かつては米子市商業の中心地だった「える・もーる1番街」を30年ぶりに散策

スポンサーリンク

初めての場所、懐かしい場所

生まれ故郷の鳥取県米子市へ久々に帰省した今回、約30年ぶりとなる米子市散策をするのも念願の1つだった。

とは言いつつ、「米子市の散策」なんておそらく過去に1回もしたことがない。学生時代は自転車でしか移動してなかったから。ウォーキングを趣味にしたのは6年前だし。

なので実質初めてとなる米子市街地の散策

米子しんまち天満屋

▲ 今回の散策でスタート地点に選んだのは「米子しんまち天満屋」(鳥取県米子市西福原二丁目)。

なぜここにしたかと言うと、オープンして30年も経つデパートなのに1回も来たことがなかったから。

このデパートがオープンしたのは1987年(昭和62年)。私が鳥取県から福岡県に転居した年だ。

わこう

▲ 国道9号線の交差点に昔々から鎮座する「わこう」(米子市西福原二丁目)。

ここは私が和歌山から鳥取に引っ越してきた頃(=約35年前)には既に営業していた。昔も今も風貌は全く変わらない。

看板にホテルと書かれている。ここホテルだったのか(笑)

35年間知らなかったわ。1階にレストランがあったので何度か来たことあるけど「食事するとこ」という認識しかなかった。そもそもレストランで5階も6階も作る必要ないからホテルよね。そりゃそうよね。

「ラジオスターの悲劇」の現場

元米子郵便局

▲ 以前は米子市で最も大きな郵便局だった建物。ここで年賀状仕分けのアルバイトをしたことがある。確か私が中学生の頃に完成した。

その後、この「元・米子郵便局」が移転したという話は両親から聞いていたが、じゃあ米子市最大の郵便局はどこに行っちゃったの? というのをずーっと知らなかった。気にはなっていたけど、もう米子市民ではなくなってたし。

調べてみると1997年(平成9年)、ここからJR米子駅近く(米子市弥生町)に移転したとのこと。ちょうど20年前。

で、現在この建物が何になってるのかは、写真に写ってる程度の情報しか私も知らない。

西福原一丁目交差点

▲ 「西福原一丁目」交差点。「わこう」と元郵便局。この風景は30年前から変わらない。

BSS山陰放送

BSS山陰放送(米子市西福原一丁目)。鳥取県のTBS系列局で、テレビだけでなくラジオも放送している。

余談だが、鳥取県はテレビ朝日の系列放送局が存在しない(正確にはテレビ朝日の鳥取支局があるものの、あくまで取材拠点であり放送はしていない)。

人気のある番組は他のローカル放送局が放送してるものもあるが、当然ながら鳥取では見られないテレビ朝日系列の番組もある。

10年ほど前の大晦日に帰省した際、大阪に住む親戚一家が米子に遊びに来た。娘さん(当時小学生)がテレビをつけてチャンネルを幾ら回しても「ドラえもん」の大晦日特番が放送されておらず、鳥取の放送事情を知って「鳥取は最低や!」とブチギレてたのを思い出す。

山陰放送

▲ テレビ朝日から山陰放送に話を戻そう。中学生の頃、ラジオの新スタジオが完成したのを記念して生放送された特別番組のクイズコーナーに出演したことがある。勝利して賞品をたくさんもらった。

平日の夕方に放送されていたラジオ番組に毎週ハガキを投稿して常連だったこともある。そのラジオ番組で私の身に降りかかった悲劇に関しては以前ブログに記している哀しいことに実話だ


米子YSPボウル

米子YSPボウル(米子市博労町三丁目)。ここでもアルバイトしたことがある。

高校生の時、初めてスコア200を超えたのもここ。ちなみに人生最高スコアは「235」。ここではなく北九州のボウリング場で大学生時代に出した。今はもう全然ダメ。

米子YSPボウル

▲ ここで開催されたアマチュアのボウリング大会に優勝し、賞品としてマイボールをもらったことがある。

しかしあくまで「ボールのみ」が貰えて、自分の手のサイズに合わせて指穴を掘ったりするのが別途有料だと聞き、「それなら要らないです」と辞退した。今思えばもったいない事をした。

JR境線、富士見町駅

▲ 米子市と境港市を結ぶJR境線の線路。中央に見えているのは富士見町駅。ちなみにこの路線には乗ったことがない。

諸行無常の「える・もーる」

える・もーる立体駐車場

▲ える・もーる立体駐車場(米子市冨士見町二丁目)。30年以上前、中学生の時に完成した駐車場。

える・もーる1番街

える・もーる1番街。この商店街も駐車場と同じ頃にアーケードなどが整備されたはず。

「える・もーる」という名称は確か公募で決定されたように記憶している。

米子やよい

▲ その「える・もーる1番街」は「やよい」と「高島屋」という2つのデパートが隣接していた。

米子タカシマヤ

米子高島屋(米子市角盤町一丁目)。私が中学2年か3年の時に全面改装された。現在は分社化・子会社化され、名称も「米子タカシマヤ」とカタカナになってるらしい。

米子高島屋

▲ 現在は都市部の商業施設で珍しくもない、外を展望できるエレベーター。今から約35年前、都会をイメージさせるエレベーターが山陰・米子の高島屋に突如現れたのは田舎町の少年には衝撃的だった。

高島屋のリニューアルオープン初日に友人たちと行き、用もないのに何度も何度もエレベーターに乗って同じ景色を眺め続けていたのを今も鮮明に覚えている。

あの時に中学生だった自分が成人して結婚し、生まれた子供が当時の自分自身よりも大きくなり、35年経って再び同じエレベーターに乗って景色を眺める。とても不思議で、妙に面白かった。

える・もーる1番街

▲ 当時の米子市で最大規模だった2つのデパートが共存したことで最盛期を迎えた「える・もーる1番街」。あの頃、ここが米子市で最も賑わい栄えていた。当時を知る人なら異論はなかろう。

私が高校を卒業するまで商店街は常に人があふれていたし、休日になれば行き交う人と必ず肩がぶつかってしまうほど大勢の人々が往来していた。

現在は人が全然おらず閑散としている。予想はしていたが、ここまで寂れたとは。

私が高校を卒業して福岡県に転居した後、JR米子駅のすぐ近くに「米子ビブレ」という大きな商業施設がオープンした(その後「米子サティ」「イオン米子駅前」と名称変更されている)。

以前なら米子駅から幾つかの商店街を経由して角盤町の「える・もーる」まで続いていた人の流れが、米子ビブレの登場によりわざわざ遠い「える・もーる」まで歩いて行く必要がなくなった。そして次第に米子駅前が賑わうようになったと聞く。

さらに1999年(平成11年)には米子市のお隣り・西伯郡日吉津村(ひえづそん)に超巨大な「ジャスコ日吉津」(現在のイオンモール日吉津)がオープンし、「える・もーる」などの商店街から多くの買い物客が流れたのではないかと想像できる。

あくまで私が福岡に転居した後の流れであり、私は直接的に米子市の商業的な変遷を目撃・体感してはいない。今も米子に住む知人たちから部分的に聞いた話なので、実際にはもっと細かい、あるいは異なる理由や事情があったのかもしれない。ただそれでもイオンモール日吉津の開業が決定打だったんじゃないかなとは思う。

今回の帰省で私自身もイオンモール日吉津に行ったが、あそこは本当に「何でもある」。超巨大な敷地面積を活かしたテナントなどの店舗展開も充実しているし、福岡や北九州のイオンモールと比較しても全く遜色ないし魅力的。そりゃみんな行くわ、と思った。

やよい米子店跡地

▲ ただでさえ人口が日本一少ない鳥取県の地方都市・米子。なのに商業施設がこれほど増えて競争が過酷になり、少ないパイの奪い合いが加速すれば脱落するところが出てくるのは必定。

私の学生時代に何度遊びに行ったか分からない「やよい」は2016年に破産して閉店したらしい。

寂しかったのは、「える・もーる1番街」を歩いていた4〜5人の通行者に「やよい」がいつ頃閉店したのかを質問してみたところ、全員が「忘れた…」「いつの間にか…」と閉店時期を覚えてなかったのだ。ちなみに私の両親も「覚えてない」と言ってた。

そんなにもひっそりと「やよい」は幕を閉じたのだろうか。単にみんな忘れっぽい人ばっかりだったと思いたいが。

米子高島屋の屋上

▲ 「やよい」の向かいにある高島屋の屋上も人が全然いなかった(カップルが1組だけいた)。ここも昔は人で賑わってた。

米子市街地の風景

▲ 屋上から米子の市街地を覗き込む。30年経ってるので変わったのか変わってないのか分からない。

ロッテリア米子高島屋店

▲ 「える・もーる」で唯一嬉しかったのは、ロッテリアが今も営業していたこと。ここもオープンして30年くらいになる。以前うちの母親に聞いたら「あそこ潰れたよ」と言ってた。ウソツキ。

ちなみにこのロッテリア、記憶が正しければ米子市で初めてのファストフード店だったはず。この店の思い出は以前ブログエントリーの序盤でチラッと書いている


米子に歴史あり

鳥取銀行米子中央支店

▲ 鳥取銀行・米子中央支店(米子市角盤町二丁目)。

福岡では福岡銀行を「ふくぎん」、西日本シティ銀行を「にしぎん」と愛称で呼ぶが、同じように鳥取銀行は「とりぎん」と呼ぶ。昔は呼んでた。今も呼んでるかどうかは正直知らない。

その「とりぎん」を「銀行」ではなく「焼き鳥屋」だと勘違いした友人が米子市内で途方に暮れたという実話エピソードも以前にブログで書いた。


米子市立山陰歴史館

▲ 米子市役所の旧庁舎。新庁舎(米子市加茂町一丁目)は徒歩2分くらいの距離にある。

米子市立山陰歴史館

▲ 旧庁舎は現在「米子市立山陰歴史館」(米子市中町)となってるのだが、一部の部署は(なぜかは知らないが)新庁舎から旧庁舎に移転して活動しているらしい。

市役所前バス停

▲ 旧庁舎の前だけどバス停の名前が「市役所前」なのは好き。

旧加茂川

▲ 市役所の旧庁舎から左に曲がり、旧加茂川沿いを散策するうちにドラマロケ地のことを思い出し、散策してきた。


える・もーる1番街

▲ 先ほど訪れた「える・もーる1番街」の前を再び通過。アーケードの下を車が走ってるのには驚いた。あそこ、車も通行可能だったっけか…。

米子市公会堂

米子市公会堂(米子市角盤町二丁目)。これも昔からある古い建物。

米子市公会堂

▲ 高校2年の時、岡田有希子のコンサートがここ米子市公会堂で開催されるはずだった。岡田有希子の大ファンだった私は絶対に行くつもりだったのだけど、コンサート当日にどうしても外せない用事があり泣く泣く断念。

しかしチケットの売れ行きが悪かったらしく、予定人数に達しなかったとかでコンサートは中止になったと数週間後に発表された。

翌年の春、岡田有希子は亡くなってしまった。今も米子市公会堂を見る度に「あの時チケットを買ってたら…」と考えてしまう。米子コンサートのキャンセルが亡くなった原因ではないんだろうけど。

ちなみに、米子市で夏に開催される「がいな祭り」というお祭りのイベントでJR米子駅前に特設ステージが設けられ、そこでアイドルが歌うというのが思春期の男どもにとって年に1度の楽しみだった。

岡田有希子がデビューした年、その「がいな祭り」に来てステージ上で歌ったのは見た。最前列で食い入るように見た。アイドルが4人来てトリを務めたのは早見優だった。早見優もファンだったが、目の前で見る岡田有希子は抜群に可愛かった。残り2人は顔も名前も忘れた。

米子市公会堂前

▲ 公会堂前の道路を渡り、かつて母校の高校があった跡地を散策。


JR境線

▲ 高校時代に自転車で通学していた道を30年ぶりに歩いてみる。JR境線の踏切を再び渡る。

JR西日本の後藤総合車両所

▲ JR西日本・後藤総合車両所(米子市日ノ出町二丁目)。ここも昔からある。高校時代はいつも正門の前を自転車でサーっと通過するだけだったので、工場の中を覗いたのは初めてだった。

▲ さすがに30年も経つといろいろ忘れていたが、ここの橋でいつも信号に引っ掛かり止まっていたのは覚えてた。

▲ 川の名前は完全に忘れていた。案内板を見ると「米川」と書かれている。

ああーそうそう、「よねがわ」ね。懐かしいなあ。川沿いには遊歩道がキレイに整備されていて、ジョギングやウォーキングのコースとして良さそう。

▲ 県道317号を横断し、天満屋に戻って米子市散策は終了。

米子ウォーク、コースマップ

▲ 歩行時間は1時間59分。歩行距離は6.05km。

約2時間、昔は自転車で巡っていた馴染みの街並みを初めて自分の脚でゆっくりと散策できて楽しかった。今回の帰省旅行で絶対にやりたかった事の1つを達成できて満足。

他にも米子市内で歩いてみたい(いろんな思い出がある)場所はまだまだ沢山ある。次回の楽しみにしておこう。

ALL SONGS REQUEST

ALL SONGS REQUEST

岡田有希子 ポニーキャニオンAmazonデジタルミュージック
スポンサーリンク
この記事がお気に召したら
「いいね!」をお願いします!
「りくまろぐ」の最新情報を
Facebookにお届けします