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日本史の年号は丸暗記もいいけど、流れで覚えるのもラクですよ

2015年6月21日

娘のテスト対策として

Young Oda Nobunaga
Young Oda Nobunaga / Yuya Tamai

うちの長女は現在中学生で、歴史が苦手科目。父の私も、そして兄である長男も日本史大好きなんですけどね。

中学の期末テストで、歴史の試験範囲が「戦国時代まで」だったそうで、幾つかの年号が試験に出るぞと先生から予告されたんだとか。

いちごパンツだけはシッカリ覚えてるんやけど〜」と娘。なんだそれは。

聞けば、「本能寺の変」が1582年。語呂合わせで「いちごパンツ」と覚えてるのだそうです。いちごパンツの本能寺。工夫はいいけど、信長の気持ちを考えると複雑。

信長関連では「長篠の戦い」もテストに出そうだけど、どうしても覚えられない! と娘。長篠の戦いは1575年ですが、ピッタリな語呂合わせが見つけられず苦悩してました。

「いごなご?」「行こう泣こう? あ、これいいかも、でも意味分からんな」とブツブツ呟いてる娘。語呂合わせの言葉を探すのもいいけど、どうせなら信長の関連イベントを流れで覚えていけばいいんじゃない? とアドバイスしてみました。

全ての年号を丸暗記するより、どこかターニングポイントとなった大きなイベントだけ年号を覚えて、あとは前後を「流れで覚えていく」というやり方。

人によって向き・不向きがありますので、丸暗記したほうが効率良いという人もいるかもしれませんが、年号の暗記が苦手なお子さんを持つお父さんお母さん、勉強法の一つとしてお子さんに伝授してあげると成績アップに繋がるかもしれませんよ。

信長の主要イベントを洗い出してみましょう

織田信長の主要な関連イベントを洗い出し、それを時系列で覚えていくのが基本です。

ちなみに今回紹介する主要なイベントは、中学校の教科書に出てくると思われるメジャーなものを挙げています。高校で習う知識や大学受験に出てくる日本史の難易度は更に高く、覚えることが激増しちゃいます。今回はあくまで中学レベルということでご了承を。

★1560年:桶狭間の戦い

まず信長が歴史の表舞台に初めて登場したイベントといえば、なんといっても「桶狭間の戦い」です。数万の大軍で攻め入ってきた大名・今川義元に対して、信長率いる数千の小軍が奇襲を仕掛けて勝利した一戦。

「桶狭間の戦い」は1560年。末尾がゼロなので区切りもいいし覚えやすいですね。何か良い語呂合わせがあるならそれで覚えてもOK。まずは「桶狭間の戦いは1560年」という数字がキーとなりますので、忘れずに覚えておきましょう。

★1568年:上洛して足利義昭を第15代将軍に擁立

桶狭間の戦いから8年後、信長は足利義昭と一緒に京の都に入り(=朝廷があった頃の京都に入ることを上洛といいます)、後見人みたいな立ち位置になった後、その義昭を室町幕府の第15代将軍に擁立します。

室町幕府は足利氏のものですが、義昭が将軍になった時は実質的な権力を信長が握っちゃったってことなんでしょうね。歴史学者じゃないので細かいとこまでは知りませんし、今回は年号の覚え方に関する話なので詳しいところは省きますよ。

とにかく、足利義昭が15代将軍になったのは1568年であり、桶狭間の戦いから8年後です。どちらで暗記するかはアナタ次第。

★1573年:足利義昭を追放、室町幕府が事実上の滅亡

信長のおかげで将軍になれたと言ってもいい足利義昭ですが、そこは腐っても将軍ですから、何もかも信長の言いなりにはならず、むしろ信長に対して挙兵し、何度か戦争を仕掛けています。

しかしながら信長も黙ってる人じゃないですから、両者は何度か戦い、そして和睦してます。

1573年になると、東から武田信玄の大軍がジワジワと攻め入ってきて、信長はピンチになります。さらにこの時、またしても足利義昭が「チャーンス!」と叫んだかどうか知らんけど信長に反旗を翻して、信玄と反対側、西の京都から織田軍をやっつけようとします。

挟みうちとなった信長ですが、武田軍のボス、武田信玄が病死しちゃいまして、これを機に武田軍の軍勢は甲斐の国に帰ってしまいます。

ヤバかった武田軍が消えてくれたことで信長はどうしたかと言ったら、そりゃ足利義昭を懲らしめますよね普通は。

ってことで信長は足利義昭を京都から追放し、これによって1336年に初代将軍の足利尊氏が征夷大将軍となって以来、約240年続いた室町幕府が事実上、滅亡しました。

「事実上」とは何だ? って話ですが、信長によって追放されて以降も足利義昭は将軍を辞めたわけでも辞めさせられたわけでもなくて、追放後も征夷大将軍を名乗ってます。

信長の死後に天下を統一した豊臣秀吉に対して足利義昭は身を守ってもらうために忠誠を誓い、このときに将軍職を辞めたということになってるらしくて、それが1588年。

しかし追放された後、室町幕府はもう機能していなかったようで、実質的に幕府が幕府と呼べなくなったのは追放された1573年という認識で良いらしく、なので「事実上の滅亡」と表現しているみたいですね。

ってことで、足利義昭は1568年に将軍となったけど、5年後の1573年には追放された、という流れになります。

★1575年:長篠の戦い

武田信玄が急死したことで織田軍討伐を取り止めて帰国した武田軍。信玄の息子・武田勝頼が率いるNEW武田軍と、織田信長&徳川家康の連合軍が長篠(現在の愛知県新城市)で激突した有名な戦争が1575年。

信長軍が火縄銃を画期的な方法で連続射撃する作戦により、最強の騎馬軍と呼ばれた武田軍を粉砕した有名な戦争です。

桶狭間の戦いから15年後」でもあるし、「室町幕府が(1573年に)滅んでから2年後」でもあります。逆算すれば信長が「本能寺の変」で亡くなる7年前

1575年を「行こう泣こう」と語呂合わせで覚えてもヨシ。いろんな覚え方があります。

★1579年:安土城が完成

安土山(現在の滋賀県近江八幡市安土町)に信長が建築した巨大なお城で、天守閣はものすごく豪華で壮麗だったんだそうです。

元々の本拠地・岐阜城よりも京都に近いとか、当時敵対していた浅井・朝倉の連合軍や上杉軍にニラミをきかせることもできるという立地上の利点もあったり、信長の威光を日本中に轟かせる意味合いもあって、安土城が建てられたのだとか。

完成したのが1579年。この3年後に信長は本能寺で亡くなってます。

現在、安土城の天守閣は存在せず、城址だけが残っています(ものすごく行きたい……)。天守閣は信長が急死した直後に燃やされており、その原因は諸説あって、

◆(謀反を起こした)明智軍が安土城を占拠したものの、その後に急転直下で遠征先の中国地方から駆け付けた羽柴秀吉軍との戦いに敗れて、逃げる際に明智軍が放火した。

◆明智軍が安土城から逃げたあと、信長の息子・織田信雄が放火した。

という2つの説が有名です。他にも「民衆が略奪目的で安土城に侵入して逃亡の際に放火した」とか「落雷で火事になった」とかの説もあるらしいですが、どれが真実かは謎。

★1582年:本能寺の変

部下の明智光秀が裏切り、信長の宿泊先だった本能寺を急襲したのが1582年。いちごパンツ。

桶狭間の戦いが1560年ですので、信長が歴史上で名を残したのは22年間ということになります。長いのか短いのか。短いですよね、やっぱり。

★簡単な年表まとめ

ということで、22年間の出来事を簡単にまとめてみましょう。上に書かなかったイベントで、もしかすると高校の日本史には出てくるかも? という有名なものは赤文字で追記してみました。

◆1560年:桶狭間の戦い
◆1568年:上洛、足利義昭を将軍に擁立
1570年:金ヶ崎の戦い(浅井長政が裏切り織田軍かろうじて逃げる)
1571年:比叡山を焼き討ち
1572年:三方ヶ原の戦い(織田&徳川の連合軍が武田軍に惨敗)
◆1573年:足利義昭を追放、室町幕府が事実上の滅亡
◆1575年:長篠の戦い
◆1579年:安土城が完成
◆1582年:本能寺の変

信長だけでなく他の人でも

織田信長の歴史イベントについて書いてみましたが、「流れで覚える」というのは秀吉や家康など他の武将でもできます。日本史オタクやマニアになりましょう、ってわけではなく、中学生レベルの歴史の勉強という観点で書いてますので、それほど難しくはありません。

たとえば豊臣秀吉。何年に生まれたかとかはテストには出ないだろうから省きますよ。

主君だった信長が急死し、カタキ討ちのため明智軍を叩きのめした「山崎の戦い」は「本能寺の変」と同じ1582年。いちごパンツ。

ここを起点に流れを押さえていけばいいのです。

◆賤ヶ岳の戦い(柴田勝家と対決:1583年)
◆大坂城の完成(1583年)
◆小牧・長久手の戦い(徳川家康と対決:1584年)
◆関白就任(1585年)
◆朝鮮出兵(1591年と1596年)

というのが主要なものでしょうか。秀吉は1598年に病死しています。

徳川家康は、秀吉が病死した1598年を起点に考えていくと、病床の秀吉に「息子の秀頼を頼んだぞ」と依頼され「はーい」と了承した、そのわずか2年後に「関ヶ原の戦い」をやってます。

東軍が徳川家康、西軍が石田三成、この二人を中心に天下が2つに割れての大戦だったわけですが、この関ヶ原が1600年。とてもキリのよい年号なので、これを忘れちゃダメです。

◆関ヶ原の戦い(1600年)
◆江戸幕府を創設(1603年)
◆大坂冬の陣(1614年)
◆大坂夏の陣(豊臣家が滅亡:1615年)

という感じでしょうか。

他にも、たとえば江戸時代の最終期、幕末と呼ばれる時代についても、江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上しますと京都・二条城で発表した「大政奉還」は1867年10月14日

※なぜ日付まで覚えてるかというと、私の誕生日だからですよ。

この大政奉還から逆算していき、薩長同盟、幕府による長州討伐、下関砲撃事件や薩英戦争、安政の大獄に桜田門外の変、日米修好通商条約、日米和親条約、それからペリーの黒船襲来と、10年ちょっとの期間内で有名な歴史イベントがここで書いてる以外にも山のようにあるんですけど、流れで覚えていけば意外と覚えられます。

じゃあ、どうやったら流れで覚えられるの? という話ですが、いちばん簡単なのはマンガを読むことですかね。私自身も小学1年生のときからマンガで「日本の歴史」を読んで日本史が大好きになったし、うちの子供たちにもマンガのセットを買ってあげました。

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少女漫画などのコミックと違って日本史ですから、内容が難しいところもあります。しかし教科書を読んだり、あるいは文字だらけの参考書を読むことを思えば、マンガは子供でもスンナリ入っていける利点があります。

うちの長男はもう10回以上このマンガセットを全巻読んでるはず。私が日本史談義をしても大抵のことは知識として頭に入ってるのが分かります。

で、私と長男が日本史談義をしてるのを横で聞いて、興味を持った長女や次女がマンガを取って読み直す、という良い循環が我が家には生まれています。あとは年号を覚えるだけだな。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

歴史の年号以外にも応用できるかもしれませんが、1つ1つの歴史イベントに関して年号を覚えていく「点」の学習法ではなく、一連の流れをザッと頭に入れた後で順番だったり期間だったりをトータルで覚えていく「線」の学習法がいいんじゃないかなと感じてます。向き・不向きはありますけどね。

あとは、楽しく覚えていければベストですよね。そういう意味でも日本の歴史マンガは入っていきやすいのでオススメですよ。

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