中間市出身、仰木彬さんの名を冠した球場
JR筑前垣生駅。「ちくぜんはぶ」と読む。早朝で、まだ日が昇ったばかり。
今回のウォーキングは日の出直後だったこともあり、東側を向いて撮影した写真の大半は逆光をモロに浴び、白っぽくなっています。少し見づらいですが何卒お許しを。
中間仰木彬記念球場。
中間市出身の元プロ野球選手で監督も務められた仰木彬さんの多大な功績を称えるため、2017年に「中間市営野球場」から改称された。
仰木さんは近鉄やオリックスを指揮。この2球団が合併した際には新球団の初代監督となった。野茂英雄やイチローの師としても知られている。
球場エリアの隣りには「垣生公園(はぶ・こうえん)」がある。春には大量の桜が咲き誇る名所として有名。
公園中央部には「埴生神社(はぶ・じんじゃ)」がある。
30年前にはなかった筑前垣生駅横の県道
筑前垣生駅の横(というか下)を走る県道98号線。高架になっており、道路の上はJR福北ゆたか線(筑豊本線)が走っている。
大学進学のため鳥取県から福岡県に移住したのは今から36年前。2年後から妻と交際を開始し、デートで車を運転するようになり、中間市も通るようになった。
その34年前、高架下を走る県道98号線は存在しなかった。中間市役所方面と筑前垣生エリアを結ぶ道路は、筑前垣生駅の横を通る細い道路だけだった。
踏切が下りる度に渋滞し、とてもストレスの溜まる道路だったのを覚えている。
その後、詳しい日時は覚えていないが高架下の県道98号線が完成したことで、ストレスは一切なくなった。
遠賀川に架かる「遠賀橋」。橋の向こうには中間市役所がある。
遠賀橋は、初代の橋が1919年(大正8年)に完成。このときは木の橋だったという。その後の架設工事でコンクリート製の橋が1931年(昭和6年)に完成。
現在の遠賀橋は架け替え工事が1997年(平成9年)に始まり、2006年に完成。約10年もかかっている。
以前の遠賀橋は道幅が狭く、右折レーンもなかった。常に大渋滞していてイライラするため、遠賀橋はいつも避けていた。
現在は右折レーンも左折レーンもあり、広くなっている。
遠賀橋の上から遠賀川の南側を眺める。
南側は上流方向で、鞍手町、北九州市八幡西区、直方市、小竹町、飯塚市など、たくさんの自治体を流れている。
上の写真、中央あたりに写っている緑色の橋が「笹尾川橋」。その近くに世界遺産がある。
堀川のスタート地点、県指定文化財「中間唐戸」
「中間市役所前」交差点の一角。
右に立っている眠そうな表情の奴は、中間市の公式ゆるキャラ「なかっぱ」。
県指定文化財「中間唐戸」。
すぐ脇にある遠賀川の水を人工運河「堀川」に流すための水門の役目を果たしていた。
江戸時代の1621年、福岡藩の初代藩主だった黒田長政の命令によって人工運河「堀川」の添削工事が始まり、130年間にも及ぶ中断期間を経て、1762年に中間唐戸は完成している。
堀川は、中間市から水巻町、折尾駅周辺、そして洞海湾へと流れていく。堀川のスタート地点がここ中間唐戸である。
当初、堀川が作られた目的は主に、
- 遠賀川の氾濫対策(洪水を防ぐため、堀川を経由させて洞海湾に水を逃す)
- 灌漑用水の確保(中間・水巻の穀倉地帯に農業用水を与える)
- 水上輸送(収穫したお米などの農産物を船で運搬する)
というものがあったらしい。2023年10月7日にNHKで放送された「ブラタモリ・北九州編」でも取り上げられ、堀川の歴史が詳しく紹介されていた。
その後、明治期に筑豊炭田が日本最大の石炭産出地となり、中間・直方・田川・飯塚などの筑豊地方は石炭によって大いに栄えた。
堀川は石炭を船で運ぶための運河として活用され、集積地の洞海湾・若松(現在の北九州市若松区)も港町としてものすごく活気があったらしい。これもブラタモリで解説されていた。
てっきり堀川は「石炭運搬メインの運河」なのかと思っていたが、それはあくまで明治期の話。最初に堀川が作られた江戸期は年貢運搬や洪水対策がメインだった。
勉強になった。ありがとうブラタモリ。
実はよく来ている世界遺産「遠賀川水源地ポンプ室」
遠賀川水源地ポンプ室。2015年7月、ユネスコの世界文化遺産として登録された。
北九州市八幡東区の「官営八幡製鐵所」が取水のため中間市に建築した。現在も現役で稼働しており、今回の訪問時もブーンというモーター音が常に鳴り響いていた。
遠賀川水源地ポンプ室が当ブログに登場するのは、2015年の世界遺産登録のとき以来だと思うが、プライベートでは何度もここに来ている。基本的に世界遺産などの史跡が好きなのだ。
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ユネスコ登録決定の翌日、北九州市と中間市の世界遺産に行ってきた
日本時間2015年7月5日(日)の夜、「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されることが正式に決定されました。北九州市と中間市の候補施設も無事世界遺産に認定されたことを受け、発表翌日に再訪。現地は多くの笑顔で溢れていました。
遠賀川水源地ポンプ室の裏側(南側)に回り込む。こちら側に来るのは久しぶり。
手前のコンクリート部分が濡れているのは、直前にバーっと雨が降ったから。
強烈な逆光で世界遺産の写真がマトモに撮影できないかと思えば、一転して急に空が暗くなり、雨が落ちてきた。散々な天候だった。
ちなみに折り畳み傘を持参していたが、雨が止んでリュックに片付けようとした際に壊れた。ダブルで散々だった。
旧香月線の線路跡を歩く
遠賀川水源地ポンプ室の裏側から、遠賀川の支流・笹尾川を渡り、土手ノ内エリアへと進む。
筑豊電鉄・希望が丘高校前駅の近くにある高架をくぐる。逆光がひどい。
ちなみに希望が丘高校は、卓球女子日本代表、早田ひな選手の母校。
筑豊電鉄の高架下を再び通過する。
ちなみに高架下の道路は昔、香月線(かつきせん)という鉄道の線路だった。
香月線はJRの前、国鉄だった時代に開設されたローカル線で、路線距離はわずか3.5km。駅も4つしかなかった。
1985年に廃線となり、線路跡には道路が敷設された。
閉店したTSUTAYA、再開店したイオンなかま
TSUTAYA中間店の跡地。2023年7月末で閉店した。
閉店後、どうなったのか知らなかったので見に来た。建物は黒いヴェールに覆われており、解体はされていなかった。
後継店舗のための整備工事だろうか。何の店がここに入るのかは知らない。
北九州市の西部エリアにはDVDをレンタルできる大型店舗がなく、自宅からいちばん近いTSUTAYAは、ここ中間店だった。
まだネットレンタルサービスが本格的に展開されておらず、映画専門チャンネルも整備されていなかった昔、映画のDVDをレンタル視聴するにはTSUTAYAなどの実店舗に行くしかなかった。
TSUTAYA中間店は自宅から車で数十分もかかる距離だったが、観たい映画のDVDがリリースされる度に来ていた。在庫がもっとも豊富だったし、店に来てDVDのパッケージを眺めるのはいつも楽しかった。
「イオンなかま店」。
もとは「ダイエー中間店」として1978年9月に開業した。経営悪化によりダイエーがイオン傘下に入った後、2015年9月から「イオンなかま店」と改称。
建物の老朽化もあり、2022年9月でいったん閉店したイオンなかま店は、1階建ての施設として規模を縮小し、2023年3月に店舗名称を変えることなくリニューアルオープンしている。
かつての筑豊炭田の名残り、ボタ山は中間市にもある
曲川(まがりがわ)に沿った遊歩道を西へ進む。
この曲川、小さい川なのだが「一級河川」らしい。それ以上に驚いたのは「ホタル生息地」だと書かれていた。
しかし川の水、めちゃくちゃ汚かったぞ。ゴミが大量に浮いていた。ホタル、いるのかもしれないけど、なんだか気の毒である。
炭鉱地として栄えた街によくある「ボタ山」。中間市にもあるというのは今回初めて知った。中間市も石炭で栄えた街なのだし、ボタ山があっても全然不思議ではない。
ボタ山の「ボタ」とは、石炭を採掘する際に一緒に採れる不要な岩石や土砂のこと。それらを捨てていき、蓄積されて山となったものがボタ山。飯塚市や田川市にもある。
ハーモニーホールで「やっちゃれ祭」が開催
中間市立病院の跡地。建物の老朽化に加え、市の財政が厳しく、赤字経営の立て直しが厳しいという理由により、2021年3月で閉院となった。
市立病院跡の正面にある「なかまハーモニーホール」。
この日は「やっちゃれ祭」というイベントが開催されており、関係者が準備のため駆け回っていた。
曲川に架かる中牟田橋を渡って反対岸へ。このあたりの川はそれほど汚くなかった。
中間市の強豪、中鶴少年ラグビークラブ
JR中間駅の近くから始まる「屋根のない博物館」というエリア。ここも昔は旧香月線の線路が敷かれていた。
JR福北ゆたか線(筑豊本線)の線路下。高さが1.7メートルしかない。
身長183センチの私、めっちゃヒザ曲げて歩いた。途中で電車が頭上を走ったら髪の毛全部持って行かれるぞと思ったが、電車は来なかった。
「中間唐戸」から始まった堀川に再び遭遇。このあたりはまさに「人工の運河」という感じがする。
遠賀川の堤防に出た。坂道を下りて河川敷に進む。目の前の看板には「中鶴グラウンド」と書かれている。
中鶴グラウンドでは数十人の男の子たちが大きな掛け声と共にランニングをしていた。
中間市には「中鶴少年ラグビークラブ」というチームが強豪で有名だと聞いたことがある。グラウンドの名前もそうだし、おそらくランニングしていた彼らがそうなのだろう。
「ALWAYS 三丁目の夕日」の冒頭に登場する鉄橋
河川敷を南東に進むと、遠賀川に架かるJR福北ゆたか線(筑豊本線)の鉄橋が近付いてくる。
ちょうど上り電車が鉄橋を走っているところだった。
遠賀川鉄橋は左右2つに分かれており、右側の白い鉄橋は上り、左側の緑の鉄橋は下りの路線用。1891年(明治24年)に建造されたらしい。
しかし橋梁の補修工事のため、2022年9月から上下線ともに白い鉄橋を通過しており、緑色のほうは電車が走っていないらしい(2023年10月現在)。
今回そのことを知らず、下り電車の接近に気付いて写真を撮るため緑の鉄橋に近付こうとしたら、頭のすぐ上(白い鉄橋)を轟音と共に電車が通過していったので超ビックリした。
緑色のほうの鉄橋は、映画『ALWAYS 三丁目の夕日』の冒頭すぐ、青森から東京へ集団就職で上京する六子(むっちゃん、演じたのは堀北真希)の乗る蒸気機関車が走るシーンでこの鉄橋が登場する。
もちろん蒸気機関車はCG合成である。
遠賀橋から筑前垣生駅へ
河川敷の散策を終え、堤防の上に移動。目の前に中間市役所がある。
スタート時にも渡った遠賀橋。今度は川の北側を眺める。さっき通過した遠賀川鉄橋が写真中央に写っている。
ここから先、遠賀川は河口に向けて流れ、響灘(日本海)へと合流する。
遠賀橋を渡り終え、県道98号線ではなく「昔のメイン道路」だった旧道を歩いてみた。何十年ぶりに通っただろうか。車では何度も来た道だが、歩くのは初めて。
この踏切での渋滞がとにかくヒドかったのだ。
JR筑前垣生駅に戻ってきた。ちょうどJRの電車が駅に到着したのを眺める。
歩行時間は2時間37分。歩行距離は10.2km。
前日の福津市ウォークと合わせ、2日間で21.4km歩いた。筋肉痛もそれほどヒドくならなかったし、脚力が徐々に戻ってきている。