苅田駅のペデストリアンデッキは眺めが良い
今回のスタート地点、JR苅田駅。駅名は「かんだ」と読む。
現在の駅舎は2006年(平成18年)4月にリニューアルされて開業したとのこと。これは同年3月に新しい北九州空港が開港したのに合わせたのだという。
1990年代前半(自分が20代の頃)は苅田町によく来ていたのだが、「苅田港」という限定された場所にしか行っていない。苅田港だけは数え切れないほど通っていた。
ここ苅田駅も、おそらく旧駅舎時代に1〜2回、来たことがあったような気もする。しかしまったく何も覚えていない。新駅舎に来たのは今回が初めて。
初めて見た苅田駅なのだが、上の写真に写っている部分だけでいえば普通の駅舎である。しかし周囲をグルリと見回してみると、なんだかスゴいことになっていた。
地上から苅田駅の周辺を眺めると、四方八方に歩道橋やエレベーターやエスカレーターが設置されている。
ロータリーの上部は広場のようになっていて、「ああ、これはペデストリアンデッキが上にあるんだな」と気付いた。
苅田駅の改札口は駅舎の2階部分にあり、ペデストリアンデッキを移動すれば駅舎に入ってすぐに改札口へと繋がる。
北九州市八幡西区のJR黒崎駅も、駅前には大きく広いペデストリアンデッキが整備されている。
黒崎駅の場合は駅前に「超渋滞ポイント」の国道3号線があったり、昔は路面電車が走っていたりした。
横断歩道を渡って黒崎駅に行く方式では大変不便なこともあり、ペデストリアンデッキを設置したことによる利便性の向上は大いに感じ取ることができる。
一方、ここ苅田駅のペデストリアンデッキは、下にロータリーがあるだけで、ペデストリアンデッキを設置しなければならない特段の理由なり事情は、初見の自分が見ただけではよく分からなかった。
もちろん利便性はとても良い。そしてもうひとつ、ペデストリアンデッキならではの魅力もある。
ペデストリアンデッキからの眺めが素晴らしい。
北側を眺めると、まず手前にJR日豊本線(にっぽう・ほんせん)の線路があり、苅田駅に乗り入れてくる電車を眺めることができた。
北の先は北九州市小倉南区。左側にそびえている山の名前は分からないが、山の向こうには小倉南区で有名な桜の名所・昭和池公園がある。
苅田町は北に北九州市小倉南区、南に行橋市と、2つの市に挟まれた自治体である。
おそらく両方の市から、特に最近は人口100万人を下回り続けている北九州市の側から苅田町に対して合併の打診があったはずなのだが、北九州市以外の自治体を含め、苅田町はすべての合併話を受けていない。
市ではなく町なのだが、苅田町はメチャクチャ儲かっている自治体なのだ。
ペデストリアンデッキがある東口とは反対側、JR苅田駅の西口。
少し狭いロータリーがある。駅舎自体は東口ほど豪華ではないが、それでもオシャレな造りだった。
県外の人は絶対読めない難読地名「京都郡苅田町」
苅田駅を出発し、まずは進路を南へ。
今回歩くコースの大半は知らない場所だらけ。あるいは昔々に通ったことはあるかもしれないが、まったく記憶にない場所だらけ。
苅田駅前の道路も車でなら何度か来たことがあるのかもしれない。しかし覚えていない。
歩くのは初めてだし、実質的に初めて訪れる町のようなものである。
苅田町を初めて訪れたのは1980年代の終盤、大学進学のため鳥取県から福岡県に移住してきた最初の年だった。
苅田町に住む知人に会うため訪れたのだが、知っているのは住所と電話番号だけ。当時はスマホなど世の中に存在しておらず、地図で調べることもできない。
苅田町に入ってすぐ、どこに行けばいいのか分からなくなったので、道を歩く人に聞いてみた。
「京都郡苅田町(きょうとぐん・かりたちょう)の◯◯というところなんですけど、どのあたりですか?」
相手はクスッと笑いながらその地名の方角と距離を教えてくれた。最後に注釈もつけて。
「ちなみに、『みやこぐん・かんだまち』って読むんですよ〜」
「ぐん」しか合ってなかった。
初見で「みやこぐん・かんだまち」を読めてしまう人類など、この地球上には生息していない。断言してもいい。
福岡県内の「苅田町(かんだまち)」をはじめとする「町」は、基本的に最後の漢字を「ちょう」ではなく「まち」と読みます。
(遠賀町だけは「おんがちょう」と読みます)
宇原神社、苅田町役場を巡る
県道254号線の「馬場」交差点。横断歩道の向こうに大きな鳥居がある。
鳥居の向こうにあったのは「宇原神社」。しっかり参拝してきた。
事前に地図で調べたところ、この一帯ではもっとも大きな神社のようだったので、苅田駅を出発してから最初に訪れようと決めていた。
宇原神社から南東へ。途中、小高い丘のような場所の横を通る。
公園かな? と思って調べたら、前方後円墳だった。「石塚山古墳」という名前で、国指定の史跡なんだとか。
石塚山古墳のすぐ隣りにある「苅田町役場」。
町役場にしては規模が大きい建物。金銭的な余裕が風貌から漂っている。
国道10号線から苅田港へ
国道10号線をしばらく南下する。
苅田町を本格的にウォーキングするのは今回が初めて。このブログでもほとんど登場していない自治体なのだが、過去に1回だけ登場したことがある。
2013年4月、北九州空港の旧空港跡地から、海の上に開港した新しい北九州空港まで徒歩で巡るというウォーキング企画をやったことがあった。
あのときはJR下曽根駅から北九州空港まで16.6kmを歩いた。
当初は違うコースを歩くはずだったが、気が変わって空港まで歩いたという、気ままなウォーキングだった。気ままなわりには距離長かった。
10年前は16kmもある距離をお散歩のような感覚で気軽に歩けていたのだが、さすがに今は無理だ。そもそも「16km歩こう」という気力が湧かない。
ただ、下曽根駅からではなく、北九州空港にもっとも近いJR朽網駅からであれば、北九州空港まで9.6kmほどで行けるらしい。これなら今でも歩ける気がする。
冬が去って春になったら、通算2回目の北九州空港ウォーキングに挑戦してみるかもしれない。気力を湧き立たせよう。
県道25号線の「新浜橋」を渡る。橋の北側には苅田港の工場群が見え始めた。
この県道25号線は片道3車線の広い道路で、国道10号線よりもはるかに広い。昔よく苅田港に来ていた頃、こんなにも広い道路は存在しなかった。
県道を左に曲がり、いよいよ苅田港へと近付いていく。
約30年ぶりに訪れる苅田港。これが今回のモチベーションのひとつである。
苅田港緑地公園から眺めた、久しぶりの工場群
物流拠点倉庫の建ち並ぶ道路を北東へしばらく進むと、「苅田港緑地公園」に着いた。ここは初めて来た。
遊具などが特にあるわけでもなく、芝生の広場がひたすらに広い。奥のほうに駐車場スペースがあった。
駐車場スペースの東側には展望台のようなスペース。「苅田港 南港緑地」という看板が立っていた。
向こう岸には工場群が見えている。
苅田港は昔から夜景が美しいことで有名。三菱マテリアルの工場などが放つ照明がなんともいえない雰囲気をかもしていて、苅田港の工場夜景を有名にした。
最近では「ラスボス」などという異名で呼ばれているらしい。「苅田町 ラスボス」で検索すれば、三菱マテリアルの美しい工場夜景の写真がワンサカ出てくる。
ちなみに、上の写真は三菱マテリアルの工場群ではありません。三菱マテリアルはもう1つ北側の島にあります
30年前、数え切れないほど苅田港に通っていた理由がコレ。夜景を見にきていたのだ。
鳥取県から来た田舎者なので、都会の夜景に魅了され、福岡県内の夜景スポットには数多く行った。
北九州市の観光名所といえば「関門橋」「皿倉山」「高塔山」などがあり、直近の新日本三大夜景では第1位に選ばれている夜景の街。夜景好きが今も続いているのは北九州市という街のおかげ。
しかし、おそらく北九州市の夜景よりも苅田港の夜景を見た回数のほうが多い。
恋人同士が海の向こうに輝いている工場夜景を見るのには最適な、海沿いの公園に整備されたいくつものベンチ。
しかし、よく見てみるとベンチが海側の工場群に背を向けて設置されている。
なぜ??? さっぱり意味が分からない。
ここを訪れる恋人たちは、工場夜景ではなく公園中央の芝生を見ながらイチャイチャするとでも思っているのだろうか?
公園の奥側に設置されているベンチは海のほうを向いている。
普通こうだよな。俺ならこっち座るわ。公園の芝生を延々と眺める趣味もないし。
久しぶりに苅田港の夜景を見たかったが、時刻はまだ朝の9時。ここであと9時間も待機するほど狂ってはいない。
さあウォーキング再開だ、とUターンしたら、南西方向の景色もまた素晴らしかった。
港なので冬は寒いだろうし、外のベンチでお喋りするのは厳しいだろうけど、恋人たちにとっては良い場所だと思う。
それにしてもベンチの向き…。意味分からんわ。
あえて工場夜景に背を向ける反逆児たちを集めてどうしようというのだ。
苅田町を支える広大な日産自動車九州工場
南港緑地をあとにしてウォーキング再開。
工場の建ち並ぶエリアのため、車の往来はそれなりに多いのだが、歩行者は自分以外に誰もいない。
おそらく普段からずっとそうなのだろう。それが証拠に、歩道を占拠する雑草の数がとんでもない。長い間、誰も歩いていないのかもしれない。
なんちゅう大冒険だよ、とひとりでブツブツ言いながら雑草をかきわけて歩く。
日産自動車九州工場の北門。朝の時間帯だったが、大型車や普通車、多くの車両が出たり入ったりと交通量の多い門だった。
こちらが正門。ここに着いたとき、車の出入りは全くなかった。しかし入口の広さが北門の比ではなかった。さすが正門。
北門から正門までアッという間な文章展開になっているが、実際はめちゃくちゃ遠かった。つまり、工場全体の敷地がとんでもなく広い。
日産自動車が苅田町に進出したのは1975年(昭和50年)。トヨタも苅田町に工場を持っているが、進出は2005年(平成17年)なので、日産のほうが早い。
苅田町が大いに栄え発展した要因のひとつが日産自動車の九州工場であることは間違いない。
西日本工業大学周辺の記憶が完全に欠落している
日産自動車九州工場の正門前から県道25号線の長い横断歩道を渡り、西へ進むと上の写真のような(それまでの発展っぷりがウソみたいな)田園風景が広がっている。
元来、苅田町といえばこういう印象だった。
決してバカにしているわけではない。事実として30年前、苅田町は田園風景ばかりだったのだから。
田園を抜け、国道10号線を横断して西側へ。住宅街の迷路みたいな路地へと入っていく。
苅田町立新津中学校。このあたりの地名は新津と書いて「あらつ」と読むらしい。
新津中学校を通過してすぐの場所にある「西日本工業大学」の東門。門が閉まっており、車両だけでなく人も進入できなくなっていた。
西日本工業大学は、略称が「西工大(にしこうだい)」。1967年(昭和42年)4月、苅田町にて開校した私立大学である。
2006年(平成18年)4月、北九州市小倉北区の「リバーウォーク北九州」の中に西工大の小倉キャンパスが設立され、こちら苅田町の大学は「おばせキャンパス」という名称がついた。
西工大・おばせキャンパスは2013年(平成25年)にリニューアル工事が完了したのだそうだ。
これまた約30年前の大学生時代、同じ高校から西工大に進学した知人がいて、彼の家に遊びにきた流れで西工大・おばせキャンパスにも1度だけ入ったことがある。
しかし当時の記憶が完全に欠落しているので、どのくらい大学の風景が変わったのか(あるいはそれほど変わっていないのか)が今回分からなかった。
西工大のすぐ横にはJR日豊本線の線路が通っている。
JR小波瀬西工大前駅に到着。西工大の最寄り駅で、確かここにも過去に1回来たことがあるはずなのだが。
小波瀬西工大前駅ってこんなに小さかったっけ?
ここも昔の記憶が欠落している。大学の最寄り駅でもあるのだし、もっと大きい駅なのかと勝手に想像していたので、駅舎を見たときは「え、小さっ!」と衝撃を受けてしまった。
リニューアルで駅舎が大きくなった駅はいくつも見てきたが、まさかリニューアルで小さくなったわけでもなかろうし、昔からこのサイズだったのだろう。
ちなみに、この駅は1992年(平成4年)10月に駅の名称が「小波瀬西工大前駅」に変わっており、その前までは「小波瀬駅」という名称だった。
過去に来たのは約30年前。そのときはまだ「小波瀬駅」だったことになる。それはなんとなく覚えていた。だって「おばせにしこうだいまええき」などという長い名前、知らんもん。
小波瀬西工大前駅から上り電車に乗って北九州に帰った。
今回の散策、歩行距離は10.4km、歩行時間は2時間22分。
今回10.4km歩けたのだから、北九州空港までのウォーキングもきっと完歩できるだろう。