巨体なのに空中殺法がウリだった
今回紹介するのは、新日本プロレスに初登場し、頭に入れ墨を入れているという外見で強烈なインパクトをファンに与え、当時実況アナだった古舘伊知郎から「入れ墨モンスター」と名付けられたバンバン・ビガロ。
新日本でのリングネームは「クラッシャー・バンバン・ビガロ」でしたが、アメリカのWWFに移籍してからは「クラッシャー」の冠が外れ「バンバン・ビガロ」となりました。
完全なアンコ型の巨漢レスラーでしたが、デカイのに動きが速く、空中殺法も出来るという、それまであんまりいなかったタイプのレスラーでしたが、巨漢レスラーの特権とも言うべき「攻撃の重さ」が失われ、空中殺法を多用することで「軽く」感じたというのが初期の私の印象。
頭の入れ墨も含め、表情にしてもコワモテな悪役のはずだったんですけど、体型や動き、あとはキャラクター的なものも含めて、日本では結構人気があったように記憶しています。
同じく巨漢のベイダーとタッグを組み、タッグ王者になったりもしてましたが、どうしてもベイダーと比べると技の軽さが目立つ。いわゆるタッグの「狙いどころ」のポジションになってしまい、勝つ時はベイダー、負ける時はビガロ、という位置づけになっちゃった。
水車落としのインパクトはビガロが植え付けた
巨漢にもかかわらず身が軽くて空中殺法をこなすことからも分かる通り、ビガロって身体能力が高くて器用だったんでしょうね。
ただ、それが一人のレスラーとしてファンからの評価がどうだったかというと、正直私もよく分からない。
試合の勝敗と全く違う部分で、レスラーの良さが分かる時があります。プロレスファン歴が長くて、いろんな試合を観戦してきた方々であれば多かれ少なかれ分かるはず。
「試合には負けたけど上手い選手だな、相手の良さを引き出してたな」という選手もいれば、反対に「勝ったは勝ったけど下手やなぁ、相手が上手くなかったら全然面白くない試合だった」という選手もいます。
そういう意味で、ビガロという選手は上手かったのかもしれないのだけど、ビガロが日本で活躍してた時期の私は、あんまり深いとこまで考えながらプロレス観戦してなかったので、ビガロの良さが分からなかった。
1989年に、ソビエト連邦(現在のロシアなど)の「国家スポーツ委員会」という国家機関が、民主化(ペレストロイカ)の一環として新日本プロレスと業務提携しました。
これにより、当時ソ連のアマチュアレスリングで活躍していた一流選手が新日本のレスラーとプロレスで闘う、言ってしまえば「アメリカ(プロレス)vs日本(プロレス)vsソ連(アマレス)の異種格闘技戦」みたいな企画が勃発。
それまでもアメリカで「ソ連出身/ロシア出身」と名乗って闘う有名選手は存在しましたが、それはあくまでアメリカとソ連が冷戦で敵対状態にあった政治情勢を利用した設定であって、実際にロシア出身の選手はいなかった。
なのでソ連の国家機関が新日本と提携したことで、正真正銘ホンモノのソ連の格闘家たちが日本で闘う!とえらく宣伝されてました。私は何がスゴイのか良く分かってなかったのだけど。
で、このソ連のアマチュアレスラーたち、テレビ放送やメディアでは「レッドブル軍団」と呼ばれてましたが、その軍団のエース格がサルマン・ハシミコフという選手。彼のデビュー戦の相手がビガロでした。
試合カードが決定した時点で、ビガロは例によって怖い顔して「アメリカが1番強い」「プロレスの怖さを叩きこんでやる」とアピールしまくり。
実際の試合も、ゴング直後はビガロが殴る蹴るでハシミコフを圧倒。最初こそプロレスの打撃に全く慣れてないハシミコフがタジタジという展開。
しかしいつの間にかハシミコフがタックルからビガロを肩にかつぎ、そのまま投げ技でビガロを回転させる「水車落とし」という技で、あっけなくフォール勝ち。
試合時間は、ウィキペディアで確認したら2分26秒だったそうです。ハシミコフはデビュー戦にして圧勝。「ソ連強い!」「水車落としスゲー!」とファンに強烈なインパクトを与えました。
しかし私はぶ然。あんだけ吼えてたのに3分もかからず負けてる。しかも受け身キチンと取ってるはずなのにレスリングの投げ技1つだけで簡単にフォール負け。プロレスの怖さはどうしたんだよ。ビガロってそんなに弱いのか、と。
ハシミコフの強さよりもビガロの不甲斐なさばかりが引っ掛かって仕方なかった私。
ところがその後、当時のIWGPチャンピオンで無敵状態だったベイダーにハシミコフが挑戦。あのベイダーをも水車落としで投げ、そのままフォール勝ちして、なんとハシミコフがIWGP新チャンピオンになっちゃった。
ビガロに続き、あのベイダーまでをも沈めた水車落とし、なんという恐ろしい技なんだ! という印象になりますよね。それもビガロの仕事だったわけで。
WWFでのホーガンを知らなかったのでビガロに怒る
さらにビガロで有名なのは、翌年の1990年。相撲界を追放された元横綱・双羽黒の北尾光司がプロレス転向を表明し、新日本でデビュー。相手はビガロでした。
やっぱりビガロはインタビューで「相撲よりもプロレスがあーー!」とか「プロレスの怖さをーー!」とか吼えた。そりゃそうよね。でもハシミコフとの件があったので、すごくイヤーな予感がしてた。
北尾のデビュー戦は、ハシミコフの時と同様、序盤はビガロが大暴れして北尾タジタジ。ところが北尾のキック数発でビガロが戦意喪失。最後はギロチンドロップ1発で北尾がフォール勝ち。予感的中ってやつです。
入場してから黄色いタンクトップを引きちぎって吼えたり、フィニッシュがギロチンドロップだったりと、北尾のデビュー戦は当時アメリカで驚異的な人気を獲得していたWWFのスーパースター、ハルク・ホーガンの丸パクリ。
なので、WWFを知ってるファンは「ホーガンのマネかよ」というのがすぐ分かり、デビュー戦で勝ったにもかかわらず、退場する北尾には猛烈な「帰れ」コール。
私はというと、恥ずかしながらWWFでホーガンが「ギロチンドロップをフィニッシュムーブにしている」ことを知らなかった。
ホーガンはWWFに入る前、新日本で活躍してたのですが、その頃のフィニッシュは「アックスボンバー」というラリアットの変形みたいな腕攻撃。私はてっきりWWFでもフィニッシュはアックスボンバーなのかと思ってた。
なので、北尾がホーガンをパクってたという印象がほとんどなく(試合前にホーガンがタンクトップを引きちぎるのだけは知ってたので、「ああ北尾はホーガン好きなんだね」くらいにしか思ってなかった)、
「ビガロ……ギロチンドロップで負けてしまうほどアンタは弱かったんか…情けない」
と、怒りの矛先が北尾ではなくビガロに行っちゃった。
要するに「北尾のギロチンドロップは、あのホーガンの威力に匹敵するほどのスゴイ技だった」みたいな刷り込みをしたかったのかもしれませんが、北尾自身が猛烈に批判されたせいもあって、あの試合はなんともトホホな印象しか残せませんでした。
そして私自身も、ビガロの試合に対しては期待をしなくなった。
その後も、トニー・ホームという格闘家がプロレスに転向する際にもデビュー戦の相手はビガロだったし、「こいつ(=ビガロの対戦相手)はプロレスでも通用するぞ!強いぞ!」という印象をファンに与えるための相手として、ビガロは重宝されてたんでしょうね。
ビガロ自身も「俺はホウキとでもプロレスの試合が出来る」と豪語したことがあったし、試合を組む側から見たビガロの評価はきっと高かったんでしょう。誰とでも試合をそれなりに成立させられるって意味で。
ただ、日本のファンは真剣勝負を愛するし、一方で敗者の美学みたいなものもスゴク愛してるから、一進一退の好勝負を演じて、惜しくも負けた、でも負けた側もすごく頑張った、イイ試合だったって時にはむしろ負けた側を絶賛することもあります。
そういう意味で、ビガロにも敗者の美学を感じた人はいたのかもしれませんが、私自身の当時の感覚で言うと、負けっぷりが良すぎた。「おいおい、そんなにも弱いんかい」という印象ばかりが刷り込まれてしまった。私に似た感想を持ったファン、きっといたと思う。
そういう意味では日本のファンって厳しい見方をするんだろうし、ジョバー(やられ役)としての認識が昔よりも広がった最近にビガロが活躍したのであれば、またビガロの評価も違うものになってたのかもしれないな、などと思います。