ジョージ・ハリスン追悼:キミ達は僕の事が大好きだから、と彼は歌った
あの日以来、特別な1曲になった
11月29日(日本時間で11月30日)は、ビートルズのメンバーだったジョージ・ハリスンの命日。
彼が亡くなった2001年11月30日、私は仕事を終えてから当時勤めてた会社の同僚たちと会社近くの雀荘で麻雀をしてました。
麻雀が終わったのは確か夜の11時頃。雀荘を出て会社の駐車場へ徒歩で戻る途中、携帯電話のWebでニュースをチェックすると、「ジョージ・ハリスン死去」のニュースが。
ニュースを見た直後、ショックはほとんど無かったんです。というのも、2001年になってからジョージが肺ガンだというニュースが報じられていて、11月に入ってからは「ジョージ危篤」というニュースも流れていたから、ファンは少なからず覚悟していた。
ジョージが亡くなるかもしれない、そのニュースを近いうちに受け止めなければならない。そして実際に目にした訃報。「ああ、ジョージ亡くなっちゃったか」と、もちろん寂しくはあったけれど、心の準備はしていたのもあって、哀しいというよりも残念という気持ちが大きかった。
駐車場に着き、車に乗ってエンジン始動。自動車通勤をしていた当時、運転中はビートルズの全曲をMP3に変換して書き込んだCD-Rを毎日聴いてました。200曲以上あるビートルズの曲を毎日シャッフル再生してたんです。
あの日、私が車を運転し始めて最初に流れたのは、「You Like Me Too Much」という曲でした。狙ったわけでもなく、偶然シャッフル再生されたのはジョージが作り、歌ってる曲。
You Like Me Too Much
「You Like Me Too Much」は、ビートルズ通算5枚目のアルバム「Help!」に収録されてます。CDだと10曲目になるんですけど、昔のアナログレコード盤では「B面の3曲目」という位置付け。
アルバム「Help!」は、ビートルズが主演した2作目の映画「ヘルプ!」のサウンドトラック盤も兼ねていて、レコードのA面(1〜7曲目)は全て映画で使用された楽曲。一方のB面(8〜14曲目)は地味な構成。レコードのB面ってどれもそんな感じでしたけど。
ただ、アルバム「Help!」のB面にはビートルズの偉大なる名曲である「Yesterday」があります。イエスタデイが聴きたい、それだけのために「Help!」を買った私の友人がいたくらい。
「Help!」のB面を聴く時、曲をスッ飛ばしまくってイエスタデイばっかり聴いてたファンが意外と多かったかもしれません。だから「You Like Me Too Much」は、もちろんビートルズファンなら知ってるでしょうけど、どちらかと言えばマイナーな曲。
私自身、特に好きでもなければキライでもない。「You Like Me Too Much」はそんな感じの、アルバムB面にあった普通の1曲でした。
あの日も車の中で偶然「You Like Me Too Much」が流れた時、おおー!とは思ったけど、それで感極まったとかはなくて、いつものように運転しながら曲を一緒に歌ってたんです。
歌いながら気付いたんですよ。
サビの歌詞に上のフレーズがあります。この曲は失恋の危機にある男が、それでもちょっと強気で恋人に対して「キミは僕の事が大好きだし、僕もキミが好きだと知ってるだろうから、きっと戻ってくるよね」と自信マンマン、かと思えばいろいろ言い訳もしてたりする、ジョージらしいと言えば実にジョージらしい歌詞になってるんです。
でもほら、英語のYouって単数形にも複数形にもなるじゃないですか。恋人に対する「キミ」であると同時に、世界中のファン全員に対する「キミたち」にも取れる。
ああ、ジョージはそう歌ってたんだな。車の中でそんなことを考えたら、いきなり感極まりまして。運転中だったからボロボロ泣くわけにはいかず、こらえながら自宅まで帰りましたけど、途中でシャッフル再生モードを止めて、リピート再生モードにしました。
それから3日間くらい、朝会社に行く時も、夜自宅に帰る時も、車の中で延々と「You Like Me Too Much」をリピート再生し続け、ずっと一緒に歌ってました。今から13年前、2001年の秋が終わる頃。
今もあの曲を聴くとジョージが亡くなった日の出来事を思い出すし、あの曲の歌詞に関しては我々ファンへのメッセージだったんだよねと都合良く解釈するようにしてます。
ずっと後悔し続けるのかもしれない
1980年12月にジョン・レノンが射殺された時、まだ私はビートルズを知りませんでした。その1週間後、友人の家でビートルズの赤盤と青盤を聴き、そこでようやくビートルズと出会いました。私が本格的にファンとなった時点で、既に存命メンバーは3人だったんです。
「僕が64歳になっても、まだ僕の事を必要としてくれるかい?」と歌ったポール・マッカートニーは、ジョンが亡くなった1980年には38歳でした。そんなポールも、2014年現在で72歳です。我々ファンも歳を取りましたが、当然ながらビートルズの面々も歳を取ります。リンゴ・スターも今年で74歳。
ジョージは、亡くなる10年前の1991年に、親友のエリック・クラプトンと一緒に日本でコンサートツアーを開催しました。その中に福岡も含まれてたんです(1991年12月9日、福岡国際センター)。
ジョージが日本に来るというニュースを知った時には歓喜した私。福岡のライヴに行きたかったけれど、結局行けなかった。前年の1990年にポールが久々の来日コンサートを実現させた時は行ったんですけどね。
当時まだ学生で、金銭的にもスケジュール的にも余裕がなかったし、何より私はビートルズ解散後のジョージのソロ作品を当時ほとんど知らなかったんです。それで躊躇してしまって、結局チケットを買えなかった。
結果的に1991年のツアーがジョージ最後の来日となり、「あの時、福岡国際センターのライヴに行けば良かった…」と、おもいっきり後悔してます。BOOWYの時もそうだったし、いつも「あの時ライブに行ってれば…」って後悔しちゃう。
昨年2013年にポールが日本ツアーを開催して福岡ヤフオクドームも会場に含まれると知った時には、行かないと後悔することが分かってたので、今度こそ絶対行くぞ!と思ったし、このブログでも意気込んだエントリーを書きました。
でも先行販売されたチケットの値段を見て「そんな金額なんて捻出できねえよぉ」と現実に引き戻され、後日調べてみると他の席も販売開始されてて全席チケット完売。またしても私はやらかした。
きっとこんな調子で、ずっと後悔し続けるのかもしれません。
ビートルズ解散後のジョージを聴く
前述の通り、ビートルズが1970年に解散して以降のジョージのソロ作品を私はほとんど知りませんでした。ソロ時代のベスト盤を初めて買ったのはジョージが亡くなった後。そのベスト盤でソロ時代の代表作をようやく聴きました。
亡くなる前の時点で私が聴いたことのある数少ない曲、その中でも大好きだったのは、1988年10月にリリースされたトラヴェリング・ウィルベリーズ名義の「Handle With Care」という曲。ソロ時代と言いながらバンドなんですけどね。
Handle With Care
ジョージの他に、ボブ・ディラン、ロイ・オービソン、ジェフ・リン、トム・ペティという豪華メンバーが集ってリリースした1曲。5名の所属レコード会社が異なったため「覆面バンド」としてアルバムジャケットでは全員がサングラス着用し、ヘンテコな芸名みたいなのを名乗ってます。
映画『プリティ・ウーマン』の主題歌を歌ったロイ・オービソンは、この曲がリリースされた直後の1988年12月に亡くなり、トラヴェリング・ウィルベリーズのアルバムが遺作となってしまいました。
ビートルズがメジャーデビューした直後はロイ・オービソンの前座バンドとしてツアーに帯同してたし、ボブ・ディランはビートルズが有名になる以前からアメリカで大成功してて、1964年に知り合って以降はビートルズに多大なる影響を与えた人物でもあります(ジョージよりむしろジョンがモロに影響受けてたんですけど)。
そんな面々とジョージがバンド結成してリードヴォーカル的に歌ってるのは何だかスゲーなぁと当時は感じてましたね、聴きながら。
ジョージのソロ作品として最も売れた曲といったら、
Got My Mind Set On You
これになるのかな? 1987年10月にシングルがリリースされて、アメリカで1位を獲得。年間ランキングでも5位に入った大ヒット作品。この曲はさすがに当時から知ってました。
This Is Love
「This Is Love」はメロディーが親しみやすいポップな1曲。1988年6月リリース。ビートルズ解散後に会得し、ジョージの代名詞的な演奏法でもあるスライドギターが炸裂してます。
Blow Away
「Blow Away」は1979年2月リリース。それほど凝った曲ではなくシンプルに同じフレーズを繰り返すだけなんですけど、コード進行がジョージっぽくて好きです。
My Sweet Lord
「My Sweet Lord」はビートルズ解散直後の1970年11月にリリースされ、アメリカとイギリスで共にチャート1位を獲得。ビートルズのメンバー4人の中で解散後に初めて1位を獲得したのはジョンでもポールでもなくジョージだったんです。
1971年のイギリス年間ランキングでも1位を獲得した大ヒット曲。後にジョージが主催したチャリティーコンサートでも「My Sweet Lord」を歌っていて、その映像はジョージが存命の頃に私も見ています。
この曲は盗作であるとメディアで論じられ始め、騒動がどんどん広がって5年後の1976年には遂に訴訟となり、ジョージは敗訴して多額の賠償金を支払うハメになってしまいました。
All Those Years Ago
「All Those Years Ago」は「過ぎ去りし日々」という邦題が付けられています。1981年5月リリース。
当初はリンゴ・スターに提供するためにジョージが作った曲。しかし1980年12月にジョン・レノンが急死し、ジョージはこの曲をジョンへの追悼曲にするため、当初から大幅に歌詞を書き換え。
更にポール・マッカートニーがビートルズ解散後に結成したバンド「ウイングス」のメンバー3名(ポール、妻リンダ、デニー・レイン)がコーラスとしてレコーディングに参加し、ビートルズ解散後に初めてジョージ・リンゴ・ポールの3人が「間接的に」共演した作品となりました。
ビートルズ解散直前はポールとジョージの仲が険悪だったため、この共演報道は驚くと共に嬉しかったのですが、ファンやメディアの前で「直接的に」3人が共演したのは、ジョンの未発表曲をアレンジし直し、1995年にビートルズの新曲として発表したアンソロジー・プロジェクトでした。
りくま ( @Rikuma_ )的まとめ
ジョンやポールのソロ作品はそれなりに聴いてる私も、ジョージのソロ作品を聴くようになったのは亡くなって以降のここ10年ちょっとくらい。まだまだ知らない曲がたくさんあります。
ベスト盤はヒットした有名曲を中心に収録されているので、ジョージ・ハリスンを知らない人でも聴きやすいのではないかと感じてます。ビートルズは知ってるけどジョージのソロは知らないという方々、聴いてみるとジョージの魅力を再確認できると思いますよ。
ジョージ・ハリスン/リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド
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