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誰もが歴史の教科書で見る「金印」の発掘地、金印公園に行ってきた

2012年5月5日

2年前の初訪問時、楽しんでたのは私だけ

福岡市の、ヤフードームや福岡タワーがある「ももちエリア」とは海をはさんでちょうど反対側にあたるところに「海の中道海浜公園」という大きなテーマパークがあります。

この公園、ゴールデンウィークになると「無料開園日」となり、入場無料で中に入ることが出来ます。

昨年(2011年)の無料開園日は、確か5月3日と4日の二日間。今年(2012年)は4月29日と5月4日の二日間に加えて、5月5日も中学生以下の子供限定で無料開放されていました。

昨年に続き今年も無料開園日に家族で遊びに行ってきたのですが、この流れで近くにある金印公園に行ってきました。家族で行くのは今回が2回目。初めて行ったのは2年前です。

駐車場が満車! ナゼ?

海の中道海浜公園の駐車場を出て、福岡市方面ではなく、反対の志賀島(しかのしま)方面へ。

両側に海が広がる一本道の連絡道路を抜けると志賀島に入ります。途中、かなり道幅の狭い箇所が複数あるので運転は注意が必要です。

海沿いの道をクネクネと走ると、金印公園の駐車場が見えてきました。

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▲ 驚いたのは、駐車場が満車になっていたこと。駐車スペースだけでは収まらず、本来は駐車できないトイレの前や、狭い道路にまではみ出す形でビッシリと車が停まってました。

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▲ 道路のすぐ向こう側は海。遠く向こう岸には福岡ヤフードームや福岡タワーが見えます。晴れた日の海は見ていて気持ちがイイ。

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▲ 駐車場の端には金印公園の簡単な解説板があります。

漢委奴國王(かんのわのなのこくおう、と読ませる説が有力)」という文字が刻まれた金印が福岡県の志賀島というところで見つかった、という話は歴史の教科書に必ず登場します。誰でも一度は耳にした話のはず。

発掘されたのは江戸時代の中ごろ、天明四年(1784年)だと言われています。紆余曲折を経て、現在は国宝として認定され、福岡市博物館にホンモノが展示されているそうです。

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▲ 公園の入口に立っている石碑。

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▲ 階段を上って公園内に入ります。

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▲ 金印に刻まれた印を模して彫った石像。

この石像があった付近で実際に金印が発掘されたと言われています。ただ、調査初期の段階では、この場所より少し山の上付近が発掘場所だったと言われていたらしいですけどね。そのあたりが歴史のミステリーであり面白さなんですよ。

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▲ 石像のすぐ横には金印の詳しい説明パネルが設置されています。長女は「教科書に書いてた!」「今なら意味が分かる!」と嬉しそうに解説を読んでいました。

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▲ 石像があるエリアの上にも展望台のような場所があります。

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▲ さらに上へと続く階段の脇にある石碑。何と書いてるかはよく分からない。

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▲ 一段高い場所からの景色。石像のあったエリアが見下ろせます。

ここからさらにもう一段高いところに「展望台」があるのですが、生い茂った木々で視界がさえぎられて海は全然見えませんでした。しかし、一番高い段に上ったおかげで、前回は気付きもしなかった新しいエリアを発見。

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▲ 石像のあるエリアの東側に「方位広場」というエリアがありました。

中央には金印のモニュメントがあり、周囲には地図が描かれています。写真では下側が北海道で、右側が中国大陸。実際の方角と同じに描かれているから日本地図が横向きになってるんですね。しばらく眺めていてやっと意味が分かりました。

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▲ 地図の中心は福岡県の志賀島、という意味なんでしょうね。金印を贈ってくれたとされる漢(現在の中国)に向かって写真を撮ってみました。

駐車場が満車だった理由

金印公園を散策していて不思議だったのは、駐車場が満車だったのに公園の中には人がほとんどいなかったこと。

無断駐車をするにも他に施設らしきものは近くにないし…、と不思議だったのですが、金印公園を出て駐車場に戻る際、謎が解けました。

道路の下に広がる海岸で、ものすごく大勢の人々が潮干狩りをしてたのです。

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▲ この日、夕方のニュースで言ってたのですが、午後から大潮だったらしいです。ゴールデンウィークに大潮が重なったら、そりゃもう絶好の潮干狩り日和だ。人が多いはずだわ。

天気も快晴で、みんな気持ちよく楽しく過ごせたのではないでしょうか。良かった良かった。私たちも大変楽しかったです。

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