米子西高校の旧校舎跡地及び周辺の現在(30年ぶりの訪問)

卒業から30年

5年前、このブログで母校に関するエントリーを書いたことがある。


小学校は遠方なので訪れることが出来ず、中学と高校は校舎が消滅し、大学は名称が変わってキャンパス内も新たな建物が増え続けている、と書いた。

中学校の跡地は実家近くにあるため、帰省した際に何度も前を通っている。一方、高校跡地は実家から少し離れた場所にあるため、なかなか訪問する機会がなかった。

今回の鳥取帰省で市街地をウォーキングするのは以前からの念願だった。その途中、母校である米子西高校の旧校舎跡地を30年ぶりに訪問することができた。

米子西高校は自分の卒業と同時に移転。旧校舎はしばらくして取り壊され、跡地には学校と関係のない別の施設が建ったと聞いていた。

旧校舎時代に「鳥取県で最も狭い校庭」と揶揄されるほど小さく狭かった米子西高校。現在は米子駅近くの広大な敷地に移転。新校舎は移転した当時、「山陰で最も広い校庭」と称賛された。

旧校舎で卒業した身としては「ふざけんな」である。嫉妬しかない。

ゆっくりと記憶が蘇る

高校跡への通路

加茂川沿いのドラマロケ地を散策した後、高校跡地に続く路地を歩く。


旧校舎の正門があった場所からまっすぐ米子市公会堂方面に延びている道路。ここを歩く時点で猛烈に懐かしい。上の写真に写ってる範囲だけでも高校時代に様々な思い出がある。

高校跡地

▲ 米子西高校・旧校舎の跡地。現在は「ふれあいの里」とという福祉や介護関連の施設が入っている。老人福祉センターや介護事業所、地域包括支援センターなどが中にある。

まさか高校を卒業して20年以上も後になり、自分が短期間ながら介護や福祉と関連する仕事をすることになるなんて夢にも思わなかった。

さらに不思議なことに、実はこの写真を撮った数日後、父親の介護に関する相談でここ(=地域包括支援センター)に電話し、いろいろお世話になった。こういう風に高校跡地と新たな縁ができるなんて、人生は実に不思議である。

高校跡地

▲ 横断歩道がある付近に高校の正門があった。

卒業式が終わって帰宅するため正門を出た時、正門前に立っていた後輩女子から第2ボタンを下さいと言われ、告白された。

そんな気配など微塵も感じなかったので驚いたと共に、もっと早く告白してくれていれば高校生活はもっとバラ色だったのに、とガッカリしたのを思い出す。

高校跡地、体育館

▲ 「旧体育館」が建っていた場所。ちょうど写真を撮影した位置くらいからサーブの練習をしていた。

とにかく校庭の狭い高校だった。グラウンドは陸上トラック1面すら取れない狭さで、陸上もサッカーもテニスもハンドボールも全部入り乱れながら練習していた。屋外競技の部員たちは本当に苦労したと思う。

そういえば、母校の硬式野球部は大昔に存在したものの廃部となり、自分たちの在校時に軟式野球部の面々が部の復活に向けて必死に奔走した結果、復活することができた。初代の硬式野球部キャプテンは同じ中学出身の友人だった。いつか甲子園に出場してもらえると嬉しいのだが。

体育館は2つあり、「新体育館」はそれなりに広い普通の体育館だったが、もう1つの「旧体育館」はバレーコートが1面分しか取れない狭さで、天井も低かった。

スパイク練習では、打ったボールが地面に衝突した後で体育館の天井に届くかを競争したものだった(おかげで強力なスパイクが打てるようになったけれど)。サーブは少し高く打ってしまうと天井に阻まれる。

体育館の半分をバレーボール部、もう半分は新体操部が使っていた。新体操の女子たちもリボンやボールなど宙に放り投げる種目の練習は天井に当たるので苦労していた。

隣りでレオタード姿の新体操部員が毎日練習していることで、男どもから「いいなあ」「羨ましい」と言われ続けたものだが、毎日見ていれば慣れて何も感じなくなる。ただし最初は確かに目のやり場に困った。

高校跡地横の路地

▲ 高校の敷地をグルリと囲んでいた細い路地。部活動でここを何周も走った。

高校跡地横の路地

▲ 30年ぶりにグルリと一周を歩いてみたが、ほとんど何も覚えてなかった。ランニングしている時には何も考えてなかったので記憶がないのも仕方ない。

高校跡地横の駄菓子屋

▲ 高校のすぐ横にあった駄菓子屋。高校が移転してから何年後かに閉店したと聞いたが、シャッターが閉まっていたものの、店舗の建物自体はまだ残っていた。

この駄菓子屋は、特に運動部の部活動が終わった生徒たちが帰宅前に立ち寄って、みんなでカップ麺を食べるのが定番だった。

板状に横長の座席があって7〜8人ほどしか座れない。そこにいろんな部の部員たちがギュウギュウに詰めて座りカップ麺を頬張る。男も女も関係なし。

ただし学年は関係があり、上級生が来たら下級生は必ず席を譲らなければならないという暗黙の了解があった。

1年生の頃はバレー部の先輩に他の部の上級生を紹介してもらったり、3年生の頃は逆に後輩を友達に紹介してあげたり、一種の社交性を身に付けられる貴重な場でもあった。懐かしい。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

移転先の新校舎には我々の知らない青春の物語があるのだろう。しかし旧校舎には旧校舎の青春があり、その3年間はとても楽しいものだった。でも新校舎に行きたかった。

なお余談ではあるが、新校舎で青春を過ごし高校を卒業した、同じ母校を持つ歳の離れた我が後輩は、鳥取から花の都へと巣立ち、今では眉毛を濃くして世界を旅する「珍獣ハンター」と名乗っている。おそらく彼女が母校では最も有名な卒業生なのだろう。

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