ジャンボ鶴田:アンチをも唸らせた日本人最強の壁【レスラー列伝#10】

鶴田のことを好きになれなかった2つのクセ

今回紹介するのは、ジャンボ鶴田。プロレスファンではなくても名前を聞いたことがあるのでは。

ミュンヘン五輪にレスリング代表として出場。その後、馬場さんにスカウトされて全日本プロレスに入団。

将来のエースとみなしてた馬場さんは、いきなり試合をさせず、アメリカのファンクス道場(ドリーとテリー)で修業。鶴田の同期はスタン・ハンセン。帰国後にはいきなり師匠のテリー・ファンクにジャーマンでフォール勝ちするなど、早くも大器と称されます。

ちなみにこの頃、私は全日本の試合をほとんど観ていません。鶴田がアメリカ国旗みたいなタイツ履いて試合してるのをリアルタイムで観たことはないはず(後にビデオなど映像で観た)。

全日本プロレスではブルーザー・ブロディが大好きだったんですが、私が全日本プロレスを観戦するようになった頃、ブロディのライバルは鶴田でした。

ブロディを好きな立場として、当然ながら鶴田は応援しないわけですよ。それもあって当初は鶴田に良い印象が全然なかった。

昔の鶴田を見てて、とにかくイライラしたムーブが2つありまして。

1つは、試合中によくやってた「オー!」。あれがとにかくキライで。

オー! と言うてるヒマあったら技を出せや! っていつも思ってました。

長州や天龍と言った鶴田のライバルは人気者が多かったのもあり、アンチ鶴田は大抵みんな「オー!」を小馬鹿にしてました。一時期は鶴田をおちょくる意味で観客が鶴田に「オー!」と浴びせる場面もあったり(特に後楽園ホール)。

それでも鶴田、「オー!」をやめませんでした。

天龍が団体を去った後、三沢や川田たち超世代軍との死闘を経て、

「やべえ、鶴田ってメチャメチャ強いぞ」
「あれはホントに怪物や」

と万人が認めるようになり、遂には観客もリスペクトの意味を込めて「オー!」を共に叫ぶようになります。それが全日本の名物にまでなった。当初は嘲笑の対象だった「オー!」が、ですよ。あれってスゴいことです。

もう1つ個人的にキライだったのは、いわゆる「ピクピク」。「オー!」よりも更に嫌いでした。

対戦相手の攻撃を受けてマットに倒れた後で、ピクピクッ、ピクピクッってケイレンする鶴田。まな板の上の魚じゃないんだし。

しかもその後すぐに何食わぬ顔して反撃したりする。さっきのピクピクは何やったんや。

長いことプロレス見てますが、あんだけ攻撃を喰らってピクピク悶えていたレスラーを他に知りません。

大学時代の友人が鶴田の大ファンだった

大学に入って知り合い、仲良くなった友人がいました。彼も私も毎週「週刊プロレス」を購読して読んでたプロレスファン。

その友人、胸を張って言いました。「一番好きなレスラーは鶴田だ」と。そして嫌いなのは長州だとも。ちょうど長州が全日本に電撃移籍した頃だったかな。よく覚えてませんが、まだ天龍革命が始まる前で、鶴田の怪物的な強さを「知ってる人は知ってる」けど一般的にはそれほど理解されてなかった頃です。

友人は新日本があんまり好きじゃなかった。私と逆です。私は猛烈な新日派。(当時の)全日本のほうが好きだという人の気持ちは全く理解できなかった。友人とはいろいろ議論しましたが、決して仲が悪いとかではなかった。でもプロレスに関しては気が合わなかったなあ。

アンチ鶴田とアンチ長州が語るとなると、ほぼ間違いなく登場する話題の筆頭が、1985年のシングル対決。60分フルタイム時間切れ引き分けの試合。

長州ファンな私としては、鶴田のことをコテンパンにしてくれと願ったのに引き分けで、あんまり面白くねえなー、ってのが正直な感想。

しかし友人は力説するんです。「あの試合こそが鶴田の真骨頂だ」と。あれで鶴田のスゴさが分からん奴はプロレスを分かってない、とまで言われた。

友人が言うには、

「鶴田はスタミナでは世界中の誰にも負けない」
「鶴田がドッシリ構えて長州はチョロチョロ動き回ってただけ」
「試合が終わってからも鶴田は余裕シャクシャク、長州はヘロヘロだった」

時が過ぎて、長州自身が鶴田戦を回顧する時に「鶴田はスゴかった」と認めていたり、ブロディなどの常連外国人レスラーたちが鶴田を絶賛していたり、鶴田自身も引退特集で「あの試合は僕の作戦勝ち」と語ったり、友人の話と一致する情報ばかり入ってくる。

そういう意味では、私って何も分かってなかったんだな、と思ったりもします。

ダイエーホークスとテレビ局が敵

大学生の頃、福岡ではプロレス中継が深夜に放送されてました。あの頃から新日本は既に放送が関東の1週遅れの深夜。全日本は週遅れこそなかったけど深夜。

当時、福岡のローカルテレビは深夜枠で野球中継をよく放送していました。

福岡と言えばホークス。当時はソフトバンクホークスではなく、前身のダイエーホークス。ゴールデンタイムで野球中継を放送できない日は、深夜で放送することが多かったんです。でも当然ながら深夜なんてもう試合終了してるし、ニュースのスポーツコーナーなどで試合結果を放送した後で野球中継を放送してたんですよ。

私、試合結果が判ってからスポーツ中継を観るのが大キライなんです。だから深夜に野球中継をする意味がまったく理解できなかった。

その「深夜の野球中継」がプロレスの放送曜日と重なった場合、プロ野球の放送が優先され、プロレスは放送が中止されてました。放送延期じゃないですよ。放送中止です。

雨で野球が中止だった場合はプロレスが放送されるからいいけど、雨が降らずに野球の試合があった時は、イコール福岡ではプロレス放送が消えるということを意味しました。当時は屋根がない屋外の平和台球場を本拠地にしていたので野球の雨天中止=プロレス放送ってパターンもそれなりにあったのですが、現在の福岡ドームだったら雨天中止はゼロですからね。発狂してただろうな。

この「野球中継が放送されたらプロレスは放送中止」というのは、新日本プロレスを中継していたテレビ朝日系列のKBCも、全日本プロレスを中継していた日本テレビ系列のFBSも、どちらも同じでした。

1989年6月5日、武道館で行われた三冠ヘビー級王座戦「鶴田vs天龍戦」という試合がありました。3つのチャンピオンベルトを統一して初代の三冠王者になった鶴田に天龍が挑戦した試合で、1989年の年間最優秀試合にも選ばれた伝説の試合。

この試合が放送される予定だった日も深夜に野球中継が入ってました。こんな大切な試合を深夜の誰も見ないような時間帯に野球中継で潰されるのは絶対に許せない。

アタマに来たので電話しましたよ。FBSに。「野球中継でプロレスが放送されなかったとしても、他の日に振り替えで放送できないですか」と頼み込みました。「そもそも誰が深夜に野球なんか見るんですか」と文句も言いました。当時のダイエーホークスは現在ほど人気もなかったし。

でもFBSの人は「野球はプロレスより視聴率いいですよ」「振替放送は考えてません」「私が決めることじゃない」と繰り返すのみ。ほんと腹立ちましたね。

結果的にその日は雨が降り、野球中継が流れたことでプロレスが放送され、福岡のプロレスファンは無事に三冠戦を見ることができました。雨が降ってなかったら見られなかった。

この「雨が降らなかったらプロレス見られなかった」というケースも実際にありました。新日本プロレスで、馳&健介が初めてタイトル戦で勝利してIWGPタッグ王者になった試合。これも同じく野球中継と重なり、その日は雨が降らなかったので野球が放送されてプロレス中継は消滅しました。他の日に振り替え放送されることもなく、私はあの試合を見ていません。

もちろんKBCにも抗議の電話をしましたよ。FBSと同じような対応でしたけどね。だから当時は本当にホークスが嫌いだった(ホークスというより、深夜に野球中継しやがるローカルテレビ局2つの編成が嫌いだったってことですけど)。プロレスの敵でしかなかったので。

とても残念でならない最期

天龍と抗争を始めたあたりから、誰が見ても分かるほどの強さを見せ始めた鶴田。三沢や川田たちが台頭してきてからは、更に高い壁であろうとしたんだろうね、もう見てて怖いくらいの強さ。

以前はアンチ鶴田だった私も、友人から鶴田の強さや怖さを解説してもらったこともあり、また三沢や川田たちが「殺されちゃうよ!」ってくらい鶴田の過激な技を喰らってるのを見て、さすがに「鶴田スゲー」と思うようになった。

ところが1992年。鶴田はB型肝炎を発症し、年末の最強タッグを目前にして戦線離脱。この時点ではそれほど大事に至るとは思ってなかった。

鶴田の代わりには新人だった秋山準が起用され、この年の最終戦・武道館大会を私は実際に見に行きました。生まれて初めてのプロレス生観戦。

鶴田は翌年に復帰したものの、もう三沢たち第一線の選手たちと闘うことはなく、馬場さんたちと6人タッグで時々試合をする感じ。

1999年、馬場さんが亡くなった直後に鶴田も引退を発表。馬場さんの死も驚いたけど、鶴田が続けてプロレス界を去ってしまうのは本当に衝撃でした。

その後、アメリカの大学に客員教授として赴任。しかし肝臓の病状が悪化していたらしく、海外での脳死肝移植をすべくオーストラリアでドナー待ちをしてるというニュースが突然入って来た時は「そんなにヒドイの?」とビックリ。

2000年、フィリピンでドナーが見つかり、鶴田はフィリピンへと移動し手術。ところが手術中に出血が止まらなくなり、急死。享年49歳。

手術ミスだとか、当時いろいろ報道されてたけど、結局どうだったのかは知りません。鶴田が急死した直後に三沢たちが全日本を離脱し、鶴田の奥さんが怒ってる報道も見ました(後に誤解がとけて和解したそうですが)。

あれだけ強かった鶴田が、誰にも負ける気がしなかった鶴田が、病気で痩せ細り、そして病気によって奪われてしまったのは、とても辛く哀しく寂しかったですね。最初はアンチだった私をも魅了した「とてつもない鶴田の強さ」は、我々の世代に置き土産として残してくれた偉大な遺産だと感じています。

Chinese Kung Fu

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収録アルバム『Disco Music 70’sBanzaii Halidon/Milestone RecordsAmazonデジタルミュージック
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