[Я]懐かしのプロレスラー列伝#18:アルティメット・ウォリアー

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若手時代はスティングとタッグを組んでた

今回紹介するのは、アルティメット・ウォリアーという選手。主にアメリカのWWF(現在のWWE)で活躍していました。

WWFでスターとなった選手の多くは有名になる前、違う名前で全日本や新日本など日本の団体に来たことのある選手が多いんですけど、アルティメット・ウォリアーは日本を経由してないレスラー。

しかし若手時代から目立っていたのか注目されてたのか、週刊プロレスで幾度となく「未知の強豪」として取り上げられていたため、その名前や顔はWWF登場前から知ってました。

最初に彼の存在を知ったのは、まだ彼がアルティメット・ウォリアーではなく「ディンゴ・ウォリアー」というリングネームだった時で、当時の主戦場はWWFではなく、「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックが主宰していたテキサス州ダラスを本拠地とする団体、WCCW。

WCCWの前、まだ若手だった頃は、後にNWAやWCWで活躍したスティングと「ブレード・ランナーズ」というタッグチームを結成していたそうです。確かこの頃はウォリアーもスティングも、まだ顔にペイントしてなかったんじゃないかな。二人とも有名になった頃は既にペイントレスラーでした。

WCCWでディンゴ・ウォリアーと名乗ってた頃から、彼には興味があったんです。顔もハンサムで、筋肉モリモリで、フェイスペイントもなかなかイケてる。全日本でも新日本でもいいから呼んでくれないかなーと願ってました。

しかしウォリアーは日本に来ることなく、1987年にWWFへ移籍。名前もアルティメット・ウォリアーとなり、タイトル戦線に絡み始めるようになります。

初来日は「日米レスリングサミット」

週刊プロレスは定期的にWWFの情報を掲載してくれていたので、写真と記事での情報収集は出来てたんですが、実際に試合してる「動くウォリアー」の映像を私は長らく見たことがありませんでした。

その間にウォリアーはどんどんステータスを上げ、遂には当時の絶対的エースだったハルク・ホーガンを破り、WWFタイトルを獲得。どこからどう見ても「次のエースはウォリアーだ」とメディアやファンは認識するようになりました。

WWFの頂点に立った直後、1990年に東京ドームで開催された、全日本・新日本・WWFの3団体合同興行「日米レスリングサミット」でウォリアーは初来日。初の防衛戦を日本のリングで行いました。相手はテッド・デビアス。

試合前、控え室で気合いを入れるために咆吼するウォリアーをゲストコメンテーターの徳光和夫氏がレポートする、という場面がありました。

その数試合前、天龍と対戦したランディ・サベージの悪役女性マネージャー(センセーショナル・シェリー)に対しブチギレて実況席から怒鳴りまくり威勢の良かったはずの徳光氏が、ウォリアー独特の咆吼にビビリまくって半泣きというなんともトホホなシーンがお茶の間に流れ、

「これではウォリアー、完全にイロモノ扱いやんけ」

と半ばガックリきておりました。思えば徳光氏の泣き芸のルーツはあの時だったのかもしれない。違うか。

※徳光氏が半泣きになってる試合前のレポートシーン、そしてウォリアーvsデビアスの試合映像はおそらくYouTubeにあると思います(「アルティメット・ウォリアー」と日本語で検索してみてください)。著作権の問題があるので当ブログにリンクは貼りません。ご了承ください。

登場シーンと試合序盤までは誰もが盛り上がる

初来日で、しかもホーガンを破って新チャンピオンとなったばかり。ウォリアーがどんな荒っぽい攻撃で魅了してくれるのか、と期待したファンは多かったかもしれない。

しかし残念なことに、当時の(いや、今もか)日本のプロレスファンで、WWFの試合スタイルを理解してる人は少なかったように感じます。なので、試合の空気というか、観戦する雰囲気がとても散漫なものになっていました。

ウォリアーの特徴は、テーマ曲がドドドドドと低音で鳴り始めたらすぐ登場するなり花道を勢いよく疾走してリングに駆け上がる。アドレナリンが必要以上に分泌されてるかのごとく、リングのロープを握って上下にブルンブルンと激しく揺らしまくる。

ファイトスタイルはパワーファイターそのまんまの直線的なもの。チカラに任せて相手を圧倒する攻撃の数々。なので登場シーンから試合序盤まではいいんです。多分誰もがカッコイイと感じるし、日本のファンもここまでは盛り上がった。

試合中盤から野次で遊び始めた観客

ただ、次第にウォリアーがデビアスに一方的にやられ始めます。ここでファンのテンションが一気に下がる。おいおい、こんなもんか、意外に弱いやんけ、と。

WWF、いや現在のWWEでもそうですが、いわゆるベビーフェイスなレスラーは、基本的にヒール(悪役)な対戦相手にやられまくります。あのホーガンですら試合の半分以上は攻撃されて悶絶してばかりでした。現在だとジョン・シナがまさにこれで、そのやられる時間が他の選手より長いのもあって、シナの試合は常にブーイングが飛びます。(ブーイングの理由はそれだけじゃないんでしょうけどね)

そこをしのいで反撃することでベビーフェイスに声援が集中する、ってのが基本的な試合展開なんです。それを1990年当時の日本のプロレスファンがどこまで理解してたか。

おそらく、大半は理解してない。今でこそWWEを毎週欠かさず見るようになって理解できたから書いてますけど、私も当時は理解してなかった。

プロレスファンは試合に飽きてくると声援で遊び始めます。当時、川田利明選手がキックを放つ時に「シャー!」とか、谷津嘉章選手が攻撃する時に「オリャー!」など、彼等の口癖を茶化して野次るのが一部で流行ってました。私はあれが死ぬほどキライだった。

で、ウォリアーとデビアスの試合中盤でもこれが発生しました。誰かが谷津のパロディーでウォリアーの攻撃の際に「ウォリアー!」と野次ったら、それがウケて調子に乗ったのかな。一方デビアスの時は「デビアス!」ってそのまんま。

パンチやチョップの応酬の際に「ウォリアー!」「デビアス!」が交互に飛び交い、野次ってる自分たちがウケて笑ってる。試合やってる方はタマランよ。

ベビーフェイスが反撃をして、終盤に一進一退の攻防にでもなったらファンは再び盛り上がるんですけど、ウォリアーは反撃したら一気に試合を終わらせちゃった。

しかもフィニッシュが「アルティメット・スプラッシュ」という、相手がうつぶせで倒れてる背中にボディープレスでそのまま3カウント奪う技。

WWFではフィニッシュとして認知されてるからいいんですけど、それがフィニッシュだと知らない日本のファンは、そりゃ怒ります。そんな技で試合終了とかフザケンナ!って。

北尾がデビュー戦でビガロにギロチンドロップで勝った時と似たようなもんです。あれはホーガン大好きな北尾がフィニッシュを真似たんですけど、ギロチンドロップ程度で相手が負けるわけねえだろ!と許せなかった真剣勝負絶対主義の人と、オマエごときがホーガンのフィニッシュ使ってんじゃねえよっていう、WWFのことを理解した上で批判した人、両方から叩かれた。

ウォリアーの話に戻りますが、序盤こそ圧倒したものの、途中やられっぱなし、やっと反撃が始まったと思ったら背中にピョーンとボディープレスして試合が終わっちゃったもんだから、「なんじゃそりゃ!」と憤った人は多かったでしょう。私も試合にはあんまり満足できなかった、というか選手より観る側の態度にムカついてましたけども。

メインイベントのホーガンvsスタン・ハンセンが両者大流血するなど、WWFでは絶対にあり得ない日本向けの試合展開になったことで高い評価を受けた(=あれは日本のファン気質を理解してたホーガンがスタイルを少し変えたのと、WWFスタイルを理解してたハンセンがホーガンに合わせたという、両者の歩み寄りがあったからこそなんだと私は思ってますけど)。

だから余計にウォリアーvsデビアスの試合評価は散々だったと記憶しています。「凡戦」「ウォリアー期待外れ」「試合に勝って勝負に負ける」、いろいろ書かれてたんじゃないかな。

あのウォリアーが再び吼える!

結局、私がウォリアーの試合を観たのは「日米レスリングサミット」の1回だけ。

その後、ホーガンに変わって天下を取るのかと思ったらそうでもなく、いつの間にか週刊プロレスにもウォリアー情報が載らなくなり、気付いたらWWFを退団したと知り、その後も数回ほどWWFに復帰したらしいですけど解雇されたりケンカ別れで辞めたりと、フェードアウト。

上半身を見てたら明らかに「打ってるでしょ」って肉の付き方だったし、ダイナマイト・キッドのように後遺症で大変な目にあってたり、フサフサでカッコ良かった長髪もホーガンみたいに禿げちゃってるのだろうかとか、中には死亡説まで流れたりもしてたし、つい最近まで彼がどうなったのか、どうしてるのかを私は何も知らなかった。

動きがあったのは、昨年の秋だったかな。WWEがアメリカで発売したゲームソフト「WWE 2K14」のCMにウォリアーが登場したというニュースを聞いてビックリ。WWEと絶縁したとばかり思ってたので、これは嬉しいニュースでした。

トレーラー映像がYouTubeにアップされてました。これは公式の動画なので掲載しましょう。

懐かしいけど、なんだか昔のまんまのアドレナリン出っぱなし状態で笑っちゃった。髪型が昔のスティングみたいに短くなってるのは新鮮ですね。さすがに年を取ってるけど、このテーマ曲はやっぱりイイ。

さらに嬉しいニュースとして、アルティメット・ウォリアーが2014年のWWE殿堂入りレスラーとして発表されました

殿堂入りセレモニーは今年春に開催されるレッスルマニア30の前日に開催されます。私はPPV視聴契約してるので、久々にウォリアーの姿を目撃することができる。

いつものハイテンションで目をヒン剥きながら現れるのか、それとも静かに喜びを語るのか。いずれにせよウォリアーがWWEと再び繋がってくれたのはとても嬉しいです。

2014年4月9日追記

日本時間の9日(現地時間で8日)、アルティメット・ウォリアーが急死したとの報道がありました。死因は現時点で明らかにされていません。享年54歳の若さ。あまりに突然の展開に声を失っています。

このエントリーでも触れている通り、レッスルマニア30の前日、4月5日に開催された「WWE Hall of Fame(WWE殿堂)」において、2014年の殿堂入りが発表されたウォリアーはスピーチもこなし、さらにはレッスルマニアの翌日、4月7日に放送されたRAWにも出演していたそうです。

このRAWが生前最後の登場となり、翌日に亡くなってしまったそうです。せっかくWWEと再び繋がり、ファンに勇姿を見せた矢先の訃報は残念でなりません。

2014年4月24日追記

アルティメット・ウォリアーの死因が報道されました。心臓発作だったそうです。ニュース記事を引用します。

 4月8日に亡くなったワールド・レスリング・エンターテインメント(WWE)の人気プロレスラー、アルティメット・ウォリアーさんの死因は心臓発作だったことが明らかになった。

 亡くなる3日前にルイジアナ州ニューオーリンズでWWEの殿堂入りを果たしたばかりのアルティメットさんは検死の結果、アテローム性動脈硬化症を患っていたことが明らかになり、これが原因でひどい心臓発作を起こしたようだ。検死官は、アルコールや薬物は死因には一切関連していないとTMZ.comに語っている。

 アルティメットさんはアリゾナ州のホテルの外を妻と歩いている途中で発作を起こし、病院に搬送されたが、その後、意識が戻ることはなかった。訃報を聞いたレスリング界からは多くの追悼メッセージが寄せられている。

 「アルティメット・ウォリアーが亡くなり、皆悲しんでいます。彼の妻ダナと2人の娘さんにお悔やみ申し上げます」とWWEのオーナー、ヴィンス・マクマホンはツイート。ドウェイン・ジョンソンは「死というものは、最大限に生きて、愛すべきだということを思い出させてくれる。彼の家族のために祈っている。アルティメット・ウォリアーよ、安らかに眠ってくれ」とつぶやいた。

 先日、レッスルマニア30に登場したハルク・ホーガンも「ウォリアー、安らかに眠ってほしい。愛を贈るよ。HH」とツイートしている。

via:シネマトゥデイ

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2014年の「WWE Hall of Fame」に登場したウォリアーはスピーチの冒頭で、苦難の時を共に乗り越え支えてくれた奥様のダナに感謝の言葉を述べていました。

「今夜も綺麗だね」と壇上から微笑みかけた夫ウォリアーに、奥様は涙を浮かべながら何度も何度も投げキッスで応えていました。訃報を知った後に見たこともあって、涙が止まりませんでした。

ご冥福を心からお祈りします。

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