平幕として6年ぶりの優勝
2018年の大相撲初場所(両国国技館)で、平幕の栃ノ心(春日野部屋)が14日目にして優勝を決めました。
大相撲初場所は、平幕の栃ノ心が27日(14日目)の取組に勝って1敗を守り、28日の千秋楽を待たずに初めての優勝を果たしました。平幕力士の優勝は平成24年夏場所の旭天鵬以来6年ぶりです。
引用:NHKニュース(2018年1月27日)
栃ノ心は期待の星と言われながら怪我が相次ぎ、すごく苦労した末の初優勝なんです。
デビュー2年で新入幕、さらに4年で三役にまで上り詰める栄光を経験し、その後に大怪我で幕下の下位まで転落してしまうという挫折も経験し、再び這い上がって30歳にしての初優勝ですから、本人だけでなく家族も関係者も皆さん感無量だと思います。
栃ノ心の出身地はアメリカではない
栃ノ心が大躍進を続けた今場所、出身の「ジョージア」という名前が注目を集めました。
SNSのトレンドワードとして度々「ジョージア」の文字が登場していたのですが、内容を見てみると
「アメリカ人の優勝って久々」
「栃ノ心ってアメリカ出身だったんだ」
というものが少なからずありました。おいおい待てよって話。
確かにアメリカには「ジョージア州」があります。でも大相撲中継をキチンと見てたら、そういう勘違いは発生しないはずなんですけどね。
ジョージア出身の栃ノ心が優勝し、出身国としては日本以外ではアメリカ、モンゴル、ブルガリア、エストニアに続いて5か国目となります。
引用:NHKニュース(2018年1月27日)
テレビ観戦してると、対戦力士の登場時、力士名の横に出身と部屋名が表示されます。たとえば琴奨菊関なら「福岡・佐渡ヶ嶽」という風に。場内アナウンスでも「福岡県、柳川市出身、佐渡ヶ嶽部屋」と紹介されます。
栃ノ心の場合は「ジョージア、ムツヘタ出身、春日野部屋」と毎日紹介されてます。「アメリカ、ジョージア出身」とはアナウンスされてません。たぶん大相撲中継を見てない人たちが主に勘違いしてると思います。
「ジョージア」はどこにあるのか
では、栃ノ心が生まれたジョージアってどこだ、という話ですが、ヨーロッパと中東の間くらいの位置にあります。
ヨーロッパにある大きな湖「黒海」の東側に面する小さな国がジョージア。国境の北はロシア、南はトルコ、東はアゼルバイジャンに面しています。
ジョージアの首都はティビリシ。栃ノ心が生まれたムツヘタはティビリシの少し北に位置する、山と川に囲まれた町のようです。
ジョージアの風景をいろいろ探っていくと上の写真が見つかりました。「ゲルゲティ・サメバ教会(ゲルゲティ三位一体協会)」という建物だそうです。カズベキ山という標高の高い山も見えるらしく、なかなか風光明媚な場所のようです。
かつての「グルジア」が「ジョージア」に変更された理由
ジョージアは少し前まで「グルジア」と呼ばれていた国です。グルジアなら「ああ聞いたことある」という人もいるでしょう。
グルジアは昔、ソビエト連邦(ソ連)に加盟しており、1991年12月にソ連が崩壊するよりも少し前、1991年4月に「グルジア共和国」として独立。これ以降「グルジア」という国名で呼ばれていました。
2008年8月にロシアとグルジアの間で紛争が勃発(ロシア・グルジア戦争)。翌2009年には日本とグルジアの外相会談でグルジア側から「グルジアという読み方はロシア語の発音に基づいているため、英語発音の『ジョージア』に変更してほしい」という申し出がありました。
これを受けて安倍内閣により2015年の国会で法律が改正され、日本政府としても正式にグルジアではなく「ジョージア」という国名で表記・呼称するよう変更されたのだそうです。
グルジア国民もロシアに対する悪感情から「グルジアではなくジョージア!」という想いが強かったらしいです。読売新聞の朝刊に、栃ノ心とジョージアにまつわる記事が載ってました。面白かったので引用します。
大相撲の平幕、栃ノ心の出身国が、ロシア語由来の「グルジア」から英語発音の「ジョージア」に変わったのは約3年前である。
故郷の国はかつてロシアと武力衝突を経験した。以降、国の名をジョージアとするよう世界に訴えて、日本でも正式に呼称が改められたことによる。その運動にどれほど貢献したかは定かではないものの、栃ノ心が祖国のために英語名の缶コーヒーを愛飲する、という記事をスポーツ紙で読んだ覚えがある。
引用:読売新聞「編集手帳」(2018年1月27日朝刊)
ジョージア(=グルジア)の英語表記は「Georgia」で、アメリカ南部にあるジョージア州の「Georgia」と全く同じ表記。
1996年にアメリカで開催されたアトランタ五輪(アトランタはジョージア州にあります)では、グルジア選手団の入場時に英語の「ジョージア」で場内にアナウンスされ、地元ジョージアの観客が大声援を送ったというエピソードもありました。
欧州グルジアと米国ジョージアはビートルズがネタにしてた
グルジアの英語表記がジョージアだというのは、ビートルズのコアなファンならずっと昔から知っているかもしれません。
1968年にビートルズがリリースした「ザ・ビートルズ」というアルバム(通称「ホワイト・アルバム」)、この1曲目に収録された「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」という楽曲があります。
英語曲名は「Back in the U.S.S.R.」。USSRとはソビエト連邦(Union of Soviet Socialist Republics)の略称。
この曲はいろいろとパロディー精神にあふれまくった楽曲として有名なのです。
まず曲タイトルと曲の構想はチャック・ベリーの「バック・イン・ザ・USA」(Back In The U.S.A.)のパロディー。「アメリカに帰ってきたぜ」というのをビートルズは「ソ連に帰ってきたぜ」に変えています。
また、曲中における歌詞のアイデアとコーラスの歌い方はビーチ・ボーイズが1965年にリリースした「カリフォルニア・ガールズ」(California Girls)のパロディーとなっています。
「カリフォルニア・ガールズ」の最初の歌詞1番とサビ部分に、アメリカのいろんなところの女の子を誉めている表現があります。
Well East coast girls are hip I really dig those styles they wear
(そうだね、東海岸の女の子たちはオシャレだし、着ている服も大好きだ)And the Southern girls with the way they talk, they knock me out when I’m down there
(南部の女の子たちは話し方が可愛くていつもノックアウトされてしまう)The Midwest farmer’s daughters really make you feel alright
(中西部の農家の娘たちは本当に心地良くさせてくれるし)And the Northern girls with the way they kiss, they keep their boyfriends warm at night
(北部の女の子たちのキスの仕方なんて、恋人たちは夜通し温めてもらえるよ)I wish they all could be California girls
(あの女の子たち全員がカリフォルニア(西海岸)にいたらいいのにね)
この歌詞表現をビートルズのポール・マッカートニーは「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」の中で「アメリカ各地の女の子たち」を「ソ連各地の女の子たち」に置き換えてパロディーの歌詞を書いてます。
Well the Ukraine girls really knock me out, they leave the West behind
(そうだね、ウクライナの女の子にはいつもノックアウトされてしまうよ、西側の女の子たちも負けちゃうね)And Moscow girls make me sing and shout
(モスクワの女の子たちは僕に「歌って」「叫んで」と言ってくる)That Georgia’s always on my mi mi mi mi mi mi mi mind
(「グルジア(ジョージア)はいつも我が心に」と歌ってあげるよ)
歌詞に登場する「Georgia on my mind(ジョージア・オン・マイ・マインド)」は、アメリカで有名なジャズのスタンダード・ナンバーで、邦題(日本語曲名)は「我が心のジョージア」。日本の缶コーヒー「ジョージア」のCMソングとして長い間テレビで流れていました。
「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を作ったポール・マッカートニーはソ連の加盟国「グルジア」とアメリカの「ジョージア州」が英語では同じ単語であることに目を付けて、ソ連の曲を書くにあたり名曲「我が心のジョージア」をダブルミーニングとして使ったというわけです。
まとめ
ジョージア出身の栃ノ心が優勝し、そういえばビートルズにもジョージア(グルジア)ネタがあったことを思い出し、今回まとめてみました。
最後に上でも引用した読売新聞朝刊の「編集手帳」で、締めの文章にも笑ったので最後に付け加えておきます。
かつて琴欧洲が活躍したとき、相撲部屋の冷蔵庫は故郷ブルガリアの名を冠するヨーグルトで満たされた。ジョージアの飲料会社はどうするだろう?
栃ノ心のもとにも缶コーヒーが1年分くらい贈られるといいですね。