母校の高校跡地を30年ぶりに訪れたら忘れていた記憶が蘇った

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あれから30年

5年前、このブログで母校に関するエントリーを書いたことがある。


上のエントリーに書いているが、小学校は遠方なので訪れることが出来ず、中学と高校は校舎が消滅し、大学は名称が変わってキャンパス内も新たな建物が増え続けている。

中学校の跡地は実家の近くにあるため、帰省した際に何度も前を通っている。一方、高校跡地は実家から少し離れた場所にあるため、なかなか訪問する機会がなかった。

今回の鳥取帰省で市街地をウォーキングするのは以前からの念願だった。その理由は大きく3つあった。

◆米子市の市街地は主に自転車でしか巡ったことがなく歩いたことがなかった
◆ドラマのロケ地など知らないエリアがあると知り散策してみたかった
◆母校の跡地を久々に訪れてみたかった

3つの念願は全て叶えることができたのだが、今回書くのはそのうちの1つ、母校跡の訪問。

高校を卒業してから旧校舎は移転して取り壊され、跡地には学校と関係のない別の施設が建った。

その新しい建物が建った直後に1度だけチラッと訪れたことがあったものの、本格的に跡地をジックリ眺めに行くのは卒業してから初めて。実に30年ぶりとなる。

ゆっくりと記憶が蘇る

高校跡への通路

加茂川沿いのドラマロケ地を散策した後、高校跡地に続く路地を歩く。


ここを歩く時点で猛烈に懐かしい。上の写真に写ってる範囲だけでも高校時代に様々な思い出がある。

高校1年生の文化祭では、クラスの催し物として「カラオケ屋」をしようということに決まった。しかし「前例がない」「騒音で近隣から苦情が来る」などの理由で校長以下大半の教師から反対・却下された。(なんせ30年以上も前だからね)

学級委員長だったこともあり、クラス代表として校長や学年主任の教師と私で何度も話し合い、学校側に迷惑はかけないこと、騒音対策も十分に実施することなどを記した計画書を提出し、1週間かけてようやく説得に成功。カラオケ企画の了承を得た。

教室に戻り、級友たちにカラオケ屋実施決定の旨を伝え、全員で絶叫して大喜び。その勢いで高校の近くにあったカラオケ機材のレンタル会社に向かって歓声をあげながら走って行った。その走った道が上の写真の道路。

ちなみに文化祭のカラオケは大成功。最後にクラスのみんなでサザンオールスターズの歌を大合唱し、いろんな人から「お前のおかげだよ、ありがとう」と言われて号泣した。今も思い出すと泣いてしまう(これ書きながらも泣いてる)。

高校跡地

▲ ここが母校の跡地。高校が移転し、古い校舎は取り壊されて、その後に何かの施設が建てられると聞いた。その建物が完成した直後、1回だけここを訪れたことがある。

その時は、この建物が何の施設で何をするところなのか全く分からなかった。でも今なら分かる。

ここは「ふれあいの里」と言って、福祉や介護関連の施設が入っている。老人福祉センターや介護事業所、地域包括支援センターなどが中にある。

まさか高校を卒業して20年以上も後になり、短期間ながら介護や福祉と関連する仕事をすることになるなんて夢にも思わなかった。

さらに不思議なことに、実はこの写真を撮った数日後、父親の介護に関する相談でここ(=地域包括支援センター)に電話し、いろいろお世話になった。こういう風に高校跡地と新たな縁ができるなんて、人生は実に不思議である。

高校跡地

▲ 横断歩道がある付近に高校の正門があった。

卒業式が終わって帰宅するため正門を出た時、正門前に立っていた後輩女子から第2ボタンを下さいと言われ告白された。

そんな恋愛めいた気配など過去に全く漂わせていなかった後輩からの突然の言葉にとても驚き、同時に心底ガッカリした。

なんでもっと早く言ってくれなかったんだ…。あと半年早く、いや半年前は受験地獄だった、せめてあと1年早く言ってくれれば俺の高校生活はもっとバラ色だったのに。

ただ、別の女友達から「高校の時、恋愛方面において絶望的に鈍感だった時期あるよね」と卒業後の同窓会で言われたことがあるんだけど、そういうことなのか? 気付いてなかっただけなのかもしれないのか。ああーなんということだー。

せめてせめて、バレンタインデーにチョコ渡してくれれば幾ら鈍感でも少しは気付けただろうに。(中学高校の6年間、バレンタインデーにチョコレート1個も貰えなかったのだ。義理チョコすらも)

彼女とも卒業式を最後に一度も会っていないし、消息すら知らない。もっと言えば名前も顔も忘れてしまった。今頃どこで何をやってるんだろう。

高校跡地、体育館

▲ この辺りに体育館が建っていた。いつもバレーボールの練習をしていた場所。ちょうど写真を撮影した位置くらいからサーブの練習をしていたのを思い出す。

高校の敷地が異様に狭く、グラウンドも陸上トラック1面すら取れない狭さで、陸上もサッカーもテニスもハンドボールも全部ゴチャゴチャになりながら練習してた。

体育館は2つあり、「新体育館」はそれなりに広い普通の体育館だったが、もう1つの「旧体育館」は正常なバレーコートが1面分しか取れない狭さで、天井もあり得ないほど低かった。

スパイク練習では、打ったボールが地面に衝突した後で体育館の天井に届くかを競争したものだった(おかげで強力なスパイクが打てるようになったけれど)。サーブは少し高く打ってしまうと天井に阻まれる。

体育館の半分をバレーボール部、もう半分は新体操部が使っていた。新体操の女子たちもリボンやボールなど宙に放り投げる種目の練習は天井に当たるので苦労してた。

レオタードで練習してることが多かったので、他の体育会系な部員たちに「いいなあ」と羨ましがられたものだが、あんなの毎日見てれば慣れて何も感じなくなる。たぶん着てた女子たち自身もそうだったろう。ただ最初は釘付けになってバレーボールどころじゃなかった。それは否定しない。

新体操部のエースで一人、とびっきりの美人がいた。漫画の「タッチ」も流行してた頃だから「◯◯高の南ちゃん」などと他校の男子からも呼ばれたりしてた。異常なほどモテてた。

確かに美人だったし、性格もおしとやかで優しく、長身の細身でプロポーションも良く、笑顔も可愛く色白で、ポニーテールも似合っていて、男子にモテる要素を全て兼ね備えてるような女性だった。

でも彼女、私と中学が同じで、中学生当時は男の子よりも髪が短く、背も低く、いつも外で走り回って日焼けして顔は真っ黒で、言葉遣いも乱暴で、いつも「りく!」「てめえコラ!」と呼ばれてた。

それが高校になったら急に髪の毛伸ばし始めて、性格や言動や身振りなんかも激変してしまった。新体操やフィギュアスケートなんかで言う「表現力を身に付けた」というやつなのだろうか。

「あの、りく君、今日◯時から新体操で体育館全面使用の日なので、よろしくお願いします」

などと優しい口調で語りかけられるようになり、「お前、何やねんその口調は」といつもツッコミ入れながら背中がムズがゆくなっていたものである。

「ヘンかな?」と言って恥ずかしそうに笑う彼女を見て、女の子ってこんなにも変わるもんなのか! と感動したり戦慄したりしたものである。あの子も今何やってんだろうなあ。

高校跡地横の路地

▲ 高校の敷地をグルリと囲んでいた細い路地。部活動でここを何周も走った。

高校跡地横の路地

▲ 30年ぶりにグルリと一周を歩いてみたが、ほとんど何も覚えてなかった。走ってる時には何も考えてなかったので記憶がないのも仕方ない。

高校跡地横の駄菓子屋

▲ 高校のすぐ横にあった駄菓子屋。高校が移転してから何年後かに閉店したと聞いたが、店舗自体はシャッターが閉まっていたものの、まだ現存していた。

この駄菓子屋は、特に運動部の部活動が終わった生徒たちが帰宅前に立ち寄って、みんなでカップ麺を食べるのが定番だった。

板状に横長の座席があって7〜8人ほどしか座れない。そこにいろんな部の部員たちがギュウギュウに詰めて座りカップ麺を頬張る。男も女も関係なし。

ただし学年は関係があり、上級生が来たら下級生は必ず席を譲らなければならないという暗黙の了解があった。

1年生の頃はバレー部の先輩に他の部の上級生を紹介してもらったり、3年生の頃は逆に後輩を友達に紹介してあげたり、一種の社交性を身に付けられる貴重な場でもあった。懐かしい。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

移転先の新校舎には我々の知らない青春の物語があるのだろう。しかし旧校舎には旧校舎の青春があり、その3年間はとても楽しいものだった。でも新校舎に行きたかった。

なお余談ではあるが、新校舎で青春を過ごし高校を卒業した同じ母校を持つ歳の離れた我が後輩は、鳥取から花の都へと巣立ち、今では眉毛を濃くして世界を旅する「珍獣ハンター」と名乗っている。

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