2017年ウォーキング大会は田川から始まる
▲ 本日のスタート地点、JR香春駅(田川郡香春町)。「かわら」と読む。前回ウォーキング大会で来たのが2015年11月なので、16ヶ月ぶりの訪問。
香春駅に初めて来たのが5年前(2012年3月)。目の前で電車が走り去り、次の電車まで雨の中を濡れながら30分以上待たされた因縁の地。あれ以来JR日田彦山線の沿線ウォークは避け気味になったのだが、今回は車で来たので安心(やっぱりJR避けてる)。
5年前ということは、ウォーキング大会に参加するようになって今年で7年目になったのだと気付く(2011年4月からウォーキングを始めたので)。
▲ 今日も香春岳は平常運転で上半分がストーンと切り落とされている。
五木寛之の小説『青春の門』第1部の筑豊篇、その冒頭で「香春岳は異様な山である」と描かれている通り、初めてこの山を見た時はかなりビックリした。
そんな香春岳は手前から順に「一ノ岳」「二ノ岳」「三ノ岳」と3つの山から成っていて、その総称が「香春岳」らしいというのもウォーキングで何度か訪れるうちに覚えた。(地元では「香春岳」と呼ばない、とウィキペディアには書かれている)
▲ 1km通過。JR日田彦山線の線路に沿ってしばらく北東へ進む。目の前に見える山は二ノ岳。
▲ 2km通過。なぜかGoogleマップにいつまで経っても載らない「道の駅香春わきえの里」(田川郡香春町鏡山)。
▲ 運行本数が少ないのでなかなかお目にかかれないJR日田彦山線の電車。一ノ岳を背に香春駅へと走り去って行く。
▲ 線路を越え、田園に伸びる農道へと進む。
早くも精根尽き果てる
▲ 3km通過。古代太宰府道「田河道」と書かれた石碑。
現在の行橋市と太宰府市を繋ぐ街道だったらしい。八世紀の豊前風土記にも載ってるというので、奈良時代の街道なのか。そんな歴史ある道だとは知らなかった。
▲ 田河道の石碑の隣には「神功皇后伝説と恋の里・鏡山」と書かれた案内板。前回来たときにはなかったハートマークが設置されている。「恋愛成就のパワースポット」らしい。それは分かるが、なんだこれは…
▲ その恋愛成就のパワースポット、鏡山大神社(田川郡香春町鏡山)。山の上に神社があるのだが、前回来た時はスルーした。
▲ だって、階段こんなにあるんやもん…。
でも今回はスルーせずに上った。長男の受験合格発表が目前に迫っているので、今回は「合格祈願ウォーク」でもあるのだ。父が階段ごときに負けるわけにはいかぬ。
▲ 上り終えたら過呼吸になりかけて頭がフラフラした。いやあ〜しんどい! 2017年初戦にして(しかもまだ3kmしか歩いてないのに)早くも精根尽き果てた感じ。
▲ 鏡山大神社の境内。誰もいなかった…。
参拝を済ませたら女性が一人階段を上り終えて境内に到達したので少し話した。上りながら段数を数えたら150段ほどあったらしい。
階段の次は山道
▲ 国道322号線を横断して山道に入る。緩やかな上り坂。上りながら前回来た時の記憶が徐々に蘇ってくる。
▲ 曹洞宗・高座石寺(田川郡香春町香春)。「こうぞうじ」と読むらしい。
前回もここにはウォーキング大会で来たのだが、経路案内が「ここでUターン」という表示になっており、メインとなる隣りの神社に訪れることができなかった。私だけでなく多くの参加者がゴール後に不満を言ってた。
なぜそんな紛らわしい誘導をするのだ、と当時のブログエントリーで私は怒ったのだが、今回は対策が施されていた。
▲ 高座石寺に寄るよりも前にメインの神社へと誘導する経路設定にしたらしい。
っていうか全然違う方角へと上り坂が続いてるのだが、神社って隣りじゃないの? コースマップでは高座石寺のすぐ隣りになってるんだけど、違うの?
▲ 延々と山道を上り続ける。気温10度ちょっとだが汗ダクになったので上着を脱いだ。
目の前には一ノ岳。山の中腹くらいまで登ってきてるじゃないか。どこまで行くのだ。
▲ やっと着いた。天台宗・神宮院(田川郡香春町香春)。ぜんっぜん隣りじゃなかった。めっちゃ登った。ハンパなく汗かいた。コースマップのバカ。
▲ 神宮院の境内にある大銀杏(県文化財指定木)。樹齢約800年のパワースポット。
▲ 神宮院の本堂。ここでも長男の受験合格を祈願。豚汁が振る舞われていたが、どこで貰えばいいのか分からなかった。
▲ 左に見える草の塊みたいな物体の下は櫓になっていて、これを燃やす「護摩焚き」という行事が毎年ここで開催されている。天台宗の開祖である最澄が唐(現在の中国)に渡る際、護摩焚きをしたという故事にちなんで行われているのだそうだ。
警備をしていた方と少し話したが、炎は3メートルくらいの高さになることもあり、すごい迫力なんだとか(消防車も待機していた)。ネットで護摩焚きの写真を見たが確かにすごかった。
10時30分頃から開始されると教えてもらったが、訪れたのは9時30分頃だったので護摩焚き見物は断念。
▲ 神宮院をあとにして下山開始。さっき階段を精根尽き果てながら上った「鏡山大神社」のある鏡山(写真中央)が目線のずいぶん下に見える。こんなに登ったか…。
▲ 山を下りる途中改めて高座石寺に立ち寄る。下り坂は踏ん張りながら進まなければならないので、ふとももがパンパンに張った。なんという荒行事や…。
▲ 高座石寺の本堂。庭園がとても綺麗なお寺である。
▲ 高座石寺をあとにして再び坂を下り地上へと戻る途中、JR日田彦山線の「六十尺鉄橋」が遠くに見えた(写真中央)。大正4年(1915年)に竣工し、100年以上経った現在も現役の鉄道鉄橋。ウォーキングで何度か歩いた景色を遠く眺めながら、こういう距離感だったのかと改めて気付く。
長く続けていれば「あそこ歩いたなあ」と懐かしんだり、自分の足で歩いた風景の点と点が繋がったり、いろんな楽しみ方がある。ただ歩いて苦しいだけなら続かない。風景を見るだけでも楽しい。それがウォーキング。
旧小倉街道を進む
▲ 6km通過。「御茶屋香春藩庁跡」の石碑。ちなみに塀の向こうは民家(私有地)となってるみたい。
江戸時代末期(いわゆる幕末)、尊皇攘夷の旗手だった長州藩に対し、幕府側の拠点ともなってたのが小倉藩。その小倉藩が長州藩と戦争してた際、小倉藩の臨時政府として香春藩が置かれた、とウォーキングのコースマップに解説が載ってた。
▲ この一帯が「小倉街道」と呼ばれてるのは、そういう経緯もあったってことかな。
旧小倉街道の石碑、一番下に「香春口」と書かれているのだけど、北九州市小倉北区にあるモノレールの駅で「香春口三萩野」ってのもそういう意味なのかな?
香春藩へと続く小倉街道の入口ということ?(違ってたらゴメン)
なぜ北九州市なのに「香春口」なんだろうと昔から不思議だったのだけど、ちょっと謎が解けたかもしれない。あ、なんだかブラタモリみたいな気分。
▲ 元光願寺大樟(田川郡香春町香春)。こちらも県文化財指定木で樹齢約800年。
▲ 先日ある人から「もっと太陽や自然のパワーをもらうよう心掛けなさい(=要するに「外に出ろ」)と指摘・注意されたのだけど、大木は見てるだけで物凄い生命力を感じるから大好きなのよね(だって樹齢800年だもんね)。
2016年はウォーキングをサボり過ぎたので、2017年は初心にかえって以前のようにウォーキング大会たくさん参加しよう、と大樟を見ながら決意。
▲ 「伊能忠敬測量止宿之地」と書かれた石碑。単純に捉えれば、日本地図を作った伊能忠敬がここで泊まった、ってことなのだろう。
▲ 7km通過。香春製鋼所へと繋がるすべり台のような物体の真下に来た。ベルトコンベアーなのかな。
▲ 反対側には一ノ岳。製紙の原料となる石灰石を現在も採掘しているらしく、このベルトコンベアーらしきものを通じて工場へと運ばれているのかな。
まだ階段が残ってた
▲ 8km通過。香春神社(田川郡香春町香春)。ここも前回はスルーした。しかし今回は立ち寄る。合格祈願、合格祈願。
▲ 最初の階段を上り始めた時点でイヤな予感はしていた。
▲ 長い階段を上り終えたら次の鳥居。今度は奥行きの長い階段が前方に伸びている。ただでさえ階段上りは苦手なのだが、トントンとテンポ良く上れないのでこの類いの階段はとても苦手。
▲ 奥行きの長い階段を上り終えると、まだ階段が続いている。足が疲れすぎちゃって笑うしかなかった。
▲ ようやく本堂に到着。これだけ苦労して上ったのだからご利益あるだろう。
▲ 2017年初戦、足を酷使し過ぎてヘトヘトである。さあ地上に戻ろう。
▲ 階段の両脇には寄進した人の名を刻む玉垣がズラリと並んでいる。この数を見るだけでも、この地域の人々から長く愛されている神社であることが分かる。
▲ 金辺川(きべがわ)に沿った遊歩道。階段と上り坂でパンパンに張っていた両脚だけど平坦な道なら大丈夫。疲れていてもそれなりに歩ける。6年も歩けばそういう脚になる。
▲ さっき真下をくぐった製鋼所のすべり台みたいなベルトコンベアーが前方に見える。すべり台どころか、製鋼所に向けて上ってるじゃないか。
▲ 清瀬水辺公園に入る。一ノ岳のふもとからベルトコンベアーが始まる。
▲ 金辺川、そして国道をまたいで製鋼所へと伸びている。
▲ 9km通過。国道322号線に出る。
▲ 緑色の歩道橋を渡る。金辺川を挟んで両側に道が走る。右が国道322号線。左が国道201号線。
▲ 香春町役場(田川郡香春町高野)。
▲ JR香春駅に戻ってきた。ここでゴール。
▲ 歩行距離9.67km。歩行時間2時間21分。超スローペース。
階段と上りが多くて疲れまくった2017年初戦だったが、とても充実して楽しいウォーキングだった。おそらく明日は筋肉痛。きっとそれも心地良いだろう。