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デビル雅美:彼女が鬼の形相と怒声で追いかけてきた理由【レスラー列伝#23】

レスラー列伝初の女子選手

初代タイガーマスクが新日本プロレスに登場し、日本列島が空前絶後のプロレスブームに沸いて以降、本格的にプロレスを見始めます。

それ以前もテレビでプロレス中継があった際はチラッと軽く見る程度ではあったのですが、そのチラッの中には女子プロレスもありました。

その昔、全日本女子プロレス(通称「全女」)という団体がありまして、女子プロレスと言ったら基本的には全女でした。数多くの名選手を輩出し、男子プロレスと同様にプロレスブームを牽引していたのです。

今回紹介するデビル雅美選手も全女でデビューし、トップスターとなった1人。

このブログでは往年の名レスラーをセレクトして紹介しているのですが、プロレス会場以外の場所で個人的に遭遇した選手としてクリス・ベノワ選手がいます。そのエピソードはレスラー列伝の第1回で紹介しました。


 
実は、デビル雅美選手にも遭遇したことがあるのです。しかも、とんでもない場所で。

かなり昔のことなので詳細は記憶から失われつつあるのですが、エピソード自体は生涯忘れられない強烈なものだったので、ブログに残しておくことにしました。

クラッシュ・ギャルズの大ブームより少し前

全日本女子プロレスでは、長与千種選手とライオネス飛鳥選手が組んだユニット「クラッシュ・ギャルズ」の人気が大爆発。対立する悪役としてダンプ松本選手やブル中野選手の「極悪同盟」と激しい抗争を繰り広げました。

このクラッシュ・ギャルズの大ブームが1980年中盤。私がデビルさんと遭遇したのは、ダンプ&ブルの極悪同盟よりも少し前、デビルさんがヒールユニット「デビル軍団」のトップとして暴れ回ってた頃です。

私と遭遇したとき、おそらくデビルさんは20代前半くらいの年齢。当時私は学校の部活動でバレーボール部に所属していました。

近くに大きな市立体育館が完成し、バレー部顧問の先生と体育館関係者がコネクションを持っていたおかげで、我がバレー部は時々、その巨大な体育館で練習をすることが出来たんです。

ある日の練習後、バレーシューズとサポーターを体育館の男子更衣室に置いたまま帰宅。翌日その事に気付き、靴とサポーターがないと練習できないので、部活動が始まる前に市立体育館まで自転車猛ダッシュで行ってきました。

体育館に到着すると、競技用フロアの入口ドアが全て閉じられており、非公開の状態。中から微かに声が聞こえて人の気配はするものの、何をしてるかまでは判らない。

体育館のオッチャンに挨拶し、中で何かやってるんですか? と質問。

「ああ、プロレスや」とオッチャン。

試合は明日で、今は練習中なんじゃないか、と続けるオッチャン。中が非公開なので、リングが設営済みなのかも、どんな選手が練習してるのかも分からない。

男子更衣室にシューズなどの用具を昨日忘れてしまった、とオッチャンに事情を説明。今から取りに行ってもいいですか? と確認すると、

「ええよー、プロレスの控室は反対側やし、誰もおらん」

とオッチャンから許可をもらいました。中で誰か練習してるのかな、猪木かな、馬場かな、タイガーマスクはいるのかな、などと想像を膨らませながら更衣室へと向かったのです。

女性の悲鳴、そして憤怒

男子更衣室のドアを開けて中に入り、前日置き忘れた自分のシューズとサポーターを発見。無事見つかって安堵し、部活動に早く戻らなきゃいけないので早々に立ち去ろうとした、まさにその時。

更衣室の中、視線の数メートルほど前方にあった、たぶんシャワー室か何か、そのカーテンの1つが急にパッと開いた。

そして中から人が出てきた。しかも女性。

無人だと思い込んでた男子更衣室に人がいたことでまずビックリ! そして男子更衣室なのに女性がいたことでビックリ倍増!

え! と驚いて女性を見たのと同時に、その女性も若い男が更衣室に侵入してると気づき、軽く悲鳴をあげながら近くにあったタオルで身を隠す。

見てはいけないものを見てしまった、とパニックになり、「すいません!」と謝罪して、すぐに男子更衣室から出ようとドアに向かって走ったのだけど。

次の瞬間、背後から女性の物凄い叫び声。

「てっめええええこらあああああーー!」

女性だと思ってた人から(失礼)、この世のものとは思えない怒声が発せられたので更にビックリ。後ろを振り向くと、なんと女性は木刀を片手に持ち、鬼の形相で睨んでいる。

こ、殺される!

大パニックになり、たぶん悲鳴をあげながら男子更衣室を出て体育館の通路を猛ダッシュ! しかし背後からさっきの女性の怒鳴り声も響く。ウソやろ! タオル巻いたまま出てきたのか!

さらに女性が誰かの名前を叫んだ直後、今度は別の女性の怒鳴り声も加わった。行く時は無人だったはずの通路と更衣室周辺なのに、どこから出現したのか、新たな追っ手数名が

「まてこらああああ!」
「ヘンタイイイイイ!」
「クソガキイイイイイイ!」

などと叫びながら走って追いかけてくる。

もう怖くて後ろを振り返ることもできず、そのまま体育館の外へ一目散に逃走。

物陰に隠れ、誰かが追いかけてこないかを確認。さすがに体育館の外までは来ず、ひとまず安堵した私は、近くに貼ってあった「全日本女子プロレス」のポスターに気付きます。

プロレスって男子じゃなくて女子プロレスだったのかよ! それ言えよオッチャン!

まだ冷めぬ恐怖に震えながらポスターを眺め、「あ、さっきの鬼」と判明した人こそ、デビル雅美選手でした。数メートルの距離で、ほんの一瞬しか見なかったけど、あれは間違いなくデビルだ。本当にデビルだ。

更衣室で遭遇するならミミ萩原選手が良かったな、と思いながら自転車をこいで学校まで戻ったのでありました。

オッチャンから予期せぬ言葉

翌週、再びその市立体育館でバレー部の練習がありました。

また怖い女性から追いかけられるのではないかという恐怖を感じつつ体育館に入ると、例のオッチャン発見。こちらに気付くと、あの野郎笑ってやがる。

挨拶もそこそこに「先週のあれはヒドイですよ!」とオッチャンに抗議。

男子更衣室に誰もいないと言われたから行ったのに、いないどころか女子プロレスラーがいて、ヘンタイ呼ばわりされて追いかけられたんですよ。荷物取りに行っただけなのに。

「災難やったなあ」と言いながら笑いを止められないオッチャン、釈明を始めました。

まず男子更衣室の件は、善玉(ベビーフェイス)の選手たちは体育館の北側を控室にしたのだけど、悪役(ヒール)の選手たちは反対側の南側を控室にしていて、それを忘れていた、と。

おそらくヒール軍団の若手と思われる女子選手数名が体育館の出口付近まで怒声をあげながら追いかけてきた際、驚いたオッチャンが選手に「どうしたの!」と慌てて制止。

「控室をヘンタイが覗きにきた!」と説明した若手女子選手に対し、状況を把握したオッチャンが真相(=部活動の道具を前日に忘れていた男子学生が荷物を取りにきただけ、その許可は自分が出した)を彼女たちに説明。控室のことを忘れてた件については謝罪したんだそうです。

その後、デビルさん本人がオッチャンのところに来て、話をしたんですって。

若手女子選手から事情を説明されたデビルさんは、怒鳴り声をあげて追いかけたことについて、

怖がらせてゴメンね、と男の子に伝えておいてください」

とオッチャンに言いに来たんだそうです。

オッチャンからその話を伝え聞いた時は驚きましたね。たまにテレビ中継で見るデビルさんは、ミミ萩原選手やジャガー横田選手を凶器攻撃などでいたぶる「悪のイメージ」しかなくて、その選手が「ゴメンね」などという言葉を吐くとは到底思えなかったから。実はイイ人だったのか。

それを聞いてボクはデビルさんの大ファンになりました、って書けば美談で終わるのだけど…、特にそういうこともなく、数年後の大ブームを迎えるまで女子プロレスとは距離を置くことになったのです。

JWPでファンになった

当時の全日本女子プロレスには25歳定年制というものがあり、デビルさんも例外ではなく、1987年に25歳で全女を退団。

その後、1986年に設立された女子プロレスの新団体「ジャパン女子プロレス」にフリーランスとして参戦。

そのジャパン女子は1992年に崩壊し、「JWP」と「LLPW」という2つの団体に分裂。

当時、男子プロレスで高い人気を誇った「UWF」がWOWOWで試合を放送すると決まり、大喜びでWOWOWと契約したものの、肝心のUWFが崩壊。3つの団体に分裂してしまいます。

その1つ、前田日明選手の率いる「リングス」がWOWOWの放送権を維持して試合を放送したのですが、前述した「JWP女子プロレス」もWOWOWで放送が開始されたのです。リングスもJWPも初回放送から全て見ました。

そのJWPに、デビル雅美選手は1992年から所属選手として正式に入団。ダイナマイト関西選手や福岡晶選手など当時の主力に立ちはだかる大きな壁として君臨します。

また全女時代の後輩でもある長与千種選手が現役復帰し、JWPにフリーランスとして参戦、JWPの主力選手を次々と倒して躍進していた際、デビルさんは別人格である「スーパーヒール」に変身。これはWWEの名レスラー「ジ・アンダーテイカー」をモデルにしたとデビルさん本人が後に語っています。

顔にペイントを施し、一切言葉を発さず表情も変えず、妖しいファイトスタイルで長与千種選手の無敗記録を止める勝利。以後、スーパーヒールとしてのデビルさんは現役引退するまで無敗だったそうです。

全女時代の完全な悪役とは違い、JWP時代のデビルさんは巨体を駆使したスケールの大きいプロレスで、時にチャンピオンを凌駕し、時に若手選手の壁となり、「この選手がJWPにいてくれて良かった」とファンに愛された選手でした。

私自身、若き頃に木刀を持って追いかけられた悪夢も忘れ、JWP時代のデビルさんは熱烈に応援していたものです。

デビルさんは現在、北九州市にいる

デビルさんは2000年にJWPを退団。その後は再びフリーランスとして活動し、2008年12月に惜しまれながら現役引退。

現在デビルさんは、私も住んでいる北九州市にいます。もともとデビルさんは北九州市若松区の出身で、故郷に帰ってきたことになります。

デビルさんは小倉城の敷地内にある「糠蔵(ぬかぐら)」というお漬物のお店で、本名の吉田雅美さんとして店長をされています。この話はずいぶん前から有名で、メディアに登場したりテレビ出演もされたりしています。

私も小倉城周辺に行った際、「デビルさんに会えるかな」と、何度かお店に行きました。でも不思議なことに、私がお店に立ち寄る時、デビルさんはいつも不在。

会わなくて良かった更衣室では遭遇してしまうのに、会いたくなった時には会えない。近くて遠いデビルさんなのですが、いつかお会いできたら、ファンだったことを伝えたいなと思います。でもたぶん体育館での出来事は言えないな。

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