[Я]懐かしのプロレスラー列伝#21:ダイナマイト・キッド

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リクエストNo.1のレジェンド

ダイナマイト・キッド

当ブログで「レスラー列伝」のエントリーは今まで20回書いてます。今回が21回目。

まだレスラー列伝のアクセス数が笑っちゃうほど少なかった頃、第9回目としてデイビーボーイ・スミスのエントリーを書いた際、読んで下さった方々から

次はダイナマイト・キッドを書いて欲しい!

という熱いリクエストを複数頂きました。1つ2つじゃなく、結構多くの同意見をTwitterで頂いたんです。

当時、うちのレスラー列伝のコンセプトは「亡くなってしまったレスラーを懐かしむ」というもので故人限定だったので、キッドは対象外なんですよ、という旨をリクエストして下さった方々に返信したのを覚えています。

現在は故人限定の縛りを撤廃したので、今回はダイナマイト・キッドについて書いてみることにします。とは言うものの、詳細を書き連ねて行くと、どうしても内容の大半がデイビーボーイ・スミスとカブってしまいます。

少し前まで全くアクセスを稼げなかったレスラー列伝コンテンツですが、現在はそれなりにアクセスを稼いでくれてます。その中でアクセス1位がデイビーボーイ・スミスなんです。

アクセス解析を見てみると、ダイナマイト・キッドという検索ワードで来てくれてる人もいるようで、それだけでもキッドの人気が分かるというものです。

初代タイガーマスクのライバルとして脚光を浴びる

佐山聡がイギリスでの海外修行から急きょ帰国を命じられ、タイガーマスク(初代)として日本デビューを果たしたのが1981年4月。その相手がダイナマイト・キッドでした。

ただ、キッドが新日本プロレスに登場するようになったのは1980年からだそうで、当時ジュニアヘビー級を牽引していた藤波辰巳(現:藤波辰爾)とも闘ってたんだそうです。見てたはずだけど全然記憶にない。パンチパーマだった若手時代の長州力は記憶にあるんだけども。

タイガーマスクとキッドのデビュー戦があまりにもスゴくて、メキシコのルチャリブレなんて見たこともなかった当時の子供たちにとって二人の空中技や立体的な攻撃は度肝を抜くものばかり。私と同世代のプロレスファンは、おそらく大半がタイガーマスクのデビュー戦でスイッチが入った人ばかりじゃないですかね。

その後もタイガーとキッドは名勝負を連発。長州が藤波に反旗を翻して抗争を繰り広げるタイミングも重なって、日本でプロレスが一大ブームを巻き起こします。

当時のタイガーとキッドの試合は幾つかYouTubeにアップされていて、私は今でもたまに検索して見ています(著作権アウトなものばかりなので、ここにはリンクさせません)。今見てもやっぱりスゴイ。二人の軽快なのにエゲツナイ攻撃の数々にワクワクさせられます。

何の前触れもなかった全日本移籍

タイガーマスクが新日本を退団し、次のジュニアヘビー級エースとしてコブラというレスラー(正体はジョージ高野)が担ぎ出されるのですが、実質的にはキッドと、彼のいとこであるデイビーボーイ・スミスの二人が新日本ジュニアを引っ張ってた状態。

ところが1984年、キッドとスミスは全日本プロレスに電撃移籍。新日本のタッグリーグ戦に出場すると発表されてたキッド&スミスが、何の前触れもなく、いきなり全日本の中継に登場したんですから、視聴者はビックリ仰天ですよ。週刊プロレスなどのメディアにも全然出てなかった話なので。

新日本のジュニアで闘ってた頃はキッドもスミスも長髪だったのが、全日本に初登場したキッドはタイガーマスクのデビュー戦を戦った時の容姿を思い出させる丸坊主。スミスも同じく頭を丸め、衝撃の移籍初戦はキッドのダイビングヘッドで快勝。

リプレイで再生されたキッドのダイブ。その飛距離や角度が、丸坊主で精悍さを増した表情と相まって、やっぱりカッコええなあ、と惚れ惚れしたのを思い出します。

次のシリーズである世界最強タッグ戦に初参戦したキッド・スミス組ですが、新日本ではジュニアヘビー級が主戦場だったせいもあって、やっぱりサイズが小さく感じてならない。

相手チームは、ハンセン&ブロディ組、鶴田&天龍組、ドリー&テリーのザ・ファンクス、ハーリー・レイス&ニック・ボックウィンクルの「NWA・AWA帝王コンビ」、馬場&ラッシャー木村組(まだ木村が笑いに走ってなかったどころか馬場さんを敵視してた頃)、さらにはワンマン・ギャングという巨漢レスラーもいたし、タイガー・ジェット・シンもいるという、スーパーヘビー級や一流どころばかり。

身長のないキッドはどうしても小さく見えるのですが、上背がそこそこあり、筋肉増量中だったスミスは見た目もパワーも他のレスラーと遜色なくて、新日本時代に「スミスはジュニアとしては反則」と解説されてたのが大げさどころか、むしろ真実だったことが証明された形となってました(余裕で体重100kg超えてたはず)。

スーパーヘビーとの対戦ではどうしても分が悪かったキッド&スミスですが、中軽量級の相手には実力を発揮し、マレンコ兄弟とは後楽園ホールでメディアやファンに大絶賛された名勝負を繰り広げました(マレンコ嫌いの馬場さんは全然評価してなかったけど)。

運命の分かれ道となったWWF参戦

アメリカではNWAという団体が圧倒的な権力を誇ってたのですが、やがてWWF(=現在のWWE)が台頭。ニューヨーク周辺の地方団体だったWWFが全米各地に勢力を拡大し始めます。

アメリカと日本の関係だと、新日本がWWF、全日本がNWAと提携していたため、新日本の猪木や藤波などはWWFで試合もしたし、WWFのベルトも巻いた一方でNWAには長いこと挑戦すらさせてもらえませんでした。

キッド&スミスは当時WWFに所属していながら全日本に参戦してたという珍しいパターンなのですが、やがて全米を完全制圧するため本気になったWWFは、所属選手を囲い込む形をとって日本への遠征を許可しなくなります。

新日本の常連だったホーガンやアンドレもWWF専属扱いとなって以降は日本に全く来なくなり、キッド&スミスも全日本ではなくWWFが主戦場になってしまいます。

WWFで活躍していた頃、キッド&スミスは「ブリティッシュ・ブルドッグス」というタッグチーム名を与えられ、ギミックとしてリング上に犬(=ブルドッグ)を連れてくるようになります。

また、この頃からキッドもスミスも体格が異様に大きくなり、あの小さかったキッドでさえ腕や太もも、首回りの筋肉がパンパンに盛り上がったマッチョレスラーになってしまいます。誰が見ても明らかにステロイド(=筋肉増強剤)やってるでしょ、ってのがバレバレだったんですが、後に本人も薬の使用を認めています。

1986年にキッドは椎間板を負傷し長期欠場。いったんスミスと共にWWFを離脱し、全日本プロレスに復帰するのですが、スミスはキッドとのコンビを解消し、シングルプレイヤーとしてWWFと契約。スミスは「ブリティッシュ・ブルドッグ」という新リングネームでWWFに単独参戦するようになります。

この時の「だまし討ち」のような別離に腹を立てたキッドは以降、スミスと一度も会わなかったそうです。全日本に残ったキッドは新パートナーとしてジョニー・スミスを抜擢し、ニュー・ブリティッシュ・ブルドッグスを結成しますが、それほど大きなインパクトは残せず。

ステロイドの副作用や椎間板損傷の後遺症などにより、WWFの一時期はマッチョ体型だったキッドも目に見えて痩せ衰え、全日本での後期などは両脚が信じられないほど細くなってることに愕然とさせられました。スピードと技のキレだけでカバーしてた感じ。

1991年12月、全日本の世界最強タッグ最終戦、日本武道館大会でキッドは引退を発表します。試合直前、リングアナウンサーがキッドの引退を突然発表し、会場が「ええええ!」という悲鳴に包まれてました。私もテレビの前で「うそー!」と叫んだ。

試合を終えて選手たちから胴上げされ、現役生活に別れを告げたキッドでしたが、その後に現役復帰したらしく、日本でもみちのくプロレスで試合をしたそうです。私は1991年12月、引退試合以降のキッドは見てないし、それほど詳しく知りません。

筋肉増強剤と共に怖い、危険技の連続使用

キッドと別れてシングルプレイヤーの道を選んだデイビーボーイ・スミスはWWFやWCWでトップレスラーとして活躍しますが、筋肉増強剤の副作用が影響したか、2002年に心臓発作で亡くなっています。39歳の若さでした。

一方、スミスよりも早い時期に筋肉増強剤の悪影響が表面化していたキッドは、WWF時代に重傷を負った椎間板の状態が現在も悪いらしく、さらには長年の酷使で痛めた頸椎(=首)の状態もよろしくなく、今は自力で歩くことが出来ず車椅子での生活となっているそうです。

キッドの代名詞的な技であるダイビングヘッドは、コーナー最上段から床に向かってダイビングし、相手に自分の頭をぶつけるというフィニッシャー(=フィニッシュ技)。見た目のインパクトが強烈で、それゆえにファンは魅了されます。レスラー側もそれが分かってるからこそ、自分の身体にムチ打って危険な技を試合のたびに出し続ける

若手時代にムーンサルトプレスをフィニッシャーとしていた小橋建太が最初に負った大怪我はヒザでした。手術のため長期欠場しています。元祖ムーンサルトの武藤敬司(彼の場合はラウンディング・ボディープレスと言ったりしますが)も現在、ヒザの半月板がない状態とのこと。

ダイビングヘッドだと、前述したキッドを始め、キッドを敬愛していたクリス・ベノワも同じフォームでのダイビングヘッドを得意としていましたが、やはり首の怪我に苦しみ、筋肉増強剤の副作用による悪影響もあり、2007年に悲劇的な死を迎えました。享年40歳。

最近だとWWEで長い下積み生活の末、昨年頃から大ブレークを始め、遂にWWE世界王座を獲得し頂点に立ったダニエル・ブライアンもキッドやベノワと同じくダイビングヘッドを使いますが、そのせいか首の負傷により王座を返上(ギミック上では王座剥奪)し、手術のため長期欠場の状態。

WWEでは他に、エッジというスーパースターがいました。走ってくる相手のボディー目掛けて肩からタックルで突っ込む「スピアー」という技をフィニッシャーにしていたのですが、この技による影響か、現役時代は慢性的な首の負傷に苦しみ続け、2011年には遂にドクターストップが掛かり、惜しまれながら37歳の若さで現役引退しました。

現在もWWEではスピアーを多用する選手が複数いるのですが、スピアーを放った後に首を気にする素振りを見せる選手もいたりして、それを見る度に「うわー、無理すんなよー」と心配になってしまいます。

ダイナマイト・キッドは現在55歳(1958年生まれ)。全身ボロボロのため、さすがにもうリング上で激しく動く姿を見ることは出来ません。

現在は筋肉増強剤の使用がプロレス界のみならず他のスポーツジャンルでも問題視されており、WWEでも使用者には一定期間の出場停止処分とするなど厳しい姿勢を打ち出していますので、昔ほど危ない橋を渡る選手はいないだろうと思います。

ただ、フィニッシャーの危険度を顧みずに使い続けることで、生活に支障が出るほどの怪我と闘うことになる。それをレスラーの宿命と片付けちゃうのは簡単ですけど可哀想でならないですよね。

キッドやベノワのような過酷な運命を背負うレスラーが今後出ないことを、そしてキッド自身がまだまだ長生きしてくれることを心から願うばかりです。

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