終日。この日の天気は台風の影響なのか、曇り。ドス黒い雲が空を覆っていました。大山は3日間のうち最も見えたけど、それでも山頂付近は雲で隠れてしまっています。

この写真を撮った同じ頃、台風が福岡市を直撃していました。それほど勢力の強くない台風だったことと、正午過ぎには福岡を通過して海上に去ったこともあり、夜に北九州へ戻った際には雨も風もない穏やかな天気でした。

それにしても…「伯耆富士」と形容されるほど美しい景観の大山ですが、もう長いこと市街地から見ていません。普段はよく見えてるよ、と母は言うのですが、私の「大山運」が悪いのかな。

広島風お好み焼き

▲ 広島に立ち寄ったら必ず食べる広島風お好み焼き。大好物です。3食すべて広島風お好み焼きでも大丈夫なくらい。それを今回の旅で長男に言ったら「俺はイヤだ〜、飽きる〜」と拒否されました。

「広島焼き」と呼んだら地元の人は怒るよ、と聞いたことがあったのですが、この日食べたお店には「広島焼き!」と書かれたポスターがありました。もう怒らないってこと?

新幹線のぞみ号

▲ 広島から新幹線のぞみに乗り換えて北九州へUターン。帰りの新幹線はガラガラでした。東京方面は混むんですけどね。小倉・博多方面は8月15日でもガラガラなことが多いです。以前もそうでした。

その日は突然やって来るかもしれない

米子市の高校を卒業し、北九州市の大学に合格したことで故郷・鳥取を去ることになりました。もう随分と昔の話です。

結果的に18歳で鳥取県を離れ、福岡県民となり、途中就職で東京に行ったりもしましたが、転職で福岡に戻ってきて以降ずっと北九州市民を続けています。鳥取県に帰るつもりはありません。

福岡に来た時は本当に嬉しかったんですよ。理由の1つは、一人暮らしがしたくてたまらなかったから。言い換えれば、親元を離れたかったんです。

当時、あまり親子の仲は良好とは言えませんでした。自分自身が反抗期というのもありましたが、特に父とは険悪で、11歳から18歳までマトモに会話を交わしていませんでした

(その険悪な仲は少しずつ緩和されたものの、私が結婚する27歳頃まで続きます)。

とにかく一人暮らしがしたかった。福岡の大学に行くことで、その願いは叶いました。ただ皮肉なもので、ようやく親から離れ、一人暮らしを始めたことで、生活していく大変さをやっと理解し、親のありがたみを実感するようになっていきました。

時代は巡り、私自身は親となりました。長男は今年で20歳の成人になります。

長男はもともと「自宅から通える大学しか考えていない」と言ってくれていて、実際に合格した大学へは現在も自宅から通っています。だから長男受験の際には「親離れ・子離れ」について深く考えたことがありませんでした。

今年は長女が大学受験。娘も第一志望は「自宅から通える大学」なのですが、遠方の大学も受験する方針であり、成り行きによっては大学入学を機に一人暮らしを始めることになるかもしれません。

夏休みを迎え、長女の受験勉強も本気度が加速。志望校の絞り込みも進み、受験の話をしていく中でふと、「来年、長女はどこにいるんだろう」と考える機会も少しずつ増えてきました。

実感が全然ないんですよね

今までずっと、長男と長女と次女と嫁、「5人家族」なのが当たり前で日々を過ごしてきたのです。毎日子供たちと朝や夜に会話をして、車で送迎をして、習い事の付き添いをして、時々は家族でどこかに出掛けたり旅行したりする。

もちろん、いつかは子供たちもそれぞれパートナーを見つけて、自分たちの家庭を築くことになるのでしょう。それは当然、頭では理解しているつもりですが、その最初が来年、いやもう半年後になるんですよ、いきなり現実となる可能性が出てきた。それが実感できません。

要するに私自身の「子離れ準備」が全然できていません。

ただ、今回鳥取県に帰省したタイミングで考えたのですが、私自身も大学入学を機に鳥取から福岡へ移住した。18歳で親からポンと離れたのです。

いま「子供たちの親」としての私が直面している問題に、私自身が18歳だった頃に両親も同じように直面していたんだな、ということを痛烈に認識させられました。

受験勉強をしていた高校3年生の夏休み期間、私の両親は「来年の今頃、うちの子はこの家にいないのかな」なんてことを考えていたのだろうか。

私自身は福岡に来たこと、一人暮らしが実現したことで狂喜していました。毎日楽しくてたまらなかった。親がどう思っているか、寂しい思いをしているのか、そんなこと頭をよぎりもせず、考えたことすらなかった。

夏や冬など、大学が長期の休みになれば鳥取に帰省はしていましたが、アルバイトやバンド活動が忙しかったのもあり、帰省する回数も徐々に減り始めました。

就職してからも、結婚して子供ができてからも、それほど積極的に鳥取には帰省していなかったのです。昨年は父の体調が芳しくなかったこともあり2回帰省したのですが、その前に帰省したのは4年前。

自分はなんて親不孝な息子だったのだろう

新幹線やバスの中で時々そんなことを考えていました。

父が他界し、現在実家は母が私の弟と二人で暮らしています。弟は仕事が忙しい身なので家にいる時間が少なく、母は大半の時間を独りで過ごしています。

もっともっと帰省する機会を増やしてあげないといけない。子供たちも忙しくなり、嫁も仕事が忙しく、私もなんやかんやと慌ただしい日々だけど、それにかまけて親不孝を続けてるようではいけない。

私自身が大学生の頃、大学が冬休みで米子市に帰省してる期間中に、時代が昭和から平成に変わりました。

あれから30年。今度は私の長男と長女が大学生である来年2019年に、平成が終わって次の時代が到来しようとしています。不思議な巡り合わせです。

-雑記
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