久々にJRではなく車で現地へ
いつもなら最寄りのJR駅まで車で移動し、駐車場に停めてJRに乗り目的地まで電車に揺られるというのがウォーキング大会のルーティーン。
しかしこの日は、ウォーキング終了後、帰宅の際に幾つか寄らないといけない場所があったのと、電車でも車でも時間的にあまり変わらなかったので、JRは利用せず自分の車で飯塚市まで移動した。
今回のスタート&ゴール地点であるJR新飯塚駅の東口近くに有料駐車場がある。1時間100円、最大300円で一日駐車することが出来る。今回はここに車を停めた。
駐車場に到着したのが午前8時50分頃。受付開始が8時30分からなので、すでに20分ほど経過していた。駐車場のすぐ前もウォーキングのコースだったのだけど、歩いてる人がワンサカいて、出遅れたことを後悔してしまった。
駅の構内で受付を済ませ、いざ出発。
危険な人の邸宅なのかと完全に勘違い
駐車場を通過してすぐのところにある、飯塚市歴史資料館。今回ここには立ち寄らなかったのだけど、ここでも「ひな人形展」が開催されていた。
T字路から左に曲がるとすぐ、係員が道路を横断するよう誘導していた。誘導にしたがって道路を渡る。
コースマップを見ると最初の目的地は「麻生大浦荘」と書かれている。初めて聞く名前。
分岐する道路を右へ、ってここ仕事で来たことある道じゃないか。ま、まさか………
そういうことか。ここはそういう邸宅だったんだな。ものすごい勘違いをしていた。
昨年の秋、実は仕事でこの近辺に来たとき、道に迷ってこの空き地で立ち往生したことがあったのだ。
目的地はアパートだったんだけど、会社でもらった地図の通りに来たはずが、アパートなんてどこにもない。道の先には大豪邸にありがちな巨大な門が閉じられた状態。あの門の向こうにアパートがあるか? まさか。
上の写真にある砂利道の端に車を停め、紙の地図とiPhoneの地図を見比べながらアパートや自分の位置を探していたところへ、黒塗りの高級車が5台ほど連なって私の車の前を横切り、門の方へ。そして門は開き、車は中に入っていく。
その光景を目撃した直後、看板が立ってることに気付いた。
軽くパニックになってたので、一番右の「立入禁止 私有地につき」という部分しか見えてなかった。一番左に書かれている「麻生セメント 大浦荘」が見えていたら印象も違ったろうけど、当時「大浦荘」を知らなかったからそうとも言い切れない。
ここもしかして、ヤバイ場所じゃないのか? 組長さんの邸宅とか。
私の内なる何かが大音量で警報を発した。一流のスナイパーだけが持つ危険察知能力っていうやつなんだろうね。
これ以上ここにいたら撃ち殺される!
冗談でもなければ大げさでもない。なんと言っても銃社会・福岡なんだぞ、ここは。道路や庭にホンモノの手りゅう弾が落ちてることもある県なんだから。
大慌てで車を急発進させ、逃げるようにその場所から離れた。別の場所で心を落ち着かせて調べ直したら何のことはない、曲がる交差点を1つ間違えてただけ、ってことが分かった。同時に自分が一流のスナイパーではないことも分かった。
今回、誤解が解けて良かった。撃たれる心配もなく安心して前進。
でもあの時、私の前を横切っていった黒塗りの車に乗ってた人たち、きっと私のことを不審者だと思っただろうな。
一年に2回しか一般公開されない麻生大浦荘
以前来た時に閉じられていた巨大門は今回完全に開かれていたので、そこを通過すると写真のような木造の入口が視界に入ってくる。
2012年の春は写真にもある通り、2月25日(土)から3月4日(日)までの9日間だけ限定公開されているとのこと。
麻生大浦荘は、麻生グループ(後述します)関連企業が来客の接待や会合のために利用するクラブとなっていて、普段は一般公開されていない。
しかし2003年から、飯塚市の春のイベント「筑前いいづか・雛(ひいな)まつり」に協力する形で期間限定での一般公開を開始。さらに2007年からは秋の紅葉時にも同じく期間限定で一般公開されるようになった。秋も一般公開されるならまた来てみたいな。その時期にまたウォーキング大会を企画してくれるのかもしれない。楽しみ。
入口をくぐるとこんな感じ。
麻生大浦荘の中に入る。シャンデリアの飾られた大広間。
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麻生グループの創始者、初代社長である麻生太吉氏の長男、太右衛門氏の居宅として建築されたのが大浦荘。広い屋敷の中をいろいろ周る。
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和洋いろんな掛け軸もあった。
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麻生大浦荘が所有する豪華なひな人形の数々。
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竹取物語をテーマにしたひな人形。
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歴史上の人物をモデルにした人形など、いろいろ飾られていた。
庭園もさすがの美しさ。
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年に2回だけ見ることの出来る邸宅。また秋に来よう。
福岡県飯塚市立岩1060
福岡を代表する巨大企業体、麻生グループ
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麻生大浦荘を出発し、再び飯塚市歴史資料館の横を通過。
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歴史資料館のすぐ隣りにある、サン・アビリティーズいいづか。障がい者の活動拠点施設として利用されている。
直進すると踏切。大野城を歩いた時は踏切地獄の過酷なイヂメに遭遇したが、今回は引っ掛からなかった。飯塚の踏切とは相性がイイらしい。
スタート地点のJR新飯塚駅がすぐ近く。考えてみれば、新飯塚(福北ゆたか線)と大野城(鹿児島本線)では運行列車の本数がケタ違いだから、遮断機が下りる確率も当然違うか。
踏切を渡ってすぐ左にあるスーパーASO。名前からも分かる通り、麻生グループの経営。
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こちらも麻生グループが造った大きな総合病院の飯塚病院。増築でもしてるのかな?
スーパーや病院だけでなく、この一帯は麻生グループ関連施設が目白押し。
明治から大正にかけて炭鉱事業で巨大な富を築いた麻生グループの中核企業である株式会社麻生。その旧社名が麻生セメント。
創業者の麻生太吉、後を継いだ2代目の麻生太賀吉ともに政界へと進出。太賀吉氏の長男で、3代目の社長となったのが、元首相の麻生太郎。
麻生さんは炭鉱事業が衰退していく過程で麻生セメントを軌道に乗せ、石炭からセメントへの事業転換に成功させたとして高い評価を受けているらしい。
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お隣りには看護専門学校もある。
私が歩いたコースだけでも麻生グループ関連施設がこれだけあるのだ。他にも少し離れたところには「麻生飯塚ゴルフ倶楽部」というゴルフ場まである。
いかに麻生グループが地域に根付き密接な関係となっているか、そして麻生さんが筑豊地方の人たちにとってどういう存在か、つまりなぜ麻生さんがあれだけ選挙に強いか、この一帯を歩くだけでも容易に分かる。飯塚病院が麻生グループ資本だというのは知らなかったので今回調べてみて驚いた。
2003年7月の福岡集中豪雨被害
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看護学校を通過するとすぐ現れる芳雄橋。この橋、実は2代目で、初代の芳雄橋は1928年に完成していた歴史ある橋だったんだって。
今から9年前の2003年7月19日、午前から猛烈な集中豪雨が続き、福岡県の各地で水害が続発。JR博多駅の駅前道路も水没し、太宰府では死者も出ている。
(博多駅は1999年6月にも豪雨被害で水没し、この時は地下に取り残された方が亡くなるという痛ましい事故も発生した。ヘリコプターが映す博多駅前の完全に水没した道路の映像は衝撃的だった)
2003年の集中豪雨では飯塚市も甚大な被害が出た。JR線は線路が冠水し運行不能。国道も冠水し車も通行不能。市街地までもが冠水して一種の洪水状態。「飯塚大洪水」「飯塚水害」などと表記しているメディアやブログもある。
前述の初代芳雄橋は、河川氾濫のため流れてきた大量の流木やゴミが橋によってせき止められダム化してしまい、これも市街地冠水の原因となってしまった。そのため冠水対策として芳雄橋を撤去・解体し、現在の2代目芳雄橋が建造されたという経緯がある。
2003年の豪雨は私の住む地区も直撃した。私の家自体には被害がなかったけど、家の前を通る少しだけ下りの坂道全体を雨水が猛スピードで流れていた。幼児用の三輪車が水圧に負けて流されていく光景は見ててゾッとした
飯塚市が大変なことになってるのはニュースを見て呆然としたし、雨が止んでから北九州市と飯塚市の中間にある直方市まで様子を見に行ったら、ナフコの駐車場は完全に水没していて、他にも地盤の低い道路は水没し所々で通行止め。遠賀川の堤防すぐ下にある一帯の民家は1メートルほど冠水していた。
水浸しとなった街を見回して、まったく言葉を発することが出来ず、うめくしかなかった。あの光景は忘れられない。
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新しい芳雄橋はとても広くてキレイだし、河川敷や中之島も整備されていて素晴らしい。
写真の遠くに写っているのは、炭鉱王国・筑豊の象徴的存在、「ボタ山」。石炭などを炭鉱で発掘した時に、不要となった捨石(ボタと呼ぶ)を積んでいき、人工的にできた山のことをボタ山と言うんだって。
ひな人形の各展示会場を巡る
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芳雄橋を渡っていると正面にドーンと建つ白い商業施設、itown(アイタウン)。iPhoneやiPadとは関係なく、飯塚市のイニシャル「i」を取ったらしい。名称は公募で決まったのだとか。
ここにも麻生グループ。情報処理の「麻生情報システム」。社名は知ってたが、ここにあったか。
「バスセンター前」交差点を左折し、吉原町商店街に入る。
すぐ右折し、国道211号線で左折。「飯塚郵便局前」交差点を通過。
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飯塚信用金庫本店に到着。ここもひな祭り会場。
午前10時から裏千家のお茶会が開催されたらしい(有料:300円)のだが、私が来た時は開始前だったのでご覧の通り。
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奥へ進むと、こちらも豪華なひな飾り。
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国道を直進すると、銘菓・千鳥屋本家が道の反対側にあった。横断歩道を渡り店舗の中へ。お茶とお菓子(チロリアン)を頂いた。
店内の右奥に「ひなまつり会場はコチラ」みたいな看板と出口があったので、店を出て進むと民家のような建物。これ入っていいの? どこにも案内書いてないのだけど。とりあえず入ってみた。
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入口でクツを脱ぐとすぐ目の前にある狭い階段。私は図体がデカいので離合は不可能だろうな。
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2階に上がると無事、ひな人形が展示されていた。
南に進み、昭和通り会場に入る。
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こちらでは日本全国の郷土雛が展示されていた。
嘉穂劇場で大いに悩む
国道から県道473号線に入ってすぐ、係員が左折するよう誘導している。「こちら曲がってすぐのところ、嘉穂劇場で折り返しになりま~す」
嘉穂劇場の各種公演ポスターが貼られている。
芳雄橋のところで詳しく書いたが、2003年7月19日の集中豪雨により嘉穂劇場も大きな被害を受け、劇場としての機能を果たせず閉鎖の可能性が高いと報じられた。
この危機を知った俳優の津川雅彦が発起人となり、呼び掛けに賛同した明石家さんま、中村玉緒、長門裕之、中村勘九郎(現在の勘三郎)、西田敏行、緒形拳など多くの芸能人が嘉穂劇場に集い、復旧チャリティーイベントを開催。全国各地からも善意の義援金が寄せられ、そのおかげで嘉穂劇場は復旧作業が進み、翌年、2004年の9月に復活を遂げた。私は一度も嘉穂劇場に行ったことがなかったのだけど、このニュースは本当に嬉しくて感動した。
現在は国の登録有形文化財にも指定されている筑豊の宝とも言うべき嘉穂劇場。来たのは今回が初めて。
ウォーキングのコースとしては、ここは単なる折り返し地点。嘉穂劇場の中はコースではない。もちろん寄り道するのは自由なのだけど、入場料が300円。基本的にこれまで私はウォーキング大会で入場が有料の場所に立ち寄ってこなかった。
今回も有料施設に立ち寄る気はなかったので、早々に折り返し劇場を離れたのだが、途中で立ち止まった。一流のアーティストだけが潜在意識の中から呼び覚ませる芸術的なインスピレーションというやつなんだろうね。
今回、JRを使わず車で来たから電車代も浮いたし、嘉穂劇場なんて滅多に来れないから、見ておこうかな。
考えが切り替わった私はUターンし、嘉穂劇場を見学することにした。
歌人・柳原白蓮を初めて知る
結局、嘉穂劇場で30分以上も時間を潰した私。ここを見学したことで完全に観光モードのスイッチが入ってしまった。
東町商店街の入口。
商店街に入るとすぐ、東町会場の案内板があるので中に入る。
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ひな人形の他に着物なども展示されていた。
伊藤なんとかさん、って書いてる。伊藤伝右衛門という文字もチラッと見えたので、伊藤邸に関連した展示物がここにもあるということなのかな?
(伊藤伝右衛門というのは、九州の炭鉱王と称された近代日本の資産家。後で出てきます)
部屋の奥に写真パネル展があったので、チラッと覗いてみた。
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いろんな説明文を一つ一つ読んでると時間かかるし、嘉穂劇場で時間をロスしまくったので、写真を数秒眺めるだけで移動していく。「与謝野晶子とは特に親交が深かった」という説明文もあったのだけど、写真を見ても誰が誰やら分からない。
「白蓮の道」とか「命がけの恋愛」とか、説明を流し読みしかしてないのでサッパリ意味が分からないけど写真だけは撮っていく私。
これは誰だ?
資料によればこの女性は「柳原燁子」という人らしい。華族の娘で大正天皇の従妹だと書いてる。名前の読み方すら分からない。
誰の写真パネル展なのか今一つ分からないまま外に出ようと思ったのだが、一枚のパネルが目を引いて、足を止めた。
白蓮事件とは、という何やらセンセーショナルなタイトルの説明文。読んでビックリしちゃった。
要約すると、柳原燁子という女性は伊藤伝右衛門の再婚相手で、結婚中に他の男(宮崎龍介という新聞記者)と恋仲になり、妊娠までしてしまい、新聞紙上で伝右衛門に対して絶縁宣言をし、歌人として有名になり、号を白蓮(びゃくれん)とした。号ってペンネームみたいなもんだよね?
当時は結婚した身で他の異性と深い関係になると姦通罪という罪になった頃だし、男尊女卑がまかり通る時代に女性の側が新聞で夫に絶縁宣言しちゃったんだから、これは大変な事件だったみたい。
伊藤は、妻の燁子(白蓮)を姦通罪で訴えることはしなかったけど、妊娠した子供の父親を確認するための訴訟は起こして、その結果「子供は伊藤の子ではない」という判決となり、これによって白蓮は華族から除籍され、財産も没収され、そこでようやく伊藤との離婚が成立し、宮崎と再婚したのだとか。
伊藤伝右衛門という名前は、福岡県にいたらそれこそ腐るほど耳にする有名な名前なので、福岡県の出身ではない私でも知ってたけど、実際にどんな人で、どんなことがあったのかなんて詳しくは知らなかったし、柳原白蓮は名前すら知らなかった。それだけに、とにかく驚いた。そんなことがあったなんて。
帰宅してから嫁に聞いたら、柳原白蓮も伊藤伝右衛門と同じくらい筑豊地方では有名人で、みんな知ってるよ、とのこと。今回紹介した東町商店街には柳原白蓮の写真などを常設展示しているところもあるみたいなので、興味のある方はどうぞ。
福岡に来て20年以上が過ぎたけど、まだまだ知らないことがたくさんあり過ぎる。
龍馬も西郷も篤姫も歩いた街道を進む
東町商店街が終わる辺りの壁に大きな絵。江戸時代の長崎街道・飯塚宿の出口がこの辺りだったのだそうだ。
長崎街道は江戸時代に造られた街道で、九州の玄関口である豊前国の小倉(現在の北九州市小倉北区)から、肥前国の長崎(現在の長崎市)までの57里(約223.8km)。この距離の間に全部で25箇所の宿場が置かれたのだそうだ。
その25のうち、現在の福岡県にある6つの宿場、
・黒崎宿(現在の北九州市八幡西区黒崎)
・木屋瀬宿(こやのせ。現在の北九州市八幡西区木屋瀬)
・飯塚宿(現在の飯塚市)
・内野宿(現在の飯塚市)
・山家宿(やまえ。現在の筑紫野市)
・原田宿(はるだ。現在の筑紫野市)
これらを総称して筑前六宿というらしい。
今年は長崎街道・筑前六宿が開通してから400年という記念すべき年らしく、いろんな記念式典やイベントが予定されているという。
ちなみに長崎街道の出発地点、いわゆる「始点」は北九州市小倉北区の常盤橋。以前別のウォーキング大会でその橋を渡っていた。全然知らなかった。
記事の前半、リバーウォーク北九州の写真を撮影した場所が、まさに常盤橋の上からだった。なのに肝心の常盤橋の写真を撮ってない。だって、小さくて古い橋だったから、まさかそんな歴史的に貴重な橋だなんて知らなかったんだもん。情報を知ってるのと知らないのとでは楽しみ方も全然違ってくるんだなー。次に行ったら常盤橋の写真も撮ろう。
続いて永楽町商店街に入る。
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永楽町会場のひな人形。
右に曲がると、今度は本町商店街。商店街の数がスゴイな。どの商店街を通ってるのか分からなくなってくる。
ウォーキングの係員ではなく、商店街の関係者なのか、市の職員なのか、祭りの実行委員なのか、その正体は不明だが、男性が本町商店街について大声で説明をしていた。
「こちら本町商店街は、まさに長崎街道そのものでございます。昔はこの道を多くの旅行者が行き交っておりました」
つまり本州から九州に上陸し、小倉の街から長崎街道に入って、肥前(長崎)や肥後(熊本)、そして幕末の一大勢力であった薩摩(鹿児島)に向かう人々は、今まさに私が歩いているのと同じ道を歩いたということになる。坂本龍馬も、桂小五郎も、高杉晋作も、西郷隆盛も、そして将軍家へ嫁入りするため薩摩から江戸へと向かう過程での天璋院篤姫も、ここを通ったのだろう。そんなことを想像しながら歩くと楽しい。歴史のロマンだね。
なぜゾウの絵が描かれてるかというと、江戸幕府の8代将軍、徳川吉宗に献上されるため南蛮船で長崎港から上陸した象が、長崎街道を歩いて江戸に向かったのだそうで、当然ながらここ飯塚宿も歩いたのだそうだ。その次の宿場となる木屋瀬宿には象が宿泊したという宿帳の記録も残されているという。上野動物園に初めてパンダがやって来た時も日本中が大フィーバーになったけど、日本に初めて象が来た時の江戸も同じようにすごい象フィーバーだったんだって。
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商店街の中にある井筒屋。ここの3階もひな祭り会場となっていた。
3階の広いスペースがひな祭り会場として提供されていた。
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ひな人形の他にもお正月や七夕の飾り物が展示されていた。
紀乃國屋書房。入口の上に設置されている「からくり時計」は1時間置きにからくりが発動して、時計の中からいろんなものが出てくるんだって。
銘菓・ひよ子本舗吉野堂。
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店の中にひな人形が2箇所設置されている。小さくて目立つ感じではないものの、大正時代に製造された歴史的価値のある人形だと店員さんに説明してもらった。
当然ロングコースを選択
長い本町商店街が終わり、再び市街地に入る。
ローソンを通過してすぐの所にある納祖八幡宮。ここの階段、一つ一つの段差が異なっている。よそ見しながら上ってると足を引っ掛けてコケるので注意すべし。コケた私が言うんだから間違いない。
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階段を上った先にある境内はこんな感じ。
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「片島一丁目」交差点に到着。ここからコースは2つに分かれる。5kmのショートコースはこの交差点を右折してゴールの新飯塚駅に直行する。10kmのロングコースは交差点を直進して旧伊藤邸まで延々と歩く。
当然私は10kmのロングコースを選択。5kmで終わるなんてもったいないし、そもそも毎日5km歩いてる。
信号を渡り、延々と直進。ここから旧伊藤邸まで、そして戻りの新飯塚駅までの距離はなかなか歩きごたえがあった。観光モードになってた私も、この長い直線距離はかなり高速ペースで歩き続けた。
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国道200号線と211号線が交差する「水江」交差点。角にリンガーハットがあるのだが、北九州から車を運転して来て、ここの看板が見えると「飯塚市内に着いた~」という気分になる。
この交差点を南下すると、県内でも有名な大渋滞スポット、「勝盛歩道橋」交差点がある。朝のラジオで渋滞情報を聞いていると、まず間違いなく「飯塚市勝盛が●kmの渋滞」と毎日言われてた。しかしここの交差点は2010年8月に立体交差が完成し、ようやく渋滞が緩和された。
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国道200号線に併走する形で流れている一級河川、建花寺川。「けんげいじがわ」と読む。
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閉店してしまった某DVDレンタルショップ。何を隠そう、私が以前勤めていたDVDレンタルショップの系列店なのだ。この店舗の売上成績は決して悪くないと聞いていたのに、大半が大手に買収されて今も店舗が残る中、この店舗だけ閉鎖になったのが今も不思議。ずっと「売店舗」の貼り紙がされてたのだけど、今回通った時は貼り紙がなくて、何かの作業をしてる人がいたので、どこかの企業が買ったのかな。
「許斐神社」交差点。「このみじんじゃ」と読むらしい。この交差点、今は少し改善されたが、それでも私はここが好きじゃない。地元の人や、通り慣れているドライバーには気にならないだろうが、この交差点に慣れてないドライバーにはとにかく危険なのだ。
2つの大きな道路が併走していて、この交差点でX状に交差しているのだけど、昔は信号の表示角度があいまいで、しかも信号の切り替わるタイミングが妙だった。その結果、「もう青かな」と見切り発信した車が信号無視した状態で事故を起こしたり、青信号に気付かず先頭で停まり続ける車に、「青だ急げ!」と急発進するセッカチなドライバーが追突したり、しかも信号無視する車がものすごく多い(赤になったら長い交差点だし、福岡は自己チューなドライバーの宝庫なので)。だからここは事故多発地域となっている。
長い距離を歩き、ようやく旧伊藤伝右衛門邸に到着。今回初めて来た。
ただでさえ土日は見物客が押し寄せる人気スポットなのに加えて、今回はウォーキング参加者もいるから、中は大変な人混みだった。人混みが大嫌いで、しかも有料施設はスルーする私だが、嘉穂劇場で観光モードに切り替わった私は当然ここにも立ち寄りましたわよ。
ゴージャスな建物は飯塚市役所ではなかった
旧伊藤邸でもかなりの時間を費やしたせいで、旧伊藤邸から外に出たら急に天気が悪くなり気温もグッと下がっていて驚いた。
遠賀川の堤防に上がっていく。
新しい橋が建造中のようだ。旧伊藤邸と直通の道路が出来るのか?
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外回りの仕事で飯塚に頻繁に来るようになってから覚えた川島橋。立岩地区や飯塚市役所、新飯塚駅方面への抜け道で、細い道路なのに交通量がとても多い。仕事でいつも使う橋を歩いて渡るのは、なんか新鮮な気持ち。
橋を渡って右折し、すぐ河川敷の遊歩道に下りる。ここから延々と直線道路を新飯塚駅方面に向かってひたすら歩く。ここぞとばかりに超高速ペースで歩く。
飯塚市街の、さっき歩いてた付近が川の向こうに見える。
国道200号線バイパスの飯塚大橋が前方に見える。この橋の右端がさっき通った「水江」交差点。リンガーハットが写真からフレームアウトしてしまった。
新飯塚橋に到達し、長かった河川敷の遊歩道コースも終了。堤防の上に上がる。前半に渡った芳雄橋がすぐ近くにあるらしく、白い建物「itown」や、遠くにはボタ山も見える。
「新飯塚橋東」交差点で左折。
飯塚に仕事で来た時は高い確率で立ち寄っていた「すき家」飯塚市役所前店。最近は外回りの仕事をしてないので久しく行ってない。
とてもゴージャスな建物。
今から1年半ほど前。転職して数か月後くらいだったか、仕事のため初めて一人で飯塚市役所に行った。地図を見ながら行って、到着して車を駐車場に停めて、何の疑いもなく入ったのがこの白いゴージャスな建物だった。だって地図にそう書いてたんだもん。
中に入ると内装もめちゃくちゃゴージャス。受付も豪華だし、女性も凛とした立ち居振る舞いで、まばゆいばかりのスマイル。飯塚市役所ってスゴイな、そんなに儲かってる街なのか、この市役所、何もかも質がハンパないなと驚きまくり。
ただ、あまりに豪華すぎて「何かおかしい」と少し違和感はあった。
受付に行き、女性に聞いてみた。「あの~、●●課というのは何階になりますか?」
女性、笑顔で即答。「飯塚市役所でございますね。道を挟んで反対側にございます」
めっちゃ恥ずかしかったっす。間違えて入ったのは「のがみプレジデントホテル」だった。何度も言うけどね、地図に書いてたんだから。地図を見る角度が反対だったってだけで。それがいかんのだそれが。
こっちがホンモノ、道を挟んだ反対側にある飯塚市役所。
「市役所前」交差点を右折すると、正面に飯塚病院が見えてきた。ゴールが近いということね。
飯塚病院の少し手前で左折。新飯塚商店街に入る。今回、幾つの商店街を歩いたろう。すごく多かったな。
新飯塚駅が見えた。
スタート地点とは反対側にある、JR新飯塚駅の西口に到着。駅に入り、階段を上ったところでゴール受付を済ませて終了。