コンビニもファーストフード店もない町、鳥取
昔々、まだ福岡には住んでなくて、生まれ故郷の鳥取県で生活していた時の話。
コンビニエンスストア(コンビニ)という名称がニュースで流れ始めた頃。深夜の営業、中には24時間営業する店舗も出現し、注目度と共に出店数も上昇し始めていた。
「セブンイレブン」や「ローソン」という名前は何度もニュースで耳にする。しかし鳥取県にはそんな店、どこにもなかった。海の向こうに広がる別世界でのニュースのように思えた。
そんな鳥取県にも遂にコンビニが出来た。ただしセブンイレブンでもローソンでもない。ローカルなコンビニ。もう名前も忘れてしまった。今から約25年前。
弁当もお菓子も、電池や下着まで売ってる。すごい。町にたった1軒しかないコンビニに多くの客が訪れた。24時間営業の小さな店舗が田舎町に突然出現して誰もが衝撃を受け、他の店でも普通に売ってる商品をまるで無人島で金塊でも見つけたかのように人々は歓喜しながら買い求めていた。
ハンバーガーなどのファーストフード店も同様で、マクドナルドなんて当時は鳥取のどこにもなかった。モスバーガーに至っては名前すら知らなかった。
鳥取県米子市に角盤町というところがある。「高島屋」「やよい」と2つのデパートがあり、当時は米子市で最も賑わってた商業エリア。
ここにロッテリアがオープンしたのも約25年前。地図で確認したら現在も営業しているようだ。この「ロッテリア開店」も当時は大変な衝撃だった。新聞にも載るし、オープン初日は行列が1km近く並んだ。
そういえば今年の3月、鳥取県のお隣り・島根県のJR松江駅構内にスターバックスの山陰1号店がオープンし、記録的な来客数だったとニュースになっていた。駅の周囲をスタバ待ちの大行列がグルリと囲む壮絶な光景がニュースで報道されていた。
「そんなにスタバは待望されてたのか!」とニュースを見た私は笑ってしまったのだが、スタバが当たり前ではない地域の人々にとって、我が町にスタバが出来るというのは大事件であり、笑い事ではないのだ。だってスタバは海の向こうに広がる別世界で有名な店舗だから。これは比喩でも嘲笑でもない。私自身もロッテリアの時に身をもって体験したから分かる。
ちなみに2013年5月現在、スターバックスが日本で出店していないのは鳥取県のみになったそうだ。これは笑ってもいい。
福岡に来て衝撃を受けた2つ
大学に合格し、鳥取を出て福岡での生活が始まった。念願の一人暮らし。
入学して2ヶ月と経たないうちに、大きな衝撃を受けたものが2つ。1つは前述した食文化。
アパートから徒歩2分のところに「ほっかほっか亭」があり、さらに徒歩5分のところには宅配ピザ屋、その数メートル先にはマクドナルドがあった。
鳥取に住んでた頃には考えられない異文化世界。鳥取県全体に1軒も店舗展開していない食文化が自宅から徒歩圏内のところに幾つもあるのだ。同じ日本だとは思えない。
一人暮らしを始めたら頑張って自炊するぞ、と気合いを入れて料理本まで買ってたのに、意志の弱さと環境が程よく合致すれば、人間はラクな方向に簡単に流れる。ほぼ毎日毎食、弁当かピザを喰ってた。
特にピザにはハマった。それまでピザという食べ物を食べたことがなかった。その美味しさに感動しまくり、毎週注文して夢中で食べてた。
大きな衝撃を受けたもう1つは、村上春樹。
入学してすぐ仲良くなった友人宅を訪れた時、テーブルの上にポンと置かれてた「ノルウェイの森」のハードカバー上下巻。
その年に出版されたばかりの新作で、村上春樹という名前を知らなかった私も「ビートルズの曲と同じ小説が出た」というニュースは知ってた。
「これ面白い?」と訊く私に「貸してやるから読んでみな」と友人。それが私と村上春樹との出会い。
「ノルウェイ」を読み終えてハマり、「ダンス・ダンス・ダンス」を買い、「風の歌を聴け」から始まる初期三部作を買い、気付けば当時刊行されてた村上春樹の作品を全て買って読み漁った。
中でも好きだったのが「パン屋再襲撃」という短編集。
設定や描写が難解ではないので読みやすく、ユーモアも多く散りばめられていて、まだ読書する習慣がついていなかった私もすぐ夢中になった作品。
中でも表題作「パン屋再襲撃」が大好きで、何度読み返したか分からない。
以前パン屋を「襲撃」した過去を持つ男、彼と結婚したばかりの女。深夜に目覚めてしまった夫婦が、堪えがたい空腹感と、パン屋襲撃により降りかかった(と妻が断定した)「呪い」から解き放たれるため、再びパン屋襲撃を決める、というストーリー。
しかし、深夜に営業しているパン屋がどこにもなく、これまた妻の独断でマクドナルドを襲撃することになってしまう。
「あのマクドナルドをやることにするわ」と妻は言った。まるで夕食のおかずを告げるときのようなあっさりとしたしゃべり方だった。「マクドナルドはパン屋じゃない」と僕は指摘した。
「パン屋のようなものよ」と妻は言って、車の中に戻った。「妥協というものもある場合には必要なのよ。とにかくマクドナルドの前につけて」
via:「パン屋再襲撃」
この物語を読んで何よりも強く影響を受けたのは、文学的構成力だったりユーモアセンスだったり妻のリーダーシップだったりとかよりも、
「ハンバーガーを腹イッパイ食べてえええーーー!」
という空腹感の伝播。
その月、アルバイト代金をもらってすぐマクドナルドに駆け込み、ハンバーガーとチーズバーガーをそれぞれ10個ずつ、合計20個買った。マクドナルドでハンバーガーを買ったのはそれが人生で初めて。
「パン屋再襲撃」の中で夫はビッグマックを6個、妻は4個食べるのだが、私は普通サイズのハンバーガー3個とチーズバーガー3個、計6個でギブアップした。満腹なのもあったが、同じ味覚の繰り返しは飽きてしまって食べ続けられない。
(残りの14個は数回に分けて完食した)
本を買い直してきた
「村上春樹、難しそうなイメージあるけど興味はあるんだよね」
「村上春樹で最初に読むオススメってある?」
などと友人知人が私に言ってきたら、「パン屋再襲撃」を貸してあげることにしている。
2年前、村上春樹に興味はあるけど読んだことがないと言う友人に「パン屋再襲撃」を貸していたが、その人は「消えて」しまった。
貸した本も戻ってこず、久しぶりに読んでみたくなったので、今日書店に行って「パン屋再襲撃」を買い直してきた。
まだ10代の頃に初めて読んだ「パン屋再襲撃」と、40代になって読み直す「パン屋再襲撃」は、やっぱりどこか印象が違う。
基本的にこの作品はコメディーである。村上春樹のチラチラと垣間見せるユーモアセンスが「パン屋再襲撃」はモロ出しで、シチュエーションを想像しながら読み進めると笑いが止まらなくなる。村上春樹の作品で笑えるものは他にもあるが、「パン屋再襲撃」は笑いへの導線が単純明快でストレートである。
妻の不思議なまでに用意周到で場馴れしてる素振り。マクドナルドの店長や店員の素直なのかズレてるのか分からないリアクション。冷徹と温和をナチュラルに切り替える妻の言動。過去の呪縛から解放されるどころか新たな呪いに掛けられてしまう夫。
ただ、40代の自分が読んでみると、10代の頃には気付かなかった描写や、登場人物に対する印象が随分異なってきた気もする。
まだ妻と出会う前に夫が実行した最初の「襲撃」で、なぜパン屋の主人はあのような行動を取ったのか。
ただの奇妙で愉快なエピソードと感じていた昔とは違う、人間心理の一端に想いを馳せることができる。それが村上春樹の表現したかったものと合致するかどうかはともかくとして。
マクドナルドでハンバーガーを食べる時はいつも「パン屋再襲撃」を思い出していた。「パン屋再襲撃」を読むといつもハンバーガーが食べたくなる。
ダイエットに成功するまで、もう何年もマクドナルドのハンバーガーを断っている。目標体重まで痩せることが出来たら、再び私はハンバーガーをイヤになるまで食べるだろう。でもきっと4個か5個が限界。歳を取るとはそういうことでもある。
などと本を読みつつ、ラーメン食べながら考えてみる。ダイエットのことを忘れていた。