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ジョン・テンタ:全日本からWWFトップに上り詰めた元力士【レスラー列伝#17】

2014年2月2日

大相撲を無敗のまま廃業

ジョン・テンタは元大相撲の力士。初土俵時の四股名は本名から取った「琴天太」でした(その後、琴天山に改名)。

カナダ出身のテンタはアマレスでジュニア・チャンピオンだったらしく、アスリートとしての才覚を買われて角界入り。いきなり1985年の初土俵(序ノ口)で全勝優勝。

その後も負け知らずで、序二段、三段目も全勝優勝と、3場所続けて負け知らず。この辺りでメディアも大きくテンタを取り上げ始め、期待の若手力士として有名になり始めます。

これは幕内に昇進したらスゴイ力士になるかも、と大相撲ファンは期待したと思うのですが、1986年の本場所に出場することなく琴天山は失踪。そのまま相撲界から去ることになりました。無敗のまま廃業というのも珍しい。

全日本プロレスを経由してWWFへ

アマレスの有望選手だったこともあり、大相撲を辞めた直後からプロレス転向がウワサされていましたが、周囲の予想通り1987年に全日本プロレスでデビュー。

その年の年末にはザ・グレート・カブキ選手とチームを結成し、年末の「世界最強タッグリーグ戦」にも出場。デビュー1年目で最強タッグにエントリーされた辺り、全日本プロレスも相当に期待していたのだと思われます。

1989年にはアメリカのプロレス団体・WWF(現在のWWE)に入団。地震を表す「アースクエイク(Earthquake)」というリングネームに変え、「タイフーン」という選手とユニット「ナチュラル・ディザスターズ(The Natural Disasters)」を結成。日本語では「自然災害」という意味です。

ナチュラル・ディザスターズにはジミー・ハートという大物マネージャーが付き、当時のエース級だったハルク・ホーガンやアルティメット・ウォリアーが主な対戦相手だったことから、WWFでもかなり期待されてたことがうかがえます。

週プロ読者には良く分からない「SWS北尾事件」

1990年、メガネスーパーの資本力をバックに設立された「SWS」というプロレス団体がありました。そのSWSはWWFと業務提携したため、WWFで活躍していたものの日本では未知の強豪だったレスラーたちが日本にもやってくるようになりました。

このエントリーを読んで頂いてる大半の方々は昔のプロレス事情をある程度ご存知だろうとは思いますが、ご存知ない方のために補足すると、SWSは設立に際して既存のプロレス団体、新日本と全日本から選手を引き抜く方法で所属レスラーを確保していき、一部メディアやファンから批判も浴びました。

新日本からは、ジュニア時代の不遇(=コブラに変身したものの失敗)を経てタッグ王者となり、ようやく脚光を浴びてきたジョージ高野、そしてジュニア王者でライガー最大のライバルとも呼ばれた佐野の2名が引き抜かれて移籍。

全日本はもっとヒドくて、絶対エース的存在だった天龍を筆頭に、谷津、カブキ、石川といった主力級、そして冬木、北原、高野、仲野、高木といった有名中堅選手たちが次々と引き抜かれて移籍。

選手をゴッソリ持ってかれる形となった全日本は崩壊の危機に直面してしまいました。

※残った三沢・川田・小橋選手が中心となって超世代軍を結成。鶴田選手と対決することで全日本は人気も興行成績もV字回復。危機を脱したどころかプロレスファンから絶大な支持を集めることになります。

このSWSに途中から北尾光司選手が入団しました。北尾は大相撲出身で元横綱の双羽黒。部屋で親方や若い衆とトラブルになり(暴力行為があったとされてましたが、北尾本人は完全否定)、横綱が部屋を破門される形で廃業するという前代未聞の出来事が発生。

相撲を廃業後、一旦は新日本プロレスに入団してプロレスデビューするも、試合スタイルが当時のプロレスファンに全く受け入れられずブーイングの嵐。現場責任者の長州とも対立し、解雇同然で新日本を去った後にSWS入団、という流れでした。

で、業務提携していたSWSから派遣されてきたテンタが日本のリングでSWS所属の北尾と対戦することになります。「トラブルで廃業した元横綱」と、「失踪して廃業した無敗力士」の元大相撲対決というシュールな試合が組まれたんです。

テンタと北尾はシングルマッチで2回闘っているのですが、1991年4月、神戸ワールド記念ホールでの試合で、いわゆる「北尾事件」が発生。

アマレスの攻撃を駆使して試合を組み立てようとするテンタに対し、北尾はほとんど何も出来ず、場外から机を放り投げるなど次第に暴れ始め。

リング上では空手で悪質な反則攻撃とされる「二本貫手(=人差し指と中指の2本で相手の両目を突き刺す攻撃)」を仕掛ける仕草も見せるなどして挑発し、最後はレフェリーを蹴り飛ばして反則負け。

試合が終わった直後、マイクを掴んだ北尾はリング上のテンタに向かって「この八百長野郎!」と禁句を絶叫。この発言がメディアやファンの間で大論争となり、結果的に北尾はSWSを解雇されてしまいました。

当時私は「週刊プロレス(=週プロ)」を愛読してたのですが、週プロはSWSに対して辛辣な記事が多かったこともあり、SWSは途中から週プロに対して完全取材拒否を通達。

この「北尾事件」も週プロには詳しい解説がほとんど成されなくて、当時の私は何が何やらサッパリ分からん状態でした。

WWFではヒール(=悪役)だったテンタも日本では久々の試合だったこと、WWFで大活躍していると報じられていたこと、大相撲時代からの知名度があったこと、そして対戦相手が北尾だったことなどから、ヒールのはずなのにファンから応援の歓声。

一方の北尾はデビューから一貫して嫌われ続けてました。あの試合、何がそこまで北尾をヒートさせてしまったのか。

私がテンタに関して把握している情報はそこまで。2006年6月、テンタはガンのため他界。享年42歳でした。

アースクエイクのフィニッシュムーブが、なんだかスゴイ

WWF時代、アースクエイクとして活躍していたテンタのフィニッシュムーブとして「アースクエイク・スプラッシュ」という技があります。

WWF時代のテンタの試合は最近まで見たことなかったので、実際にテンタがこの「アースクエイク・スプラッシュ」を使ってる場面も長らく見たことなかったのですが、ゲームの中でその技を目撃することが出来たんです。

昔、スーパーファミコンで「ファイヤープロレスリング」っていうプロレスゲームのシリーズがありまして、私はこのシリーズが大好きでした(たぶん全部持ってた)、その中にアースクエイクをモデルとしたレスラーもいました。

アースクエイクのキャラでプレイして、最後に必殺ワザ用の操作をすると、倒れてる相手選手の周りをアースクエイクがドスンドスンドスン!って床を両脚で踏み鳴らし(=地震というギミックだからね)、ロープに走って最後は相手の顔面に自分の巨大なお尻を落として圧殺する、いわゆるヒップドロップという技。

最初のドスンドスン!が妙にインパクトあって、本物のアースクエイクもこんな技を出してるの? ってのがずっと疑問だったんですが、先日実際に試合映像を確認することができまして、テンタは本当にドスンドスンやってた(笑)

アースクエイクだから、ってのは分かるんですが、よく団体側もあんなヘンテコなムーブを考えたなと思うし、テンタもよく了承したなあと…。ファンの評判はどうだったんだろう。

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