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電車の窓から流れる風景を眺めるのが大好きです

2013年12月23日

ほとんど電車と縁のない生活だった

View from the train window
View from the train window / Bernt Rostad

子供の頃は鳥取や和歌山に住んでたんですけど、電車に乗る機会はほとんどありませんでした。近くに駅もなかったし、移動の大半は親が運転する車だったし。通学も、小中は徒歩で、高校は自転車でした。

大学に合格して福岡に来てからも、電車にはしばらく乗ったことがありませんでした。大学は徒歩数分の近さだったし、北九州は西鉄バスを利用すれば大抵の場所に行けるので。

社会人になっても通勤はバスかマイカー。電車通勤は一度もありません。職場が駅の近くなら電車通勤も可能性があったんでしょうけど、そもそも住んでた家の近くにこれまた駅がない。

唯一、電車と縁があったのは東京時代

そんな人生の中でも唯一、毎日のように電車を利用していたのは、大学を卒業して最初に就職した東京での社会人時代。

千葉に住んでた頃は総武線と山手線。埼玉に引っ越してからは京浜東北線と武蔵野線。所属プロジェクトの関係で取引先での作業をしてた頃は、東海道線も毎日乗ってたし、大宮駅から上越新幹線で通勤してた日々もありました。

総武線で通勤してた頃は常に満員だったので、吊革につかまりながらボーッと窓の外を眺めてたけれど、風景なんて何一つ覚えていません。ただ電車に乗ってただけ。

他の路線も、風景なんて全く覚えてないなぁ。もう20年前だから記憶が風化しちゃってるのもあるんでしょうけど、当時はそもそも「景色を楽しむ」思考もなかったし、仕事を覚えてこなすのに必死で精神的な余裕がなかった。

ただ家と職場を機械的に往復するだけの日々。休日は家に篭もってゲームするか、ギター弾いてるか、寝てるか。どこかの街に出かけたり、近所を散策したりなんて全くしなかった。だから風景を覚えてないのかもしれません。

せっかく上京したのに、大半の街の風景に触れることのないまま福岡の会社に転職。電車通勤の日々は終わりました。もっといろんな場所を訪れておけば良かったと、今は後悔の念しかありません。会社を辞めた事は一切後悔してないけど。

ウォーキングを趣味にしたことによる副産物

2011年の4月からウォーキング大会に参加するようになりました。週末はウォーキング大会に参加し、大会がない日は自主トレと称して好きな場所をひたすら歩いたり。

私がいつも参加しているウォーキング大会は、JRの駅がスタート地点やゴール地点になることが多いので、必然的に電車で移動する機会が増えました。

福岡に住み始めて長いけど、本格的にJRを利用するのは初めてなので、今まで聞いたことのない駅名ばかり。知らない街も驚くほど沢山ありました。福岡について何も知らなかったんだな、というのをJRに乗る度、いつも感じてました。

また、自主トレでもJRや私鉄の線路に沿って歩く企画を私自身がとても気に入り、いろんな沿線を歩きました。この2年間で北九州モノレールの全駅、JR福北ゆたか線の全駅、それから筑豊電鉄という私鉄の全駅を徒歩で巡りました。

鉄道の始点から終点までを歩き切ることによる満足感も大きいのですが、回数を重ねていくうちに別の楽しみが生まれたんですよ。

ウォーキングの終点でゴールしたら帰りは電車に乗るんですけど、その日ずっと汗をかいて歯を食いしばって歩いてきたコースを、電車の窓から眺めることがものすごく楽しく、達成感が倍増するんです。

最初の頃は、「ウォーキングだと3時間かかったのに、電車だと15分かよ、速いなぁー」と、文明の利器がいかに便利かを実感するだけだったんですけど、コースをジーッと眺めていくうちに、

「さっきあそこで脚がつったな、キツかったな」
「何かに引っ掛かってコケそうになったのあそこだ」
「この辺りを歩いてた時は気合いが入ってたなぁ」

などと、ウォーキング内容を振り返るようになってきました。

歩くコースと回数を重ねれば重ねるだけ、「ここは自分の脚で歩いた場所だ」という満足感や達成感を電車の中で実感できるし、それがまた次回ウォーキングへのモチベーションに繋がります。どんどん福岡の街を知ることが出来て、楽しくて仕方がないです。

何の変哲もない景色でも発見や気付きがある

自分で車を運転してる時はキョロキョロと風景を眺める事なんて出来ません。運転に集中するしかない。でも電車なら、幾らでも風景を眺めることができる。

上で書いたように、実際自分がウォーキングした時のことを思い出すのも楽しいんですけど、来たことのない街で景色を眺めるのも最近すごく楽しい。

ずーっと田畑が続くこともあれば、同じ風貌の建物が並ぶ住宅街もあるし、ただ海や川しか見えない単純な景色の時もあります。特に物珍しくもない風景。

それでも私は窓の外をジーッと眺め続けます。そして、いろいろ妄想(空想)するんです。

学生の男の子と女の子が笑顔で歩いてると、あの子たちは交際してんのか? いや距離的にまだそこまで行ってないな、でも女の子の笑顔がとても楽しそうで、心を許してる感じがするな、なんて想像したり。

住宅のベランダで女性が布団を叩いてる姿を見て、あの人は今から買い物に行くのかな、それとも部屋の掃除か、犬の散歩か。

神社の階段を上ってる人がいたら、今からあの人は何を祈りにいくのかな、家族の健康か、仕事が成功したことのお礼か、それとも次の宝くじが当選するための願掛けか。

いろーんなことを想像して物語を作って遊ぶこともあれば、眺めた風景を基に自分自身へのフィードバックをすることも多くあります。

ああー、あの人を見習って今日帰ったら車を洗車しなきゃ。

あの親子は今から公園でキャッチボールするのかな。今から帰って次女を公園に連れていってあげよう。

あの人、重そうな買い物袋を持ってるなぁ。あ、そうだ買い物に行かなきゃいけなかった。

そんなことを毎回、電車の窓から外を眺めつつやってます。

景色を眺めるのが楽しすぎて、他のことをするのがもったいない

東京のJRなど、乗客の数が多い路線は、車両の座席が「対面型」になってると思います。

Train01

↑こういうタイプですね。座席が横長に伸びていて、双方が対面するタイプ。

東京時代に電車通勤してた頃は、立ってる時も座席に座れた時も、ほとんど読書してました。当時はスマートフォンも存在せず、携帯でネットする技術もなく、そもそも携帯電話を私は持ってなかったので、本を読む以外にすることがなかった。人生で最も読書時間が多かった頃。

現在、福岡でも時々この「対面型」に乗ることがあります。この対面型の時に風景を眺めてると、正面に座ってる人から誤解されちゃうんですよ。「あの人、なんでコッチをジロジロ見てるんだろ」みたいに。

かといってiPhoneでTwitterなどをしようにも、すぐ隣りに座ってる人からジロジロ見られたくもない。真面目な顔して不真面目なツイートしてるのを目撃されたらイヤじゃないですか。

だから最近は、対面型の車両に乗らざるを得ない時は、寝ることにしてます。なるべく対面型は乗りたくない。

一方、福岡で主に利用している鹿児島本線や福北ゆたか線は、「進行方向型」の座席が多いんです。「対面型」の時もありますけど。

Train02

↑こういうタイプ。福北ゆたか線の座席がまさに上のような感じ。窓際じゃなくても窓が広いので風景を眺めることができます。

りくま ( @Rikuma_ )的まとめ

毎日毎日、同じ路線で同じ風景の中を走る電車通勤の人であれば、さすがに風景も飽きるでしょうから、窓の外よりも何か他のことで時間を潰したくなるでしょうね。読書したり、スマートフォンでSNSやメールをしたり、ブログを更新する人だっているでしょう。

私は電車に乗る機会が限定されているし、毎回違う目的地に向かうため、景色に飽きることがありません。見覚えのある同じ景色だとしてもウォーキングした時のことを思い返したり、妄想を楽しんだりしてますから、常に新鮮なんです。

なので、本を読んだりiPhoneを触ったりするのが逆にモッタイナイ。風景を眺めるのが大好き。それがとても大切なストレス発散の一つになったりもしてます。

-雑記
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