「門司往還」という、江戸時代に存在した街道があります。
この記事では、北九州市小倉北区の東端にある手向山から門司区の赤煉瓦プレイスにある大里宿の街道松まで、約2.7kmの散策コースを紹介します。
今回の散策コースは上の地図のとおり。地図に載せている赤色の丸番号は、この記事の各見出しに対応しています。
門司往還や大里宿の歴史的背景・参勤交代での住み分けなどについては別記事でまとめています。
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門司往還と大里宿:江戸時代に小倉と門司を繋いだ北九州市の旧街道
江戸時代に整備され、小倉と門司を繋いでいた旧街道の「門司往還」。各地に点在する史跡の位置や風景写真などを紹介する散策ガイドをはじめ、長崎街道との関係性、宿場町である大里宿の由来や歴史、参勤交代で門司往還を利用した九州諸大名の解説などをまとめました。
「手向山公園東」交差点
「手向山公園東」交差点を通過して北九州市門司区に入り、国道9号線を東へ進みます。
門司往還の街道があったのは、写真左に見えるJR線路が敷かれている場所。当然ながら一般の歩行者は立入禁止です。
まだまだ旧街道には戻ることができず、しばらく迂回が続きます。
「大里新町」交差点
しばらく進むと「大里新町」交差点に着きます。
「大里新町」交差点を左折すると大きな道路(新町井ノ浦線)があります。JR線路の上をまたぐ高架道路で、国道3号線と国道199号線を繋いでいます。
ただし、この道路は途中から歩道がなくなり車道だけになるため、歩いて渡るのは危険です。
大きな道路の左脇にある細い道路(上の写真、赤い矢印)のほうに進みましょう。
脇道に入ってすぐのところに「シティホール門司」という施設があります。
その手前に左へと続く道があるので、左折して緩い下り坂を進みましょう。
私は最初、左の道に気付かずシティホール門司を通過してしまい、行き止まりとなってアタフタしました。
大里新町アンダーパス
緩い下り坂をしばらく進むと、大里新町アンダーパスの入口があります。
JR線路群の下に建設されたトンネルで、距離はそれなりに長いです。
上の写真はそこそこ明るく撮れていますが、iPhoneカメラの性能によるものであり、実際のアンダーパス内はかなり暗いです。
今回このアンダーパスを歩いて通過した際、前方と後方の両方向から車両が2台ずつ来ました。
アンダーパス内は両方向の車両がギリギリですれ違うことのできる道幅しかなく、狭いです。
狭い幅の道で車がすれ違うことを九州の方言では「離合」といいます。
道幅が狭いため、車同士がすれ違う際には当然ながら車両が壁際まで寄ってきます。ドライバーが歩行者の存在に気付かなければ、重大な事故になります。
アンダーパス内は狭くて暗いため、歩行者の服装が暗かったり、照明のようなものを持たずに歩いていると、車にひかれてしまう可能性があるかもしれません。
私はそれが怖かったので、自衛のためスマートフォンのライトを点灯させて前後に振り、自分の位置と存在を車両に気付いてもらうようにしました。
門司往還の旧街道に行くには、このアンダーパスを進むのが最短距離です。しかし上記のような危険性もありますので、散策の際は十分に対策し、お気を付け下さい。
門司区松原2丁目
アンダーパスを抜けると「松原」という地名になり、上の写真のような三叉路に着きます。カーブミラーの下には赤いポストが設置されています。
直進方向には進むことができません。左には小さな橋があり、右は工場施設があります。
この三叉路の左右に延びている道路が門司往還の旧街道です。
高浜橋や猿田彦大神の石碑の場所から先はJRの敷地となってしまったため、国道9号線を延々と迂回してここまで来ました。ようやく旧街道に合流できたことになります。
迂回する前、高浜橋や猿田彦大神石碑の写真や行き方解説は、門司口門跡から手向山までの散策ガイド記事にて紹介しています。
カーブミラー下には「この先200m 行き止まり」という案内板があります。案内にあるとおり、左に進むとJRの敷地などがあって行き止まりになってしまいます。
三叉路を右折し、門司往還の旧街道をしばらく東へ進みます。
狭い道路ですが車両も通りますので、歩く際はご注意ください。
中原橋
JRの線路と国道199号線に挟まれた形の旧街道を1kmほど進むと、「中原橋」という小さな橋があります。
門司往還の旧街道に合流してからしばらくは車両の往来が2〜3台と少なく、工場群や住宅街の中をノンビリと散策できていました。
しかし、中原橋の少し手前あたりから車両の往来が突然増えます。特に前方からやってくる車両の数がかなり増えました。
上の写真では車両が1台も写っていませんが、実際には前方から車両が10台ほど連続でやってきました。(後方からも数台来ました)
どの車もかなりのスピードを出しており、とても危険だったので中原橋の手前で待機し、すべての車両が通り過ぎてから写真を撮影した後、中原橋を渡っています。
中原橋の前後にある旧街道の道路は、地元のドライバーが利用する抜け道のようです。東のJR門司駅方面から中原橋を経由し、西の「松原1丁目」交差点まで、信号を経由することなく抜けることができます。地図を見て分かりました。
抜け道だから急ぎたくなる気持ちは分からないでもないですが、中原橋は狭いし、歩行者もいるのだからドライバーたちも少しは減速してくれて良いのではないですかね。
とても危なくて怖い思いをしました。前方から車両が接近してくるのであれば無理に中原橋を渡らないほうが良いです。
中原橋を通過してからもしばらく道幅の狭い旧街道が続くものの、100メートルほど進めば信号付きの交差点があり、そこから道幅がドーンと広くなります。
特に歩道がとても広い。先ほどまで歩いていた旧街道の狭い車道よりも、むしろこちらの歩道のほうが広いかもしれません。
このあたりはJR門司駅周辺の再開発エリアであり、近年飛躍的に発展しました。
JR門司駅(海側)
JR門司駅・海側(門司赤煉瓦プレイスがある西側)は、再開発によりこの20年で風景が一変しました。
昔の門司駅周辺しか知らない方々は、現在の西側の風景を見るとビックリ仰天すると思います。
一方、JR門司駅・山側(国道3号線に面した東側)の風景は昔とそれほど大きく変わっていません。
門司区の駅といえば「JR門司港駅」が全国的に有名です。「全国の行ってみたい駅ランキング」みたいなのでいつも上位に入っているのが門司港駅。
その門司港駅で2023年後半くらいから「旧門司駅の遺構」が発見され、保存しようという動きが始まっています。
門司港駅の近くなのに門司駅? 門司港駅なのか門司駅なのか、どっちなんだい! と困惑している方がいらっしゃるかもしれません。
種明かしをすると、門司港駅は旧名称が「門司駅」でした。現在の門司駅は旧名称が「大里駅」だったのです。
私がウォーキングを趣味として始めた2011年、門司駅の海側は再開発の真っ只中でした。門司駅周辺は何度も歩きましたが、来る度に風景が少しずつ変わっていくのを認識できたほど。
一軒家が次々と建築され始めていた時期で、住宅街の近くには広い空き地がいくつもあり、おそらくここに大きな商業施設やマンションが建つのだろうなあと想像しながら毎回散策をしていました。
その想像のとおり、現在は駅周辺に多数のマンションが建ち並んでいます。小倉北区にも近く、そして海の向こうの山口県下関市にも近いので、門司駅周辺はベッドタウンにちょうど良い距離感なのでしょうね。
北九州市の、特に鹿児島本線の沿線にある各駅周辺は最近になってマンション開発が盛んになっており、どこも風景が一昔前とは劇的に変わり始めています。
これだけ市内各地で住宅街やマンションの建設がどんどん進んでいるのに、なぜ北九州市の人口は減り続けてるんでしょうかね?
門司赤煉瓦プレイス
JR門司駅の東側には「門司赤煉瓦プレイス」という、複数の施設で構成される観光名所があります。
もともとはサッポロビールの九州工場として稼働していたのですが、建物の老朽化などにより九州工場は2000年(平成12年)、大分県日田市に移転しました。
移転により門司にあるビール工場群は閉鎖されましたが、それらを保存活用することになり、2005年から2006年にかけて門司赤煉瓦プレイスの施設が次々にオープンしました。
旧サッポロビール醸造棟では、2000年(平成12年)まで実際にビールが醸造されていました。建物の中にはとても貴重な戦前期のドイツ製醸造機器が保管されています。
門司赤煉瓦プレイスにある、
- 旧サッポロビール醸造棟
- 赤煉瓦交流館(旧倉庫棟)
- 門司麦酒煉瓦館
- 赤煉瓦写真館(旧組合棟)
これらの4施設は国の有形文化財に登録されています。
長崎番所跡
門司往還・旧街道の西側に「赤煉瓦交流館(旧倉庫棟)」があります。
この赤煉瓦交流館の角、門司麦酒煉瓦館に面した道路寄りに「長崎番所跡」の石碑が立っています。
長崎番所は、1799年(寛政12年)に長崎奉行所が設置した施設です。
玄界灘(日本海)に出没した密貿易船の取締りや、対唐貿易の代物を長崎に送る際の保管中継基地としての役割を担っていたそうです。
大里宿の街道松
門司麦酒煉瓦館は、建造されたのが1913年(大正2年)。当初は「帝国麦酒株式会社」として開業した会社の工場事務所だった建物です。
現在は史料館となっており、ビールの歴史などが展示されています。
門司麦酒煉瓦館のすぐ前には「大里宿の街道松」と呼ばれる立派な松の樹が1本だけ立っています。
樹齢350年以上だと言われており、江戸時代から現存している松のようです。
街道松の横には「豊前大里宿絵図」が掲示されており、門司往還の宿場町「大里宿」の全貌が描かれています。
この絵図とほぼ内容が同じで、紙に印刷された絵図を散策中にいただくことができ、大里宿を散策している際にとても重宝しました。
詳しくは大里宿の散策ガイドにて紹介しています。
街道松のあたりから、いよいよ「大里宿」のエリアに入ります。
参考資料
門司往還のコースや各所の歴史解説などは、『長崎街道/大里・小倉と筑前六宿』という書籍を参考にさせていただきました。
また2024年2月に出版された「地球の歩き方・北九州市」の地域情報(小倉北区、門司区)も参考にさせていただきました。